「これにサインを……」
グランドグレー地大陸の心臓部、王都 グリージオ。
その城内の執務室で、久々に帰還したエルンスト王は執務に追われていた。「……」
「サイン……」
「……もう逃げたい」
溜まりに溜まった書類の海。『後は、王からGOサインを貰うだけです』となった物だ。
自慢の長い金髪は乱れに乱れ、上着も乱雑に着崩し白いシャツ一枚の姿で額に手を当てる。「はぁ〜。気が遠くなるな」
まさに外見だけは、皆がイメージする地位も名誉も美も兼ね揃えた王……なのだが、その生活は実に一般的なのであった。
「こんなのお前がやればいいよ。許可するよ。代理で『レイがサインしてもいい』って……」
「それをやってお爺様が失敗してたろ」
そばにいる男はエルンスト家に代々仕える側近でレイルと言う。王にとって早くに亡くした両親の寂しさを紛らわせてくれたのは、幼馴染だったレイルのお陰でもあった。
「気がおかしくなりそうだ……」
「はい次 ! 」
二人ともリラと並べば見下ろす程背が高い。レイの黒髪と、本人が好んで身につけるモノトーンの衣服を見た王都の民は、レイを『王より出しゃばらない立場をわきまえた男』と認識している。
残念ながらそれも誤認で、単純に個人的趣味な上に王に対して横暴である。「前科があるんだから、お前がやらなきゃ駄目だろ」
「前科ぁ ? 前例って言え。
レイの祖父が、抵当に読まずにサインしまくったからバレたんだろ。同じ敷地に二軒もギルドが出来たり、輸入品を二重購入したり。……飢饉の時に、一羽でいい生け贄の鶏が、二羽死んだから聖堂が騒いだとか……」「俺の家系に罪を擦り付けるな。当事者が騒がれるような事をしたんだから……仕方ない
あっという間ね。 街は戦火にのまれ、城には容赦無く大砲が撃ち込まれる。街は滅茶苦茶。煙が上がって、路上では容赦無く民間人が殺された。「攻撃からして……誰かを探しに来たわけでは無さそう」「それでは我々は ! 」 ブルーリアの戦力は少量の武器と、優秀とはいえ騎士団が三つ。それぞれの騎士団長がリラの前に来ていた。「船を確保なるべく多くの人を乗せて、海へ逃がすの」「海と言っても、どこへ…… !! 」「連中は上陸したら、必ず皆殺しにする。最初から壊す気で攻撃してるわ。グリージオだけは絶対に駄目」「モモナまでは食料も水も足りませんし」「アカネ島……。ここ出身のメイドがいたわね ? 島なら上陸できるはず。距離もモモナより近いわ」「……厳しいとは思いますが。了解しました 女王陛下はどちらの船にお乗りになられるのですか ? 」「わたしは……残るわ」「はっ !? え !? 何を仰いますか !! 」「やることがあるの。脱出次第、この城を沈める」「どうやって !!? 」「……わたしは……魔族なの。あいつらと戦うなら、わたし以外適任はいないわ」「……へ、陛下が……魔族っ !!? 」 この時、余計にこの言葉が全員を混乱させ無いか不安だった。 けれど騎士団長達は冷静だった。「魔族討伐に目がくらめば、身内同士の諍いなんてどうでも良くなるわ。第一、グリージオと不仲だった王族はもう誰も残ってない。わたし一人で話が付くわ」「……わかりました。民を優先します」「お願いね」 ◇◇◇「なんだ ? なんの音だ ? 」 銃と剣を構え、残虐行為を始めて
