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『感傷を帯びた不明瞭な頭痛』

last update Last Updated: 2025-11-17 19:02:33

 薪無先生は言っていた。

 『明日。“あの娘“に会う。そして恋をする』

 それが今、実現されたように、僕の目の前には“あの娘“が立っていた。

 これが──デウス・エクス・マキナ……。

 僕に処方された、“ご都合主義“なのかと、全身が震えるほどの衝撃を受けていた。

 ──でも。

 僕は瞬時に、“これは違う“と判断した。

 何故なら、彼女が初恋の“あの娘“であるなら、僕を知っているはずだ。必ず、僕を一目見てわかるはずだ。

 なのに、そうはならなかった。

 ともすれば、彼女は酷似しているだけで、初恋の“あの娘“ではないのだ。

 そんなの当たり前だ。

 だって“あの娘“は、もう……。

 と、僕が“それ“を思い出した、次の瞬間。

「……痛ってぇ!」

 頭に鋭い激痛が走った。

 両手で頭を押さえ、頭皮に鋭く爪を立てる。

 神経の形がわかるくらいの、熱い痛みだ。

 僕はそんな激痛の中、自我を保とうと必死にもがいた。

 初恋のあの娘。小説のあの娘。目の前の彼女。

 やめろ、被らせるな。

 僕のトラウマに深く潜ってくるな。

 違う。これは違うんだ。

 ──これはただの“類似感覚“だ。

 似てると思えば思うほど、どんどん同じものに見えてくる。

 僕はきっと、その幻に囚われてるだけなんだ。

 だから大丈夫だ、安心しろ。

 目の前の彼女はただの客だ。

 そして、小説の“あの娘“は生きている。

 主人公と共に、今も幸せに暮らしてる。

 それだけでいい。それだけでいいだろ。

 そうだ、何も怖くない。何も……。

 深呼吸をして、少しだけ冷静さを取り戻した僕。

 彼女は僕の姿を不思議そうに眺めていた。

 まずい、変なヤツだと思われてしまう。

 と、とりあえず……。

 僕はそのまま彼女の腕を掴んで、防犯カメラを避けながら、店奥のカウンターの中へと招き入れた。

 少々乱暴な振る舞いだったが、彼女は顔色ひとつ変えずされるがままだ。

 そして目の前に立たせると、僕は目線の高さにある、彼女の頭頂部から飛び出た金色のアホ毛を見つめながら、ため息を吐いた。

「あ、あの。 とりあえずさ、ここは成人向けの店だから、女子高生が入ったらダメなんだよ……わかる?」

 冷静に、ただ店員として対処する……。

 そんなフリだけをかます僕。

 心臓はバクバクだが、なるべくそれを隠していた。

 すると、彼女は目を丸くした驚いた顔を見せて、悪気なさそうに澄んだ声を放つ。

「ああ! なるほど、そうでしたか! すみません! でも、ワタシはもう成人してるので、そこは問題ないかと思います! ご心配をありがとうございます!」

 意味不明だった。

 いや、制服着てるじゃん。

 じゃあ、なんなのそれ……。

 彼女のやけにハキハキした喋り口調も相まって、僕の混乱が加速していく。

「いやいや、コスプレだとしてもダメだって! これを誰かに見られて、学生が出入りしてるなんてチクられたら、後々めちゃくちゃダルいんだから。特殊営業5号を舐めないでくれ!」

