Masuk「社長、本当にあのガキにお礼なんかするんですか?」准たちが芽衣を寝かせている部屋に戻ると、本田は不満そうにそう言った。准はリビングの柔らかいソファに座り、疲れを取るように首を回すと、ニヤリと嗤った。「アイツの考えてることなんか、お見通しだ。浅ましい奴にお似合いの礼を考えるさ」「ちなみに、どんな…?」好奇心を前面に問うてくる本田に、だが准は冷たい視線を向けた。「そんなことより…有紗をどうにかしろ。これは、あれの失態でもある」「……」そうだ。確かに、あの時彼女が芽衣の側を離れなければ、こんなことにはならなかった。そう思うと、本田の胸中は複雑だった。彼女は、本田が女性と親しげに話していたことで嫉妬をして、追いかけて来たのだ。こんなことで事前に言い渡された命令を無視してしまうなんて、あってはならないことだ。彼女は嫉妬深い。どんなに他の女になど興味はないと言っても、信じていないのか、すぐに不安になる。これから先もこんな事が頻発するようでは、困った事になる。どうすればいいんだ…。「婚約すればいいんじゃないか?いっそ、結婚するのも手だ」悩みにその男らしい眉を顰めている本田を見て、准がサラリと言った。「結婚…ですか…」戸惑う彼に、准は更に言った。「なんだ?その気はないのか?それならサッサと別れろ。迷惑だ」「……」本田は困り果てていた。一緒になりたくない訳では無い。むしろ、自分でいいのだろうかとすら思う。彼女は若くて魅力的な女だ。その気になればもっといい男が手に入るのに、まだその誰とも知り合ってもいないこの時期に、彼女の一生を決めてしまってもいいのだろうか。彼はこの最近、気がつくとそんなことを考えていた。准と芽衣が婚約をして、結婚というものを現実的に見るようになって、なぜか、当人でもない本田の方がマリッジブルーのような症状を出していた。准はそれを見抜いて呆れていた。まったく…いい年をして。彼はフッ…と笑うと、様子を窺った未だ目覚めない芽衣の、赤く腫れた顔を見て、そっとその頬に触れた。*今回は上手くいったようだ。宗方陸は、自宅に帰り着くとキッチンで水を汲みながら、一人ほくそ笑んでいた。彼は、偶然とはいえ、比奈が何人かの女たちと共謀して芽衣を連れ去るところを目撃し、瞬時にこれを利用しようと思った。彼女たちは予め計画していたよう
「ンンーッ!!」莉緒は思い切り藻掻いた。拘束は解けなかったけれど、父親の視線を向けることはできた。お父さん!お父さんっ、見捨てないで!お願い!!心の中で叫びながら、彼女は涙を流し、首を振った。莉緒にはわかっていたのだ。お祖父ちゃんじゃあ、どうにもならない。彼にはまったく経営能力がないのだ。私を助けることだって、きっとできない!「ああ…っ、莉緒や、お祖父ちゃんが助けに来たから、もう大丈夫だぞっ。安心しなさい」孫娘に駆け寄り、側に立つ黒服に早く彼女を解放するよう命令した。准はまだこの状況をきちんと理解していないような彼に呆れ果て、ボディーガードにとりあえず口のテープを剥がしてやるように言った。ビッ!「ンッ!」乱暴にテープを剥がされ、ヒリヒリする唇を舐める前に、彼女は喚き立てた。「お祖父ちゃん、何やってんのよ!うちを潰す気なの!?」「なー!なにを…っ」驚愕に目を見開く祖父に、彼女は更に言った。「お祖父ちゃんに今更何ができるっていうの!?潰れかけた会社を立て直したのは、お父さんでしょ!」「お、お前…っ」孫娘のまさかの罵倒に老人はわなわなと震え、刺激を受けたのか、急に胸を押さえて苦しみだした。「う…っ…!」「お祖父ちゃん!」慌てる莉緒だったが、他には誰も動こうともしなかった。ただ准一人が冷静に、部下に救急車を呼ぶように言っただけだった。「お父さん!」彼女が呼びかけると、今朝まで父親だった男は平然と言い捨てた。「救急車を呼んだんだろう?だったら、それでいいじゃないか」「ひどい!」詰ると、彼は皮肉げにその目を眇めて言った。「ひどい?じゃあ、訊くが、俺の二十数年の努力を一瞬で無駄にしたお前らは、ひどくないとでも?」「……」その冷たい声音に、莉緒の胸が痛んだ。「でもーっ」これはお祖父ちゃんなのよ!?彼女の胸には同時に、父親を責める気持ちも浮かんだ。その時、「もういいか?」彼女たちの会話に割り込むように、准のうんざりしたような声がした。「お前たちの家庭の問題をここに持ち込むな。本田ー」「はい」彼は自分の斜め後ろに控えていた本田に、警察を呼ぶように言った。その一言に、その場にいた者たちの雰囲気がまた、ピリッとした。「真田さん、私たちは娘と縁を切ることに同意しました。それなのにまだ、通報するんですか?」そう
