LOGIN月曜日の朝の企画本部TFチームは、いつも通りの戦場だった。
新たにスタートするヨーロッパ市場の足がかり確保事業と、下半期の取締役会議題の準備で、チーム員たちは慌ただしく行き交っていた。その熾烈な業務の中心には、依然として冷ややかなカリスマ性を放つチャ・ドヒョンチーム長と、彼の指示を一分の狂いもなく遂行するハン・ソユル代理の姿があった。
「ハン代理、10時の取締役会の書類を出力し、第2四半期の売上分析表を再検討して報告してください」
「はい、チーム長。直ちに対応いたします」
オフィス内における二人の呼び方は、完全に「チーム長」と「ハン代理」へと戻っていた。先週末、清潭洞(チョンダムドン)の華やかなドレスショップやレストランのテラスで交わした「ドヒョンさん」「ソユルさん」という呼び名は、まるで夢の中の幻影であったかのように跡形もなく消え去っていた。
そのあまりの落差に、ソユルの心の片隅は時折寂しさを覚えたが、すぐに気を取り直した。チャ・ドヒョンは完璧に公私の峻別をつけているのだ。それこそが、契約書の第4条である「感情移入の禁止」を守るビジネスパートナーとしての美徳なのだから。
しかし、午後5時を過ぎた頃、ドヒョンが社内メッセンジャーで送ってきたわずか一行の秘密のメッセージが、ソユルの平穏を再び揺るがした。
[チャ・ドヒョンチーム長:今日の退勤後、私の家へ向かいます。夕食を兼ねた2次作業があります]
ソユルはモニターを見つめ、キーボードを叩いていた指を止めた。ドヒョンの家だなんて。
[ハン・ソユル代理:チーム長のご自宅、ですか? 外部の別の場所ではなく?]
[チャ・ドヒョンチーム長:会長が秘書を使い、私の個人SNSの調査を始めました。交際を始めたと言いながら、カップル写真が1枚もないことを疑っているようです。今夜、偽のカップルアカウントを開設し、演出写真を何枚か撮影してアップします。外部の場所は人目が多いため、私の自宅がもっとも安全です]
ドヒョンのメッセージは徹底して理性的であり、妥当なものだった。週末の遊歩道で撮られたスナップ写真1枚だけでは、会長の執拗な疑念を完全に払拭することはできなかったようだ。
ソユルは胸を締めつける眩暈を押し殺し、短く返信を送った。
[ハン・ソユル代理:承知いたしました。準備をして退勤時間に合わせて伺います]
午後8時、聖水洞(ソンスドン)の高級高層タワーマンション。
ドヒョンが暮らすペントハウスのドアロックが、滑らかな電子音を響かせて開いた。ソユルが恐る恐る中へと足を踏み入れると、モダンで落ち着きのある無彩色トーンの広々としたリビングが一望できた。完璧に整理整頓されたリビングはモデルハウスのように整然としていたが、同時に人が暮らしているような温もりは微塵も感じられなかった。
「気楽に入ってください」
ジャケットを脱いで椅子に掛けながら、ドヒョンが言った。ワイシャツの袖を捲り上げた彼の姿は、オフィスにいるときよりもずっと気だるげに見えた。
「お邪魔いたします」
ソユルがリビングの中央で所在なげに立っていると、ドヒョンはデリバリーで届いた料理をダイニングテーブルに並べながら、顎で椅子を指し示した。
「まずは夕食にしましょう。作業をするには体力が必要ですから」
食事は意外なほど静かに、そして穏やかに進んだ。しかし、食事が終わり、ドヒョンが最新のスマートフォンと三脚をリビングのソファの前へと持ってきたことで、空気は一瞬にして一変した。
「会長側の調査員たちを納得させるには、典型的な『おうちデート』の雰囲気を出す必要があります。日常的で親密な恋人たちの瞬間、ということです」
ドヒョンがリビングの間接照明を少し落とし、温かみのあるオレンジ色の光が広がるよう調整した。そして三脚にカメラを固定し、タイマーを設定した。
「さあ、ソファに座ってみてください」
ソユルはごくりと唾を飲み込みながら、ふかふかとした革張りのソファに腰を下ろした。ドヒョンは躊躇することなく、ソユルのすぐ隣へと間髪を入れずに座り直した。二人の太ももが、衣服越しに触れ合いそうなほど至近距離に迫る。
「最初のカットは、自然に一緒に映画を見ながら笑い合っているポーズです。ソユルさん、もう少し密着してください。距離が遠すぎます」
ドヒョンが手を伸ばし、ソユルの肩を抱き寄せた。ドヒョンの大きな手が、ソユルの肩をしっかりと包み込む。一気に引き寄せられたソユルの体が、ドヒョンの広い胸元に触れた。
ドクン、ドクン、ドクン……。
ソユルの耳元に、ドヒョンの胸の奥で刻まれる鼓動の音がはっきりと伝わってきた。ドヒョンの涼やかな体温と、ワイシャツ越しに伝わる硬い筋肉の感触に、ソユルは息を吸い込むことさえままならなかった。
「さあ、カメラを見て。笑って」
カシャッ――!
