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◇その人の名は相原清史郎 97

Author: 設樂理沙
last update Last Updated: 2025-04-26 04:14:34

97

 花は入社したばかりで相馬との遣り取りに神経をほぼ集中して過ごして

いるため、凛の父親が広い同じフロアーで仕事をしている相原清史郎だとは

気が付けないでいた。

          ◇ ◇ ◇ ◇

 短期間で相馬付きの派遣社員が立て続けに辞めてしまったことで

周囲と同様、野次馬根性を特別持っているわけではない相原清史郎も

次に着任した掛居花と相馬との仕事振りだとか仕事中の彼らの様子について

それとなく気になっていた。

 ……なので、娘のお迎えに行った時、娘を連れて彼女が目の前に現れた時

は非常に驚いた。

 表向き平静を装いつつも心の中で叫んだ第一声が

『ここで? 何してるんだ?』

だった。

 凛を受け取ろうとしたら彼女は一瞬逡巡して、奥にいた芦田さんに

何やら訊きに?

 確認のためか、足早に目の前を去って行った。

 ヌヌっ、もしや、自分は不審者と間違われたのか、参ったなぁ~。

 同じフロアーで働いているのに俺の顔は覚えてないらしい。

 呆れた。何ということ。

 待っていると芦田さんが凛を抱いて連れて来てくれていつものように

『お疲れ様です』

と労いの言葉と共に凛を渡してくれた。

 凛を片手に抱いて帰ろうとした俺の背中に彼女の声が届いた。

「失礼して申し訳ありませんでした」と。

「おぉ、ちゃんと礼儀正しい婦女子ではないか、よきよき!」

 俺は彼女に向けて片手を振り、気にするなと意思表示した。

 ちょっとかっこつけ過ぎただろうか。
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    Last Updated : 2025-04-29
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    104    夜間保育に係わるようになって3ヶ月目、秋も一段と深まり時に寒さが身に染みる季節になってきた。 あぁ、仕方がない、重い腰を上げる時がやってきたのだ。 本格的に冬物の衣類を収納ケースから取り出し、クローゼットに吊るさないとなぁ~などと花が休日の予定をぼぉ~っと考えながらまったりと寝起きのミルクティーで身体を暖めているところへ、芦田からの1通のメールが届く。 三居建設(株)の子育て支援はほんとに手厚い支援体制になっていて、子たちの親が病気になった時には保育士の手を必要としている場合、自宅訪問をしてサポートしてくれるのだとか。 芦田さんからの連絡はうちの会社ではそのような環境が整っていることの説明と今回正規雇用の保育士2人に対してHelp要請が3件入ってしまい、大変申し訳ないが可能な限り3人目のサポートに入ってほしいというものだった。 メールを読んだなら芦田さんまで電話してほしいと書かれてある。 サポート支援のことなんて今初めて聞いた。 おじいちゃんは知っているだろうか。 誰がこんなすごい制度を提案し作ったのだろう。 素晴らし過ぎるぅ~。 だけどしばし待たれよ。 私って元々保育所にいない人材でしょ。 今までは今回のようなシチュエーションはなく、無事上手く仕事が回っていたのかしら。 自分がサポーターとして社員のお宅へ出張って行けるのか行けないのか……迫られているというのにそんなふうな今まではどうしていたのだろう、なんてことばかり考えが過るのだった。 気が付くと15分ほど経過していた。 いけないっ……私は急いで芦田さんに電話を掛けた。

    Last Updated : 2025-04-29
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    105「お待たせしました、掛居です」「休日でお休みのところ、ごめんなさいね」「いえ、大丈夫です。自宅訪問の件ですが行けます。 伺う時間とサポート内容、場所、それから滞在時間の目安など教えていただけますか」「有難いわ、助かります。 詳細は後からメールで送るわね。 掛居さんに担当してもらうのは相原さんなの。 場所は……」 私は『相原』という名前を聞いた途端、頭やら耳の機能が停止してしまったようで、芦田さんの話してる言葉が何も入ってこなかった。 いゃあ~、人を差別するというか、この場合自分の好き嫌いで選別してはいけないこととは分かっているものの、先月の彼とのエレベーターでの出来事を思えば、どんな顔をしてサポートに入れるというのだ。「もしもし?」「あの、芦田さん、できれば他の人と……つまり芦田さんが訪問する予定のお宅と替わっていただけないでしょうか」「……」「掛居さんは私が受け持つ人とは面識がないし、というのもあるし、ちょっと恥ずかしいんだけど言っちゃうわね。 私、独身でしょ、だから男性のお宅へ伺ってサポートっていうのは恥ずかしくて」 それを言うなら私も独身、しかも花も恥じらう? まだ20代ですってば。「あ、掛居さんも独身だけど相馬さんとも親しくしているって聞いてるし、男性に耐性あるんじゃないかと思って」 そんなこと誰に聞いたんですかぁ~、保育所勤務なのにぃ~、噂って怖いぃ~。「付き合ってるのよね?」「いえ、付き合ってません」 えっ、私ってばそんなことになってるの、知らなかったー。 相馬さんは知ってるのかしら。「でも親しくしてるのはほんとよね?」「個人的に親しくしてないつもりですが……。 そうですね、彼の仕事を手伝ってるので職場では親しくさせてもらってます」

