ログイン夕方。 仕事を終えた私たちは、和食の料亭に場所を移動した。 お父様は急な来客対応が入ってしまったらしく、謝罪と共に後から合流する旨の連絡をもらった。 苓さんの運転する車で料亭にやって来た私たち。 料亭の駐車場で車を降りた私の目に、ある車が飛び込んで来た──。 「──ぁ」 「茉莉花さん?」 突然立ち止まった私に、隣を歩いていた苓さんが不思議そうに視線を向けてくる。 どうしよう、こんな場所でまさか御影さんの車をみかけるなんて──。 しかも、普段利用している会社への通勤に使っている車じゃなくて、完全な私用車。 それを使っているって事は、恐らく涼子もいる。 お店が被ってしまうとは。 お店の中は広いとは言え、もし鉢合わせたら気まずい思いをするのは明白。 それに、この後お父様も来る。 お父様は確実に嫌な気持ちになるだろう。 「苓さん」 私は苓さんに向き直り、御影さんの車がある事を伝える事にした。 「……御影さんの車があるんです。恐らく、速水涼子も一緒だと、思います」 「……本当ですか?」 御影さんと、涼子の名前を聞いた瞬間、苓さんの視線が鋭い物に変わる。 苓さんは、以前私が御影さんに怪我をさせられてしまった事を怒ってくれた。 だからその時の事を思い出し、それと同時に怒りの感情も思い出したのかもしれない。 「どうしましょうか。お店を変えますか?」 「でも……この後お父様も来られるんですよね?彼らと会っても、ただの顔見知り程度ですから軽く挨拶をして済ませればいいのでは……?」 「苓さんは、嫌な気持ちになりませんか?」 「彼が茉莉花さんに近付いて来ようとしたら、俺が守りますから大丈夫ですよ。嫌な気持ちにはならないです。でも、茉莉花さんが嫌な気持ちになるなら、店を変えましょう」 私の事を心配してくれる苓さん。 私が嫌な気持ちになるなら、とお店を変更してもいいと言ってくれる苓さんの優しさに、私は自然と笑みを浮かべた。 「いえ、私も今はもう気にしてません。御影さんに会っても、何とも思いません。私には、大好きな人がもういますから」 そう話しつつ、最後の方は自分の顔が熱くなっていくのが分かる。 きっと今、私の頬は薄っすらと赤く染まっているだろう。 その証拠に、私がそっと苓さんから顔を逸らしたのに、苓さんは嬉しそうににこにこと満面
あれから、数日。 会社で志木チーム長と会っても、あの時の事は話題には上がらない。 仕事の打ち合わせをして、無駄な会話を徹底的に避けている志木チーム長に、私は彼に悪い事をしてしまったと後悔していた。 これ以上は、志木チーム長にあの件について話を聞く事は難しそう……。 そう考えつつ、日々仕事をこなしていると、そんなある日。 廊下を歩いているとお父様に声をかけられた。 「藤堂本部長」 「社長、何かご用ですか?」 お父様の傍には、あの日助けてくれた秘書の上尾さんがいて、彼は軽く私に頭を下げてくれた。 そんな彼に私も笑みを浮かべ、軽く頭を下げて返す。 「今日、取引先と打ち合わせがある。取引先の中には小鳥遊建設の小鳥遊部長もいる。彼が打ち合わせの後に何も予定が無ければ食事に誘おうと思っているんだが……。本部長の今日の予定はどうだ?」 「──!本日、急ぎの案件はございません。ご一緒いたします」 「そうか。なら、和食の料亭を手配してもらってもいいか?」 「かしこまりました、社長」 廊下での立ち話。 廊下には、他の社員の目もある。 だから普段のような砕けた口調では話せないけど、お父様の言う食事とは、先日言っていた件だろう。 私はさっと頭の中で良さそうな料亭をいくつかピックアップして、すぐに予約を取ろうと考えた。 「じゃあ、頼んだぞ。また連絡する」 「かしこまりました」 お父様が去って行くのを、頭を下げて見送る。 今日、苓さんがこの会社に来るんだ。 