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第220話

Author: 冷凍梨
ここで八雲に会うなんて、予想外でもあり、同時にどこか納得もいくことだ。

神経学の新世代で頭角を現している研究者たちの中で、この分野に関わる限り、彼を避けて通ることはできないのだから。

もし私と浩賢がここに来られたのが運なら、八雲は間違いなく実力でこの場に立っている。

何しろ主催側が八雲に用意した名札は金の箔押しで、席も壇上。それに比べ、私たちの名札はただの「参加者」でしかない。

葵もまた、八雲のおかげで、通常ならインターンが入れないような交流会に、いとも簡単に参加していた。

私と浩賢が苦労して手に入れた招待状を、あの子は軽々と手にしていたのだ。

しかも会場に入った途端、彼女はまるで舞台の主役のように持ち上げられていた。

「なんと、紀戸先生の助手でしたか。そりゃあ腕前も一流でしょう。若いのに見上げたものだ」

「松島さん、本当に才色兼備ですね。紀戸先生と並んでいる姿を見ると、思わず『お似合いの二人』という言葉が浮かびますよ」その人は笑顔を浮かべ、媚びるような口調で続けた。「まさに理想のカップルですね」

「そうですそうです、ほんとお似合いですよ」

こうしたお世辞も無理はない。何しろ八雲はこれまで、どんな学会でも女性を伴って現れたことがなかったから。

白霞市の時でさえ、葵は単なる「助手のインターン」として同行しただけ。

だが今夜は違う。彼女は堂々と八雲の腕に手を絡めている。

この業界の人たちは皆、人を見る目がある。

こんな重要な場に、名も知らぬ美女のインターンを連れてくる――それが何を意味するのか、察しがつかないわけがない。

公正無私で知られた脳神経外科の伝説が、ほんの少しでも私情を見せた瞬間、理由は誰の目にも明らかだ。

だからこそ、皆こぞって葵を持ち上げた。それは同時に、八雲への「顔立て」でもあった。

もちろん、こんな優遇を「名ばかりの紀戸奥さん」である私が享受したことは一度もない。

現実はとうに理解していたはずなのに、彼が葵を公私混同するほどに可愛がる様子を目の当たりにすると、胸の奥がずしんと痛んだ。

「皆さん、褒めすぎですよ」

注目を浴びる中、葵はいつものように素直で可愛らしい笑みを浮かべ、甘い声で言った。「今年のインターンには優秀な方がたくさんいらっしゃいます。たとえば水辺先輩なんて、私なんかまだまだ及びません」

彼女は私の
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Comments (2)
goodnovel comment avatar
Julius
さすが八雲、昨夜はあれほど未練タラタラだったのに、目が届かない所では堂々と葵を連れ回す。
goodnovel comment avatar
hime kichi
何で葵が偉そうに物申してるの? 八雲も止めろや!
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