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Story8

Author: 笠井未久
last update Last Updated: 2025-09-17 09:29:13

「そうじゃなくて、どうして一緒に……」

「起きてみたら、ぐっすりと眠っていたから、俺ももう一度寝ようと思って。まあ、寝る場所はここしかないし、一緒でいいかなって」

クスッと笑いながら話すその人に、私は数秒後、声を上げていた。

「そんな! 起こしてくれればよかっただけです!」

「それは菜々もだろ?」

「菜々?」

不意に呼ばれた聞きなれない名前を、自分でポツリと呟いていた。

「菜々子だろ? 菜々の方が言いやすいし、俺だけがそう呼ぶことにしたから」

蕩けそうな微笑みでそう言われ、私は逆に冷静になっていく。

これは政略結婚で、父が無理に始めたことだ。そして、彼がこれを受けるメリットなどないし、ましてや瑠菜ではなく私にしたのは、ただ瑠菜より扱いやすいと思ったからだと、あの日からずっと自分に言い聞かせていた。

今日だって、契約内容を確認しに来ただけのはずだ。我が家の目的は先生に仕事をお願いすること。先生には、それなりのコネと実績を約束して。

そういう話をするはずだった。なのに、どうしてこんなことに……。

「俺のことも、謙太郎でいいよ」

目の前にいる彼は、この前見たような冷徹な人ではなく、コロコロと表情が変わり、穏やかで太陽のように笑う。

「何を企んでるんですか?」

キュッと唇を噛んでそう問えば、彼は驚いたような表情を浮かべる。

「企む?」

訳がわからないと言った彼に、私は彼を睨みつけた。

「こんな無茶苦茶な結婚を受けるメリットは、先生にはありませんよね? ましてや、私なんかと」

「菜々、“先生”はやめて」

え? そこ? まったく意味がわからない。考えることを放棄して、想ったことを口に出す。

「父はただ向井家との縁が欲しくて、先生に仕事を依頼したことに気づいてますよね?」

いや、正しくは、もちろん先生に仕事も頼みたいが、向井家との縁も欲しいということだ。

間違った内容を訂正しようとしたが、先生も起き上がり、私の隣に腰かける。

「ああ、そうだろうな」

あっさりと肯定されてしまい、ポカンとする。

「じゃあ、どうして? あなたにメリットはないですよね? 今も美術館の仕事が忙しいって聞きました」

「忙しすぎて死にそうだよ」

ため息まじりにそう言った彼は、柔らかな笑みを浮かべた。

「だから、菜々と結婚しようって思った」

「……え?」

一瞬、思考が止まってしまったが、その言葉にようやく少し
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