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第4話

作者: 不思議の国のアリス
シャンパンタワーに並んだグラスの半分ほどを飲まされたころには、響子が吐き戻す酒に血が混じり始めていた。

赤い発疹が肌一面に広がり、まるで無数の蟻に肌を噛まれているようだった。

腫れ上がったまぶたを無理やりこじ開けると、遅れてやってきた宮近夫妻の姿が目に入った。

苦しくてたまらず、意識もすでにもうろうとしていた。響子は思わず、実の両親の足元にすがりついた。助けてほしい、その一心で。

「お父さん……お母さん……っ」

けれど宮近夫妻には、その声が届かなかったらしい。足にすがりつかれたと気づくと、響子を蹴って足を振りほどき、そのままにこやかに萌音のそばへと歩み寄った。

「渋滞に巻き込まれて遅くなっちゃった。ごめんね、萌音。あら、どうして泣いてるの?何か嫌なことでもあった?」

蹴られた胸に鋭い痛みが走り、響子の体はまっすぐシャンパンタワーへと叩きつけられた。

次の瞬間、グラスが一斉に崩れ落ち、彼女の上に降り注いだ。ガラスの破片が四方に飛び散った。

全身に無数の切り傷を負い、響子は痛みに悲鳴を上げ続けた。

洲人は彼女を鋭く睨みつけると、冷笑を浮かべて身をかがめた。

「はっ。酒から逃げたくて、わざとやったんだろ?」

響子は必死に首を横に振った。だが洲人はまるで見えていないかのように、ガラスの破片をひとつ拾い上げ、彼女の掌に容赦なく突き刺した。

指先まで響くような激痛に、響子の顔が苦痛で歪んだ。唇を血がにじむほど強く噛みしめる。

やがて耐えきれず、響子の凄まじい悲鳴が大広間に響き渡り、いつまでも消えなかった。

刺すような痛みに、骨の髄まで響くような苦しみ、終わりのない吐き気とめまいが、一斉に押し寄せてくる。

もう耐えきれず、響子の意識は少しずつ遠のいていった。

完全に気を失う直前、彼女の目に映った最後の光景は、洲人と宮近夫妻の3人が萌音を囲み、あの手この手で笑わせようとしている姿だった。

脩平は響子の悲鳴がうるさいとでもいうように、そっと萌音の耳を塞いでいた。

どれほど気を失っていたのだろう。再び目を覚ましたとき、響子は病院のベッドの上にいた。

入院していた3日間、病室はひっそりと静まり返り、見舞いに来る者は誰ひとりいなかった。

ただ一度だけ、冴木家の大奥様、冴木富江(さえき とみえ)から電話があり、優しい声で慰めの言葉をかけてくれた。

「響子ちゃん、最近つらい思いをしてるんじゃない?ひとりで抱え込まないで、全部話してちょうだいね。あなたのおばあ様は、命を懸けて私を救ってくれた。受けた恩は必ず返す、それが冴木家の家訓なのよ。

