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あなたが探した妹は、あなたが炎に沈めた

あなたが探した妹は、あなたが炎に沈めた

By:  不思議の国のアリスCompleted
Language: Japanese
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再び意識が戻ったとき、和山響子(わやま きょうこ)は全身がばらばらになりそうな痛みに襲われていた。 痛みに耐えながら目を開けると、すぐ傍らには血だまりが広がり、見上げると、折り返しながら上へと続く階段が見えた。 朦朧とした意識の向こうから、かすかに人の声が降ってくる。 「萌音、聞いてくれ。響子との婚約は、家が勝手に決めたことなんだ。誓って言うが、俺はあいつのことなど何とも思っていない。この先好きになることなんて絶対にあり得ない」 「そうだよ、萌音。俺は兄貴として約束しただろ。お前を泣かせる奴は、誰であろうと許さないって。響子が目障りなのはわかってる。だからさっき階段から突き落として、たっぷり痛い目を見せてやったんだ。 脩平だってあいつのことなど放っておいて、こうしてお前を慰めてるじゃないか。だからもう泣くな。な?」 この聞き慣れた声は…… 宮近洲人(みやちか しゅうと)と冴木脩平(さえき しゅうへい)だ。 響子ははっとして、完全に意識を取り戻した。 そして、ようやく悟る。 自分は生まれ変わったのだ。しかも、まだ脩平と結婚する前に!

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Chapter 1

第1話

過ぎ去ったはずの記憶が、堰を切ったように胸の内へとあふれ出す。

前の人生で、響子は貧しい家に生まれ、幼いころから祖母とふたり、肩を寄せ合うようにして生きてきた。

16歳のとき、祖母は車にひかれそうになったひとりの老婦人を助けたものの、事故で命を落とした。

唯一の拠り所を失った響子は、その老婦人に引き取られた。「恩を返したい」と言った老婦人は、さらに実の孫の反対を押し切って、響子と脩平の婚約を強引にまとめたのだ。

こうして響子は、脩平の婚約者となった。

けれど脩平は、響子との結婚など少しも望んでいなかった。彼が心を寄せていたのは、親友である洲人の妹、宮近萌音(みやちか もね)だったからだ。

幼なじみとして共に育った脩平と萌音の絆は深く、それゆえに脩平は、この婚約をひどく疎んじていた。

やがて無理やり結婚させられてからも、響子が彼や家のために尽くしてきたことには目もくれず、終始冷たく接し続けた。

洲人もまた、妹から幸せを奪った女として、響子をことあるごとに虐げた。

萌音はなおのこと手段を選ばず、あらゆる手を尽くして響子を陥れようとした。

そしてそのたびに、洲人と脩平は迷うことなく萌音の側に立った。

萌音が「響子の運転する車にはねられた」と濡れ衣を着せたときでさえ、証拠ひとつないというのに、彼らはその言葉を微塵も疑わなかった。それどころか自分たちの立場を利用して、響子を刑務所へと送り込んだのだ。