 それを聞いた彼女は、意味をあまり理解出来ていないんだろう。小動物のように首をかしげた。

 おい、マジかよ。

 その顔すんのかよ……。

 彼女の起こす言動や仕草。

 その一つ一つが、初恋の“あの娘“と、小説の“あの娘“を想起させて動揺を隠せない。

 現実と虚構の間に、無理やり実体を捩じ込まれたかのような強烈な違和感が僕を襲っていた。

 このまま彼女の姿を直視していれば、確実に頭がおかしくなると思った僕は、彼女の胸についた知らない校章をぼんやりと眺めながら話すしかない。

 その目線に彼女は気付いたんだろう。

 閃いた! とばかりに、通る声を飛ばした。

「なるほど! では、これをここで脱げばいいですか? でしたら脱ぎます!」

 言うが早いか彼女は、ブレザーのボタンに手をかける。

 一つ、二つ、とボタンを素早くはずし、線の細い肩を出すと、汗ばんだワイシャツからは、白くて大きなブラが見えている。

 腋に張り付いた布は、じっとりと汗で透過してシワが寄り、その中に慎ましいレースの刺繍が確認できたところで、僕は彼女を止めた。

「は? いやいや、そうはならんだろ!? なんで脱ぐんだよ!!」

「ん? それは、制服を脱ぐなということですか? では、脱ぎません! もう一度着ます!」

 ブレザーを着直し、ボタンを閉める彼女。

 ダメだ。ずっと意味が分からない。

 彼女の存在も、会話も、何もかも。

 すべてが不可解だ。

 くそっ! なんだってんだ一体……。

 頭痛は消えないし、イライラしてきたぞ!!

「もういいよ! 君、成人してるってのは本当だよね? 買い物しに来たんだったら、欲しいものだけ言ってくれ。制服のままうろつかれたらヤバいから、僕が取ってくる……って、ああそうか、女の子だし流石に言いにくいか……。グッズとかだったら特に……」

 ああ、ちくしょう。めんどくさいなぁ!!

 僕はいつもの癖で頭をぐしゃぐしゃ掻くと、彼女はなんだか申し訳なさそうに俯きながら言った。

「あの、すみません。実はワタシ、ここへは買い物をしに伺ったわけではなく、とある人を探しにやってまいりました」

「なに? こんなところに人探し? 女優でも探してるっていうの? ああ、男の娘《こ》系の女優さんとか? 確かにシーメールの人は女性ファン多いもんね。でも、残念ながらイベントは週末しかやってないから。ちゃんとSNSで予定確認して……」

「榊肯太郎《さかき こうたろう》さんという方を探しているのですが、ご存知でしょうか?」

 頭を掻く手をぴたりととめて、僕は勢い余ってまた、彼女の目を見てしまっていた。

 話を遮って出てきたのは、紛れもなく僕の名前だったからだ。

「……いや、それ。僕だけど……」

 丸くて大きな彼女の目。

 色素の薄い茶色い瞳が、僕を捉えたまま。

 僕は彼女の顔が途端に明るくなるのを見た。

「なんと! あなたが、肯太郎さんだったんですね! 良かった! 本当に出会えました!!」

 彼女に手を握られて、胸元に寄せられる。

 細くしなやかな指を持った両手で、ぎゅうっと抱き寄せるように僕の右手を握る姿は、可愛いなんてもんじゃ済まされなかった。

「ワタシの名前は、夢乃《ゆめの》マイと申します! 肯太郎さん。ワタシにあなたの事を教えて下さい! そして、ワタシと恋をしましょう! 一緒にこの暗いトンネルから抜け出す為に!」

 ただ、意味不明なのは変わらない。

 恋? 暗いトンネル?

 彼女が何かを言う度、僕はずっと理解不能の中を彷徨い続けていた。

 ──しかし。

 そんな彼女の言葉を聞いて一点だけ、僕は安心した事があった。

 正直、それだけで僕はかなり正気を取り戻せたと思う。

 だから落ち着いて言った。

「えと、ゆめの……まいさん? あのさ、僕どうしても今、タバコ吸いたいから。店の裏に来てよ。どうせ午前中は客来ないし、一旦閉めるからさ。そこで話を詳しく聞かせてくれないか?」

 その要望に全く疑問を浮かべる感じもなく、彼女は素直に喜んだ。

「え? あ、はい! わかりました! それでは、お店の裏に伺いますので、もうお好きなだけどんどん吸って下さい!」

 僕は頷いて、彼女を店の入り口まで案内する。

 店外に出て日の光に照らされた彼女は、上品に手を前に組み、ピシッと背を正して、綺麗なお辞儀を僕に向けてしていた。

 どうせ数分後にまた会うというのに、酷く律儀なものだった。

 僕が軽く手を振って、店の重いドアを閉めた時。

 ようやくまた、店内の喘ぎ声が僕の耳に届く。

 そして、気が付けば、あの酷い頭痛も何処かに消えていた。

「そうか……あの娘は、夢乃マイっていうのか」

 

 僕が安心した理由。

 それは──

 彼女の名前が“あの娘“と違った事だったんだ。

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