2話 かなめは菜園

状況を把握《はあく》出来ないと動こうとも動きようがない。話だけでは明確《めいかく》な情報を手に入れる事は不可能だ。

姫柊《ひめらぎ》は思った以上に精神的に追い詰められている。覚悟はしていたようだが、いざ現実を見てしまうと耐えられない様子。

 銘刀《めいとう》は彼が引き金を引いた事を知ると、自分の研究支援者に連絡をしていく。資金繰りに関しては力を貸してくれても、この状況を打破《だは》する考えを提示《ていじ》してくれるかは、分からない。

 まだこの街には影響が及《およ》んでいない、だが時間が過ぎれば過ぎてゆく程、深刻《しんこく》な自体に変貌していくだろう。

 安全だった場所が危険地帯に代わり、電脳システムとリンクさせてしまったチップが原因で体を乗っ取られてしまった被験者《ひけんしゃ》が動き出すのも時間の問題だった。

 防《ふせ》げるのなら、どんな手段でも使おう。そう心の中で決意表明《けついひょうめい》をしながら、今の自分に出来る最低限の行動を歩み初めていく。

 研究施設に戻れない以上、別の機関《きかん》で対策を立てる必要がある。正直、姫柊《ひめらぎ》が研究に不可欠な機材を守っていたとしても、今更向かっても、手遅れになるだけだ。

 「忙しいお時間にすみません。急遽《きゅうきょ》お願いしたい事があるのですがーー」

 今は彼女だけが頼りだ。今分かっている状況と情報を簡易的《かんいてき》に伝えると、菜園《さいえん》は「後は任せて」と言い切った。それが何を意味するのか知りたくない銘刀《めいとう》は、無言で電話を切るしか出来ない。

「あの機材さえあれば、止めれるかもしれない。しかし……」

 模造品《もぞうひん》として埋め込んでしまったチップがどれくらいの効力《こうりょく》を発揮《はっき》するのかが不安だった。

 世界を救うなんて大それた事は出来ない。それでも何かしら食い止める事は出来るはずだ。

 その為に今までの研究資料が必要になる。ある程度は頭の中に入っているが、完璧《かんぺき》ではない。

 銘刀《めいとう》はもう一箇所に連絡を入れる。異常がある時にメッセージを送るようにルールを決めていた。それを今使う事になるとはーー

 「……これでいいだろう」

 自分の現在地を付点《ふてん》すると、カバンにしまい込み、代わりにタバコを取り出す。近くにある喫煙所まで歩いて一分程度。迎《むか》えが来るまで時間はある。定期的にメッセージの確認が必要になるが、もやもやしている異様《いよう》な感覚を排除《はいじょ》する為に、タバコでリセットしたい衝動《しょうどう》に駆《か》られている。

「考え込んでも仕方ないな……休憩は必要だ」

 自分を説得させるように言い訳を並べると、歩き出した。目的地はすぐなのに、我慢する事が苦痛に思えて仕方なかった。

 □□

 自分に出来る事なら協力したい。成果《せいか》を求められると堪《たま》らないけど、銘刀《めいとう》の為なら動きたいと思っていた。

「そうは思っていたけどさ、まさか私が姫柊《ひめらぎ》君を助けに向かわすとは……ね」

 彼女の名前は菜園《さいえん》まどか。基本彼女は投資家として世界の情勢《じょうせい》を把握しながら、自分の資産を増やしている。初めて銘刀《めいとう》と出会った時、彼の研究者としての姿に惚れ込んでしまい、今では彼の仕事を支える立場になっている。

「普通支援者を危険な所へ向かわせないでしょ。まぁいいけど」

 話を聞くと、何やら人体実験をした奴がいるようだ。彼女が向かっている研究施設には何度も出入りをしているから、在籍《ざいせき》している研究者の事もよく知っている。

 あの言い回しから察するに、銘刀《めいとう》と近い関係にある人物が、その禁忌《きんき》に触れてしまったと理解出来る。彼女の頭の中には姫柊《ひめらぎ》しか思い浮かばない。

「きっと彼が原因よね……それも私の紹介した脳科学者のミーシャまで巻き込んでいるなんて、有り得ない」

 彼に紹介してしまった手前、自分にも責任があると考えている。姫柊の事はどうでもいい。彼よりもミーシャが無事なのかを確認する方が大切だった。

 菜園《さいえん》はミーシャの裏の顔を知っている。確証はない、それでもたまたま一つの資料を見てしまった事により、彼女に対しての疑念《ぎねん》を抱くようになった。

 脳科学者が人の人格を書き換える為に、電流を浴びた特殊《とくしゅ》な素材で出来ている棒状の機器《きき》を脳に直接当て、脳みそを弄くり回すなんて、想像もしたくない。

 「銘刀《めいとう》……後で奢《おご》ってもらうから」

 ため息を吐き切ると、アクセルを踏む足が強くなっていく。感情を表に出す事が出来ない苛立ちと、焦りが彼女を急《せ》かしているのかもしれない。

 菜園《さいえん》の車の横を対向車がすれ違っていく。見覚えのある顔に一瞬、目を奪《うば》われそうになったが、自分の役目を遂行《すいこう》させる為に、切り替えていく。

 道は繋がっている同じ土地で生活をしているのだからすれ違う事もある。

 そう言い聞かせると、なんだか笑えてくる。彼女はフンと鼻で笑うと、タバコを加えた。

 いつもなら道路が混んでいる時間帯なのに、その日はいつもとは違う雰囲気を漂わせながら彼を導こうとしている。

 単に運がいいだけだが、まるで周囲が急げと道を開けてくれているような錯覚《さっかく》に陥りそうになる。銘刀《めいとう》から連絡を受けた風間《かざま》は、二人で決めたルールの元、やり取りをしていた。

 基本的には連絡を取る事はない。何故なら二人は交わる事のない性質の中で生きているからだ。

 上司命令があったのもここまで来た原因の一つだが、銘刀の言葉を見逃す事は出来なかった。

 電脳を作り、この世界に新しい人間を作ってしまった研究者銘刀アキラ。彼の研究のお陰で人間は一部の体を捨て、機械と融合《ゆうごう》する事により、長命を手に入れる事が出来た。

 どんな病気さえも電脳を使えば、全てを書き換えてしまう恐ろしさがある。あの時は勿論《もちろん》、現在もその脅威《きょうい》は隠れている。

 そして今回の件ではっきりした。銘刀《めいとう》の成果《せいか》はこの世界を壊す要因《よういん》にしかならないと。元に戻す為には、自分一人だけの力ではどうもならない。

 現実は過酷で残酷だーー

「銘刀。お前が生み出してしまったこのシステムは……この世界を崩壊させるぞ」

 本人に向かって言う事のない言葉を吐き出すと、じんわりと空気が汚れていく。仕事上の意見だけではない、これは彼が背負う苦しみの姿なのだろう。

「ミナミもそうやって苦しんで逝ったんだからな」

 稀に人間の中で電脳システムに拒絶反応を起こしてしまう人がいる。

 彼の妹のようにーー

 未来に進もうとしている菜園と過去に囚われている風間。

 二人の想いを切り離すかのように、二人の車がすれ違って行った。