刑務所での3年間、響子は死んだほうがましだと思えるほどの苦しみを味わった。手足は折られ、全身に傷を負い、無傷のところなどひとつも残っていなかった。

虐待の末に命を落とす寸前、萌音がわざわざ姿を見せ、勝ち誇ったように彼女を見下ろした。

そこで響子は、思いもよらぬ秘密を知らされた。

萌音がここまで自分を目の敵にしてきたのは、脩平のためだけではなかった。萌音自身が、宮近家の養女だったからだ。

宮近家が血眼になって探し続けていた実の娘、それこそが、響子だったのだ。

25年間、知らずに生きてきた出生の秘密は、こうして明かされた。

けれど響子は何ひとつ言い返すこともできないまま、獄中で無惨な最期を迎えた。

それでも神様は、彼女を見放さなかった。そう、もう一度やり直す機会を与えてくれたのだ。

今度こそ、同じ轍は踏まない。

響子が全身の痛みに耐えながら立ち上がると、萌音がふたりの男を伴って目の前に現れた。

洲人は冷たい表情で、嘲るように吐き捨てた。

「おい、恩を笠に着ていれば何をしても許されるとでも思ってるのか?萌音をいじめるなんていい度胸だな!お前が萌音と張り合う資格なんて、初めからねえんだよ!」

脩平は響子を一瞥し、感情の欠片も見せずに言った。

「無理やり決められた婚約なんてうまくいくはずがない。俺がお前みたいな女を愛することなど、永遠にあり得ない」

そう言い捨てると、ふたりは「ブランド品でも買ってやるから」と萌音の機嫌を取りながら、背を向けて去っていった。

遠ざかる背中を見つめながら、響子は傷ついた脚を引きずり、悲しげに笑った。

そこへ折悪しく通りかかった脩平の母、冴木美里(さえき みさと)が、響子の姿を見るなり蔑むような目を向け、嫌悪を隠そうともしなかった。

「まあ、またそんなみっともない姿を晒して。いい気味だわ!あんたみたいな貧乏娘、うちの脩平にはまるで釣り合わないのよ。お義母様も、いったい何を考えていらっしゃるのかしら。

おとなしく手切れ金を受け取って出ていけば、どんなに面倒がなかったか。身の程もわきまえず、いつまでも脩平にしがみついて!」

侮蔑に満ちたその口調に、響子の瞳がかすかに揺れた。知らず拳を握りしめ、口を開きかけたが、その前に美里が言葉を重ねた。

「まあ、もういいわ。今日、私が何をしに来たか、あんたにもわかるでしょう。これまでも1千万から5千万まで、そのたびに金額を引き上げて提示してやったわ。今回は1億よ。これで脩平から離れなさい!」

条件を口にしながらも、美里は心のどこかで、今回も徒労に終わるだろうと半ば諦めていた。

ところが響子は、これまでとはまるで違う反応を見せた。静かにうなずいたのだ。

「1億ですね。わかりました、お受けします」

その言葉に、美里は凍りついたように動きを止めた。

「あ、あんた……本当に、お金を受け取って出ていくつもりなの!?」

「ええ」

美里は小躍りせんばかりに喜び、すぐさま響子の手を引いて、合意書に署名するよう急かした。

署名と捺印をその目で見届けると、彼女は長い安堵の息をつき、それからまた皮肉を浴びせた。

「ふん、やっと自分の身の程を悟ったようね。あんたみたいな貧乏くさい娘が脩平のそばにいること自体、あの子の人生にとって一生消えない汚点なのよ!萌音ちゃんのような名門のお嬢様でなければ、うちの嫁にはふさわしくないの!」