「俺が何をした!?ただこの女に頼まれて、彼女たちを隅の方に連れて行っただけだ!それの何が悪い!?」唾を飛ばして喚く男に、准は終始冷めた視線を注いでいた。男が指さす莉緒は、それを聞いてギロリと彼を睨みつけた。彼女は口がきけない為に反論はできなかったが、激しく呻いて彼を非難した。「んんー!ん!んーっ」身体ごと、今にも男に突進して行きそうな勢いで前のめりになっていた。「何だよ!?本当にことだろ!?」「んーっ!!」会話として成立しないが、お互いに罵りあっているのはわかった。准はそれを鬱陶しそうに手を振って遮り、傍らのボディーガードに小さく顎をしゃくって合図した。「やめろ!おいっーんー!!」男の口にも布テープを貼り付け、手だけでなく、足もしっかりと縛りつけて転がしておいた。「理由なんかどうでもいい。やった事が問題なんだ」最後に准がそう言い捨てると、男は転がされたまま悔しそうに呻いた。その時ー。コンコン…ノックの音と共にドアが開けられ、2人の男が現れた。莉緒の父親と祖父だった。「ンンッ!」莉緒が声を上げると、父親は彼女をチラリと見て、スッと無関心に目を逸らした。「ずいぶんと、ゆっくりだな?」准がそう言うと、彼は苦笑して「仕事が立て込んでまして…」と言い訳した。それに対して祖父の方は目を剥いた。娘のことなのに、なんだ、その言い草は!彼女は他と比べて既に成人した大人で、その責任は大きい。それなのに、なぜこんなにも落ち着いているのか…。皆がそう思った時、彼女の祖父が顔を真っ赤にして震える指を突き出した。「お前!よくもっ…。いくら実の娘ではないとはいえ、よくもそんなことを…!」老人は莉緒の有様を見て、今度は准に噛み付いた。「真田准!お前もだ!よくも孫娘に対して、こんなことを仕出かしてくれたな!?」「……」准は彼の態度に鼻白んだように嗤い、莉緒のやった事の責任を問うことを告げた。すると、父親の方はひょいと肩を竦めて「構わない」と言った。「ンンッ!?」彼の返事に、莉緒は目を見開いた。「構わない?彼女を警察に突き出してもいい、ということか?」「ええ」「……」准は何かを疑うように眉をひそめた。「小細工をしても無駄だぞ?」その忠告にも、彼は「そんなつもりはない」とはっきり否定した。「といっても、この件に対して決定権は
「准さん…どうして、私まで…?」その時、顔を腫れ上がらせながらも気丈にその視線を准に向ける女がいた。橋本莉緒だった。准はその問いに眉をピクリと跳ね上げ、嫌悪の表情を露わにした。「なぜ、お前が見逃されると思うんだ?」「だ…だって…っ」莉緒は必死に言い募った。自分は彼女たちがやり過ぎないように監視をしていただけで、手なんか出してない。それなのに、どうして自分が打たれるのかー。そんなことを言った。ハッ!その言葉の途中で准は怒りを込めて息を吐き、彼女を睨みつけた。「お前ほど虫唾の走る女はいないな」「な…っ!?…どういう……」彼女は怒りなのか羞恥なのか、一瞬にして顔を赤くして信じられない…と言わんばかりの表情をするけれど、准の軽蔑的な視線は少しも緩まなかった。「お前の薄汚い考えを、俺が気づいていないとでも?」「……」見下げるようなその物言いに、莉緒は何も言えなくなった。「あんなデタラメな噂をまさか、本気にする奴がいるとはな」「……」准の嘲るような口調と視線に、莉緒は羞恥を覚えた。「まさか……本気で…あんな子を妻にする、つもりなの…?」腫れ上がってよく開かない口を動かして、それでも莉緒は准の否定を待った。だがー。「〝あんな子〟とは、どういう意味だ?芽衣は、お前なんかとは比べようもないくらい、素晴らしい子だ」「嘘よ!」咄嗟に叫んでいた。莉緒は膝でにじり寄りながら、准の足下に近づいて来た。