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私の店へ、夫が妊娠した秘書を連れて試着に訪れた

私の店へ、夫が妊娠した秘書を連れて試着に訪れた

Por:  大金持ちになるCompleto
Idioma: Japanese
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滝澤光洋(たきざわ みつひろ)は、妊娠中の秘書である森田響子(もりた きょうこ)を連れて、私が経営するオートクチュールのウェディングドレス店へやってきた。 応接室では、彼の友人たちがひそかに賭けをしていた。響子が何着目のドレスを試着したところで、私が取り乱すか――という賭けだ。 けれど、彼女が最後の一着に試着するまで、私は手にしたメジャーで、ただ正確に採寸を続けていた。 「光洋さん、奥さんが響子さんにじかにサイズを測ってるぜ。あれ、いくらなんでも我慢強すぎる」 光洋はソファにもたれかかり、タバコの灰を軽くはらった。 「あいつは子どもが産めない体でな。俺が養ってやってるだけだ。 今のうちに、ここのルールに慣れさせておかないと。将来、俺の息子の世話すらできなくなったら困るからな」 私はメジャーをしまい、仕立て代の請求書を差し出した。 「おめでとう。サイズはぴったり。内金、二千万」 光洋は、二千万円の小切手を一枚、さりげなく放ってよこした。 「サインしろ。響子はいま妊娠中で気が立っていて、どうしても妻っていう立場が欲しいんだ。 とりあえず離婚だ。財産分与なしでな。子どもが生まれたら、またお前を迎え入れてやる」 私はためらわずに署名した。そして、その二千万円の小切手を、粉々に破り捨てた。

