168 (最終話) この真鍋のアプローチと花の様子を何気に伺っていた人物がいた。 掛居が相馬とはもう付き合ってないのでは? という噂がまことしやかに流れ、ご多分に漏れずこの噂を相原も耳にすることとなったのだが、それでも相原はまだ懐疑的だった。 だが掛居が他部署の真鍋とどうも付き合っていると聞き及び、ここで初めて彼女が本当に相馬と付き合っていないのだと確信できたのだった。 あの日以降、彼女に何も自分は聞かず一方的に接触を断ってしまった。 そしてそんな自分に対して彼女の方も何の反応も返して来なかった。 だから、そういうこと《相馬と付き合ってる》なのだとすっかり思い込んでいた。 このまま、いまのままではいずれ彼女は誰か他の男のモノになってしまうのだ。 それは嫌だ。 グルグルこのような考えを巡らせているうちに気が付くと足が勝手に彼女のマンションまで来ていたようで、目の前にマンションが見えた。 ◇ ◇ ◇ ◇ その後しばらくマンションの前で佇む男の姿があった。 男はオートロック式の一階にある玄関……の中に住人と一緒に入り、花の部屋の前まで来るとインターホンを鳴らした。「はい、ぁ……」「ご無沙汰……雨が降ってきて、あの、傘貸してもらえないだろうか」 インターホンの画面に相原の姿を見て、花の心臓がドクンと跳ねた。 何も考えられずに急いでドアを開ける。「少し上がってもいいかな」「……傘……は?」「ごめん、雨降ってない」「じゃあ……」「会いたくて来た」 ◇ ◇ ◇ ◇「今頃? どうして? 今まで私のこと放っておいてなんでいきなり来ちゃうの。 私はもう会いたくない」 そう言い放つ目の前の掛居は唇を震わせて泣いている。「急に会いに来なくなってごめん。 連絡もしなくてごめん」「謝らなくていいです。 私たちは正式な交際をしていたわけじゃなくて、ただ会いたい時に会っていただけの関係だし、元々流されて仲良しごっこをしてただけ。 だから今の私はもう個人的には相原さんとは会いたくないので帰って下さい」 泣きながら自分の意志を伝えて来る掛居を相原は一歩近づき抱き締めた。「折角仲良くしてもらってたのに勝手に離れてしまって、ほんとにごめん。 好きなのに君を傷つけてごめん……。
167 デートに誘ってくれたその男性《ひと》は、やさしそうな人に見えた。 それで花は、今の何かを打破したくてデートに応じることにし、 出かけて行った。 しかし何度か彼とのデートに出掛けたけれど、つい相原と比べてしまう 自分がいて、心癒されない自分に気付き自己嫌悪に陥るのだった。 ◇ ◇ ◇ ◇ 掛居とのデートは話も合うし楽しかった。 だが、彼女が自分との逢瀬を100%楽しんでいるようにはどうしても 思えず、自分の誘いを断り切れず無理をしているのではないだろうかと 真鍋は思うようになっていった。 まだデートといっても近場で3回ほど会った程度だが、 社内ですれ違ったりする時はお互いアイコンタクトを取る。 それでその日も昼休みが終わりそうな時間に視界に彼女が見えたので 挨拶だけして席に着こうと思っていたら派遣の遠野さんから『夜間保育どうして辞めちゃったの?』 と彼女が問い詰められているところに遭遇。 彼女が何やら説明して遠野さんから離れて行ったんだが、 なんて答えたのかは聞き取れなかった。 それでつい気になって遠野さんに訊いてしまった。「えっと、聞くつもりじゃなかったんだけど、掛居さんって 保育所でも勤務してたの?」「そうなのよ。 保育士の芦田さんと凛ちゃんに気に入られてね。 あっ、凛ちゃんって相原さんの娘さんのことね。 なんか掛居さん、相馬さんとペアの仕事もなくなるし、あんなに 可愛がってた凛ちゃんがいる保育所の夜間保育も辞めちゃうしで…… 彼女今ちょっと、なんだろう……なんて言えばいいのか、言い得て妙な言葉 が見つからないけどまぁ、今までが充実し過ぎていたから淋しいと思うんだ けど、保育所は辞める必要ないと思うのよ。 だけど知らないところで何かあったのかもしれないわね」 俺は丁寧に説明してくれた遠野さんに礼を言って席に着いた。 俺とのデートでは楽しそうにはしているが何ていうんだろう、気持ちは 俺にないって感じ? 相原さんとのことは今までどんな関係だったのか皆目分からないし、 相原さんが心ここにあらずの原因なのかどうかもも分からないけど、 俺は次のデートではっきりさせることに決めた。 ◇ ◇ ◇ ◇ 何度目かのデートの折に、