タイマーのシャッターが切られた。ドヒョンは画面を確認すると、わずかに首を傾げた。
「表情が硬すぎますね。緊張を解いてください。本物の恋人のように、私をもっと優しく見つめるんです」
「……申し訳ありません。少し不慣れなもので」
「ぎこちなくともやり遂げねばならないのが、私たちのビジネスです。次のカットに行きましょう」
ドヒョンは今度はソユルの手を取り、自らの指を絡めて恋人繋ぎにした。節くれ立った長いドヒョンの指先が、ソユルの華奢で柔らかな指の間に深く滑り込んでくる。
まるで熱源を押し当てられたかのように、組み合わされた手のひら越しに、互いの熱気がそのまま行き交った。
ドヒョンはソユルの手を握ったまま、ぼんやりと彼女の手元を見下ろした。3年間、書類を受け渡してきた部下の手が、これほど小さく温かなものだっただろうか。ドヒョンの瞳に、かすかな波紋が広がった。
ソユルから漂う淡いシャンプーの香りと柑橘の花の香りが、ドヒョンの鼻先をくすぐった。いつもオフィスで漂っていた端正なコーヒーの香りではなく、まぎれもなくハン・ソユルという人間そのものが纏っている、素顔の香りだった。
「チーム長……いいえ、ドヒョンさん?」
ソユルが恐る恐る呼びかけると、ドヒョンは一刹那にして我に返った。知らず知らずのうちに、ソユルの手を握る力に熱が籠もっていた事実に気づき、ドヒョンは微かに動揺を走らせた。
「あ……失礼。次のポーズに移りましょう」
ドヒョンは手を離し、カメラのタイマーを3秒に再設定した。
「今度はもう少し大胆なポーズが必要です。本物の恋人たちだけがするようなポーズを」
「どのようなポーズでしょうか……」
「私がソユルさんの膝を枕にして横になるか、あるいはソユルさんが私の胸元に心地よさそうに身を預けるポーズです。カメラのアングルは上から捉えましょう」
ドヒョンはソファの前のラグの上に腰を下ろした。そしてソファに腰掛けているソユルに向かって顔を上げた。
「私の肩に手を置いて、私を見下ろしてください」
ドヒョンが指示する通り、ソユルは体を傾けてドヒョンの肩に手を置いた。ドヒョンは顔を巡らせ、ソユルの顔を真正面から見上げた。上と下から交錯する二人の視線。
照明のオレンジ色の光が紅く満ちるリビングの中に、カメラのタイマーのカウントダウン音だけが鮮烈に響き渡った。
ピッ――ピッ――ピッ――
3秒の時間が流れる間、二人は互いの瞳の奥から放たれる奇妙な熱気に呑み込まれていた。ドヒョンの眼差しは、もはや冷徹なオフィスの完璧主義者チーム長のものではなかった。深く奥深い瞳の奥には、何か得体の知れない好奇心と引き寄せられる感情が、陽炎のように立ち上っていた。
――俺はどうしてしまったんだ?
ドヒョンは心の中で自問した。ただの演技にすぎず、祖母を欺くためのビジネスにすぎないのに。部下であるハン・ソユルの顔がこれほど間近に迫ったとき、なぜ自分の胸がこれほどまでに息苦しく締めつけられるのか、理解が追いつかなかった。
カシャッ――!
写真が撮られる音とともに、ソユルが身を起こそうとした。あまりに長く密着していたせいで足が痺れてしまったのか、体勢がぐらりと揺れた。
「あっ!」
ソユルの重心が崩れ、体勢が大きく傾いた。ソユルはバランスを取ろうと反射的にドヒョンの肩を強く掴んだが、ドヒョンもまたソユルを支えようとして共にバランスを崩し、ラグの上へと倒れ込んだ。
ドサッ――!
