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第2話

Autor: 浅木栖
どうやって家に帰り着いたのか、記憶が定かではない。

ただ、果てしなく長い時間だけが、じりじりと削り取られていった。

空が白み始めた頃、ようやく淳弥が帰ってきた。

リビングに座り込んでいる私を見て、彼はあからさまに眉を寄せた。

「どうしてまだここで待ってるんだ?」

その声はあまりに淡々としていた。

まるで私が婚約者ではなく、どうでもいい赤の他人であるかのように。

「……夜が明けたからよ」

私は込み上げる苦い感情を飲み込み、素っ気ない態度で返した。

私の冷ややかな雰囲気を察したのか、淳弥は小さく嘆息し、言い訳がましく口を開いた。

「今度のプロジェクトは重要なんだ。お前を後回しにして悪かった」

もちろん、この案件が淳弥にとってどれほど重要かは理解している。

この商談さえ成立すれば、彼はデザイン部の責任者にとどまらず、支社全体を統括する立場へ昇進する。

――でも、私には分からなかった。

彼にとって本当に大切なのは、プロジェクトなのか。それとも、莉奈なのか。

私が何も答えないでいると、淳弥は私を抱き寄せ、機嫌を取るように背中を撫でた。

「次はもっと早く帰るよ」

その腕の温もりは変わらないはずなのに、鼻をつくのは甘ったるい香水の匂い。

吐き気が込み上げた。

私は思わず彼を押しのける。その拍子に、彼の首筋にある鬱血した赤い痕が目に飛び込んできた。

喉まで込み上げた無数の問いは、結局、嗚咽に変わるだけだった。

昨夜、彼が莉奈に言った言葉が脳裏をよぎる。私は震える声で尋ねた。

「淳弥……私、家庭に入るべきじゃなかったのかな。

学生時代、約束したじゃない。二人で一緒に、まだ見ぬ景色を一緒に見に行こうって」

かつてはロマンチックに響いたその言葉。

けれど、彼がその言葉を共有したい相手は、もう私一人ではなかった。

私の言葉を聞いた瞬間、淳弥の声色は冷たく沈んだ。

「まだ早い時間だ。もう少し寝たら?」

そう言い終えると、彼は背を向けて二階へ上がっていった。

――もう、私の言葉を一言も聞こうとしなかった。

その背中を見送った瞬間、心の中で張り詰めていた糸が、音を立てて切れた。

私はスマホを取り出し、画面には、書きかけの退職届が表示されている。

しばらく見つめた末――それを削除した。

午後、私はいつも通り出社した。

同僚たちは婚約を祝福してくれつつも、意外そうな顔をした。

「結婚したら辞めると思ってたよ。まさか来るなんてね」

「まあ、女も自分のキャリアを持っていた方がいいしな」

そんな同僚たちの言葉に、私は曖昧に微笑むだけだった。辞めるのを踏みとどまって本当によかったと、心の底から思った。

挨拶を済ませて振り返ると、そこに莉奈が立っていた。

一目で分かった。彼女の華奢な首元で輝いているのは、あのネックレスだ。

胸の奥がずきりと痛む。私は彼女を無視して通り過ぎようとしたが、手首を強く掴まれた。

莉奈は満面の笑みを浮かべていた。

「夏希さん、昨日はさぞかし忘れられない一日になったでしょうね」

私を動揺させようという魂胆が見え透いていた。無言でその手を振り払い、その場を後にした。

……

定時になるまで、淳弥と莉奈の姿を見ることはなかった。

帰ろうとしたその時、二人が肩を並べて歩いてくるのが見えた。私といる時よりもよほどお似合いのカップルに見える。

淳弥は淡々とした口調で告げた。

「明日から、高橋社長から依頼されている案件だが、担当は篠田に任せる」

その言葉に、周囲の空気が凍りついた。

誰もが知っている。このプロジェクトは私が二ヶ月も奔走し、ようやく契約まで漕ぎ着けたものだ。

準備はすべて整っている。それなのに、淳弥はおいしいところを全て莉奈に譲ろうとしているのだ。

血の気が引いていく私の顔を見て、同僚の一人が恐る恐る口を開いた。

「その案件、夏希さんの担当じゃ……」

その時、ようやく私に気づいた淳弥が、怪訝そうに眉をひそめた。

「お前、辞めたんじゃなかったのか?」

そうか。彼は最初から最後まで、私が目の前にいることにすら気づいていなかったのだ。

静まり返るオフィスで、私は唇を歪めて笑った。

「急に、辞めたくなくなったの」

けれど結局、彼が前言を撤回することはなかった。

プロジェクトは、莉奈のものになった。

人が散り、二人きりになると、莉奈が近づいてきた。

「夏希先輩、プロジェクトを譲っていただいてありがとうございます」

彼女は私の耳元に顔を寄せ、低く湿った声で囁いた。

「それと、八年もかけて彼氏をここまで育ててくれて、ありがとうございます……彼のこと、すごく気に入っちゃいました」

その瞳に宿る挑発的な光を見て、私は冷ややかな軽蔑を込めて言い返した。

「人の男を寝取って、そんなに誇らしいの?」
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