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Capítulo 1

第1話

滝澤光洋(たきざわ みつひろ)は、妊娠中の秘書である森田響子(もりた きょうこ)を連れて、私が経営するオートクチュールのウェディングドレス店へやってきた。

応接室では、彼の友人たちがひそかに賭けをしていた。響子が何着目のドレスを試着したところで、私が取り乱すか――という賭けだ。

けれど、彼女が最後の一着に試着するまで、私は手にしたメジャーで、ただ正確に採寸を続けていた。

「光洋さん、奥さんが響子さんにじかにサイズを測ってるぜ。あれ、いくらなんでも我慢強すぎる」

光洋はソファにもたれかかり、タバコの灰を軽くはらった。

「あいつは子どもが産めない体でな。俺が養ってやってるだけだ。

今のうちに、ここのルールに慣れさせておかないと。将来、俺の息子の世話すらできなくなったら困るからな」

私はメジャーをしまい、仕立て代の請求書を差し出した。

「おめでとう。サイズはぴったり。内金、二千万」

光洋は、二千万円の小切手を一枚、さりげなく放ってよこした。

「サインしろ。響子はいま妊娠中で気が立っていて、どうしても妻っていう立場が欲しいんだ。

とりあえず離婚だ。財産分与なしでな。子どもが生まれたら、またお前を迎え入れてやる」

私はためらわずに署名した。そして、その二千万円の小切手を、粉々に破り捨てた。

ソファに凭れかかっていた光洋の体が、一瞬でピンと張り詰めた。

彼の視線は、紙の屑をじっと睨みつけている。口元に浮かんでいた笑みが、ゆっくりと消えていった。

光洋の友人、吉岡尚文(よしおか なおふみ)が隣のソファで脚を組み、嘲笑を漏らす。

「奈央さんの気を引くための小細工、いくらなんでも安っぽすぎるよ。

光洋さんがせっかくチャンスをくれたのに、こんなつまらない真似をして。自分の立場をわきまえたらどうだ」

光洋は冷たい表情で立ち上がり、革靴で床の紙の屑を踏みにじった。

そして私の前まで来ると、見下ろすように立つ。

「伊東奈央(いとう なお)、調子に乗るなよ。

ここにあるものは全部、俺が金を出したんだ。そんな取り澄ました顔するな」

私は無表情のまま、怒りに燃える彼の瞳を静かに見返した。

彼が何より嫌うのが、こんな私の無反応な態度だった。

光洋は勢いよく振り返り、ホールに並ぶ数十着のオートクチュールのウェディングドレスを指さした。

「これらを全部叩き壊せ」

入り口に控えていた四人のボディガードが、すぐに店内へ入ってくる。

鉄パイプが中央の巨大なクリスタルのショーケースを砕き、ガラスの破片が飛び散った。

私が三年かけて心を込めて縫い上げたドレスが、次々と引きずり下ろされる。

ボディガードは純白の裾を踏みつけ、両手で力任せに引き裂いていく。

布地が耳障りな音を立てて裂ける。

ドレスを飾っていた宝石や真珠が、床にばらばらと転がった。

光洋は私の目の前に立ち、私の顔を覗き込む。

「響子が、このドレスは古くさいし埃臭いって言ってるんだ。

そんなに強情なら、そのボロ布をすべて引き裂いて、いつまでその強気が続くか試してやろうじゃないか」

一人のボディガードが鉄パイプを振りかぶり、壁際のガラスケースを狙った。

その中には、二つの安物の銀のペアリングが入っている。

それは起業したばかりの頃、光洋が祭りで六百円で買ってくれた指輪だ。

その時、光洋の体が、突然動いた。

彼は大股で駆け寄り、そのガラスケースの前に背中で立ち塞がる。

飛び散ったガラスの破片が彼のスーツを切り裂き、手の甲に傷を作った。

ボディガードは驚いて手を止める。

光洋は振り返り、無傷の指輪を見つめると、息を弾ませた。

そして勢いよく向き直り、ボディガードを睨みつける。

「ちゃんと狙え!死にたいのか!」

めちゃくちゃにされた店内に立ったまま、私はそんな彼の矛盾だらけの姿を見ていた。

昔なら胸を痛め、彼の心の奥にまだ私がいるのだと信じただろう。

今は、ただ滑稽に映るだけだ。

光洋は私の前まで来ると、乱暴に私の顎を掴んだ。

指に力を込め、爪が肉に食い込む。