その嘲りを、響子はさらりと受け流し、落ち着き払って問い返した。

「でも私、萌音さんも養女だって聞きましたけど?」

美里の目に、苛立ちがよぎった。

「どうしてそれを?萌音ちゃんが養女だろうと、あんたには関係ないことよ。宮近家の本当のお嬢様は十数年も前に行方不明になったきり、音沙汰がないの。

だからこそ、寂しさを紛らわせるために萌音ちゃんを養女に迎えたのよ。どうせ実の娘はもう戻ってこないのだから、萌音ちゃんが本物の娘も同然じゃないの!」

確信に満ちた口ぶりは、それが動かしようのない事実だと信じきっているようだった。

響子はそれ以上何も言わず、ただ目を伏せた。その胸の内で何を思っているのか、うかがい知ることはできない。

手元の合意書を眺めるうち、美里はいっそう響子が疎ましくなったらしい。

「それで、いつ消えてくれるのかしら?」

「最後にひとつ、用事を済ませたらすぐに出ていきます」

美里は眉根を寄せ、なおも何か言おうとしたが、響子のほうが先に口を開いた。

「ご安心を。お金をいただいた以上、約束は守ります。誰にも見つけられないくらい、跡形もなく姿を消して、二度とあなた方の前には現れませんから」

それを聞いて、美里はようやく満足げに去っていった。

響子もまた、一刻も無駄にはしなかった。洲人が泊まっていた2階のゲストルームへ向かい、彼が残していった髪の毛を何本か拾い集めた。

その足でDNA鑑定を扱う検査機関を訪れ、自分の検体も提出して、洲人との血縁関係を調べるよう依頼した。

「結果が出るまでには、2週間ほどかかります」

担当者にそう告げられても、響子の心に期待はひとかけらもなかった。

その答えなら、前の人生でとうに知っていたのだから。

あのころの洲人は萌音を、何も見えなくなるほど溺愛していた。

萌音のために、彼は響子を家に閉じ込め、名門大学への推薦入学の枠を譲るよう強要した。萌音のために、海に飛び込んで貝殻を拾ってこいと強いた。

そして最後には、響子を刑務所へ送り込んだあと、「たっぷり可愛がってやれ」とひと言命じ、死に至るまで虐待させたのだ……

響子がただひとつ心待ちにしているのは、自分が去ったあと、鑑定結果を手にした洲人が、響子こそ自分の実の妹だったと知ったとき、どんな顔をするのか。それだけだった。

貧しい家の生まれだから、どんな仕打ちを受けても自業自得だと彼が思っているのなら、思い知らせてやればいい。いったい誰がこの悲劇を招いたのかを。

脩平だって同じだ。

自分の幸せを邪魔する存在だと思うのなら、望みどおり、離れてあげる。

この人生では、婚約者も兄も、もうどちらもいらない!

