LOGIN風間《かざま》の声が聞こえた気がした。銘刀《めいとう》は昔の事を思い出しながら、到着するのを待っている。一息つける時間を堪能《たんのう》し終わった。癒しの時間はあっと言う間に過ぎていく。
「銘《めい》ちゃん、ずっと一緒だよ」 ミナミの声が鮮明《せんめああ》に聞こえてくる。自分が研究者としての道を歩み始めた時に、彼女は彼を支えてくれた。 銘刀《めいとう》にとって彼女は誰よりも特別だ。ミナミの代わりは要らない、例え他の人物が名乗りを上げたとしても、彼の心には響かないだろう。 「ミナミ、俺は……」 言葉に出来ない気持ちを飲み込むと、グッと涙腺《るいせん》が緩《ゆる》んでいく。目の前に現れた最悪なシナリオが待ち受けているのに、今の銘刀《めいとう》には届かない。 分かっている。彼女はもういない。電脳を植え付ける為の機器《きき》テストを受けた彼女は、その重圧に耐えきれず、副作用を発症してしまった。一度現れた症状を改善出来る見込みはない。 それは今でも同じーー 彼女と共に永遠に生きれる命を作る事が出来る。そう信じていたのに、現実は彼の願いを打ち砕《くだ》いた。 「どうして俺が成功して、彼女が」 こんな銘刀《めいとう》の姿を見る人はいないだろう。なにもない日々の中で過去の鎖《くさり》に囚《とら》われている彼を救える存在などいない。 風間とはそれ以来会う事はなかった。あの事故が原因で妹を失ってしまった風間は銘刀を恨んでいる。 昔のように親友に戻る事はないだろう。ミナミの犠牲を経験し、彼は全ての電脳に携わる研究を破壊する為に刑事になった。 こうやって移動手段を与えてくれる。今はそれだけで充分だった。 ブロロロロとエンジンを吹かす音が聞こえてくる。銘刀は自分の存在を彼に見せる為に右手を上げた。 徐々に減速していくと、銘刀の前に止まる。 窓を開けると、無愛想な風間の瞳と彼の思いが重なっていく。複雑な関係性を受け止めるようにアイコンタクトをすると、避けるように目を逸《そ》らす。 「……久しぶりだな。銘刀《めいとう》」 「そうだな。来てくれて助かるよ」 何事もなかったかのように、すんなり助手席へ潜り込む。風間の無言の圧が彼の自由を縛っていった。 目的地へ向かう為に、カーナビを起動していく。菜園《さいえん》が研究所に向かわせた事を告げると、眉を顰《しか》める。 内心彼女の事を嫌っているのは知っている。しかし銘刀にとっては彼女なしで研究は出来ない。それをお互い理解しているからこそ、無言なのだ。 国道に入ると、これからを予知するかのように、人っ子一人存在を確認する事が出来ない。電脳化を終わらせている銘刀にはその理由を知る事は出来るが、人間の肉体のままで生きている風間には見えていない。 「角崎《つのざき》病院の裏手に名栗《なぐり》研究所がある。一般人には公開されていない施設の一つだ。そこに向かってくれ」 「……ああ」 二人を遮《さえぎ》るものは何もない。人も車も。二人は同じ未来を見つめながら、互いの罪を背負って生きている。 この苦しみは、悲しみは、残酷さは彼らにしか理解出来ないだろう。 □□ ゆっくりと浸透《しんとう》させながら、全ての世界を終わらす土台が作られようとしている。引き金を引いたのは姫柊《ひめらぎ》だ。ミーシャはそんな彼を利用したに過ぎない。その事実に彼はまだ気づいていなかった。 メアリーは姫柊《ひめらぎ》の知らない所である爆薬《ばくやく》を仕込んでいる。それはあっと言う間に対象者の命を脅《おびや》かすもの。 「あああああ」 人とは思えない叫び声をあげるメアリーを見ていると吐きそうになる。うっと喉を抑えた。 メアリーの脳に仕込んでいる二つのチップ。一つは電脳化する為に必要なものだ。姫柊《ひめらぎ》も把握《はあく》している代物《しろもの》。しかしもう一つのデーターが詰まっているチップの存在は認識《にんしき》していない。 「どうしてだ……彼女と連動《れんどう》しているはずなのに、何故承認《しょうにん》されない」 カチカチとパソコンを荒々《あらあら》しく叩きながら呻く。チップを起動出来るのは責任者の姫柊だけなはず。それなのに、アクセス権が出て来ない。 メアリーが近づけば近づく程、機械は狂っていく。人の手から離れたシステムは自我《じか》を持ち、姫柊を追い詰めていった。 「何故だ、何故、何故、何故!」 