彼はもう一方の手でスマホを構え、カメラを私の顔に向けた。

「カメラを見ろ。響子へのビデオを撮れ。

新しい命を歓迎して、自ら離婚に応じる、俺と響子との末永い幸せを祈る、と言え」

彼は私の頭を無理やり押さえつけ、カメラを直視させた。

革靴が、ドレスから引きちぎられたダイヤモンドを踏みつける。

そのダイヤは、彼がかつてオークションで手段を尽くして落札したものだ。

あの時、彼は言った。この世界でこのダイヤをあしらったドレスを着られるのは、お前だけだ、と。

なのに今、彼はそれを踏みつけ、愛人のために、私に離婚を迫っている。

私は抵抗せず、カメラに映る自分の青白い顔を見つめた。

「私、伊東奈央は、自ら光洋との離婚を承諾します。

森田響子さんの子どもを歓迎します。お二人の末永い幸せを祈ります」

私は落ち着いた声で、はっきりと言い切った。

光洋は停止ボタンを押すと、一瞬苛立ちを目に浮かべ、私の顎から手を離した。

そしてその動画を、東都の大物が集まるグループラインに流した。

尚文とその友人たちが、わざとらしく口笛を吹く。

「さすが光洋さん。これで響子さんも喜ぶよ」

光洋は手の甲の血を拭い、タバコを一本取り出した。

「タバコを吸ってくる。お前ら、こいつを見張れ。あちこち勝手に動き回らせるんじゃねえ」

そう言って、彼は友人たちを連れて外へ出て行った。

私は背を向け、床に散らばる宝石の破片を踏みしめながら、廊下にある休憩室へと向かった。

パスポートと、国際コンクールに参加するための極秘デザイン集を取り戻そうと思ったのだ。

ドアのところまで歩き、半開きになっていた扉を押し開く。

視線を、ソファの上に落とした。

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第1話
滝澤光洋(たきざわ みつひろ)は、妊娠中の秘書である森田響子(もりた きょうこ)を連れて、私が経営するオートクチュールのウェディングドレス店へやってきた。応接室では、彼の友人たちがひそかに賭けをしていた。響子が何着目のドレスを試着したところで、私が取り乱すか――という賭けだ。けれど、彼女が最後の一着に試着するまで、私は手にしたメジャーで、ただ正確に採寸を続けていた。「光洋さん、奥さんが響子さんにじかにサイズを測ってるぜ。あれ、いくらなんでも我慢強すぎる」光洋はソファにもたれかかり、タバコの灰を軽くはらった。「あいつは子どもが産めない体でな。俺が養ってやってるだけだ。今のうちに、ここのルールに慣れさせておかないと。将来、俺の息子の世話すらできなくなったら困るからな」私はメジャーをしまい、仕立て代の請求書を差し出した。「おめでとう。サイズはぴったり。内金、二千万」光洋は、二千万円の小切手を一枚、さりげなく放ってよこした。「サインしろ。響子はいま妊娠中で気が立っていて、どうしても妻っていう立場が欲しいんだ。とりあえず離婚だ。財産分与なしでな。子どもが生まれたら、またお前を迎え入れてやる」私はためらわずに署名した。そして、その二千万円の小切手を、粉々に破り捨てた。ソファに凭れかかっていた光洋の体が、一瞬でピンと張り詰めた。彼の視線は、紙の屑をじっと睨みつけている。口元に浮かんでいた笑みが、ゆっくりと消えていった。光洋の友人、吉岡尚文(よしおか なおふみ)が隣のソファで脚を組み、嘲笑を漏らす。「奈央さんの気を引くための小細工、いくらなんでも安っぽすぎるよ。光洋さんがせっかくチャンスをくれたのに、こんなつまらない真似をして。自分の立場をわきまえたらどうだ」光洋は冷たい表情で立ち上がり、革靴で床の紙の屑を踏みにじった。そして私の前まで来ると、見下ろすように立つ。「伊東奈央(いとう なお)、調子に乗るなよ。ここにあるものは全部、俺が金を出したんだ。そんな取り澄ました顔するな」私は無表情のまま、怒りに燃える彼の瞳を静かに見返した。彼が何より嫌うのが、こんな私の無反応な態度だった。光洋は勢いよく振り返り、ホールに並ぶ数十着のオートクチュールのウェディングドレスを指さした。「これらを全部叩
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第2話
