All Chapters of 『ラブコメディ失調症』 ーマキナ医院・精神整形外科ー: Chapter 1 - Chapter 10

21 Chapters

『夢は魅せられるもの』

「あら、小説家なの? 凄いね。物書きさんだ」 丸メガネをかけて、ボサボサした黒髪の先生は、僕の目の前で気だるそうに椅子に踏ん反り返り、言う。 そんな軽薄な態度には、あまり好感は感じられないものの、その先生の容姿は細身でスタイルが良く、顔もどこか外人じみていて、男の僕から見てもとても色っぽく、男前だった。「いや、それは趣味の欄ですよ。ちまちまwebで投稿してるだけで特に人気は無いし。本業は……というか、そこに書いてあると思いますけど、フリーターですよ。秋葉原の裏道にある小さな本屋でアルバイトをしてます」 僕は頭をぐしゃぐしゃ掻きながら、俯いてそう言った。 それを聞き、ふーん。と唇を尖らせた先生は、問診票を抱えたまま、左手で持っていたペンの背を向けて、くるくる円を描く。「いやーでも、小説書いてるなら小説家でいいんじゃない? ほらバンドマンの連中だって、フリーターだろうが無職だろうが、恥ずかしげなくバンドマンです!って言うしさ。そういう自負とか自己認識は大切だと私は思うよ。特に夢想家には」 ああ、ちくしょう。  夢想家って、言われちゃったな……。 ため息を吐いて、あからさまに肩を落とす僕。「そうですね……夢想家は夢想家らしく、明るく振る舞いたいもんですよ」 その様子に、先生は肩をすくめながら、発言の補足とばかりに素早く口を開いた。「おいおい、何も夢想家ってのは悪口じゃないよ。ネガティブに捉えないでくれ。そもそもこれを見るに、君はなんだか理屈っぽ過ぎるんだよな。理由とか意味とか、そんなのばっかり求めてるだろ? ちなみに変な事を聞くようだけども、君が理由や意味を求める事に対する、理由ってのはあるのかい?」 先生は長い足を組み直しながら、診察に必要な事なのか、そうじゃないのかもわからない質問を飛ばしてくる。 いや、言葉遊びのマトリョーシカじゃないんだから、変なこと聞くなよな……。 僕は早くもここに来た事を後悔しそうになりながら、とりあえず正直に口を開いてみた。「単純に不安なんですよ、理由も意味も無いと。例えば、蛇口を捻《ひね》る理由は水が欲しいからです。そして、水で喉を潤すのは意味がある事です。だって飲まないと死んじゃうから」「そうそう、君は常に逆算的で打算的だよね。そんで、比喩が好きだ。なるべく自分が抱える不安や心情を誰かに伝えて納得させよう
last updateLast Updated : 2025-11-04
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『幻覚作用のある煙』

「美女好きでしょう? 巨乳も好き? 大きいお尻とかも好きそうだね。後は綺麗な黒髪とかはどう? 性格はお淑やかな感じがいいかな? それとも快活? ツンデレってのもいいけど、ありゃ自分への好意がわかって無いと、ただの厳しい女子だもんね。読者目線はいいけど、主人公目線だったら本当に自分の事が好きなのか若干不安になりそうだ。そう思わない?」 早口で捲し立てられるとはこの事だった。 猛スピードで質問されて、流石にパンクした僕は頭を抱える。「ちょ、ちょっと待ってください! 一体何の話ですか? さっきから夢がどうとか、セックスがどうとか、もう唐突過ぎてついていけませんよ!!」 薪無先生はカルテを書きながら、形ばかりの申し訳なさを見せた。「ああ、ごめんごめん! いや、処方するからさ。好みを聞いとこうと思って」「処方って……さっき言ってた、ご都合主義ってヤツの事ですか?」「そうそう。でも、言ったように私は手術をして何かを君に付与する事はできない。例えばチートとかスキルみたいなものをあげたりはできないんだ……。うーん、難しい事を言っても理屈っぽい君には理解出来ないだろうし、端的に好みの女の子を処方してあげるって話だよ。ね?」 え? いや、なんだろう……。 説明不足で深くは理解できないけど、この人激ヤバな事を言っている気がするぞ。「あの……女の子を処方って……それ、なんですか? なんかめちゃくちゃ怖いこと言ってる気がするんですけど……」 額に大量の脂汗を垂らしながら、僕は思った事をそのまま口にした。 すると、あからさまに、あちゃー。といった顔をする薪無先生。 ヤバいって自覚はあるな。これ、絶対。「ああ……ええと、うそうそ! じゃあ私と好みの女の子の話しようぜ少年。ただの恋バナだよ恋バナ。今、好きな子とかいるの? ん? どう?」 白々しい演技と切り返し。
last updateLast Updated : 2025-11-14
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『感傷を帯びた不明瞭な頭痛』