銘刀《めいとう》の研究を自分の成果《せいか》にする為に改竄《かいざん》しようとしていた事の天罰が下っている。彼には気づかれないように上手く隠してきた。しかし、姫柊の力では、頭脳では、制御《せいぎょ》する事も動かす事も出来ない。 この件に銘刀《めいとう》を引きずり込み、自分の関与《かんよ》していた物事を全て彼のせいにしようと企《たくら》んでいる。目の前に恐怖の対象が存在しているとしても、そこは変わらない。 「上手く行くはずだった」 研究所を包み込んでいる炎から逃れる事は出来ない。最後に銘刀に連絡を最後に、外界《がいかい》から切り離されていく。 苦しみながら崩壊していく姫柊の映像を笑いながら鑑賞しているミーシャは、両手を叩いた。 「メアリーに仕込んだもう一つの闇はね……人間を洗脳《せんのう》させる為のシステムの一つなのよ。一人が取り込めば、超音波《ちょうおんぱ》と同じ周波数《しゅうはすう》で周囲にも影響を与える事が出来るの。こうやって……貴方を廃人《はいじん》にする事も、簡単なのよ」 人間の脳に魅了《みりょう》されたミーシャは新しいシステムとウィルスを融合《ゆうごう》させ、人間に癒着《ゆちゃく》出来るように試作品を繰り返し、実験を成功へと導かせる。 その技は悪魔でもあり、神なのかもしれない。過去の出来事は時間の経過と共に消えていく。なかった事にされた事実を知る者は中心人物として動いていた組織にしか分からない。一人の脳科学者ミーシャ・オン・レインが残した記録によると、元々は平和な世界だったらしい。その事に関して彼女個人の感想が書かれていた。他の人は資料を飛ばし飛ばし読んでいる為、見つける事が出来なかったのだろう。 他の資料にはきちんとした筆跡で書かれているのに、彼女の心情が描かれている所はミミズのような文字になっていて、読みにくい。何度も解読を試み、やっと一年の月日をかけて読み解く事に成功した。 「ゾンビ化って……映画じゃないんだからさ」 表現の仕方に対してツッコミをいれると、本当にミーシャと言う人物は脳科学者なのだろうかと疑問を抱くしか出来ない。もっと違う呼び方があったはずなのに、完結に簡略している。自分が彼女の立場ならもっと複雑な用語を使うし、作り出す。本人と話せる事はないのに、頭の中で彼女の妄想を膨らませていくと、笑うしかなかった。 「ほーら。皆集まって! そろそろ学校に戻るよー」 この資料館に引率として私達を束ねようとしている先生に同情する。素直に言う事なんて聞かないからだ。目の前に珍しいものが沢山あるのだから、そっちに興味を惹かれてしまう。気持ちは分かるが、話が聞こえない程没頭出来るのが少し羨ましく思えた。 「ほらほら、貴女も。資料を戻して」 「はーい」 自分は蚊帳の外だと感じていたが、そうそう気づかれてしまった。本当はもう少しこの公開資料を眺めたい気持ちがある。本来なら一般の人達がこの資料館を見る事は難しい。政府の許可が必要だからだ。規定なんてなかったら、家族に無理言って、また来るのに。それが出来ないから悔しい。 そんな私は資料を戻すとため息を
システムを起動しますーー 部屋中に機械音が流れると、警告音に切り替わっていく。何が起こっているのか把握しようとする銘刀は動けない。頭に装置を付けられているから真っ直ぐしか見る事が出来なかった。そんな彼を覗き込むミーシャは右手に持っているスイッチを押す。すると頭に大量の電流が流れ、電脳に負担を掛け始めた。強度には自信がある作りにはしているが、ここまで内部まで流されてしまうと、どうしようもない。 「貴方の記憶と記録は全て電脳のシステムに保存されているのよね。どんな仕組みで作ったのか知りたいわ……だけど残念、取り出せるものを取り出したら、電脳ごと破壊してあげるから。そうすれば貴方は自由になれるのよ」 ミーシャの瞳は邪な考えで満ちている。彼女が何を欲しがっているのか理解出来ない銘刀は反発しようとするがそのたびに電流が流されていく。体に繋がっている電脳が破壊されると言う事はその体は抜け型同然。今までのように生きる事も愚か、心も全て消えていく。もしミーシャがシステムを取り出す為にこのような行動に出たのなら、それは失敗に続く未来しか編み出せない。 痛みを感じる事はないはずなのに、この電流は普通のものとは違うらしい。