休憩室のソファには、病院の診断書が数枚、散らばっていた。いちばん上にある紙には、響子の名前と「早期妊娠」の印字がある。その横に、黒いタブレット端末が置かれている。光洋がこの前、店に忘れていったものだ。画面にはロックがかかっておらず、つけっぱなしのまま、一本の動画がループ再生されている。映っているのは、山腹の豪邸にある、私たちの新居の主寝室だった。響子が私のシルクのネグリジェをまとい、光洋の胸に寄りかかっている。甘ったるい声で、サイドテーブルの上の私のデザインの原稿を指さした。「光洋、このベッド硬すぎ。机の上のガラクタみたいな紙も、見てるとイライラする。部屋の中、あの女の匂いで吐きそう」光洋は彼女の髪に優しく唇を落とし、その腹に手を這わせながら言う。「なら、彼女の匂いがついてるものは全部燃やそう。離婚の手続きが済んだら、彼女が得意げにしてたクズみたいな原稿も、まとめて燃やしてやる。彼女にはお前の世話だけさせておけばいい」動画の中の男の声は、底が知れないほど冷たかった。私はその場に立ち尽くした。涙は、ひとつも出なかった。ソファへ歩み寄り、診断書を手に取る。それから引き出しを開け、黄ばんだ手紙の束を取り出す。それは光洋が大学時代に書いてくれた、ラブレターだった。部屋の隅にあるシュレッダーの前に立ち、スイッチを押す。耳障りな作動音が響く。私は診断書の紙も、ラブレターの束も、まとめて投入口に押し込んだ。シュレッダーは紙を呑みこみ、鋭い刃が過去を二度とつなぎあわせられない屑へと切り刻んでいく。振り返り、クローゼットの下部にある隠し引き出しを開ける。黒いスーツケースを引きずり出した。ファスナーを開け、パスポートを内ポケットに入れる。それから、極秘デザイン集を手に取り、慎重にしまう。半年をかけて、心血を注いで縫いあげた未完成のウェディングドレス「涅槃」も、丁寧に畳んでケースに収めた。すべてを終え、五年分の青春と愚かさを、この中に封じこめるように、私はファスナーを閉めた。スーツケースを引いて、休憩室を出る。店の中はめちゃくちゃにされたまま、割れたガラスと引きちぎられた布地が散らばっている。破片を避けながら、私は入り口へまっすぐ向かった。外は冷たい風が吹いてい
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第3話
光洋の声は低かったが、抗うことを許さない命令の響きがあった。私はスーツケースの取っ手を握りしめた。「これは私の私物よ。光洋、財産分与の協議書にはもうサインしたはずでしょ」光洋が鼻で笑った。「店のものを盗もうってのか」彼が顎をしゃくると、ふたりのボディガードがすぐに歩み寄り、私を力ずくで押しのけた。スーツケースは奪われ、割れたガラスの破片が散らばる階段に置かれる。ボディガードが鉄パイプでロックをこじ開け、ファスナーも無理やり引きちぎった。中から極秘デザイン集が滑り落ち、ばらばらと床に散る。半年をかけて心血を注いだ、国際コンクールに参加するための未完成のウェディングドレス「涅槃」も、一緒に落ちてきた。純白のシルクが風にひるがえり、裏地の織り込まれた紋様が光を弾く。そのとき、黒い車が一台、道端に止まった。響子が数人の使用人に大事そうに支えられながら、車から降りてくる。彼女は光洋のそばに歩み寄り、甘えた声で彼の腕にしがみついた。「光洋、私のタブレットが見つからないの。店に忘れてきちゃったのかな」そう言った瞬間、彼女の視線がふと床の「涅槃」に落ちる。響子の目がたちまち輝いた。彼女は光洋の腕をほどき、ドレスの前まで行くと、つま先で裾をちょんと蹴った。「光洋、これ、さっき採寸したのよりずっと素敵よ。それにウエストにゆとりがあるから、私のお腹も隠せるんだよね」光洋はためらいもなく腰をかがめ、私の再生を象徴する作品を床から拾い上げた。埃を手で払い、そのまま響子の肩にかけようとする。響子は私より骨格が大きく、私のサイズにぴたりと合わせて作られた未完成品は、まったく入らなかった。光洋がぐいっと引っ張ると、布がきしむような音を立てる。彼は忌々しそうに眉をひそめた。「なんだ、このクソみたいなデザインは。響子の腹さえ入らねえ」そう言い放つと、両手でスカートの裾を掴み、一気に左右へ引き裂いた。布が裂ける音が鼓膜を突き刺す。私が手縫いしたシルクの後ろ裾は、彼の手によって真っ二つにされた。裂く瞬間、彼の手がほんの一瞬だけ止まったように見えた。内側の襟元に刺繍された、私のイニシャル「NAO」のタグを、無意識に避けたのだ。響子が甘ったるい声を上げる。「光洋、どうせ破っちゃったんだし