そう考えると、この後の仕事にも普段よりやる気が満ちてきて、現金なものね、と私は内心くすりと笑った。 夕方。 私の本部長室の扉をノックする音が聞こえた。 チームの誰かだろうか。 そう思い、私は扉に向かって声をかける。 「どうぞ」 「──失礼します、茉莉花さん」 「……苓さんっ!?」 てっきりこの会社の誰かだろうと思っていたけど、扉を開けて姿を見せた苓さんに、私は思わずデスクから立ち上がった。 扉を閉め、歩いてくる苓さんに私もデスクから離れ、苓さんに近付く。 「今日、うちの会社に来られていたんですね?」 「ええ。カフェ事業の打ち合わせです。使用する資材や内装に関しての話を少し」 「もうお仕事は終わったんですか?」 「はい。藤堂社長が、茉莉花さんの部屋で待っていてくれればい
スマホの向こうから、苓さんの低くて艶のある声が耳に届いた。 「こんばんは、苓さん」 軽くカーディガンを羽織り、窓際まで歩いて行く。 窓からは雲がかかり、朧月が幻想的で、ついつい私は窓に手を添えた。 もしかしたら、苓さんも今空を見ているかもしれない──。 同じように、こんな風景を見ていたら、と考える。 私がそんな事を考えていると、苓さんがふと言葉を発した。 「そうなんですね?いえ、気にしないでください苓さん。少しでも手がかりが掴めれば、と思っただけなので……」 そこまで話して、私は今日会社で志木チーム長が口にした言葉を思い出し、慌てて言葉を続けた。 「そ、そうだ苓さん……!今日、志木チーム長が言ってたんですが、その同僚さん……既に亡くなっているそうです……」 「ええ、そうなんです。それに、これ以上の事を志木チーム長に聞くのも……多分難しいと思います。昔の事を、思い出したくないような様子で」 そこで私たちの会話が気まずげに途切れてしまう。 何か、他の話題を。 そう考えた時、私は苓さんに伝えなければいけない事を思い出した。 「そっ、そうだ苓さん……!あのっ、すみません……父に、私たちがお付き合いをしている事がバレてしまいました……」 苓さんの驚いたような声が聞こえる。 ぎょっとしたような苓さんの声なんて、殆ど聞いた事がなくって。
「こんな話……とてもじゃないが、茉莉花さんに話せない……」 今日、谷島との話が終わったら。 茉莉花さんに電話をして、話した内容を共有しようと思ってた。 だけど、とてもじゃないが今の話を茉莉花さんに話すなんて、出来るわけがない。 谷島も、俺の考えには同意なのだろう。 こくりと頷いた。 「ああ。被害者家族に話すのはまだやめておいた方がいい。……憶測で、苦しめるのは良くない。話すのははっきりとしてから、だな」 「そう……だよな」 「ああ。この件は、俺も協力する。親父に聞けば、何か分かるかもしれない。少し時間をくれ。だけど、小鳥遊。お前は下手にこの件に首を突っ込むなよ」 「ああ、分かったよ。俺だって命は惜しい。下手に動かないさ」 「ああ、そうしてくれ。この件で分かった事があればすぐに連絡する」 谷島の言葉に、俺は「頼んだ」と返す。 それからの俺たちは、食事を終え、その料亭を後にした。 駐車場でそれぞれ運転代行を呼び、その場で別れた。 代行が車を運転している中、俺は後部座席で今日谷島と話した内容を頭の中で整理する。 交通事故の被害者は、茉莉花さんのお母様だった。 そして、お母様を轢いたのは、茉莉花さんの会社にいる同じチームの人間が勤めていた、以前の職場の同僚。 そして、その元同僚は逮捕後、何らかの理由で死亡している。 それに──どうやら、茉莉花さんの会社にいる、同じチームの人間はその事実を知っていた、ようだ。 そして、その件が原因で前職をクビになった……? しかも、転職活動にまで手を回されていた? だが、茉莉花さんの家、藤堂家が経営するこの会社には、手を回す事が出来なかった。 と、すると事件を隠したかった人間は、茉莉花