 薪無先生は言っていた。 『明日。“あの娘“に会う。そして恋をする』 それが今、実現されたように、僕の目の前には“あの娘“が立っていた。 これが──デウス・エクス・マキナ……。 僕に処方された、“ご都合主義“なのかと、全身が震えるほどの衝撃を受けていた。 ──でも。 僕は瞬時に、“これは違う“と判断した。 何故なら、彼女が初恋の“あの娘“であるなら、僕を知っているはずだ。必ず、僕を一目見てわかるはずだ。 なのに、そうはならなかった。 ともすれば、彼女は酷似しているだけで、初恋の“あの娘“ではないのだ。 そんなの当たり前だ。 だって“あの娘“は、もう……。  と、僕が“それ“を思い出した、次の瞬間。「……痛ってぇ!」 頭に鋭い激痛が走った。 両手で頭を押さえ、頭皮に鋭く爪を立てる。 神経の形がわかるくらいの、熱い痛みだ。 僕はそんな激痛の中、自我を保とうと必死にもがいた。 初恋のあの娘。小説のあの娘。目の前の彼女。 やめろ、被らせるな。 僕のトラウマに深く潜ってくるな。 違う。これは違うんだ。  ──これはただの“類似感覚“だ。 似てると思えば思うほど、どんどん同じものに見えてくる。 僕はきっと、その幻に囚われてるだけなんだ。 だから大丈夫だ、安心しろ。 目の前の彼女はただの客だ。 そして、小説の“あの娘“は生きている。 主人公と共に、今も幸せに暮らしてる。 それだけでいい。それだけでいいだろ。 そうだ、何も怖くない。何も……。 深呼吸をして、少しだけ冷静さを取り戻した僕。 彼女は僕の姿を不思議そうに眺めていた。 まずい、変なヤツだと思われてしまう。 と、とりあえず……。 僕はそのまま彼女の腕を掴んで、防犯カメラを避けながら、店奥のカウンターの中へと招き入れた。 少々乱暴な振る舞いだったが、彼女は顔色ひとつ変えずされるがままだ。 そして目の前に立たせると、僕は目線の高さにある、彼女の頭頂部から飛び出た金色のアホ毛を見つめながら、ため息を吐いた。「あ、あの。 とりあえずさ、ここは成人向けの店だから、女子高生が入ったらダメなんだよ……わかる?」 冷静に、ただ店員として対処する……。 そんなフリだけをかます僕。 心臓はバクバクだが、なるべくそれを隠していた。 すると、彼女は目を丸くした
last updateLast Updated : 2025-11-17
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『圧倒的楽観的絶望的女神』