166 相馬さんの異動の知らせと、やっぱりというか、異動後相馬さんと掛居さんが付き合うことが決定してるという噂がまことしやかに流れてきた。 社内はその噂で持ち切りだった。 ちぇっ、告白する前に失恋だな、こりゃあ。 やっぱり掛居さんも相馬さん狙いだったかぁ~。 様子見してたせいで『セーフ』と俺は独りごちる。 やはり様子見って大事だよな、はぁ~。 だけど不思議なことがあった。 相馬さんが実際の異動でいなくなるまで引継ぎとかがあるのでふたりは今まで通り机を並べて仕事をするのかと思えばそうではなかった。 掛居さんが別の場所へ席を移動させてしまった。《飛んでイスタンブールしてしまった》 周囲は移動させられたと思っていて相馬さんを慰めたりしているが、そうではない。 人事に親しくさせてもらっている先輩がいて、こっそり教えてもらったのだが掛居さんの意志でということらしい。 相馬さんとの仕事にやりがいを見出し頑張っている中でのいきなりの異動に彼女はかなり怒っていたらしい。 だけど、だからって普通席の移動なんて一社員の気持ちだけでできるもんじゃないだろ。 それを先輩にぶつけたら『世間なんて奴は……企業なんてヤツは……いろいろしがらみがあるんだよ』としか教えてくれなかった。 これで掛居さんが普通の社員でないことだけはなんとなくだけど分かった。誰か役員繋がり《縁故》の入社かもしれないと。 そんなこんなあって、相馬さんが異動先に行くまでの間、ついぞふたりが並んで親し気に談笑する姿を見ることは叶わなかった。 何より掛居さん自身が相馬さんとのことは根も葉もない噂だと火消しに回ったのでふたりが交際するとか結婚するとかの噂はすぐに鎮静化した。 念の為、相原さんとの接触はないのかとその後しばらく様子をみていたけれどそんな素振りも見受けられず、これでようやく出張っていっても少し可能性があるかもと思えたため、俺は掛居 さんにデートを申し込んでみた。
165 ところがある時、ン? と思うような現場に出くわすことになったのだ。 それもなんというか、どうしてこんなややこしいシチュエーションで 出くわすかなぁ~というような。 ある日のこと……帰りが相馬さんと同じ時間帯になり、声を掛けようと したら相原さんが娘ちゃんを抱いて出て来て、そのあとからすぐに掛居さん が続いて出て来て……それをひっそりと眺めている相馬さんがいて、 ブルブル。 何気に俺は相馬さんに声かけられなかったんだよね。 おかしいだろ? 何もないんだったらさ、相馬さん掛居さんに声かけるだろ? 『よぉ』だとか『お疲れさん』とか。 だって少し離れてたけど目の前だぜ。 掛居さんの前に相原さんが出て来たっていう状況がなければ絶対何がしか 声を掛けてただろうと思うんだよな。 それでますますおかしいのがそのまま帰宅するなら出入り口を右に行く はずなんだけど相馬さんは駐車場のある左手へ、そう相原さんや掛居さん が向かった左手方向へと出て行ったんだ。 その時俺の脳は瞬時に閃いた。 三角関係~になりそうなのか、という発想が。 あ~あ、やばいかも、益々俺の出番がぁ~ァ、 |アモーレミオ《無意味な言葉遊び》。なんのこっちゃ。 俺は彼らに気付かれないよう、大股、大急ぎで右折右折で そのあとは前進あるのみ。 駆け足で社屋から離れましたとも。 もしかすると自分はトンデモない光景を見てしまったのかもと、 就寝するまでの間やきもきして過ごした。 とにかくその後も忠実に以前より決めてある行動を……様子見、 ひたすら様子見隊であった。 結局全くの部外者の自分に3人の関係性なんてわかるはずもなく そのままひたすら様子見の日々を過ごした。 永久に様子見隊かも、などと思っていたがある日 その日《決定的な日》がきたー。