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第1話
過ぎ去ったはずの記憶が、堰を切ったように胸の内へとあふれ出す。前の人生で、響子は貧しい家に生まれ、幼いころから祖母とふたり、肩を寄せ合うようにして生きてきた。16歳のとき、祖母は車にひかれそうになったひとりの老婦人を助けたものの、事故で命を落とした。唯一の拠り所を失った響子は、その老婦人に引き取られた。「恩を返したい」と言った老婦人は、さらに実の孫の反対を押し切って、響子と脩平の婚約を強引にまとめたのだ。こうして響子は、脩平の婚約者となった。けれど脩平は、響子との結婚など少しも望んでいなかった。彼が心を寄せていたのは、親友である洲人の妹、宮近萌音(みやちか もね)だったからだ。幼なじみとして共に育った脩平と萌音の絆は深く、それゆえに脩平は、この婚約をひどく疎んじていた。やがて無理やり結婚させられてからも、響子が彼や家のために尽くしてきたことには目もくれず、終始冷たく接し続けた。洲人もまた、妹から幸せを奪った女として、響子をことあるごとに虐げた。萌音はなおのこと手段を選ばず、あらゆる手を尽くして響子を陥れようとした。そしてそのたびに、洲人と脩平は迷うことなく萌音の側に立った。萌音が「響子の運転する車にはねられた」と濡れ衣を着せたときでさえ、証拠ひとつないというのに、彼らはその言葉を微塵も疑わなかった。それどころか自分たちの立場を利用して、響子を刑務所へと送り込んだのだ。刑務所での3年間、響子は死んだほうがましだと思えるほどの苦しみを味わった。手足は折られ、全身に傷を負い、無傷のところなどひとつも残っていなかった。虐待の末に命を落とす寸前、萌音がわざわざ姿を見せ、勝ち誇ったように彼女を見下ろした。そこで響子は、思いもよらぬ秘密を知らされた。萌音がここまで自分を目の敵にしてきたのは、脩平のためだけではなかった。萌音自身が、宮近家の養女だったからだ。宮近家が血眼になって探し続けていた実の娘、それこそが、響子だったのだ。25年間、知らずに生きてきた出生の秘密は、こうして明かされた。けれど響子は何ひとつ言い返すこともできないまま、獄中で無惨な最期を迎えた。それでも神様は、彼女を見放さなかった。そう、もう一度やり直す機会を与えてくれたのだ。今度こそ、同じ轍は踏まない。響子が全身の痛みに耐えながら立
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第2話
鑑定の手続きを終えると、響子はその足で病院へ向かった。体の傷を手当てしてもらうためだ。ところが診察を待つために腰を下ろした途端、看護師が慌ただしく入ってきて、響子に帰るよう告げた。「申し訳ありません。先ほど足をくじいた患者さんがいらして、その恋人の方がひどく心配なさって……病院を貸し切るような形になってしまったんです。今はほかの患者さんの診察ができなくて」まさかこんな間の悪いことになるとは思わず、響子は仕方なく席を立った。隣の病室の前を通りかかったとき、中から洲人の声が聞こえてきた。「なあ脩平、いくら何でもちょっとした怪我で病院を貸し切るなんて、大げさじゃないか?」「萌音は体が弱いんだ。少しの痛みにも耐えられない。俺はただ、あいつを何不自由なく甘やかして、世界で一番いいものを与えてやりたいだけさ」脩平の甘い声に、洲人は何かを思い出したのか、ふっと表情を曇らせた。「……俺の実の妹も、痛みに弱い子だったよ。小さいころから、俺と両親で宝物みたいに大事に育ててきた。俺のせいで、あの子は7歳のときに迷子になって、それきり行方がわからなくなった。ここ何年も、俺はずっと罪悪感に苛まれてる。毎晩のように、あの子が泣きながら『お兄ちゃん』って俺を呼ぶ夢を見るんだ。いっそ死んで償いたいとさえ思うほどだった。うちの親が萌音を養女に迎えてからは、妹への想いも、償いの気持ちも、全部萌音に注いできた。そうやって、これまで何とか耐えてきたんだよ」黙って耳を傾けていた脩平も、小さくため息をこぼした。「……俺だって、同じだよ」「どういうことだ……?」驚いたように向けられた洲人の視線に、脩平は目を伏せ、胸の内に渦巻く感情を隠した。「お前の実の妹は、俺も小さいころからずっと見てきた子なんだ。本当に可愛くてさ。いつも嬉しそうに駆け寄ってきて、『脩平お兄ちゃん』って呼んでくれるたびに、心の中でこっそり誓ってたんだ。大きくなったらこの子を嫁にもらって、一生守ってやるってな。あの子がいなくならなければ……本来あの子に向けるはずだった愛情を、全部萌音に注ぐこともなかったんだろうな」ふたりは顔を見合わせたまま、黙り込んだ。重苦しい沈黙が流れた。しばらくして、洲人がようやく低い声で言った。「……必ず見つけ出して、家に連れて帰る」脩平は