鈍い音とともに、ソユルの体がドヒョンの胸元の上へとそのまま覆いかぶさった。
「くっ……!」
ドヒョンの口から短い息が漏れた。
静まり返るリビング。ソユルはドヒョンの硬い胸の上に完全に重なるような体勢になっていた。ソユルの両手はドヒョンのワイシャツの襟元を掴んでおり、二人の顔はわずか3センチにも満たない距離で止まっていた。
互いの熱い吐息が、相手の頬と唇に直撃するように触れた。
ドクン――ドクン――ドクン――ドクン――!
ドヒョンの胸の下から聞こえてくる心臓の音が、張り裂けんばかりに激しく波打っていた。それがソユルの心臓の音なのか、それともドヒョン自身の心臓の音なのか、判別がつかないほど残酷に入り乱れていた。
ソユルの長い髪がドヒョンの頬をくすぐりながらこぼれ落ちた。ドヒョンの視線が、ソユルの揺れる瞳から、紅く上気した頬、そして小刻みに震えている唇へと、ゆっくりと降りていった。
感情移入の禁止。
契約書の第4条。
ドヒョンの脳裏を支配していた強固な理性の糸に、決定的な亀裂が入り始めた。
ドヒョンは抗うこともできずに手を伸ばし、胸の上に重なるソユルの腰を強く抱き寄せた。逃げ出せないように、より深く密着させるように。
「ドヒョン……さん……」
ソユルの細い声が、ドヒョンの唇の前でか細く砕け散った。
ドヒョンの瞳に、色濃い渇望の光が宿った。これは演技ではなかった。ビジネスでもなかった。ドヒョンの指先に力が籠もり、ソユルを自らの方へとさらに引き寄せた。
「ハン・ソユル代理」
ドヒョンの低く掠れた声が、静寂を切り裂いた。
「契約書の条項……守るのが、思いのほか難しいですね」
二人の視線が火花のように絡み合ったまま、リビングの時間は完全に静止してしまった。
ドヒョンの指先がソユルの頬へと伸びた。彼の涼やかな指先がソユルの顎のラインをなぞるように滑り落ち、ぶかぶかのシャツの襟元から覗く鎖骨のラインをそっとかすめた。 ソユルは身を震わせ、息を呑んだ。ドヒョンの手が触れた肌の一つひとつに、火花が散るようだった。「これは一線を守るどころか……私に理性を失えと煽っているのと同じです、ハン・ソユル代理」 ドヒョンの瞳には、危うく濃密な独占欲が溢れ返っていた。 飲み会の席での嫉妬、ナム代理に向けられたソユルの眩しい笑顔に対する怒り、そして今、目の前で自分の服を着て震えているこの女に向けられた、抗いようのない本能的な欲望。 ドヒョンはついに、胸の奥を苛み続けていた感情の正体を認めざるを得なかった。 これはビジネスでも、契約でも、会長を欺くための演技でもなかった。 彼はハン・ソユルという女を、狂おしいほど手に入れたがっていた。 ドヒョンの顔がソユルの唇へと、ゆっくりと、そして躊躇いなく近づき始めた。 ソユルを壁際に追い詰めたドヒョンの視線は、赤く染まったソユルの頬を通り過ぎ、震える赤い唇の上に吸い付くように絡みついていた。ドヒョンの太ももとソユルの華奢な脚が、ゆったりとしたシャツの裾越しに危うく密着していた。彼の体から立ち上る熱気と微かな香水の香りが、ソユルの理性を麻痺させていく。 ソユルは心臓が外へ飛び出しそうなほど激しく波打つのを感じた。 3年だった。この男を見つめながら一人で胸を痛め、一人で涙を呑み、たった一度だけでもその冷徹な瞳に自分が映ることを夢見てきた時間は。 しかし今、ドヒョンの眼差しに宿っているものは、ソユルがあれほど熱望していた優しい愛情ではなかった。それは得体の知れない独占欲と、自制心を失った者の意地、そしてナムグン・ヒョク代理に向けられた所有欲じみた嫉妬の破片にすぎなかった。 ――違う。騙されては駄目よ、ハン・ソユル。 ソユルの胸の奥深くから、やるせない痛みが込み上げてきた。 この男は、自分を愛しているからこうしているのではない。ただ自ら作り上げた「契約」という枠組みの中で、自分の意のままになるはずの部下がその範疇を外れ、他人に笑いかけたという事実に腹を立てているだけなのだ。これさえも私情の混入などではなく、チャ・ドヒョン特有の潔癖症じみた独占欲にすぎない。 ソユルは奥歯を噛み締