「──なん、そんな……」 俺は、谷島の言葉に唖然として言葉が詰まってしまう。 そんな事をしたやつが、いるのか? しかも、茉莉花さんのチームにいるチーム長が勤めていた前職場に? 「まあ、現場の記録を見て……俺がそう考えただけで、真実かどうかは分からない。だが、取ってつけたような供述や検証写真……杜撰過ぎる。……考えたくはないが、当時こちら側の人間に金を握らせて……殺人を交通事故で処理させた……そう考えるのが妥当だろう」 「ちょ、ちょっと待ってくれ……。そんな事を俺に話してしまって大丈夫なのか!?」 「……俺の考えを口にしてるだけだ。本当にそうなのかは調べないと分からない」 「調べようがあるのか?」 「……どうだろうな。加害者は既に死亡しているし、被害者も──」 そこで言葉を切った谷島は、ちらりと俺に視線を向ける。 どこか言いにくそうに目を伏せたあと、口を開いた。 「……被害者は、今も意識不明だ」 その言葉を聞いて、俺は言葉を失う。 加害者が死んでいて、被害者も、意識不明状態……?それじゃあ、話を聞くにも聞きようがない。 どう、この事件を調べるって言うんだ。 俺がそう思っていると、谷島が突然この事件とは無関係の事を聞いてきた。 「憧れの君の実家は、人に恨まれてはいないか?」 「──は?」 茉莉花さんの家……? 藤堂家が……?なぜ急に藤堂の事を。 俺の疑問が顔に出ていたんだろう。 谷島は真剣な表情のまま、もう一度同じ事を口にした。 「藤堂家は、人に恨まれてはいないか?」 「茉莉花さんの、家が……?どうして、そんな事……」 嫌な予感がどんどん膨れ上がる。 藤堂家が、人から恨まれていないか? どうしてそんな事を聞いてくる。 それに、被害者が今も意識不明のままって……。 ふ、と俺の頭に眠ったままの茉莉花さんのお母様の姿が思い浮かぶ。 いや、そんなはずは。 だが、だからこそ谷島は藤堂家が恨まれていないか、と聞いてきたのか? 意識不明の被害者って言うのは──。 「被害者は、藤堂羽累。お前が長年焦がれていた憧れの君の母親だよ……」 ガツン、と頭を殴られたような衝撃が走る。 何で。 どうして。 茉莉花さんのお母様が。 「だから、聞いたんだ。藤堂は人に……他家に恨まれていないか、って……。法に触れる事をやらかし
◇ 夕方。 どうにか定時で仕事が終わりそうだ、と俺はスマホをちらりと確認してほっと安堵の息を吐く。 これなら、友人との約束にも間に合いそうだ。 「影島。今日は着いて来ないでいいぞ。旧友に会う」 「ご友人と、ですか?かしこまりました」 不思議そうな顔をしている影島に、俺はひらひらと手を振って答え、送り迎えもいらないから今日は早めに帰っていいと告げる。 すると、影島は途端にキラキラと瞳を輝かせて礼を口にした。 定時後。 俺は刑事の友人──谷島との待ち合わせ場所へと向かっていた。 車を走らせ、向かった先は高級料亭。 完全個室性の料亭のため、話が外に漏れる心配は殆ど無い。 政治家や、谷島のような警察関係者も接待などに良く利用する、と以前耳にした事がある。 俺は車を駐車場に停め、店に入る。 車のキーを店員に渡しつつ、谷島の名前を告げると、店員はすぐに案内をしてくれた。 どうやら谷島は既に店に着いているらしい。 「お連れ様がまいりました」 「ああ、通してくれ」 部屋の前で、ノックをしたあと、少々大きめな声で店員が呼びかける。 すると、室内から聞き慣れた友人の声が聞こえた。 すっと扉が開かれ、店員に促されつつ室内に入ると、谷島が立ち上がって俺を出迎えてくれた。 「小鳥遊!久しぶりだな。元気そうで良かった」 「ああ、久しぶり。谷島こそ元気そうじゃないか」 軽く握手を交わし、席に座る。 「今日は適当にコースを注文しといた。それでいいだろ?」 「ああ、問題ない」 俺がそう答えると、谷島はビー