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第3話
それから2日後、萌音の誕生日を迎えた。誕生日の晩餐会は古城のような館で開かれた。大広間は金色にきらめき、花の飾りつけからバースデーケーキに至るまで、細部にまで趣向が凝らされている。招かれた客は名士や富豪ばかりだったが、その彼らでさえ、この宴には思わず感嘆の声を漏らした。「この花、全部洲人様が今朝、わざわざ空輸で取り寄せたんですって。萌音お嬢様が甘いものがお好きだからって、脩平様は王室御用達のパティシエまで呼び寄せたそうよ。なんて心のこもったお祝いかしら!」「こんなに大事にされるのは萌音お嬢様くらいよ。宮近家と冴木家の御曹司おふたりに、蝶よ花よと可愛がられて。ただのお誕生日なのに、ほかの人じゃ到底真似できない盛大さだわ!」「本当よねえ。それに比べて、どこかのみっともない貧乏娘ときたら。こんな格式ある席に、まともなドレスの1着も用意できないなんて。恥ずかしくないのかしら!」人々はひそひそと囁き合いながら、広間の隅に立つ響子に蔑むような視線を投げた。響子はうつむき、自分の着ているドレスに目を落とした。成人のお祝いに、脩平の祖母――冴木家の大奥様が贈ってくれたものだ。袖を通したのはたった3回。大切にしてきたから、今でも新品同様に見える。けれど、金を湯水のように使うこの人たちの目には、みすぼらしい安物にしか映らないのだろう。それでも響子は恥じる様子もなく、背筋を伸ばして堂々と立ち、何も聞こえないふりをした。時は刻々と過ぎ、宴はプレゼントを贈る時間へと移った。洲人が贈ったのはプライベートクルーザー。脩平はある星雲の命名権を手に入れ、「萌音」と名づけた。会場じゅうから羨望のため息が上がる。萌音は頬を染めて脩平を見つめ、恥じらうように口を開いた。「脩平、もしもうひとつおねだりしたら……聞いてくれる?」脩平は甘やかすような眼差しを彼女に注いだ。「何が欲しくたって、全部お前にやるよ」萌音はもう遠慮することなく、彼の首元を指さした。「じゃあ、それが欲しい!」その指先を追った響子の目に、小さな銀のペンダントが映った。響子の瞳が、かすかに揺れた。婚約が決まったその日から、響子は脩平にいくつも贈り物をしてきた。けれど彼は、そのどれひとつとして気に入らず、ろくに目もくれなかった。ただひとつ、この銀のペンダント
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第4話
シャンパンタワーに並んだグラスの半分ほどを飲まされたころには、響子が吐き戻す酒に血が混じり始めていた。赤い発疹が肌一面に広がり、まるで無数の蟻に肌を噛まれているようだった。腫れ上がったまぶたを無理やりこじ開けると、遅れてやってきた宮近夫妻の姿が目に入った。苦しくてたまらず、意識もすでにもうろうとしていた。響子は思わず、実の両親の足元にすがりついた。助けてほしい、その一心で。「お父さん……お母さん……っ」けれど宮近夫妻には、その声が届かなかったらしい。足にすがりつかれたと気づくと、響子を蹴って足を振りほどき、そのままにこやかに萌音のそばへと歩み寄った。「渋滞に巻き込まれて遅くなっちゃった。ごめんね、萌音。あら、どうして泣いてるの?何か嫌なことでもあった?」蹴られた胸に鋭い痛みが走り、響子の体はまっすぐシャンパンタワーへと叩きつけられた。次の瞬間、グラスが一斉に崩れ落ち、彼女の上に降り注いだ。ガラスの破片が四方に飛び散った。全身に無数の切り傷を負い、響子は痛みに悲鳴を上げ続けた。洲人は彼女を鋭く睨みつけると、冷笑を浮かべて身をかがめた。「はっ。酒から逃げたくて、わざとやったんだろ?」響子は必死に首を横に振った。だが洲人はまるで見えていないかのように、ガラスの破片をひとつ拾い上げ、彼女の掌に容赦なく突き刺した。指先まで響くような激痛に、響子の顔が苦痛で歪んだ。唇を血がにじむほど強く噛みしめる。やがて耐えきれず、響子の凄まじい悲鳴が大広間に響き渡り、いつまでも消えなかった。刺すような痛みに、骨の髄まで響くような苦しみ、終わりのない吐き気とめまいが、一斉に押し寄せてくる。もう耐えきれず、響子の意識は少しずつ遠のいていった。完全に気を失う直前、彼女の目に映った最後の光景は、洲人と宮近夫妻の3人が萌音を囲み、あの手この手で笑わせようとしている姿だった。脩平は響子の悲鳴がうるさいとでもいうように、そっと萌音の耳を塞いでいた。どれほど気を失っていたのだろう。再び目を覚ましたとき、響子は病院のベッドの上にいた。入院していた3日間、病室はひっそりと静まり返り、見舞いに来る者は誰ひとりいなかった。ただ一度だけ、冴木家の大奥様、冴木富江(さえき とみえ)から電話があり、優しい声で慰めの言葉をかけてくれた。