ドヒョンはハンドルを切り、車を車線から外した。「どちらへ向かわれるのですか? 私の家の方向ではありませんが」 ソユルが尋ねたが、ドヒョンは答えなかった。車はわずか5分の距離にある見慣れたビルの地下駐車場へと滑り込んだ。数日前、偽のカップル写真を撮るために訪れたドヒョンのペントハウスがあるマンションだった。「降りなさい」「チーム長の家には上がりません。雨が止むまで車の中にいます」「風邪を引いて寝込み、取締役会の書類に穴を開けるつもりですか?」 ドヒョンが冷ややかな口調で切り返した。「服を乾かして、雨が止むまでの間だけです。無駄な意地を張らずについて来なさい」 ドヒョンは車から傘を取り出すことすらせず、助手席のドアを開けてソユルの手を引き、エレベーターへと向かった。拒絶する隙さえ与えない、断固たる行動だった。 ピッ―― ペントハウスのドアロックが開き、二人はリビングへと足を踏み入れた。 リビングの照明が灯ると、雨水に濡れた二人の姿が如実に露わになった。ドヒョンの高級ワイシャツは濡れて体に張りつき、肩と胸の筋肉の輪郭を浮き彫りにしていた。そしてソユルもまた、濡れたブラウスが肌に吸い付き、下着のラインがおぼろげに透けて見えていた。 ドヒョンがソユルの姿を捉えた瞬間、彼の瞳が見開かれ、慌てて視線を逸らした。ドヒョンの喉仏が大きく上下に動く。「……少し待ちなさい」 ドヒョンはドレスルームへと入っていき、やがて大判のタオル2枚と、自身の白いオーバーサイズのドレスシャツを1枚持って戻ってきた。「バスルームに入って、体を洗ってきなさい。濡れた服は洗濯機に入れて、今すぐ着る服がないのだから……私のシャツでも羽織って出てくるといい」 ドヒョンがシャツとタオルをソユルの腕の中に押し付けた。「チーム長の服を着るだなんて、それは少し……」「では、その湿って透けている濡れそぼった服をずっと着ているつもりですか?」 ドヒョンの鋭い指摘に、ソユルは自分の服の状態を思い知らされ、頬を真っ赤に染めた。ソユルはそれ以上言い返すことができず、バスルームへと入った。 温かいシャワーを浴びて出てきたソユルは、鏡の前に立った。 ドヒョンから渡されたドレスシャツを身にまとった自分の姿が映っていた。ドヒョンの体格が大きかったため、シャツはソユルの太ももの中間あたりまで覆い
「ナム代理の前でもあんな風に笑うんですか? ナム代理が肩を掴んで触れてきても、そうやってじっとしているんですか?」「チーム長に何の資格があって――」「資格?」 ドヒョンが低く呟いた。彼の視線がソユルの唇へと落ちる。「14日間、お前は俺の恋人だ。少なくともこの契約が終わるまでは、俺の目の前で他の男を見て笑うな」 理不尽な言いがかりと嫉妬、そして認めがたい惹かれ合いが入り混じったドヒョンの宣言。 二人の呼吸が夜の空気の中で熱くぶつかり合い、6日目の夜の闇は酷く深まっていった。 街灯の光の下に投げ出されたドヒョンの声は夜気よりも冷ややかに、そして同時に沸点直前の湯のように熱かった。 ソユルは手首を掴み上げられたドヒョンの万力のような力に圧され、息を乱した。ドヒョンの瞳は、漆黒の闇の中で燃え盛る炎を宿していた。いつでも冷静で理知的な計算ばかりをしていたあのチャ・ドヒョンが、ただ自らの感情を御しきれずに荒い息を吐き出していた。「チーム長……これ、離してください」 ソユルが手首を捻って引き抜こうとすると、ドヒョンは離すどころかむしろ握力に力を込め、ソユルの体を自らの胸の前へとさらに引き寄せた。二人の静かな摩擦音の合間に、空からゴロゴロと不穏な雷鳴が響き渡った。「離さないと言いました、ハン代理」「今、何の無茶を仰っているのですか? ナム代理は私の同期にすぎません。私が誰と笑い、誰と会話しようと、それは私の私生活です。