 秋葉原という都会の排ガスに塗れ、汚く埃の被った室外機の上に腰をかける。 大手AVレーベルのロゴが印刷されたノベルティの灰皿を横に置き、僕はカバンからタバコを取り出した。 赤いビニールで出来ているパッケージのそれは、普段コンビニ等では見かけないだろうから、普通の人には馴染みがないだろう。 そう、僕が喫するのは、手巻きタバコというものだった。 ローラーと呼ばれるこれまた何とも形容しがたい、小さな製麺機のような機械に、吸い口であるフィルターを置き、その横にタバコ葉である“シャグ"を詰める。 そしてローラー部分を回して形を整えた後、巻紙を挟み、巻き込んで、最後は巻紙の糊のついた部分を舐めて巻き取る。 こんな面倒くさい手順を踏まなきゃならないタバコが、手巻きタバコという物なのだ。 時に、僕は紅茶の甘い匂いが好きだった。 だから、わざわざ紅茶フレーバーのタバコを選んでるってのもあったけれど、それよりも僕は、この面倒くさい手順が嫌いじゃなかった。 やっぱり、何か理由が欲しいのだ。 僕はタバコを吸う為に、毎回この工程を踏む。 この煩わしさは僕にとって、最大限にタバコを楽しむ為の理由である。 そんな風に、目的までの道筋がある事への安心感が、僕の心を穏やかにさせ、落ち着かせた。  巻いたタバコを咥えて、サクラの多い出会い系サイトの営業から貰ったライターで火をつける。 一口目をぎゅーっと吸い、紫煙をしっかりと肺に入れ、大きく吐き出して、その美味さと気持ちよさに身震いをした。 ──すると。「肯太郎さーん! あら、あららら! これは何ともビルの隙間が狭いですね! あらら!」 ガチガチの分厚いブレザーとロングスカートを着たマイさんが、フェンスと建物の隙間にお尻を引っかけながら現れた。 僕は右の道から来るよう指示したはずなのに、何故か彼女は左から来た。 だから言ったのに、そっちの方が狭いんだよ。 話を聞かない、あわてんぼうな金髪ロ
last updateLast Updated : 2025-11-21
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『嗜好性と思考性の両立』

「見た目は初恋の“あの娘“に似ていて、性格は小説の“あの娘“に似てるだなんて最高じゃん。いいとこ取りだよ。A5ランクの肉の上に、大トロ乗せましたみたいなもんだね」 頬杖をつきながら、飄々とする薪無先生。「やり過ぎですよ。どう考えても食べ合わせクソでしょ。そんなの絶対胃もたれしますから」「まー、私はそうかもしれないけど、少年はまだ若いんだから、食べれるでしょ」 はぁ。とため息をつく僕。 僕はまた、都心から1時間もかけて電車で下り、小さな町、星葉《せいよう》町まで訪れていた。  今日マキナ医院まで来たのは、昨日のマイの件で、いてもたってもいられなかったのだ。「夢乃マイ、先生の処方した女の子ですよね?」「はて? そんな名前の娘はいたかな? 覚えてないや。すまんな少年」 とぼけておどけた態度を見せる。 白々しい。絶対に認めない気だ。 ──ちくしょうめ。 僕は手のひらの上で踊らされているような気分になり、頭をぐしゃぐしゃと掻いた。「だから、少年じゃないって言ってますよね? タバコ。吸いますから僕」 すると、薪無先生はニヤリと不敵に、またあの顔で笑った。「ああ、これ? アークロイヤル・パラダイスティー。わざわざ巻きタバコだなんて 、ガキなのに生意気だね! 最近の若者は背伸びし過ぎだよ、ほんとにさぁ〜!」 僕のカバンから、タバコ葉が入ったパッケージを摘み上げて、こちらに見せる。 やっぱり怪しい。これはやられた気がする。「初診の時からおかしいと思ってたんですよ。どうしてこの病院は受付でカバンを取り上げられるんですか?」 そう、マキナ医院では、診察前に持ち物一式を看護師さんに渡す必要があった。  だから僕は、そこでタバコの中身を“幻覚作用のある煙“に入れ替えられたのだと勘繰ったのだ。 睨む僕の視線に気が付くと、笑っていた薪無先生は、こめかみを掻きながら真剣な表情に変わった。「あー、それはマジレスしていい? 他の病院がどうかは知らないけどさ、ウチは精神的な治療をする病院だからね。ぶっちゃけ危ないんだよ。治療に不満があったり、症状が悪化しちゃったりした患者さんは何するかわからない。切羽詰まった人間は、私の事なんて簡単に殺すからね。ただ危険物を持ち込まれないようにしてるだけさ」 な、なるほど……。 その答えに僕は、ぐうの音もでなかった。
last updateLast Updated : 2025-11-23
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『減退する極彩色の虹彩』