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第5話
頑なに拒み続ける響子に、脩平はついに激昂した。もはや言い争うのも面倒になったのか、ボディーガードを呼び、彼女を採血室へと引きずり込ませた。鋭い針が肌に突き刺さる。暗赤色の血が絶え間なく流れ出し、採血バッグにたまっていく。響子は指の関節が白くなるほど拳を握りしめ、必死にもがき続けた。「言ったでしょう、私の血は洲人には使えないって!」脩平は目を険しく細め、有無を言わさぬ口調で告げた。「使えるかどうかは医者が決めることだ。今日、洲人があんな目に遭ったのは、お前にも責任がある。たとえ使えなくても、これはお前が受けるべき当然の罰だ!」響子は胸が詰まり、何を言っても無駄なのだと悟った。400ミリリットルの採血を終え、看護師が手を止めようとしたそのとき、萌音の憤った声が飛んできた。「ちょっと!うちのお兄ちゃんはね、あんなに血を流したのよ?これっぽっちで足りるわけないでしょ。続けて!」看護師はひどく困った顔で説明した。「すでに400ミリリットル採っています。これ以上は危険です」けれど萌音は意に介さず、脩平の腕にしがみついた。「響子はここ何年も、脩平の家に居候させてもらって、養ってもらってきたんだよ?少し血を分けるくらい、当然の恩返しでしょ。何が危険だっていうのよ!」それでも看護師は、続けることをためらっていた。その様子を見て、脩平は眉間に深い皺を刻み、すぐに決断を下した。「続けてくれ。何かあれば、俺が責任を取る」新たに取り付けられた採血バッグを見つめ、響子は泣き顔よりも痛々しい笑みをこぼした。こみ上げる悲しみを無理やり飲み込み、そっと目を閉じて、胸の内に渦巻く感情を隠した。採血が進むにつれ、血の流れは次第に遅くなり、響子は激しいめまいと脱力感に襲われた。どれほど時間が経ったのだろう。看護師が採血バッグを手に戻ってきた。その表情は険しかった。「確認しましたが……この血液は、洲人さんへの輸血には使えません」脩平は耳を疑った。使えない。なぜだ?まさか……響子がさっき言っていたことは、本当だったのか。けれど、洲人は今も手術台の上で救命を待っている。深く考えている暇はなかった。脩平は顔色を変え、すぐさまスマホを取り出して、市内の血液センターに緊急連絡を入れた。電話をかけながら萌音を連れて出てい
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第6話
ドアが音を立てて閉まると同時に、ボディーガードが響子を押さえつけ、無理やり床にひざまずかせた。目を覚ましたばかりの洲人が、彼女を一瞥して冷ややかに言い放つ。「萌音に10回頭を床につけて謝れ。自分が悪かったと言うんだ。そうすれば、今回のことは許してやる」あまりの馬鹿馬鹿しさに、響子は自嘲気味に笑った。「……私は何もしていないわ。どうして謝らなきゃいけないの?」洲人の表情がみるみる険しくなった。「お前が身の程知らずにも脩平を狙わなければ、脩平と萌音は引き裂かれずに済んだんだ!萌音が毎日泣くことも、家を飛び出して事故に遭いかけることもなかった!俺があのとき突き飛ばしてなかったら、今ここで寝てたのは萌音だったんだぞ!もともと萌音のものだった場所に、お前が割り込んだんだ。何もかも萌音から奪っておいて、謝ろうともしないのか!」それを聞いた響子は、宮近夫妻、洲人、そして脩平へと順に視線を巡らせ、涙がにじむほど笑った。「萌音さんは、血の繋がらないただの養女なんでしょう?養女にそこまで尽くして……いつか本当の娘さんが見つかったとき、その子がどれほど傷つくか、考えたことはないんですか?」萌音の顔が真っ青になった。唇をわなわなと震わせたかと思うと、わっと声を上げて泣き出す。洲人の父、宮近智史(みやちか さとし)は顔を真っ赤にし、響子に詰め寄るなり、思いきり頬を張り飛ばした。乾いた音が響いた。響子の頬はみるみる腫れ上がり、口の端から血がにじんだ。洲人の母、宮近満子(みやちか みちこ)も取り乱し、ボディーガードに命じて響子の首を押さえつけさせ、額を床に打ちつけるようにして無理やり謝らせた。その声には憎しみがこもっていた。「あんたに口出しする資格なんてあるの!?確かに萌音は養女よ。でもね、私たちはここ何年も、あの子を実の娘として育ててきたの。赤の他人のあんたに、好き勝手言われる筋合いはないわ!」洲人も手元のコップをつかみ、響子に向かって力いっぱい投げつけた。「俺の妹を悪く言うことは、誰にも許さない!響子、自分の立場をわきまえろ!宮近家のことに図々しく口を出す資格なんて、お前にはない!」脩平は萌音を抱きしめてなだめながら、響子には嫌悪に満ちた眼差しを向けた。「お前と無理やり婚約させられたあの日から、ずっと息が詰まる思いだ
