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第3話

Author: 安住とき
直哉は、起業して間もない2年間に胃を悪くした。

薬は2種類ある。

白い薬は食前に、青い薬は痛みが出たときに飲む。

薬の箱を出しておくと見苦しいと言うので、普段使う分は書斎の2段目の引き出しに入れ、車とオフィスにもそれぞれ予備を置いていた。

引き継ぎ3日目、薬の保管場所を写真に撮って沙耶に送った。

【わかった】

返事はそれだけだった。

その夜、パーティーから帰った直哉が胃の痛みを訴えた。

書斎で何かを探す音がして、入口まで行くと、沙耶が戸棚の前にしゃがみ込んでいた。

「薬、どこにあるの?」

「2段目の引き出し」

「入ってないの」

引き出しを開けると、薬を置いていた場所には敷物だけが残っていた。

直哉はソファにもたれ、額には冷や汗がびっしり浮かんでいた。

バッグから予備の薬を出し、水を用意して飲ませた。

薬を飲んで10数分たち、痛みが落ち着いてから、彼はようやく口を開いた。

「どうして元の場所に戻しておかなかった?」

私は沙耶を見た。

沙耶は両手を握り合わせ、目を赤くしていた。

「午後、書斎を片づけたの。あそこに置いていたら薬が湿気ると思って、1階の薬棚に移したの。佳穂からは引き出しに入ってるって聞いただけで、いつ具合が悪くなるかわからないなんて、教わってないから」

スマホを開き、彼女に送った引き継ぎのメッセージを表示した。

最初の行に、こう書いてある。

【直哉は飲酒後や空腹時に、急な胃痛を起こしやすい。青い薬を常に持ち歩くこと】

沙耶はちらりと見て、さらに声を落とした。

「見落としたのかも」

直哉はその文面を見ようともしなかった。

顔を上げ、私に言った。

「沙耶は昨夜、動悸がして病院に行ったばかりなんだ。そんなきつい言い方をしなくてもいいだろ」

「送ったメッセージを見せただけよ」

「こういうことを覚えるのが苦手だって、わかってるだろ。直接言ってやればいい」

「直哉」

「何だ?」

「胃が悪いのはあなたでしょう。自分の薬の場所くらい、自分で覚えられないの?」

彼は一瞬、言葉を失った。

ちょうどそのとき、沙耶の涙がこぼれた。

「全部、私が悪いの。家の中を、少しでもきれいにしたかっただけなのに」

直哉はティッシュを1枚取り、彼女に渡した。

「沙耶のせいじゃない」

そして私に向き直った。

「佳穂、沙耶に謝れ」

聞き間違えたのかと思った。

「どうして?」

「帰ってきたばかりで、不安なんだ。俺の前でメッセージまで持ち出して責めることはないだろ」

7年間、世話をしてきた男を見つめた。

ふと、新婚の頃のことを思い出した。

出張先で直哉が胃から出血した。午前2時、私はいちばん早い便で駆けつけ、病院で2日間付き添った。

目を覚ました彼が私に聞いたのは、会社の資料は届いたか、ということだった。

届いていると答えると、それきり、どうして私がそこにいるのかさえ尋ねなかった。

私は目をそらした。

「ごめんなさい、沙耶」

沙耶は涙に濡れた目を上げた。

「気にしないで。あなたもつらいんだものね」

部屋に戻り、リストの2番目の項目に書き加えた。

【薬の保管場所は引き継げる。ただし、大人なら自分の身体には自分で責任を持つこと】

その夜、私は初めて、予備の薬を持ち歩くのをやめた。

薬は、直哉のベッドの枕元に置いた。

これからは、彼が痛い思いをしても、私には関係ない。

おばあちゃんの手術は、1週間後に予定されていた。

白内障で、今回は先に左目の手術を受ける。

術前検査、入院手続き、医師との打ち合わせは、ずっと私が担当していた。

早めに診療記録と服薬一覧をまとめ、沙耶に渡そうとした。

彼女は受け取らなかった。

「病院に入るだけで緊張して、手が震えるの」

直哉が代わりに受け取った。

「手術の日は、ばあちゃんの話し相手になってくれればいい。手続きは佳穂に任せよう」

「でも、それも引き継ぎの項目に入ってるわ」

「今回くらい、いいだろ」

私は言い返さなかった。

手術当日、直哉には急な会議が入り、沙耶も昨夜動悸がしたと言って来なかった。

私一人で、おばあちゃんの手術に付き添った。

麻酔から覚めたおばあちゃんが、真っ先に尋ねた。

「直哉は?」

「会社で用事があって、あとで来るって」

「沙耶は?」

少しためらってから、答えた。

「身体の調子がよくないみたい」

おばあちゃんは目を閉じたまま、小さく笑った。

「7年前も具合が悪い。7年たった今も、また具合が悪いのね」

「おばあちゃん」

「佳穂、もうあの二人をかばわなくていい」

手探りで、私の手を握った。

「直哉と、うまくいってないの?」

私は答えなかった。

握られた手に、さらに力がこもる。

「あの食事会で、沙耶がもうすぐ客ではなくなると言ったでしょう。どういうつもりなの?」

病室は静かだった。

手術を終えたばかりのおばあちゃんに嘘をつきたくはない。かといって、そのまま打ち明ける勇気もなかった。

「目がよくなったら、話すから」

「やっぱり、そうなのね」

おばあちゃんはゆっくり手を緩めた。

「直哉は、あなたと離婚するつもりなのね」

「二人で決めたことだから」

私は小声で答えた。

「あなたが決めたって、何を?あの子たちのために身を引くこと?」

布団の端を整えた。

「もう待たないって決めたの。おばあちゃん、私、もう出ていかなくちゃ」

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