「准さん…嘘、つかないで…」「嘘?」眉を上げて訊き返すと、莉緒は彼の脚に縋った。「あなたが…あなたみたいな素晴らしい人が…あんな、知恵遅れの障害者なんて、好きになるはず…ないじゃない?…私ならー」言いかけた時、力強く顔を掴まれた。「お前なら?お前なら、何だって言うんだ?あ?」「離ーっ」自分の顔をまるで握り潰す勢いで掴まれて、莉緒はその痛みに藻掻いた。准の腕をなんとか顔から離そうとするが、まったく敵わなかった。やがて、彼女の目から涙が滲み出てその頬を流れると、准はまるで汚いものに触れたかのように彼女を強く押し離した。「キャッ!」みっともなく後ろに倒れたけれど、誰も何も言わなかった。心配もしなければ、からかいもしない。見て見ぬふり…そう言うのが正しい表現だった。だが彼女は負けなかった。「いいの……」起き上がると、莉緒は無
部屋に入れられ、乱暴に膝裏を蹴られて跪かされた。床には分厚い絨毯が敷きつめられていたから傷みは少ない。でも、その分思い切り擦られて熱さで火傷をしそうな勢いだった。「やめて!」抵抗しようとする者は、躊躇なく押さえつけられた。そうしてしばらく屈辱に耐えていると、やがて静かにドアが開いて男たちが入って来た。「お父さん!」准を筆頭に本田と、それから比奈とあと2人の令嬢の父親たちだった。彼らは跪く娘たちを見て一様に痛ましそうな顔をしたが、すぐにそこから視線を逸らした。ボディーガードの一人が運んできた椅子に腰かけた准はゆったりと脚を組み、そして言った。「自分たちの罪が分かるか?」それは静かな口調だったけれど、視線と相まってとても威圧的だった。彼らの横に立っていた陸は、その底冷えするような声音に、思わずぶるりと震えた。「私たちが何をしたっていうのよ!ちょっと叩いただけでしょ!?」強気の比奈が喚くと、彼女の父親がサッと青ざめた。「なるほど…。その程度の認識か」眇めた瞳で連中を見渡す准に、彼女たちの父親は最早絶望的な思いを抱いた。「真田様…この件はー」「黙れ」彼の一言に、皆が縮こまった。その中で陸だけが、その瞳を見開いて高揚していた。彼は、育った環境で人はこんなにも周りを従わせるだけの人物になれるのだと、憧れの気持ちすら抱いた。だが准はそんな彼に見向きもせず、部屋に立つボディーガードたちに命令した。「コイツらを思い切り引っ叩け。片頬につき、50発だ」「ー!」その無情な言葉に、全ての人間が目を剥いた。だがこの場でその命令に逆らえる者など誰一人としておらず、黒服のボディーガードに無理やり顔を上げさせられ、部屋には重い音が響き渡った。バシッ!ビシッ!バシッ!「キャッ!」「やめて!」「嫌!!」始め、音がする度に彼女たちの悲鳴が口を突いて出た。崩れそうな身体は他のボディーガードに掴まれて、倒れることすら許されなかった。「お願い…もう、やめ…て……お願いしますっ…!」一人の令嬢が涙を流しながら、腫れ上がった顔で懇願した。それをきっかけに、後の者も皆、額ずくようにして准に頭を下げた。ボディーガードたちはどうするのかと振り返り、彼の冷酷な表情を目にした。「誰が手を止めろと言った?」その言葉を合図に、再び頬を打つ音が響き渡る。そ
そもそも陸の計画では、芽衣と結婚をするつもりだったのだ。といっても、彼女を宗方家の嫁にするのではなく、自分が彼女の婿養子として真田家に入る予定だった。その為に宗方の後継は海に譲ったのだし、まだこの計画を諦めるつもりはなかった。陸は、自分の野心が強いことをよく分かっていた。でも、それは悪いことか?確かに芽衣と結婚したからといって、自分が真田家の当主に将来的にもなることはないだろう。でも、それなりに重要なポジションには就けるはずだ。なにせ、芽衣は真田家で宝物のように大切にされているのだ。そんな彼女を娶れば、その夫を蔑ろにするはずがない。陸には、その野心を叶える為の努力をしたという自負がある。途中、彼女の病気治療などで間が開いてしまったが、あの頃確かに、彼女は自分を好いていた。今更、あんな年上の従兄になど負けるわけがない。彼女とは、これをきっかけにまた距離を縮めていけばいい。