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第7話
10回の屈辱的な土下座が終わると、ボディーガードはまるでゴミでも捨てるように、響子を部屋の外へ放り出した。響子はひとり床に横たわったまま、体についた血がすっかり乾く頃になって、ようやくわずかに力が戻ってきた。やっとの思いで身を起こし、よろめきながら階段を下りて、傷の手当てを受けた。それから数日、響子は病院で少しずつ体を休めた。その間も、萌音は何かにつけて挑発的なメッセージを送りつけてきた。写真の中では、脩平が料理を取り分けて萌音の前にそっと置いていた。その表情には、隠しきれない優しさがにじんでいる。洲人は萌音が退屈しないようにと、病み上がりの体に鞭打って買い物に付き合っていた。宮近夫妻は萌音を安心させるため、財産の半分を彼女に譲るという遺言書まで作成していた。次々と届く写真を眺めても、響子の心はもう何も動かなかった。あまりにも多く傷つけられすぎたせいかもしれない。鑑定結果が出れば、この人たちは血の涙を流すほど後悔することになる。それがわかっていたからだ。けれどそのころには、自分はもう彼らの人生から消えていて、二度と姿を見せることはない。退院すると、響子は高級老人ホームへ足を運んだ。響子を見た富江は、慈愛に満ちた笑みを浮かべた。「あら、どうしてひとりで来たの?脩平は一緒じゃないの?」響子は一瞬言葉に詰まった。富江を悲しませたくなくて、さりげなく話題をそらす。「おばあ様に会いたくなって、顔を見に来たんです」富江は響子の手を握り、近ごろの様子をあれこれと気にかけて尋ねてくれた。細やかな心遣いのひとつひとつに、響子の胸は温かくなり、同時に切なさがこみ上げてきた。しばらく他愛のないおしゃべりに付き合っていると、富江は疲れたのか、うとうとと眠りに落ちてしまった。富江の肩まで布団をそっと掛け直してから、響子は持参した箱から真珠のネックレスを取り出し、静かにテーブルの上に置いた。脩平との婚約が決まったとき、富江が響子に譲ってくれたものだ。冴木家の嫁として認め、祝福してくれた証でもあった。でも今の自分には、もう必要のないものだ。眠る富江の顔を最後にもう一度見つめてから、響子は名残を惜しむように部屋をあとにした。しかしドアを開けた途端、ちょうど入ってこようとした脩平と鉢合わせした。彼女を見る
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第8話
萌音は得意げに響子を見つめ、ちらりと時計に目をやった。その顔に、ずる賢そうな笑みが一瞬浮かんだ。その表情を見逃さなかった響子は、嫌な予感がして、冷や汗が一気に噴き出た。何が起きるか悟るより早く、背後のドアが開いた。萌音はぱっと立ち上がると、合意書を手に、ちょうど帰ってきた脩平と洲人のもとへ駆け寄った。その声は弾んでいた。「ねえ脩平、見せたいものがあるの……」その動きを見て、響子の胸がひやりと縮んだ。真っ先に考えたのは、あの合意書を取り返すことだった。もし脩平と洲人がこれを目にすれば、計画は狂い、予定どおりここを去ることはできなくなる。だから響子は、とっさに決断した。合意書を奪い、その場で火をつけたのだ。合意書が炎に包まれた瞬間、萌音はわざと響子の脚にぶつかり、自ら後ろへと倒れ込んだ。萌音が転んだのを見て、洲人と脩平は血相を変えて駆け寄ってきた。洲人は響子を床に突き飛ばし、脩平は萌音を抱き起こして、怒りに燃える目を向けた。「この狂った女、よくも萌音を傷つけたな!今日萌音に何かあったら、絶対に許さないからな!」「俺たちの目の前で手を出すとはな。響子、どこまで狂えば気が済むんだ!」ふたりの罵声が同時に響く中、萌音は火に当たって赤くなった指を掲げ、ぽろぽろと涙をこぼしてみせた。爪ほどの大きさしかない、ほんのり赤くなった肌を見ただけで、脩平の目には痛ましさがこぼれんばかりにあふれた。洲人に至っては怒りで完全に我を忘れ、響子の髪を鷲づかみにすると、燃え盛る火の中へ、力任せに押さえつけた。橙色の炎が一気に燃え上がり、響子の髪や服へと燃え移った。「ああっ……!」黒い煙が立ちのぼり、あたりには焦げた匂いが広がっていく。火に焼かれた肌が真っ赤になり、響子はあまりの痛みに床を転げ回った。響子の絶叫が、屋敷じゅうに響き渡った。それでも脩平は、萌音の指にそっと息を吹きかけてやるばかりで、響子の苦しみなど見向きもしない。洲人も、自業自得だと冷たく見下ろし、一片の同情すら見せなかった。彼は身をかがめ、燃え残った紙片を拾って確かめようとした。そのとき、洲人の視線が響子の二の腕に留まった。そこに、生まれつきのあざがあった。ひと目見た瞬間、洲人は大きく目を見開き、弾かれたように立ち上がった。「……ど
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第9話