「そこを通して」「ハーピー…… ? いけません。この先は人間の世界です」「いいから通して ! 」 最初は寂しさからだった気がする。 レイはグリージオに行ったまま、不在が続いた。 ヴァイオレットには陸海空どこも隙間なく大きな結界がある。下位の魔物ではすり抜けることが出来ない薄い膜のようなもの。 そしてそれを守る門番もいる。「破れませんよ。ハーピーなんかが、破れる訳が無い」 この時、わたしはDIVAを持っていた。 少しの気まぐれと寂しさ、そして怒り。 何年もヴァイオレットに置き去りにされた身寄りもなく、そう強くも無いハルピュイアのわたしは、この日……DIVAを使いヴァイオレットを出て、魔王不在のまま大陸を封印した。「そ、そんな馬鹿な ! どうやって外側に出た !? 」 ハーピーの彼女は大きな鉈を手にすると、自らの羽を捻り斬るように落とした。「はぁっ ! はぁっ ! 痛ぅっ…… ! あああぁぁぁっぁあっぁっ !! 」 羽を落とした痛みと、初めて見た人間の土地の夜空の星。 この時、季節は夏。輝いていた竪琴座のベガの景色を今鮮明に思い出す。 死ぬのならここで、と。「おい、脱走だ ! 知らせろ ! 」「しかしお前、魔王様は確か今は……」「あ……駄目だ。留守であることは誰にも言えんからな……」 海の中に彼女はゆっくりと姿を消す。途中、岩場で足を滑らせ、出血が辺りに飛び散る事も厭わず、ただ身を任せて海に引き刷り込まれた。 小さな光が水面にまで届いていた。 DIVAが作動。 魔王大陸 ヴァイオレットの魔王城は、主人の帰りを待たずしてDIVAによって封印された。 ◇◇◇「……っみ ! 」
シエルは魔法陣を描き終えると、一度セロの腕をそっと摘む。「セロ、リコの事だけど……記憶を戻したら、リコは多分、元には戻らない」「具体的に、どうなるんだ ? 」「今の状態が、既にリラに統合され始まってる。元々僕がやろうとしていたものが、何故自然に始まったのかも分からないんだ。 そして、ここで記憶を戻したら、ほぼ魔族のリラに戻る。今まで人工魂として存在していたリコが、原型を留めていられるとは思えないんだ」「そうか……無念だ。だが、止めることは出来んな」「うん。……ごめん……」 セロ…… 。 もっとゴネりゃいいのに。理性的過ぎる。 本当は戸惑ってるの分かってる。「なるべくさ。あの子が消えずに済むなら、わたしも頑張るからさ」 確信はない。こんな事しか言えないけど。「あはは。わたしも、今更リコが居なくなるとか……しっくり来ないんだよね」「ああ」 目が見れない。 だって、誰よりも。 わたしが一番、覚悟が出来てない。 思い出すの怖すぎる。 自分に城があったとか、考えるだけでも今の生活とかけ離れすぎてるし。 エルの……先祖の王様に、潰されたって事だもんね。「皆、一度出てくれる ? ここからは僕とリラだけで」「ああ。そうだな」「レイの部屋にいんぜ」「あ……セロ、待って ! 」 ゾロゾロと皆出ていく中、セロが手ぶらで出ていくのを思わず掴んでしまう。「狐弦器忘れてる。……魔法陣の外でも何が起きるか分かんないから……」「あ……。ああ」 互いに視線が合い、思う事は一つだけ。
宿から出たエルとレイは、酒場のステージで歌うリラの姿に呆気にとられていた。(すみません。今、どっちの人格ですか ? )(……) 話しかけられた中年女性は、エルに答えようと一瞬振り向く素振りをしかけたが、完全に心はステージに立つリラへ向いていた。「これは……」「リラちゃんはDIVAが反応しないって事だったんだよな ? 」「ああ。しかし……」 長年共にいたからからこそ分かる。 今、あの場で美しい声を震わせているのはリラだ。「あれがDIVAか……」 レイが目を見張る。これにはエルも同じだ。持っていた花束を下に向けて、リラの首元を見つめる。 普段は青色の澄んだ輝石。 それが今は蛍のように揺らめく強弱のある光で、その光量は歌声に反応し時に眩い程。照らされることにより、唄うリラの表情が豊かに変化するのが見える。「リコは……どうなったんだ…… ? 」「……」 エルは無言だった。 □「─♩沈む 深い闇へ 光る剣の先が─♩」 ああ……。 分かる。「─♩白い 飛沫を 上げて 軋む──♩」 あの子、分かってたはず。 なのに、なんでもう一曲歌わせたの ? これじゃあ、もう。「─♩海の 奥底へ 弔う 祈りは届かず 全て泡沫の 夢の城 ♩─」 ──♩♩♫♩── 終わった。 ワァァァッ !!「最高〜 ! 」「綺麗な歌声ねぇ〜」「な、なんか泣けてくんぞ…… ! 」 内側にいるリコが、少しずつ消