164 2月末日に辞令が下り、2週間後に相馬は新しい部署に着任した。 相馬の異動が決まり、それに伴いまことしやかに流れた相馬と自分との噂に、やはりというか、その日を境に相原からの誘いはピタっとなくなってしまい、花は寂しくてたまらなかった。 思っていた以上に心地よい相原との関係に依存してしまっていたようだ。 相原のことを好きなのだと気づかされもした。 けれど、どうすることもできず、時間だけが過ぎてゆく。 そんな中、花は夜間保育も辞めさせてもらい、社内でもなるべく相原には近づかないようにしていた。 それは自分の心を守る術でもあった。*春がきた* 春になり、新しい月が訪れ、桜見物の頃になると、花が相馬と付き合ってはいないことなどが周囲にも知れ渡るようになり、今までは相馬の存在があったことで言い寄ってこなかった他部署の真鍋祐貴という一つ年下の男性《ひと》から花はデートに誘われることになる。 ◇ ◇ ◇ ◇ 真鍋は相馬付になった掛居花のことがしばらくして気になる存在となった。 だいたいが相馬綺世のようなデキる美男子と仕事を組むとなると、大なり小なり女を出す女子社員が大半なのに花は全く違って見えたからだ。 これまでに辞めていった女子社員や遠目からいつも相馬のことを注視しているような女子社員と同じように相馬の彼女になりたいだとか、そこまでいかなくともなんとかして近づきたいとかというような、所謂下心というものを花の中に見てしまっていたら真鍋はそこで花に対する興味を失っていたかもしれない。 しかし、だからといってデートに誘うとか告白するとかをするつもりはなかった。 花は午前中は相馬とその日の打ち合わせに熱心で、その後は仕事に邁進、そして時々相馬に呼ばれてブースに入ると熱心に相馬とディスカッションをする。 それとなく何気にふたりのことを注視している周りの社員たちの前で繰り広げられるそんな光景は日々のルーティンとなっていった。 2人の関係は今日も順調だ。 ……ということは仕事だけの関係性で恋愛感情を持ち込んではいなさそうだなと確認をし、皆またその日自分たちの仕事に彼らふたりがそうであるように真摯に向き合うのだ。 おかしな話ではあるが周りをそんなふうに元気づけてくれるのが相馬と掛居 の《どうし
163「相馬さん、私相馬さんと二人三脚での仕事か充実していてすごく楽しかったです。 あと、最低でも2年は一緒にお仕事したかったです。 そしたらもっと相馬さんのこと、知れるかななんて思ってました。 でも今相馬さんがいなくなってしまったら、もう相馬さんのことを知るチャンスはなくなります。 相馬さんへの返事にはもっと時間が必要でした。 相馬さんが異動願いを出した時点でこのお話はGame Overなんです。 交際はできません。ごめんなさい」「いやいや、ちょっと待って。 勝手に異動願いを出したことは姑息だったと思うけど、俺の気持ちも分かって。 早く掛居さんと付き合いたかったから……だから」 私はいろいろ言い訳する相馬さんに深々とお辞儀をし、ブースから退出した。 私はこれまでのことを上司に話し、相馬さんが公私混同をし、自分《花》の仕事環境への配慮を怠り、自分を混乱させているということを訴えた。 またその際、自分が向阪茂の孫であることも話した。 伝家の宝刀を抜いたのだ。 その上で明日から相馬が異動のための引継ぎをする間、自分は関わりたくないので席の移動も兼ねて他の人の仕事補佐に付けてくれるよう、頼み込んだ。 花は卑怯と言われても今後徹底的に相馬を避けることを選択したのだ。 相馬のことを軽く憎んですらいるというのに、明日からどんな顔をして相馬に向かえというのだ。 翌日からは同部署の端にデスクを移動し働くようになった花に、声を掛けたくても話し掛けるな全開オーラで声を掛けられようはずもなく、傷心の相馬はその後異動までの日々をひっそりとそして淡々と引継ぎ業務をこなした。 自分の知る物腰の柔らかかった花のスルーには肝を冷やすほどの強い拒絶の意志を感じた。 引継ぎの日々、何も知らない周囲の人間から『席が離れ離れで辛いわな、もうすぐ異動で職場が離れ離れになるっていうのに、上司は何やってんだか』と可哀想がられたりするのも、相馬には苦痛の種で、曖昧に笑ってやり過ごすしかなかった。