傷の手当ては受けたものの、火傷の痛みがあまりにひどく、響子は眠ることができなかった。まんじりともできないまま、無理に体を起こして、ゆっくりと荷物をまとめ始めた。ひと晩かけて、脩平に関わるものをすべて探し出した。贈っては突き返された何十もの贈り物、自分の手で編んだマフラー、彼の胃の病気のために買った薬……それらを段ボール箱に詰めて、ひとつ残らず捨てた。ちょうど帰ってきた脩平が、それを見て一瞬、目を留めた。「今度は何をしてるんだ?」響子は額の汗をそっと拭い、ひどく弱々しい声で答えた。「いらないものを、全部捨ててるだけ」脩平の顔色がわずかに変わった。なぜか胸の奥に苛立ちがこみ上げてきた。彼はその苛立ちを、響子が萌音を気絶させたことへの怒りだと思い込み、さらに声を冷たくした。「最後に一度だけ警告する。二度と萌音を傷つけるな。さもないと、どうなっても知らないぞ!」どうなると言うのだろうか。刑務所に入れられて、なぶり殺しにされる、ということ?それなら、前の人生でもう十分に味わった。響子はうつむき、自分の体の傷を見つめた。そして、喉の奥から、聞き取れないほどかすかな声で答えた。「……もう、二度とないわ」そう言って自分の部屋へ戻ろうとしたとき、脩平に呼び止められた。「そういえば……お前の体に、あざがあるはずじゃないのか?」響子は足を止め、振り返って静かに彼を見つめた。その声は冷めきっていた。「いいえ、ないわ」あのあざは、宮近家とつながる最後の痕跡だった。それももう、あの炎の中で跡形もなく消えてしまった。その答えを聞いて、脩平はなぜかほっと胸をなで下ろした。やっぱり、昨日は自分の見間違いだったんだ。響子が洲人の行方知れずの妹だなんて、そんなことがあるはずがない。この世に、そんな偶然があってたまるか。翌朝、響子は階下の物音で目を覚ました。ドアを開けると、年配の執事が使用人たちに言い聞かせている声が聞こえてきた。「今日はいつもとは違う日だ。みんな気を引き締めて仕事にかかりなさい。粗相のないようにな」新しく入った家政婦が、好奇心を抑えきれずに尋ねた。「今日は何かあるんですか?」「今日は、洲人様の実の妹君が行方不明になった日なんだ。脩平様も洲人様も、毎年この日になる
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第10話
宮近家の旧邸。古い屋敷は長い年月を経て、いっそう静けさを増し、苔むした塀と黒い瓦屋根のあいだから、積み重なった歳月の重みがにじみ出ている。庭では数本の古い梅の木が寒風に揺れ、枝先にぽつりぽつりと咲いた白梅が、静かなため息を漏らしているかのようだった。脩平と洲人は肩を並べて旧邸に入った。後ろに続く数人の使用人の手には、大小さまざまな贈り物の箱が抱えられている。宮近夫妻はすでにリビングで待っており、ふたりが入ってくるのを見ると、なんとか笑みを作ってみせた。「父さん、母さん」洲人が低く呼びかけた。その声は重く沈んでいた。満子はうなずき、贈り物の箱に目をやると、目を潤ませた。「今年もまた、この日が来たのね……もう何年も経つのに、あの子がどこにいて、元気に暮らしているのかもわからないなんて……どうして……こんなに何年も、どうしてあの子は見つからないの。もしかして……あの子はもうこの世には……」「そんなはずない!」洲人がはっと顔を上げた。その声には縋るような響きがあった。「あの子は絶対に生きてる。俺が必ず見つけ出す!」脩平はそばに立ち、贈り物の箱を重い眼差しで見つめていた。その表情には複雑な思いがにじんでいた。彼は唇を軽く結び、低い声で言った。「……洲人の言うとおりです。俺たちは必ず、あの子を見つけます」満子も、実の娘がもうこの世にいないなどとは、到底考えたくなかった。慌てて目元の涙を拭い、無理に微笑んでみせる。「そうね。私の大事な娘は、きっとどこかで元気に生きてるわ。さあ、贈り物を中へ運んでちょうだい。いつもどおり、あの子の部屋にね」洲人はうなずき、使用人たちを連れて2階へ上がった。長いあいだ閉ざされていたドアを開けると、部屋の中はすべてが十数年前のままだった。ピンク色のお姫様ベッド、壁一面に並んだ人形たち、勉強机に飾られた写真立て……何もかもが、7歳の女の子がいなくなったあの瞬間のまま、時を止めているかのようだった。洲人は戸口に立ち尽くし、枕元の古びたうさぎのぬいぐるみに目を留めた。ごくりと喉を鳴らし、かすれた声で言った。「あの子、このうさぎがいちばんのお気に入りだったんだ。小さいころは、いつもこいつを抱いて眠ってた……」脩平は彼の隣に歩み寄り、そっとうさぎのぬいぐるみを撫でた。その表情には悲し
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