電脳はまるで本物の脳みそのように震えながら、頭痛を引き起こしていく。この痛みは体と電脳の繋がりが弱体している証拠でもあった。 「それじゃあ、取り出しましょうか」 ふふふと喜びの感情を噛み締めながら、機械に付け加えられているボタンに手をかけた。ゆっくりと押すと視界も感覚も考える脳の存在も最初からなかったように、無の世界へと吸い込まれていく。最後に感じたのは痛みとは程遠い感覚だった。 ピクリとも動かなくなった銘刀を見下ろしながら経過を観察しているミーシャ。機械に備えられているボタンは電脳から記憶と記録を取り出す装置だった。これを起動させる事により、空っぽになった電脳は活動を止め、連動するように肉体も停止した。システムを特殊な構造で作られているパソコンに取り込まれたのを見ると、その中身を一つ一つクリックしていく。 沢山の数字と溢れかえる情報、そして銘刀として生きた証、彼の記憶が映画のように流れていく。ここまで完璧に取り込む事に成功したのは初めてだった。現実世界にそぐわない人間を選別し、牢獄と名付けた仮想空間の世界へ幽閉する。選ばれた人間達は溢れかえったゾンビを
ミーシャのコレクションとして保管されているユメはカプセルの中で存在保っている。この姿を銘刀に見せる訳にはいかない。ゾンビ化の進行を遅らせる為に複数の薬を投与し、観察をしている。研究者の一人、塹壕はユメに対しての権限を一任されている。彼女は菜園として行動を示したユメに鎮静剤《ちんせいざい》を打つと銘刀へとある人物を使者として派遣する。 用心棒でもあり、協力者でもある。沢山の立場を含みながら邪魔する人間を排除する要因として使っている幻狼《げんろう》だった。真っ黒な制服に身を投じている幻狼は、スーツに着替えるとなるべく真面目そうに取繕う。話をしたら全てが台無しになる事を見越して、標準語を話すように指導を受けている。 「俺にこんなしゃべりを求めるん、無理やで」 「無理か無駄になるかは幻狼、貴方次第よ。最悪の場合、話さない」 「……へいへい」 菜園の外見があんな状態になっていなかったら、ユメを行かせただろう。異変に気づかれる可能性は低く、彼女の言葉なら銘刀は安心して言う事を聞いてくれる。彼の近くには皆川刑事がいる。皆川刑事の妹と銘刀が付き合うようになって家族ぐるみの関係性を築き上げてきた過去がある。ある研究を進めていく事で彼女を失うなんて、誰も想像しなかっただろう。 「皆川風間……凄く邪魔ね」 ポツリと呟く言葉を捉えた幻狼はニヤリと微笑みながら、新しいおもちゃを手に入れるチャンスが舞い込んでくる予感を感じていた。銘刀に興味があるのはミーシャだけ。その身近で傍観者として存在している風間に興味を示していく。 「あんたは俺に任せたらええ。邪魔なもんは全て消すだけや」 口ではそう言っているが、本心は違う。その事に彼女は気づいている。指摘も反応もせずに流れるままに委ねていく。時間が限られているから
銘刀《めいとう》は自分の知らない所で何があったのかを把握出来ない。当然だろう……目の前で起こっていない物事を手にする事など出来ない。操られている菜園に違和感を感じる事が出来ない。まるで彼女自身と話しているような演技を展開していた。ミーシャは彼女の名前を切り刻むと、新しい人生を与えるように名前を渡した。 「貴女の名前は今日からユメ……素敵な名前でしょう?」 どんな意味を取り付けて名前を考えているのだろうか。全くの別人としての人生を手に入れたユメは菜園として銘刀の前に出ていく事を決断していく。本来なら自我は発生しないはずなのに、子供のように笑い続けながら全ての景色を楽しんでいる彼女を見て、不思議な気持ちになっていくミーシャがいる。 「……貴女は特別な存在なのね、きっと。あの男を私へと導いてくれたらご褒美をあげましょう」 ご褒美の言葉が何を意味するのかを理解出来ないユメは無表情に切り替わると首をゆっくりと傾げていく。その様子は子供に返ったように見えた。知識も知恵も何もかもを失った彼女をまるで自分の娘のように抱きしめ、囁いた。ユメにとっては魔法の言葉でも、銘刀にとっては破壊を意味する内容だったのだ。 全てを景色は音のように崩れて地面の一部として吸収されていく。それはまるで夢幻楼《むげんろう》のように儚く美しい。投げられたボールは銘刀へと向けられ、叩きつけられていく。痛みがあるはずなのに、彼は全ての感覚を遮断すると、人としての心を捨てるしか方法を編み出せない。 あの通話がこの環境を作り出した要因でもある。どうして気づく事が、見抜く事が出来なかったのだろうと、過去の自分に言いつけない気持ちが膨れ上がっていく。あそこまで本人の話し方や癖、そして会った時の対応の仕方を完璧にコピーしていたユメだから彼を騙す事が可能だった。 ユメは菜園として彼の信用を安定的なものにすると、怪しい