契約書のどこにも、私の日常的な人間関係まで統制されねばならないという条項はありませんでした!」 ソユルの凛とした反論に、ドヒョンの眉が険しく歪んだ。「私生活?」 ドヒョンは歪んだ笑みを浮かべた。「その私生活のせいで会長が張り巡らせた監視網に汚点を残すことになれば、それはもはや私生活ではなく業務怠慢です。私の契約パートナーとしての資格問題だと言っているんです」「言い訳をしないでください!」 ソユルの声が微かに震えた。胸の底で3年間積み重なってきた悲哀と悔しさが、込み上げて決壊した。「今日の飲み会の席に監視役などいませんでした。チーム長だってそれをご存知のはずなのに、なぜこんなことをなさるのですか? 偽りの恋愛を持ちかけたのはチーム長でしたし、一線を越えるなと警告したのもチーム長でした! それなのに……今、一線を崩そうとなさっている
自分の前ではいつも緊張しているか、頑なに警戒態勢を取るか、あるいはビジネス用の作り笑いしか見せなかったハン・ソユルだった。それなのに、あのナム代理という男の前では、あんな風に目尻を下げて気安く、屈託なく笑っていた。 さらには、ナム代理がソユルの肩を軽く小突いて冗談を言うと、ソユルもまた自然な手つきでナム代理の腕を軽く叩いて咎め返していた。 スッ―― ドヒョンの眉間が深く険しく寄せられた。 ――ナムグン・ヒョク代理。入社3年目、企画2チーム。仕事ぶりは悪くないが、私的な親密さを過度に表出する傾向あり。 ドヒョンの脳裏でナム代理に関する情報が冷ややかに整理されたが、胸の底から波打つ本能は、完全に理性を圧倒していた。酷く不快な熱気。それは他でもない「嫉妬」だった。 ソユルはドヒョンの冷たい視線に気づくこともなく、ナム代理と話に花を咲かせていた。「あ、そうだ! お前、パリ支社への派遣申請書を出したんだって? 本当に行くのか? 行かれたら俺、寂しくてどうすりゃいいんだよ」「まだ確定じゃないよ。でも準備はずっと続けてる」「本当に行くことになったら、俺がパリに遊びに行くから案内してくれよな、絶対に!」「わかった、美味しいもの奢ってくれるなら考えてあげる」 二人の会話が続くほどに、ドヒョンの忍耐は限界に達しつつあった。自分が直々に承認してやると約束したその「パリ派遣」の件を、あのナム代理という男と何食わぬ顔で笑い合いながら話している姿が、ひどく神経を逆撫でした。 ドン――! ドヒョンが酒杯をテーブルの上へとやや乱暴に叩きつけた。賑わっていた飲み会の空気が、一瞬にして静まり返った。「チーム長?」 チーム員たちが一斉にドヒョンへと視線を向けた。ドヒョンは無表情のまま時計を確認すると、席から立ち上がった。「1次会はここまでにしましょう。皆さんお疲れ様でした。タクシー代は法人カードで精算しておきますので、残ってまだ飲む人は飲んでください」「わあ! チーム長、最高です!」 チーム員たちが歓声を上げる中、ドヒョンはソユルに向けて冷ややかな視線を突き刺した。「ハン代理」 ソユルが顔を上げた。「はい、チーム長?」「少し話があります。外注先との契約の件で確認したい書類があります」 ソユルは首を傾げた。外注先の書類なら、すでに午後に完璧に報告を済ませて
ドヒョンのペントハウスのリビングで起きたあの危うい事故の後、二人の間には異質で張り詰めた静寂が漂い始めた。「契約書の条項……守るのが、思いのほか難しいですね」 その低く涼やかな声がソユルの耳に届いた瞬間、ドヒョンは自らの行動に動揺したかのように、腰を抱き寄せていた手を引っ込めた。そして何事もなかったかのように席から立ち上がり、襟元を整えた。「今日はここまでにしましょう。写真は私が選別してカップルアカウントにアップします。遅いのでタクシーを呼びましょう」 それが4日目の夜のすべてだった。ドヒョンは、極めて理性的な静寂が自らの理性を飲み込んでしまうのを恐れているかのように、急いでソユルを家の外へと見送った。