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第4話
私はガラスの破片のなかで、身を縮めていた。転んだ時にハンドバッグが床に落ちた。パスポートに挟んでおいた妊娠検査報告書が光洋の足元に落ちた。今朝、私が受け取ったばかりだ。今夜の結婚記念日のパーティーで、サプライズとして光洋に渡そうと思っていた。私は妊娠できない体じゃない。もう、彼の子を宿しているのだ。光洋の視線が、床の血からその紙へと移った。彼は身をかがめ、報告書を拾い上げる。そこに書かれた内容を目にしたとたん、彼の目にあきらかな動揺が走った。無意識に手に力がこもる。隣に立っていた響子も、内容を見るなり、表情が一瞬で嫉妬と憎悪に歪んだ。彼女はすぐさま自分の腹を押さえ、悲鳴をあげる。「ああっ……光洋、お腹が痛い……! きっとさっき、彼女にびっくりさせられたせいよ!」響子の叫び声を聞いた光洋は、冷酷な表情で動揺を押し隠した。彼は報告書を二つに破り、私の顔に叩きつける。「奈央、俺の気を引くために偽の報告書まででっちあげたのか」紙の端が頬をかすめ、赤いすじが残った。光洋は床に広がる血を指さし、冷たい口調で言った。「仮に本当に妊娠してたとしても、お前みたいな悪女の子は産ませられない。俺を恨むなよ。これも響子の子どものためだ」彼は迷いなく背を向けると、腹をかばう響子を抱き上げ、大股で路肩に停めた黒い車へと向かった。乗り込む直前、光洋は血溜まりに倒れている私を振り返った。「今日こそ、一生忘れられない、思い知らせてやる」彼は外に控えるボディーガードに目を向けた。「シャッターを下ろして、鍵をかけろ。誰も救急車を呼ぶな。彼女にはここで反省させろ」ボディーガードは、私が落としたスマホを拾い、外のゴミ箱に放り込んだ。重たい鉄の扉が、モーターの駆動音を響かせながら、ゆっくりと降りていく。細くなっていく最後の光のなか、光洋が響子を抱えて車に乗り、走り去る後ろ姿が見えた。耳をつんざくような轟音とともに、シャッターが地面に叩きつけられ、ロックが噛み合った。店内は闇に包まれた。扉の隙間から、かすかな光が数本差し込むだけだった。私は、自らデザインしたウェディングドレスの上に倒れていた。下からは血が広がっていく。体温はみるみる奪われ、激痛で呼吸さえままならない。歯を食いし
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第5話
シャッターが何度も叩きつけられ、轟音とともに大きく歪んだ。数分後、鍵が無理やりこじ開けられた。眩しい光が、薄暗い店内へ一気に流れ込んできた。光洋が飛び込んできた。その手血まみれだった。いつも整えられた髪はくしゃくしゃに乱れ、高級なスーツも埃だらけだった。血溜まりに倒れた私の姿が目に入った瞬間、彼はがくんと膝から崩れ落ちた。東都の御曹司が、生まれて初めて、ガラスの破片が散らばる床に跪いたのだ。破片が膝に深く突き刺さり、見る間に血が滲んでいく。それでも彼はまったく構わず、私のそばへ這い寄ってきた。震える手を伸ばし、私を抱き上げようとする。「奈央……怖がるな、すぐ病院に連れて行くから」声は聞くのも痛々しいほど震えきっていた。私は最後の力を振り絞り、血に濡れた裁ちハサミを握りしめる。その切っ先を、彼の喉元にぐっと押し当てた。刃が皮膚を切り裂き、一筋の血が首を伝う。私は目を開き、かすれきった冷たい声を絞り出した。「彼女に触れたその手で、私に触らないで。気持ち悪い」光洋はその場に凍りつき、瞳孔がぎゅっと収縮した。意識が遠のく間際、救急車のサイレンが聞こえてきた。その後、私は救急救命室へと運び込まれた。きわめて珍しいRhマイナスの血液型で、病院の血液在庫が不足していた。救急救命室の外では、光洋が血の染みた袖をまくりあげ、看護師に向かって怒鳴った。「俺の血を使え!いくらでも採っていい!俺は彼女の夫だ!」