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第2話

Author: 九月の楓
しばらくして、一彦は淡々と言った。「お前の味の好みは複雑すぎて覚えられない。いつも間違えてしまうから、自分で作れよ」

実際には私の好みなど全然複雑ではない。ただ、唐辛子が苦手なだけだ。

一彦は遥の10種類ものタレの配合を覚えているのに、私用にはいつも必ず唐辛子を入れるのだ。

タレを自分で用意して戻ると、私はお皿を持ったままテーブルの前で立ち尽くした。

元々私が座るはずだった場所に、今は遥が座っている。

二人が楽しそうに談笑していると、一彦が真っ先に私に気づいた。

「遥は生理中なんだ。この席だと隙間風で冷えて、風邪を引いてしまうかもしれない。席を代わってやってくれないか」

ゆっくりと席につくと、冷たい風が足元から吹き込んできた。

下腹部が、引きつるように何度も痛んだ。

遥は、私たちは大親友だから生理日さえ同じなのだと嬉しそうに語る。

スマホがピカッと光り、社長からメッセージが届いた。

【江藤さん、3日後に出発するが問題ないか?】

私は顔を上げた。

一彦は、ちょうど湯通しした特上牛タンを遥の小皿に移していた。

私は俯いて、返信を打ち込んだ。

【問題ありません】

特選スライス肉が煮上がったので、私は箸を伸ばした。

「食べるのか?」一彦の声が少し低くなった。

私は肉を箸でつまんだまま、鍋の横で固まった。「え?」

「これは遥のために茹でたやつなんだ」

そう言うと、彼は横から綺麗な取り皿を持ってきた。

そして鍋の中の特選スライス肉をすべてその皿にさらった。

彼は私を見て、少し間を置いた。

次の瞬間、私の箸に残っていた肉までその皿の中に落とした。

最後には山盛りの皿を、遥の隣に置いた。

「ほら。俺が茹でた肉が一番美味しいって言ってただろ。全部お前のものだ、誰も取ったりしない」

先ほどの一部始終は、遥の目にも映っていたはずだ。

だが、彼女は何も言わなかった。特におかしなことだとは思わなかったのだろう。

彼女は、一彦に世話を焼かれ、気遣われることに慣れきっているのだ。

一彦の彼女である私の目の前であっても、一彦から最優先されるのが当然だと思っている。

「っ」

一彦が勢いよく肉を入れたため、熱々のだしが私の手の甲にはねた。

痛さで手を引っ込めると、そこが赤くなっていた。

その直後、指先を急に掴まれた。

一彦が赤くなった手の甲を見つめ、眉間にしわを寄せた。

「どうしてすぐによけないんだ。本当に心配ばかりかけるな」

立ち上がっても、彼は私の手を放さなかった。

私は座ったままで、胸の奥がキュッと締め付けられた。

彼は立ち上がったまま、上から私を見下ろした。

「手がパンパンに腫れ上がるまで我慢するつもりか?」

私は腰を浮かせて立ち上がり、彼の後ろについて手洗い場へと向かった。

彼は水流を丁寧に調節し、私の手を握って優しく冷やしてくれた。

水は私の手の甲をかすめて、一彦の手の甲へと流れ、最後にはシンクへ落ちていく。

一彦は私の手の甲を見つめていた。

「さっきの肉は、お前のために茹でたんだ」

彼がそう言った瞬間、私は目を伏せた。

これまでに積もっていた澱のような気持ちが、どこかへ消えていく気がした。

席に戻ると、遥は最後の一枚を箸ですくい上げていた。

「一彦が茹でた肉はやっぱり最高ね。全部私のお腹に入っちゃったよ」

一彦は嬉しそうに口元をほころばせた。「もっと食べるか?追加してやろう」

肉が盛られていた皿が空になると、一彦は店員を手招きして追加しようとした。

遥は口の中の物を飲み込むと、首を横に振った。「ううん、さすがに食べすぎだわ。もうお腹いっぱい」

鍋の、さっきまで特選スライス肉が入っていた場所には、いつの間にか白菜がたっぷりと投入されていた。

私は、手洗い場で一彦から言われたあの言葉を思い出して彼を見つめた。

彼は不思議そうな目でこちらを見てきた。「どうかしたのか?」

その瞬間、ハッと気づいた。言葉を交わさずとも通じ合える相手は、私ではなく遥なのだと。

私はただ聞きたかっただけだった。

遥のために茹でた肉は、私に一枚すら食べさせてくれなかったのに、どうして私のために茹でたはずの肉を、遥が一人で完食しても平気なのか、と。

一彦の戸惑うような顔を見て、私は察してしまった。

彼は遥には心を込め、私は「ついで」に過ぎないのだ。

手洗い場からテーブルまでのたった数メートルの間で、彼はもうすっかり忘れていたのだから。

忘れてしまったことを今さら問い詰めたところで、何になるというのだろう。

私は首を横に振った。「ううん、何でもない」

私の箸が横に置かれると、タレの小皿にパクチーが何本か放り込まれた。

「お前、これが一番好きだろ。多めに頼んでおいたから、食えよ」

そう言うと一彦はそっぽを向き、遥の口元の汚れをティッシュで拭き取った。

私は黙々と、パクチーをタレの一番下に埋めた。

パクチーが大好物なのは、私ではなく遥なのに。

遥がこちらをちらりと見やり、私の手元の空になった取り皿に目をやった。

そこはまるで新品のようにきれいで、油の一滴すらついていない。

「栞、あんまり好きじゃない?」

一彦も私を見ていた。

私も自分自身に問いかける。

わざわざ休暇を取って、午後の2時から夜の8時まで行列に並んで、301番の整理券を掴み取って。

これほどの苦労を重ねてようやくありつけたしゃぶしゃぶだったが、いざ食べてみると実感した。

どうして期待したほど美味しく感じられないのだろう、と。

むしろ喉を通らない。それどころか、今すぐここから消え去りたい気持ちでいっぱいだった。

私の視線は遥から一彦へと移った。

彼と共にいるために払ってきた犠牲に比べれば、今回の待ち時間など些末なものだ。

夢見ていたものと、それが打ち砕かれた時の失望も、今回の出来事の何十倍も大きかった。

私は胸の苦しみを抑え込み、ふっと笑ってみせた。「たぶん、私の好みじゃなかったみたい」

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