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第4話

Author: よろず日和
マンションにある私の荷物は、それほど多くなかった。

3年間一緒に暮らし、私はとっくに智則の生活の一部になっているつもりだった。

けれど、いざスーツケースを開いて荷造りを始めてみると、持っていけるものなど、数着の服と何冊かの本、それに数枚の古い写真くらいしかなかった。

私はダイヤモンドのネックレスをギフトボックスに戻すと、引き出しの奥から、切れてしまった銀のネックレスを取り出した。

ずいぶん古くなった銀のチェーンは留め具が壊れ、ところどころ黒ずんでいる。

私はそれを長い間、手のひらに握り締めていた。

そのとき、スマホが震えた。

智則からメッセージが届いていた。

【今夜、御影邸に来い。仲間も全員いる。これが最後の婚約者テストだ。

これさえクリアすれば、明日は予定どおり婚約を発表する】

私は長い間、画面を見つめていた。

最後の婚約者テスト。

なんて軽々しい言葉なのだろう。

この3年間、彼の仲間たちは私が耐える姿を余興にし、私の屈辱を賭けの対象にし、私の愛さえ好き勝手に弄んでいいチップのように扱ってきた。

そして智則は、いつだって彼らの真ん中に立ち、高みからそれを眺めていた。

私が傷つくことなど、最初から分かっていたはずなのに。

それでも彼は決まって、あと一度だけ我慢しろと言った。

私は黒いロングドレスに着替え、御影邸へ向かった。

広いリビングは煌々とした明かりに照らされていた。

芙美乃は智則の隣に座り、膝には薄いブランケットをかけている。

その指には今も、本来なら私のものになるはずだった婚約指輪がはめられていた。

私が入ってくるのを見ると、彼女は反射的にその手を引っ込めた。

智則が私に向かって手招きする。「こっちに来い」

私はその場に立ったまま動かなかった。

すると、誰かがふざけた調子で笑った。「水城さん、今夜は脱衣ゲームじゃないっすよ。鷹司さんからのお達しでね。また思い詰めて海にでも飛び込まれたら困るってさ」

部屋中にどっと笑い声が広がった。

智則はグラスを持ち上げ、口元に気だるげな笑みを浮かべた。「今日は簡単なやつにしておく」

そう言って私を見る。「芙美乃に酒をついで、ちゃんと謝れ。ヨットの夜、お前が海に飛び込んだせいで、芙美乃は相当怖い思いをしたんだ」

一瞬、自分の耳を疑った。「私が彼女に謝るの?」

智則は眉をひそめた。「お前がみんなの前で場をしらけさせたせいで、全員が気まずい思いをしたんだ。芙美乃はあれだけお前に気を遣ってくれたのに、お前は昨日もあんな態度を取っただろ」

彼はグラスを置くと、少し声を低くした。「依緒、鷹司家の妻になりたいなら、これくらいの分別はわきまえろ」

芙美乃が小さな声で言った。「智則、もういいよ。私は依緒さんを困らせたいわけじゃないから」

智則は彼女に目を向けると、声を和らげた。「困らせてるんじゃない。こいつも少しは聞き分けがよくならないと」

聞き分けがよくならないと。

その言葉を聞いた瞬間、ずっと昔のことを思い出した。

智則が初めて私の手を握ったときも、似たようなことを言っていた。

あの頃の私は家庭の事情で親戚の家に身を寄せていて、いつも周囲の顔色を窺い、自分に自信がなかった。

彼は路地の入口に立って私を背中に庇い、周囲から浴びせられる心ない言葉から、ずっと私を守ってくれた。

「依緒、そんなに聞き分けのいい子でいなくていい。これからは俺がいるから」

そして私は、本当にその言葉を信じた。

自分の弱いところを、何もかも彼に預けた。

けれど最後には、誰かを心から信じきることが、時に何よりも深く自分を傷つけるのだと、ほかでもない彼自身に思い知らされた。

私は歩み寄り、テーブルの上に置かれていた酒瓶を手に取った。

その場にいる誰もが、また私が折れるのだと思っていた。

智則の目にも、揺るぎない確信が浮かんでいた。

私は彼を愛している。

だから、彼を手放せるはずがない。

鷹司家に嫁ぐためなら、どれほど傷つけられても、私はすべて耐える――彼はそう信じて疑っていない。

私は酒瓶を手に、芙美乃の前まで歩いていった。

彼女が顔を上げる。その瞳の奥には、怯えた表情とは裏腹に、勝ち誇ったような光がかすかに宿っていた。

私は彼女の指にはめられた指輪を見つめ、静かに口を開いた。「芙美乃、あなたにお酒をついで謝るつもりはないわ」

そして、そのまま手を離した。

酒瓶は床に落ち、粉々に砕け散った。

深紅のワインが跳ね、彼女の真っ白なスカートを汚した。

一瞬にして、広いリビングが静まり返った。

智則の表情が凍りついた。「依緒!」

私は彼を振り返った。

自分でも驚くほど、心は静かだった。「あなたの『婚約者テスト』は、もう受けない」

彼は一瞬、呆気に取られたように私を見た。

私はそのまま続けた。「あなたの妻にも、もうならない」

意味が理解できなかったかのように固まった彼は、すぐに冷笑を漏らした。「またそれか?今ここから出ていくなら、明日の婚約発表に俺が迎えに行くと思うなよ」

私は頷いた。「分かった」

そう答えると、私は背を向けて出口へ歩き出した。

背後で、椅子が乱暴に蹴られる音が響いた。

ようやく智則の声に怒りが滲んだ。「依緒、一歩でも出ていってみろ!」

私は足を止めなかった。

開いた扉から夜風が吹き込み、ドレスの裾を大きく揺らした。

玄関前の階段を下り、すでに玄関先で待たせていた車のドアを開ける。

そのとき、スマホに、予約便の搭乗時刻を知らせる通知が届いた。

私は智則に、最後のメッセージを送った。【智則、これからはもう、誰かを楽しませるために私を使わなくていいから】

送信が完了すると、私はスマホの電源を切り、SIMカードを抜いて近くのゴミ箱へ捨てた。

1時間後、空港には出発便を知らせるアナウンスが流れていた。

私はスーツケースを引きながら、保安検査場の奥へと歩いていった。

背後には街の無数の明かりが煌めいていたけれど、そのどれ一つとして、もう私が振り返る理由にはならなかった。

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