あの日、結局マイとは店の裏で話をした後、連絡先を交換して見送った。 マイは、泣きながら放った僕の一言に、少々の困惑を見せたものの、僕が交際を認めたと受け取ったらしく。 自身の白くて柔らかそうな頬を、驚きのスピードで赤く染め上げ、呂律が回らなくなるほど照れていた。 その姿は、脳天まで響くような可愛らしさだった。 そう、所詮僕は、突然現れたマイを嫌いになる事なんて出来なかったのだ。  どこまでも不可解であり、不可思議であり、不可測な彼女の存在であれ、それを突き放す理由を、僕はどうしても探せなかったのだ。 恋愛に勝ち負けなど無いと思いたいが、なんだか僕はマイと薪無先生の押しに、根負けした気がして、少々の不服さを抱えていた。 はぁ、得体の知れない女子と交際する事になるとは、なんとも不甲斐ない。これでいいのか僕。 そんな事を考えながら、今日も店の裏でタバコを吸っていると、僕のスマホが大人のおもちゃかというくらい震えていた。 全て、マイからのメッセージだ。 それは大体三〜五分に一回のペースで送られてくる。 今、起きました。 トイレに行きました。 歯を磨きました。 顔を洗いました。 着替えました。 髪を梳かしました──等。 あげればキリがない。 この異常さが伝わるだろうか。 一日の始まりから終わりまで、自分がした事、身の回りであった事を全て僕に送って来るのだ。 それがもう、二日目に突入していた。 そして、今。 ──肯太郎さんを見つけました。 そのメッセージと共に、僕の左から彼女の透き通る声が聞こえた。「肯太郎さーん!! あら! あららら! わっ!」 また、左側を通って来る金髪ロングの乙女。 フェンスにお尻を引っ掛けながら向かって来る姿は、さながら一昨日の光景の焼き増しだった。 しかもまた、缶の飲み物を両手に持っているものだから、バランスが悪い。 それは引っかかって当然だ。 ──しかし。 それよりも僕は、今日のマイの服装に釘付けになった。「ウソだろ……。マジかよ、おい」 マイが着ていたのは、腰ベルトでウエストを絞った、Aラインが綺麗な白い襟付きのロングワンピースだ。 令嬢然とした品性の溢れるその服装に、僕が驚愕したのには訳があった。 それは紛れもなく、小説の“あの娘“が着ていた私服だったからだ。「肯太郎さん!
last updateLast Updated : 2025-11-25
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『舞い上がる曖昧さの終焉』

 つまるところ、この問題は── 枝分かれした、三軸が束になって出来ていた。 ──まず、一つ。 僕の初恋の“あの娘“についてだ。 その容姿は、といえば。 艶のある金髪のロングに、前髪を揃えたサイド長めの姫カット。 目は垂れ目気味の、優しそうで大きな丸い目であるが、その上に引かれるキリリとした眉は、意志の強さの現れだ。  高くとも尖らない鼻を起点に、立体感のある顔つきは、少しばかり幼なげな影を残して整った、綺麗な小顔で。 その肌の質はきめ細かく、とても白かった。 そんな彼女は高校の同級生であり、内面は、品行方正で笑顔を絶やさない、メンタルと行動力の化け物という印象の人物である。 そして僕は、美しすぎる彼女の事を想うあまり、彼女の事を心中に宿る“女神“だと捉えていたのだ。  だが、薪無先生は、初恋の“あの娘“の事を諸悪の根源だと仮定していた。 つまりは初恋の“あの娘“こそが、このトラブルの原点であり、それによって今の僕は狂わされているというのだ。 ──そして、二つ。 これは、小説の“あの娘“の事である。 その実は、臓物丸直義という小説家が書いた作品に登場する人物で、容姿はほぼ初恋の“あの娘“に準じていた。 性格は少しばかり差異があり、小説の“あの娘“は、とてもテンションが高く、エネルギーの塊のようなヒロインとして描かれている。 まあ、これは娯楽性を含んだ小説ならではの味付けだろうし、そもそも臓物丸先生──もとい、もつまる先生の小説の“あの娘“と、僕の初恋“あの娘“との類似は、ただの偶然であり、直接的な接点はない。 ただ僕は、先に説明した心中の“女神“を、薪無先生の言う『類似感覚』を持ってし
last updateLast Updated : 2025-11-27
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『逆算からの算段という矛盾』