陸は腹の中でそう計算して、思わず頬を緩めた。*はぁ……最悪。橋本莉緒は、大きなため息をついた。やっぱりあんな子供じゃあ、役に立たないわね…。そう思いながらも、彼女は真田家の、おそらくボディーガードたちに幾分か乱暴に連れ出されながら、実はまったく焦ってなどいなかった。周りはキャンキャンと喚いて泣いている少女や、無関係だと言い立てる男の声で騒がしい。莉緒はそれらをどこか冷めた目で見つめながら、フッ…と嗤った。バカね。騒ぐくらいなら、最初からやらなきゃいいのに。彼女には、比奈の嫉妬も、その友達の八つ当たりも、全部が子供じみて見えた。自分の好きな男が他の女を好きだからって、何?婚約が破棄されたからって、何だっていうの?恋愛なんて…特に思春期の恋なんて、信用ならない。恋に恋してる女と、ただ自分の中の欲に忠実な男が綺麗事を抜かしてるだけでしょ?そんな気持ちが、どれだけ長続きするっていうのよ?バカバカしい…っ。莉緒は幼い頃からモテてきたから、その感情の信用のなさを痛感していた。確かに、中には一途にずっと一人の人を想い続ける者もいるだろう。でも大概は…特に普段からモテている人なんかは、簡単にその感情をもて遊ぶ。莉緒自身もそうだった。恋人ができても、その人よりいい人が現れたら簡単に乗り換えた。男の為に自分の人生を棒に振るなんて、バカげている。そう思っていたから。感情
亮介がダイニングに現れた時、既にこのバトルは繰り広げられていた。「どうしてプレゼントでくれたものまでお金払わなくちゃいけないのよ!?」「あら、だってそれは穢れたお金で買った物だもの。受け取りたくないでしょ?」「……」沙知子は実に無邪気な顔で首を傾げた。それを見て、莉緒は奥歯をグッと噛み締めた。「じゃあ、どうして持って行っちゃいけないの!?」「まだお金払ってないじゃない。払えば持って行こうが捨てようが好きにすればいいわ」「ハッ!ケチくさいわね!これだから成り金は!」莉緒が腕を組んで嘲るように嗤う姿を見ても、沙知子は肩を竦めただけだった。「当たり前でしょう?従業員たちが汗水垂
「沙知子……」彼女は怒っていた。普段の彼女はとても穏やかで、誰にでも優しく寛容だった。だが亮介は知っていた。沙知子は確かに優しくて寛容な性格をしていた。でもそれは、何があっても…という訳ではなかった。彼女の心が広いせいかほとんど表立つことはなかったが、沙知子は理不尽なことに対して黙っているような性格ではなかった。いやむしろ、徹底的に相手を捻じ伏せる過激さを持っていた。一度、沢山の友人達の前で彼女を貶めようとした女が鼻を摘みながら「生臭い臭いがするわね、気持ち悪い」と言った時、彼女は始め冷静な声で「気のせいでしょう」と窘めた。実際そんな臭いはしていなかったし、その女が亮介の仕
バタンッ!乱暴に閉められたドアの音で、准の機嫌が悪いことが知れた。彼は応接室に莉緒を置き去りにしたまま、警備に彼女を追い出すように指示を出し、自分のオフィスに戻って来ていた。バサッ…!彼らしくもなく、脱いだ上着さえデスクの上に放り出した。そしてドサリと椅子に座り、はぁぁ…と大きくため息をついたのだった。「お疲れさまです」本田は投げ出された上着を手に取りハンガーにかけ、同情の眼差しで准を見た。彼はそんな本田をジロリと睨みつけ、「もう一度、今度は本国のあれの家族も含めて、もっと詳しく調べ直してこい。至急だ」と言った。そうして、指示を受けてオフィスを出て行く本田を見送り、疲れを
結果として。怜士は2人に対して業務上横領の被害届を出した。野田がオーナーであった頃のものに関しては怜士に関係はないが、それでも彼が実質このクラブの経営者となってから、およそ10か月の間に野田らが不当に懐に収めた金額が大きかった為、下した判断だった。彼には相応な罰が言い渡されるだろう。そして島田に関しては、確かに野田から分け前をもらってはいたが、彼の場合父親を盾に取られて半ば脅されたという事情があったことから、お金を返還することを条件に示談で済ませることにした。ただし、クラブはクビになった。彼にしても、これだけ公になってしまったことから残ったところで居心地の悪い思いをするだろうから、