看護師は検査結果の用紙を手に、冷たい声で言い放った。「あなたの血液型では適合しませんので、使えません」光洋が誇る権力など、この時ばかりは役にも立たなかった。ほどなくして、尚文の兄、吉岡建一(よしおか けんいち)が知らせを聞いて駆けつけた。私と彼の血液型が適合したため、建一が献血を申し出てくれたのだ。手術は四時間に及んだ。私は子どもを失い、さらに子宮も永遠に失った。病室には、消毒液のえぐい匂いが立ちこめている。ベッドの背にもたれた私の顔は、青白く血の気が失せていた。光洋は脇の椅子に腰かけると、目の奥の動揺を必死に押し殺し、いつもの傲慢な態度をまた見せた。修正した離婚協議書を、乱暴に私の前に投げつける。「自傷行為で俺が折れると思うなよ。これにサインし
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第6話
国際コンクール審査委員会からメールが届いていた。私の電子デザイン案が一次審査を通過したので、来月海外での最終審査に招く、という内容だった。目を通し終え、私はすぐにそのメールを削除し、スマホの画面を閉じた。その日から、光洋が病室に足繁く通うようになった。朝の会議をすべて取りやめ、ベッドの脇に腰かけ、不器用な手つきで果物ナイフを握って林檎を剥き始める。長くつながった皮が、ぷつりと床に落ちた。でこぼこに剥けた林檎を差し出しながら、彼はことさらに優しい声を作った。「医者が果物を食えってさ。体にいいんだ」私は冷ややかにその手を見つめた。それから腕を振り上げ、思いきり彼の手をはたき落とした。林檎が床に転がり、埃まみれになる。「森田響子が産んだあとの世話の練習でもしてるわけ?」光洋の手が宙で止まり、顔の筋肉がひくついた。だが怒りを爆発させることはなく、無言で身をかがめ、林檎を拾ってゴミ箱に捨てると、背を向けて病室を出ていった。三十分後、光洋が席を外した隙を見て、響子が病室のドアを押し開けた。ボディガードは連れていない。手には一つの写真立てを抱えている。その写真に収められているのは、血の滲んだ肉塊の標本。彼女はベッドのすぐ横まで歩み寄り、写真立てを私の脇に置くと、勝ち誇った笑みを浮かべた。「奈央さん、綺麗でしょ。これ、光洋がわざわざお金を出して人に撮らせたのよ。あなたに見せてやれって。これで脅して、逆らったらどうなるか思い知らせてやるんだって言ってたわ」その写真を見つめたとたん、胃の底から激しい吐き気がこみ上げてきた。響子が得意げに話す顔が、子どもを失ったあの日の痛みと完璧に重なる。私は怒りをあらわにせず、こっそりスマホの録音を起動し、同時に枕元のナースコールを押した。一分も経たずに、光洋が病室へ飛び込んでくる。響子の姿を認めた瞬間、彼の顔色が変わった。私は彼の目の前で、録音を再生した。響子がさっきまでまくし立てていた言葉が、病室にありありと響き渡る。光洋のこめかみに青筋が浮き、彼は写真をひっつかむと床に叩きつけた。「誰が来ていいと言った!出ていけ!」響子は金切り声を上げて走り去った。枕に背を預け、肩で息をする光洋を見据え、私は静かな声で言った。「口止め料一億
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第7話
光洋が人混みの中から姿を現した。彼は私の手からパスポートとチケットを奪い取り、握りつぶさんばかりに掴んだ。怒り狂った獣のように、目は血走り、胸を激しく上下させていた。「言っただろう。響子が産んだら迎えに来てやるって。それまでに東都を出ようもんなら、脚をへし折るからな」私は無理やり車に押し込められ、彼の豪邸へと連れて行かれた。三階の主寝室に押し込まれ、ドアは外から鍵をかけられた。豪邸内の電波は完全に遮断され、使用人全員が私を監視していた。彼は、私を自分のそばに閉じ込めて、すべての繋がりを断てば、時間がなんとかしてくれる――そう考えているらしい。私はハンガーストライキも、ドアを叩き壊すこともしなかった。ただ毎日、掃き出し窓の前に静かに座り、タブレットでデザイン画を描き始めた。わざと画面を傾け、響子が豪邸内に送り込んだ監視者からはっきり見えるようにした。描いていたのは、破り裂かれたウェディングドレス「涅槃」の復元図だ。