「どう? その後、夢乃マイちゃんとは上手くやってるの? まだ抱いたりはしてないよね?」 白いゴム手袋をはめた左手で、ペンをくるくる回す薪無先生。 いつもの軽い態度で、ずけずけとセンシティブな事を聞いてくる先生に対して、僕は不機嫌そうに答えた。「しらを切った割には、彼女と僕の仲に興味があるんですね。彼女が処方された女の子だって、ちゃんと先生が認めたら教えますよ」 薪無先生は眉間に皺を寄せて、こめかみをぽりぽり掻く。 その後、肩をすくめて、おどけて見せた。「あーもう、理由好きはこれだから困る! 悪かったよ! そんな怒るなって! 認めます! 夢乃マイは私が処方したご都合主義です! これでいい?」 言い終わればすぐに唇を尖らせて、横を向く。 怒られて不貞腐れる姿はまるで子供だ。 僕はため息を吐いて、話をした。「彼女とは、ここに来る日以外ほぼ毎日会ってますよ。呼ばなくてもバイト先に来るんで、強制的にエンカウントします。ここ最近は僕もそれを見越して、午前中のワンオペを増やしてるので支障はありませんが、問題は会っていない時ですね」 そんな話をしている間にもまた、薪無先生の横に置かれた荷物カゴの中から、僕のスマホの震える音が聞こえていた。 僕は何も言わずにそれを指を挿すと、薪無先生は僕のカバンからスマホを取り出す。「何これ。少年のスマホ壊れてんの? さっきからいやらしいくらいに震えてるけど……。ほい」 先生はスマホを掴んだまま、画面を僕に向けた。 鏡のようになった真っ暗なスマホの液晶には、自分の顔が映る。 年の割には童顔なれど、少々疲れた僕の顔は、いつしか先生に言われたように、とても辛気臭くはあった。 そして、ぼーっと。自分の右目の上にある古傷を思い出すように眺めていたら、突然画面が明るくなってロックが外れ、本体が揺れた。「お? ロック外れた? さあて、どれどれ〜、見てみようね」 当たり前とばかりに、スイスイと僕のスマホをいじる薪無先生。 僕は椅子から立ち上がって大声を上げる。「いや!! 見てみようね。じゃないですよ! 何勝手に人のスマホ見てるんですか!? マジで最低です!! 返してくださいよ!!」 そんな風に怒声を浴びせて、薪無先生の手からスマホを奪おうとするが、華麗にひょいひょいとかわされた。 それもその筈だ。 これは単なるジェ
last updateLast Updated : 2025-11-28
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『むせ返る初夏に濃色の青』