タクシーに乗り込んだソユルは、窓の外にぼんやりと立ち尽くすドヒョンの姿を見つめながら唇を噛んだ。彼の眼差しは、見知らぬ熱気から再び強固な氷の壁へと戻っていた。 契約5日目、火曜日。 朝の出勤時からドヒョンの態度は明らかに変わっていた。普段から冷徹で完璧主義の傾向が強いチーム長だったが、今日は苛烈なほどに事務的で冷淡だった。「ハン代理、第3四半期の海外事業戦略起案書のフォントサイズと行間が合っていません。基本フォーマットを再確認して再提出してください」「チーム長、そのフォーマットは先週の取締役会報告用として承認を得た標準書式ですが」「私が新たにガイドラインを出したはずですが。私の指示通りに再作業してください」 オフィス内の他のチーム員たちまでもが凍りつくほど、ドヒョンの指摘は苛烈だった。ソユルは胸の奥から寂しさと呆れがこみ上げてきたが、すぐにドヒョンの意図を察した。 ――線引き。 ドヒョンは前夜、自分が瞬間的に揺らいでしまったという事実を受け入れられずにいるのだ。自ら定めた「感情移入の禁止」という第4条を守るため、逆にソユルに対して徹底的に事務的かつ冷徹な壁を作るという愚行に及んでいた。 ソユルは書類を引き取った。3年間彼に片思いしながら培ってきた強固なプライドが頭をもたげた。チャ・ドヒョンが望むものが完璧な部下と理性的なビジネス関係であるならば、それを完璧に見せつけてやることこそがソユルの流儀だった。 ソユルは書類を手に、まっすぐな姿勢でドヒョンを直視した。「申し訳ありません、チーム長。指示事項の確認が行き届いておりませんでした。ご指
月曜日の朝の企画本部TFチームは、いつも通りの戦場だった。 新たにスタートするヨーロッパ市場の足がかり確保事業と、下半期の取締役会議題の準備で、チーム員たちは慌ただしく行き交っていた。その熾烈な業務の中心には、依然として冷ややかなカリスマ性を放つチャ・ドヒョンチーム長と、彼の指示を一分の狂いもなく遂行するハン・ソユル代理の姿があった。「ハン代理、10時の取締役会の書類を出力し、第2四半期の売上分析表を再検討して報告してください」「はい、チーム長。直ちに対応いたします」 オフィス内における二人の呼び方は、完全に「チーム長」と「ハン代理」へと戻っていた。先週末、清潭洞(チョンダムドン)の華やかなドレスショップやレストランのテラスで交わした「ドヒョンさん」「ソユルさん」という呼び名は、まるで夢の中の幻影であったかのように跡形もなく消え去っていた。 そのあまりの落差に、ソユルの心の片隅は時折寂しさを覚えたが、すぐに気を取り直した。チャ・ドヒョンは完璧に公私の峻別をつけているのだ。それこそが、契約書の第4条である「感情移入の禁止」を守るビジネスパートナーとしての美徳なのだから。 しかし、午後5時を過ぎた頃、ドヒョンが社内メッセンジャーで送ってきたわずか一行の秘密のメッセージが、ソユルの平穏を再び揺るがした。[チャ・ドヒョンチーム長:今日の退勤後、私の家へ向かいます。夕食を兼ねた2次作業があります] ソユルはモニターを見つめ、キーボードを叩いていた指を止めた。ドヒョンの家だなんて。[ハン・ソユル代理:チーム長のご自宅、ですか? 外部の別の場所ではなく?][チャ・ドヒョンチーム長:会長が秘書を使い、私の個人SNSの調査を始めました。交際を始めたと言いながら、カップル写真が1枚もないことを疑っているようです。今夜、偽のカップルアカウントを開設し、演出写真を何枚か撮影してアップします。外部の場所は人目が多いため、私の自宅がもっとも安全です] ドヒョンのメッセージは徹底して理性的であり、妥当なものだった。週末の遊歩道で撮られたスナップ写真1枚だけでは、会長の執拗な疑念を完全に払拭することはできなかったようだ。 ソユルは胸を締めつける眩暈を押し殺し、短く返信を送った。[ハン・ソユル代理:承知いたしました。準備をして退勤時間に合わせて伺います] 午後8時、聖