    Last Updated : 2025-04-30

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    98  週明け私は席に付くと、周囲を見渡した。 始業30分前、人はまだまばらなだけに凛ちゃんのパパらしき人物は 見つけられない。 15分前に珍しく寝ぐせをつけた相馬さん登場~、待ってたよ~。「おはようございます」 「おはよう~。週明け早々、元気だね掛居さん」「はぁ、まぁ、それだけが取り柄なものでぇ~って、待ってたんですよ~」「ナニナニ、僕をでしょうか?」「ええ、ええ、相馬さまをです」「ンで? 何でしょう」「あのぉ~、相原さんって男性社員の方、もしかしてこの同じフロアーに いたりしますか?」 「うん? いるよー。  えっとね、ここから数えて5つほど島を越えたところにいますよ~。 まだ知らなかったんだ、びっくりですわ」「まだまだ知らない人だらけですよ、たぶん。  相馬さんとの仕事に集中するだけで今は精一杯ですもんっ」「あっ、そうだよね、ごめん、嫌な言い方して。 それだけ僕の仕事に集中してくれてるってことで、有難いことです。  謝謝……謝謝。 相原さんのことで何かあった?」 「話せばちょっと長くなりそうなのでお昼休みに説明するね」「わかった。じゃあ、さっそく本日の業務に入りますか」「OKです。それではこの書類から整理してまとめていきますね」「助かるよ、その間僕は外回りできるので。  後少ししたら、クライアントのところまで出向く予定だから」「……ということは、1日がかりで帰社は17時頃になりますね」  相馬さんとの1日の予定のすり合わせをして週明けから、また新しい 1週間が訪れようとしていた。 始業時間になって再度私は遠目に見える島を見渡してみた。 いたーっ、凛ちゃんパパ。  ほんとにいたよ。 今日も残業で凛ちゃんは遅くまで待ちぼうけかな。 小さいのに可哀そうだな。  ……ってそんなこと考えるなんて頑張ってる親御さんに申し訳ない、 よね。 でもお父さんだと母親よりも残業が多いというイメージは払拭できない ので、やっぱり凛ちゃんが可哀そうだ。  そう思いつつ、そんな気持ちでいたのもつかの間、仕事に忙殺されて 昼休み直前になると、私はランチのことばかり考えていた。

  • 『特別なひと』― ダーリン❦ダーリン ―❦   ◇その人の名は相原清史郎 97

    97    花は入社したばかりで相馬との遣り取りに神経をほぼ集中して過ごして いるため、凛の父親が広い同じフロアーで仕事をしている相原清史郎だとは 気が付けないでいた。           ◇ ◇ ◇ ◇ 短期間で相馬付きの派遣社員が立て続けに辞めてしまったことで 周囲と同様、野次馬根性を特別持っているわけではない相原清史郎も 次に着任した掛居花と相馬との仕事振りだとか仕事中の彼らの様子について それとなく気になっていた。 ……なので、娘のお迎えに行った時、娘を連れて彼女が目の前に現れた時 は非常に驚いた。 表向き平静を装いつつも心の中で叫んだ第一声が 『ここで? 何してるんだ?』 だった。  凛を受け取ろうとしたら彼女は一瞬逡巡して、奥にいた芦田さんに 何やら訊きに?  確認のためか、足早に目の前を去って行った。  ヌヌっ、もしや、自分は不審者と間違われたのか、参ったなぁ~。 同じフロアーで働いているのに俺の顔は覚えてないらしい。  呆れた。何ということ。 待っていると芦田さんが凛を抱いて連れて来てくれていつものように 『お疲れ様です』 と労いの言葉と共に凛を渡してくれた。 凛を片手に抱いて帰ろうとした俺の背中に彼女の声が届いた。「失礼して申し訳ありませんでした」と。「おぉ、ちゃんと礼儀正しい婦女子ではないか、よきよき!」  俺は彼女に向けて片手を振り、気にするなと意思表示した。 ちょっとかっこつけ過ぎただろうか。

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