 十五歳のあの頃、僕は美術部だった。 僕は別段、芸術に執着していた訳でもなかったが、流れ着いた美術部の空気は悪くなかった。 そこには、大勢の中の孤独というものがあり、群れをなしていても、唾を飛ばす事はなく、各々は黙々と自身の制作に努める。 あの、一種の修行というか、瞑想というか、そんなものにも通ずるような、半端に重い空気感が僕は嫌いじゃなかった。 そこでは僕は、絵を描いていた。 絵は常に勝手な妄想を許そうとした。 筆を走らせ、白紙のもとへ滲む、色とりどりの個性と感性は、その一切を他者の価値観に縛られる事なく。  誰もが理解に苦しむだろう、局所的な偏愛をも、おおらかに受け入れるような顔をしていた。 でも、そんな無垢すぎる白紙の、何ものでも受け入れようとするその素振りが、僕を深い母性で包み込むと同時に、途方も無い不安を押し付けようとした事を覚えている。 白無地とは、時に残酷なものだと。 僕はその時、知ったのだと思う。 ──そして。 “あの娘“もそこにいた。  目を引く金髪の彼女は、とても上品であり、所謂《いわゆる》、お嬢様という印象だった。 ただそれも、今思えば。というところであり、当時の僕は彼女がお嬢様だなんて、特に思った事はなかった。 彼女は、明るくて、優しく。 それでいて、意志は強く。行動力がある。 その上また、部の中でも群を抜いて美人でいて可愛いものだから、芸術の美的感覚なんぞを知った気になっている悲しき男子共は、気品漂う彼女の存在に、すべからく骨抜きになっていた。 そんな、常に人の輪の中心に咲く彼女の筆は、油彩であった。 学生の時分で絵を描くものにとって、真っ先に油彩を取るというのは、大袈裟に言えば、富の象徴だったと思う。 油彩とは、画材に酷く金がかかる物だからだ。 そういうところで見ても、やはり彼女は金銭に困窮する事とは無縁のお嬢様という存在であった事に気付かされる。 一方。 人々の片隅に、ひっそりと潜んだ僕はと言えば、小悪党にも満たないちんけな悪ガキで。 人がいない間に教材室の鍵を拝借しては、そこからバレない様、使いたい色の水彩ガッシュを一本、二本とくすねて使い、金を浮かせていた。 ──そういう、二人。 水彩を描きむしる哀れな僕と。 油彩を厚く伸ばす可憐な彼女。 僕は、彼女に興味など無か
last updateLast Updated : 2025-11-29
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『慌しい哺乳類の飛翔』

 次の休みの日。 僕と彼女は、上野駅で合流をした。 その日、彼女は私服だった。 白い襟付きのロングワンピースに身を包んだ彼女は、学校にいる時よりも一層美しく、長い金髪も相まって、遠目から見てもわかるほどに際立っていた。 僕はそれを見て、美術部員の悲しき男子共を出し抜いたという優越感が立ちのぼり、鼻を伸ばす。 ただし、僕はただの夏制服だった。 その中でせめてもと思い、ワイシャツだけはおろしたてにしたものの、待ち合わせ場所までの道中に初夏の厳しい日の光を浴びてしまい、結局は汗で萎びてしまう。 この着飾る事への美的感性を持たないあたりが、やはり僕も悲しき男子共と変わらない大衆の一部である事を思い知らされ、ため息を吐いた。「それでは行きましょうか」「……うん」 互いの感想も特にないまま、口数も少なく歩き始めた僕達は、何とも言わずに美術館の方へと向かった。 僕は最初、何故いきなり上野に誘われたのかと不審に思ったが、まあ美術部で上野と言ったら美術館で間違い無いだろうと思い、調べた結果、特別展の内容を見て納得した。 フェルメール展がやっていたからだ。 それは、僕が拾ったウルトラマリン──。 フェルメールブルーの件だろう。 彼女は、その絵の具が使われた作品を見せるために、今日僕を誘ったのでは無いかと考えた。 だから昨晩の僕といったら、ろくすっぽ寝ずにフェルメールについて調べ、朝を迎えていた。 それはなにも知識をひけらかしたかったわけじゃない。ただ、彼女と同じ立ち位置で絵を見たかっただけなのだ。 ──しかし。 程なくして、美術館の前にたどり着いた時。 なんと、彼女は美術館に目もくれず、そのままスタスタと速度を落とさずに道を進んで行くではないか。 それに驚いた僕は、思わず声をかけた。「ちょ、ちょっと!? あの、美術館ここだけど……フェルメール展を見るんじゃないの?」 すると振り向いた彼女は、不思議そうな顔をして僕を見つめていた。「美術館? いえ、そこに用事はないですよ」 おい、マジか。 美術部の僕達が、美術館を素通りするのは流石におかしいだろ。 ウルトラマリンをあんなに大事そうに抱えておいて、君の目当てはフェルメールじゃないって言うのかよ。「ウソ……」 じゃあ、僕のあの努力は一体……。 絶望した僕は、ぽつりと一言呟いてしまう
last updateLast Updated : 2025-12-03
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