銘刀《めいとう》は通話ボタンを押すと、ゆっくりと耳を当て確認する。菜園《さいえん》の名前が表示されているが嫌な予感が走って鼓動が落ち着かない。こんな事は今まで一度もなかった。彼女の元気そうな声を聞けばその考えも消えていくのかもしれない。そう思い込む事で自分の安定を保とうとしている様子だった。 「……もしもし」 「やっと出た、遅かったね」 「菜園か?」 「何よ、私の声も忘れちゃった訳?」 普段と変わらない菜園の声を聞いて胸を撫で下ろしている。くるくると変化する銘刀の表情を隣で見ていた風間は、珍しい事もあると想いながらその様子を観察していた。自分から指名しておいて、そこまで過保護になる必要があるのだろうか。銘刀が何を思い、何を考えているのか分からない。不透明な気配の裏側で銘刀達にとっての闇が襲いかかろうとしている事実に気づく事なく、対話を続けていく。 考える事に集中していた銘刀は、思った以上に疲れていたらしくボンヤリと視界が霞んでいる。彼の瞳と彼女の眼差しが重なりながら、スマホの音が襲い来る恐怖を奏でようとしていたーー 彼女の耳奥から入り込んでいったウィルスに感染している生物が菜園の脳みそを書き換えていく。彼女の基本の行動を一つのデーターに纏めると、意識と精神を肉体から分離させ乗っ取っていく。最初は菜園の意識が強く拒絶し、侵入を止めようとしていた。ウィスル生命体カムニバル。脳科学者ミーシャが銘刀の作り上げた研究を形にする為に生み出してしまった存在。 対象となる少人数の人物にチップとして埋め込む事により数分から数時間で感染してしまう驚異的な兵器だ。ミーシャは自分の身を守る為にシャットダウンと呼ばれるワクチンを装着済み。親には決して攻撃をする事はない。シャットダウンを埋め込んでいる人間の思考命令により、自由自在に扱う事が出来る。
菜園《さいえん》の連絡を待っている銘刀《めいとう》は中断された攻撃に不信感を抱いていた。自分の情報を守る為に対応に追われていたが、急に動きが止まった。それから過去の研究資料を探りながら定期的に様子を見ていたが、何のアクションもない。指を動かし続けていた銘刀《めいとう》は、考え込む時間を作る為に全ての作業を中断させていく。「終わったのか?」「まだだ……ちょっとな」誤魔化《ごまか》す言葉も思いつかない様子。そんな銘刀を不思議そうに見つめている風間《かざま》は自分用に買っていたブラックコーヒーを彼に差し出した。「少し休んだ方がいい。姫柊《ひめはぎ》の方は菜園《さいえん》が向かったんだろう? 彼女に任せとけば大丈夫」少しでも不安が残らないようにと配慮《はいりょ》を見せてくる風間《かざま》。そんな彼の言葉に反応を示すと、気に入らないよう。バッと缶コーヒーを掠《かす》め取ると、すぐさま飲み干していく。本来ならブラックは飲まない銘刀《めいとう》だが、こんな状況だからこそ贅沢《ぜいたく》は言ってられない。「おいおい。ゆっくり飲めよ。じゃないと休憩《きゅうけい》出来ないだろ、性格上」「俺に休憩を求める事が間違っている。作業している方がいい気分転換になる」何をムキになっているのだろうか。銘刀の機嫌《きげん》を損《そこ》なう言葉なんて言った覚えはない。振《ふ》り絞《しぼ》る記憶を辿《たど》りながら、一つの可能性に辿り着いた。銘刀はさっきの言葉が気に入らないのではないだろうか。菜園《さいえん》の能力を買って言った言葉が違う意味として捉《とら》えられているのではないか。そう考えると、無機質《むきしつ》な雰囲気を醸《かも》し出している銘刀《めいとう》でも改めて人間だと知る。菜園《さいえん》に対しての信頼が深いからこそ、触れられて欲しくなかったのだ。彼女はそれほど銘刀に認められている存在だった。いつもなら菜園《さいえん》から連絡が入ってくる時間だ。姫柊《ひめらぎ》を助け出す事がメインだが、それ以