何があっても、脩平にはあなたの良さをわからせて、きっとあなたを受け入れさせてみせるから。冴木家の孫嫁は、あなた以外に考えられないわ」

その慈しみに満ちた温かな声に、響子は胸の奥が締め付けられ、目に涙がにじんだ。

富江が心から自分を思ってくれていることはわかっている。けれど、もうここを去ると決めたのだ。響子は、自分の本当の気持ちを打ち明けるつもりだった。

ところが口を開く前に、電話の向こうから何度か咳き込む声が聞こえてきた。

響子はしばらく迷った末、やはり高級老人ホームで暮らす富江に心配をかけたくないと思い直し、体に気をつけてくださいとだけ伝えた。

電話を切ると、響子はひとりで退院の手続きを済ませた。

病院の玄関を出たところで、外で待っていた脩平の姿が目に入った。

彼は無表情で、声も冷たく硬かった。

「ついて来い」

何が起きているのかもわからないうちに、響子は腕を引かれて車に乗せられた。

それから半日ほど、脩平は彼女を連れてショッピングモールを歩き、昼食をとり、最後には映画まで観に行った。

上映を待って並んでいるとき、彼のスマートフォンが鳴った。電話を終えると、脩平の表情が険しく曇った。

「いったいどうやってたぶらかしたんだ?おばあ様があんなにお前を気に入るなんて」

さっきスマホから漏れ聞こえたのは、富江の声だった。それで響子はようやく悟った。彼は富江に言われて仕方なく来ただけなのだと。

本当は今すぐにでも帰りたかった。けれど、あの咳き込む声を思い出すと、結局ぐっとこらえるしかなかった。

90分の映画の間、脩平は5分おきに時間を確かめていた。

何度も光るスマホの画面に、隣の席の客が小声で文句をこぼし始める。

響子は唇の端をかすかに引きつらせ、ぽつりと小さくつぶやいた。

「……私と一緒にいるのが、そんなに苦痛なの?」

隣に座る脩平からの返事はなかった。

上映が終わると、出口は人波でごった返していた。

近くの店が通路にワゴンを出していたが、響子はそれに気づかず、危うくぶつかりそうになった。

それを見た脩平が、どういうわけか、思わず彼女の腕を引き寄せていた。

響子が状況を飲み込むより早く、背後から、萌音の嗚咽まじりに震える声が聞こえてきた。

「脩平……今日は用事があるって言ってたのに、この女とデートしてたの?」

ふたりが振り返ると、泣きながら走り去っていく萌音の後ろ姿と、そばで怒りに顔を染めた洲人の姿があった。

脩平の顔色が一変した。響子を力任せに突き放すと、すぐさま萌音のあとを追いかけていく。

洲人も響子を憎々しげに睨みつけてから、そのあとに続いた。

地面に倒れ込んだ響子は、擦りむけた手を見て、小さく息を呑んだ。

しばらくしてからゆっくりと立ち上がり、外へ向かって歩き出す。

通りに出たところで、声を枯らして泣きじゃくる萌音と、彼女を囲んで必死になだめているふたりの姿が目に入った。

どれだけ謝られても、萌音は聞く耳を持たない。ついには脩平を突き飛ばして駆け出した。

そのとき、1台の車が彼女めがけて突っ込んできた。

間一髪、洲人はためらうことなく萌音を安全な場所へと突き飛ばした。

だが自分は避けきれず、車にはね飛ばされ、数十メートル先まで吹き飛ばされた。

ドン、という鈍い音とともに、真っ赤な血が路面を染めた。

響子も、まさかこんなことになるとは思っておらず、その場に立ち尽くした。

30分後、医師が血のついた手のまま、慌ただしく救急処置室から飛び出してきた。

「患者さんは大量出血しています!しかもRhマイナスで、血液の在庫が足りません!どうすれば……!」

脩平は、響子もRhマイナスだったことをおぼろげに覚えていた。さっき彼女を一緒に連れてきてよかった、と内心で安堵し、すぐさま彼女の手首をつかんだ。

「お前もRhマイナスだったよな!」

響子がそれを認めると、萌音の顔からさっと血の気が引いた。思わず声を上ずらせて問い詰める。

「どうして響子まで、同じ血液型なのよ?」

響子は黙ったまま答えなかった。前の人生で、萌音が響子こそ宮近家の実の娘だと気づいたのも、彼女の血液型が洲人と同じだったからだ。そのことを、今もはっきりと覚えている。

だが脩平はそれ以上深く考えることもなく、とっさに口を挟んだ。

「お前もRhマイナスなら、今すぐ洲人に献血しろ!」

「できないわ」

響子はその場ではっきりと断った。

脩平の顔に怒りがこみ上げ、その声は霜のように冷たくなった。

「なんでだ?」

響子はじっと彼を見つめ、唇を小さく結んだ。

そして心の中で、静かにその理由を告げる。

理由は単純だった。

自分と洲人は、血を分けた兄妹なのだ。

近親者からの輸血は、命取りになりかねない――!

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