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離婚は出来ない

Author: 雫石しま
last update Last Updated: 2025-10-03 03:37:44

漆黒の金沢港から金沢駅西へと向かう一直線の道路は、車もまばらで、信号機は全て青色で交差点を滑らかに通り過ぎた。低いエンジン音が響く車内で、木蓮は窓の外に流れる街灯とネオンの光をぼんやり眺めた。この静かな空間がもう少し長く続けば良いのに……そんな思いが、彼女の心をそっと包んだ。田上伊月のセダンは、夜の金沢を静かに走り、アクアブルーのフェリーターミナルが遠ざかった。後部座席には、胡桃色のティディベアが無垢な瞳で座り、淡い桜色の母子手帳がショルダーバッグに収まっていた。木蓮は腹に手を当て、双子の鼓動を感じながら、睡蓮の「将暉は私のもの」という叫びや、割れた玉子の残骸、包丁を握った危うい瞬間を遠く感じた。

田上はバックミラー越しに、車窓を眺める木蓮の横顔を窺い見た。カウンセリングルームの白衣を脱いだ彼にとって、今の木蓮は患者ではなく、一人の壊れそうな女性だった。彼女の胡桃色の髪と、幼い少女のような横顔に、胸にあたたかなざわめきが広がった。それはカウンセラーとしての枠を超えた、純粋な保護欲だった。木蓮の孤独……睡蓮の裏切り、将暉との愛のない結婚、双子の未来への不安……を知る彼は、彼女を救いたいと願った。田上のハンドルを握る手に力が入った。

やがて静かな住宅街に、田上伊月のセダンが滑り込んだ。街灯の柔らかな光が車を照らし、夜の静寂がエンジン音を優しく包んだ。彼は後部座席のドアを静かに開け、木蓮を優しくエスコートした。木蓮はお腹に手を当て、双子の鼓動を感じながら、ゆっくりと車から降りた。田上のさりげない気遣いが、彼女の凍てついた心を温かく溶かした。「ありがとうございました」木蓮は胡桃色のティディベアを胸に抱き締め、深々とお辞儀をした。その無垢な瞳のぬいぐるみは、幼い頃の睡蓮との確執を思い起こさせたが、今、田上の存在が

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Comments (1)
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ウサコッツ
全部ネットに暴露して 離婚訴訟起こすとか 将暉と睡蓮の不倫を暴露して 和田の信頼とか地に落とししまえばいいのに 権利あるから不倫も同棲も 勝手にやるんだよ 愛人より奥さんや子供優先できない クズに制裁が必要 愛人も制裁されるべき
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