一度途中で歌えなくなった曲。 複雑で歌ってる方は独創的にやってるつもりなんだけど、セロのメロディはどこまでも王道だし、決して奇抜なだけの曲じゃない。 ──♪─♬─♬─♪♪♪♩♫♩♫♬♪─♪─ この小節からアドリブだ。確か以前よりずっと難しくなってる。 リラは一度目は完璧で、今日が二回目だったんだよね ? ……力が……違いすぎちゃう……。 でも分かる。 DIVAが反応してくれる。「─♬♬♬♪─♩♫♫♩──♩♫♩♫──」 ふとセロと視線が合う。 なんだろう ? ミスした ? でもこれで最後 !「♩♩♬♪──」 良かった !! 歌い切った !! 今度は最後まで ! ワーッ !「ねーちゃんがいいなぁ ! 」「ああ、なんか控えめそうだが、なんて言うか伸びやかな気がする」「あんた音楽なんて聞かないでしょ ? 」「善し悪しくれぇは分かるもんでぇ」「いや、わたしはリラさん派ね。声量とクセが強いのがツボ ! ガツンと来るわ ! 」 歓声が凄い……。「リコ」「セロ……アレンジ部分、わたしミスしたっぽい ? 」「いや……。あのフレーズ。リラと全く同じだったんだ」「え…… !? 」 どういう事 ? わたしにリラ程の実力やセンスはないはず。人格が違うんだからライン取りも好みも違うんだから。 同じなんてこと……有り得ない。「…… !! まさか、DIVA…… ! 」 DIVAがリラのメロディを選んだんだ。「次の曲、リラ
「ブルーリアと不仲になったグリージオは、何とか城を落とし、民さえも灰にすると決め機会を伺っていた。海に浮かんだ小さな孤島だ。グリージオからすれば、戦力は十分。 ただ、問題は……」 身内殺し。 大国であるグリージオが自身の分家である公国を殲滅したとなれば、周囲各国からして良いものには見えないだろう。「最初に狙ったのは異国人のメイドだ。アカネ島の人は、当時一目で分かる程特徴的だったらしい。現代はカイなんかを見てもそうは思えないけどな。 それでその異国人をスパイや暗殺者と見なして、グリージオからブルーリアへ兵隊を乗り上げ、王族がメイド含め使用人らを庇ったと言い掛かりを付けて殲滅する、と言う筋書きだった」「無理ありすぎ。島一つ消さなくても、身内の揉め事とすれば城まで沈まなかったんじゃないのか ? 」「なんでもよかったんだろ。当時のブルーリアの者達は皆、平和に暮らしてた。何一つ不自由の無い暮らしに有能な王。 ところが、いざブルーリアに行ってみたら女王が権力を握っていて、グリージオとは縁も無い上に魔族だった。そうなれば、全てを彼女のせいにして攻め入る事に躊躇いなんて無かったはず」「そこで女王……リラだけが生き残ったのか」 エルは嘘のDIVA伝説の書かれた本をパラパラ意味も無く捲り、ふと視線を逸らす。「その戦火の中を潜り抜けて……本当にリラちゃんは悪だったのか ? 文献を読んだ幼い俺は、ずっと疑問だった。 『DIVAストーンを用いた歌唱には魅了がかかる』。これは嘘なんじゃないのかって。 お前はどう ? 」「何が ? 」「リラの事を。リラの歌の魅了で好きになったか ? 」「随分、無遠慮な質問だな」「疑問と検証。冷静な話し合いさ。 もしリラちゃんの歌に国一つ動かすような魅了魔術がかかるとしたら、ブルーリアは生き残ったはずだ。グリージオの兵に歌を聴かせれば魅了して意のままに操ればいい。ところがそうはなっていない。 今のリラにも本当の記憶が無いから確かなことは言えないが、本来DIVAストーンにそんな威力は無いんじゃな