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14:休日の朝

last update publish date: 2026-03-31 11:27:32

 3月の土曜日の朝は、冬の名残をまだ少し含みながらも、春らしい柔らかさを帯びていた。街路樹の桜は少しずつつぼみを膨らませて、目の前までやって来た春を喜んでいるように見える。

 けれど私の心の中に春が訪れる気配は、これっぽっちもなかった。

 午前7時のこと。

 週末の朝くらい、せめてあと1時間、いや30分でいいから眠らせてほしい。

 そんな切実な願いは、横から飛んできた小さな怪獣によって無残に打ち砕かれた。

「ママ! おっきして! おっはよー!」

 陽菜が私の顔をペチペチと叩き、お腹の上でぴょんぴょんと跳ねる。3歳児の元気は、朝一番からフルスロットルだ。

「……おはよう、陽菜ちゃん。まだ早いよ、もうちょっとだけねんねしよう?」

「だめ! おなかすいた! パン、たべるの。ジャムのパン!」

 陽菜は私のお腹の上から離れようとしない。

 娘の無邪気さに苦笑いしながら、私は重い体を布団から引きずり出した。

 ふと隣を見ると

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