サイズに至るまで、わざと事細かに書き込んでおく。響子は極度の見栄っ張りで、私が心血を注いだ作品を横取りする機会を絶対に逃さない女だ。そして私はわざと、タブレットにロックをかけなかった。案の定、一週間後の深夜、完成した電子原稿が消えていた。パソコンにはUSBでコピーした記録が残っていた。翌朝、一階のリビングのテレビは、どのチャンネルも芸能ニュースだった。滝澤グループ社長、滝澤光洋が、今週末に都内で開かれるチャリティ晩餐会で、妊娠中の森田響子に正式にプロポーズするという。ニュース映像のなか、響子はカメラに向かってはにかみながら言った。「晩餐会の当日は、光洋へのサプライズとして、私が自分でデザインしたウェディングドレスを着るつもりです」私は二階のバルコニーに立ち、庭を見下ろしていた。芝生の上で、光洋がアシスタントに怒鳴り散らしている。「花火の明るさが足りない!金色にしろ!響子は金色が好きなんだ!」響子を喜ばせるためなら、彼はどんな手も尽くす。かつて彼は、この家の掃き出し窓は私にオーロラを見せるために作ったと約束してくれた。それなのに今は、私を閉じ込める檻でしかない。私はくるりと背を向け、部屋に戻ると、タブレットを開いてエンターキーを押した。晩餐会当日の夜
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第8話
スポットライトは、宴会場の中央に設えられた舞台に集中していた。響子は、ウェディングドレスに身を包んでいる。もちろんそのデザインは私から盗み出したものだ。どうやら、滝澤グループのトップクラスの仕立て屋が、徹夜で縫い上げたものだ。大勢にチヤホヤされながら、彼女は得意げにマイクを握りしめていた。「このドレスのインスピレーションはね、私と光洋が、困難を乗り越えて結ばれた愛から生まれたの……」そう言い終わらないうちに、私はヒールを鳴らしながら、音響ブースへ歩み寄った。そして、ミキサーのメインプラグを引き抜いた。BGMがぶつりと途切れ、響子の声もその瞬間に聞こえなくなった。会場中の視線が、一斉に私に注がれた。光洋の怒りのこもった目を無視して、私は予備のスマホを取り出し、スクリーンに接続した。画面には、国際コンクール審査委員会の印が押された、オリジナルデザインの登録証明書が表示される。日付は一ヶ月前、作者名は伊東奈央。それだけではない。私は音響スタッフに向かって、「紫外線ライトを点けて」と命じた。光が、響子が誇らしげにまとうドレスを照らし出す。すると、メインドレスの裏地に仕込まれていた特殊な蛍光糸が、たちまち浮かび上がった。彼女の平らな腹部の上で、「アバズレ・森田響子専用」という巨大な文字が、ギラギラと光り輝く。会場はどよめきに包まれた。響子は悲鳴をあげ、慌てて腹を手で隠そうとしたが、眩い蛍光文字はどうやっても覆い隠せない。その時、建一が冷たい表情で人波をかきわけ、舞台へ上がってきた。彼は、病院の印が押された封筒を、勢いよく光洋の胸に叩きつける。「滝澤、これが、お前が守ってきた女の正体だ」封筒から書類が床に散らばった。そこには、響子が先天性の子宮奇形で、妊娠不可能だと記されていた。書類と一緒に落ちたボイスレコーダーからは、響子が滝澤グループの競合他社と結託した会話が流れ出した。「私が妊娠したふりをして、伊東奈央を追い出せば、光洋は保有株を私に譲ってくれる。そのあと滝澤グループは私のものに……」光洋は書類を穴が開くほど見つめ、頭の奥で激しい耳鳴りが起こった。彼は響子の腹へと視線を向けた。動揺で後ずさったせいで、彼女はドレスの裾を踏んでしまった。腰に巻き付けていたシリコーン製の
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第9話
車が混乱の渦中にあるホテルを離れた。窓の外に流れ去る街並みを眺めていても、心はひどく凪いでいた。あとから人伝てに聞いた話では、光洋は病院で意識を取り戻すなり、自分の手の甲に刺さっていた点滴の針を引き抜いたらしい。まるで正気を失ったかのように、ありとあらゆる手段を使って、響子を都内でも最底辺の夜の店に送り込んだ。あの侮辱的な文字が書かれたウェディングドレスを着せたまま、一生接客しろ、と命じたらしい。けれど、そんなことをしても、彼の胸の奥にある恐怖は少しも消えはしなかった。その夜のうちに車を飛ばし、とっくに閉鎖されたウェディングドレス店の廃墟へと駆け戻った。しかしシャッターは固く閉ざされたままだった。彼はジャッキを手に取ると、歪んだシャッターを力任せにこじ開けた。黒ずんで乾ききった血痕の残る床に跪き、素手でガラスの破片の山をかきわけるようにして探った。指は切り裂かれ血まみれになり、皮膚がめくれ上がっても、まるで痛みを感じていない様子だった。そうして、かつて私がいちばん多く血を流した壁際で、彼は画面の割れた小型のボイスレコーダーを見つけ出した。あれはあの日、響子が脅しをかけてきた証拠をお録音しようと、私が予備で準備していたものだった。彼は震える指で再生ボタンを押し込む。録音から流れてきたのは、彼を罵る言葉でも、泣き叫びでもなかった。ただ、あの日、血溜まりのなかで息絶えようとしながら、私が絞り出した、あまりにかすかなつぶやきだった。「赤ちゃん……痛くないよ、ママが一緒に行こうね。あの人は、もういらない。生まれ変わったら、滝澤光洋だけには、もう二度と会いたくない……」光洋は、あのとき私を蹴り飛ばした場所に膝をついた。血に汚れたボイスレコーダーを、胸の真ん中にぎゅうと押し当てている。壁にこびりついたあの乾いた血痕は、彼が私を蹴ったときにこすりつけられたものだ。獣のような、絶望の叫びが漏れた。私の血が染みついた壁に、狂ったように頭を打ちつけはじめた。鈍い衝撃音が、廃墟のなかに響きわたる。額が割れて、血が頬を何筋も伝い落ちた。顔は涙と血でぐしゃぐしゃだった。それでも彼は、謝罪の言葉ひとつ口にできない。頭を打ちつけるたびに、彼自身に死刑を執行しているようだった。……あれ
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第10話
ショーが終わったばかりのバックステージ通路は、メディアとバイヤーでごった返していた。私がドレッサーの前に腰を下ろすと、アシスタントがそっとイヤリングを外してくれた。控え室のドアが、かすかな音を立てて押し開かれる。光洋がよろめきながら入ってきた。何十億規模の契約書にサインしてきたその手は、無数の醜い傷痕に覆われている。震える両手には、分厚い書類が二つ持っている。ひとつは、滝澤グループの全株式を無条件で譲渡するという株式譲渡契約書。もうひとつは、かつて彼が自らの手で打ち壊した、私のウェディングドレス店の土地の権利書だった。光洋は私の目の前まで来ると、その場に両膝をついた。「奈央……」ガラスを爪で引っかいたような、かすれた声だった。「受け取ってくれるなら、この命だってくれてやる」私はくるりと振り返り、そんな彼を見下ろした。口元に笑みを浮かべながら手を伸ばし、高い価値を持つその二通の書類を受け取った。そして、そのまま傍らのアシスタントに差し出した。「ちょうど郊外で飼ってる犬の小屋が足りなくてね。この場所ならまあ使えなくもないから、適当に処分しといて」周囲にいた記者たちが一斉にカメラを向け、フラッシュが狂ったように瞬く。かつて東都の傲慢な御曹司が、今はただ、みじめに床へひれ伏している。光洋はポケットからいつも持っているメジャーを取り出すと、床に引きずる私のドレスの裾を整えようとした。私は片足を持ち上げ、ピンヒールのかかとで彼の右手の甲を思いきり踏みつけた。容赦なく、ぐりぐりと踏みにじる。つま先が指の骨を押し潰し、ぞっとするような軋み音が響いた。「光洋、今のあなたの立場なら、私の靴を舐めるのがお似合いなのよ」光洋は顔面を蒼白にして、全身を震わせている。痛みで冷や汗がにじんでも、それでも手を引っ込めようとはしなかった。むしろ、ひどく歪んだ笑みを浮かべた。「ああ、舐めてやるよ」忠実な奴隷のように頭を垂れ、荒れきった唇で、私の靴に口づけた。かつてこの男は、私に彼の愛人の採寸をさせた。今は、メジャーを手にしたまま私の足元に跪いている。自業自得だ。私は平静に足を引くと、二度と彼を振り返らず、控え室をあとにした。劇場の裏口から外へ出て、車に乗り込もうとしたそのとき
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