LOGIN鷹司智則(たかつかさ とものり)は、妻になる女性に一つの条件を課していた。まずは彼の仲間たちに認められなければならない、というものだ。 交際3周年を祝うヨットパーティーで、私は負けるたびに服を一枚脱がされるポーカーゲームに無理やり参加させられた。 とうとう上半身は薄いキャミソール一枚だけになり、彼の仲間たちはそんな私を舐め回すような目で眺めていた。 「鷹司さん、水城さんの腰、ずいぶん柔らかそうっすね。普段からいろんな体位を試してるんじゃないですか?」 「肌もほんのりピンク色で、たまんねえな。あと一回負けたら、下に着てるやつまで脱いで見せてくれるんだろ?」 私は服の裾を必死に握り締め、屈辱に全身を震わせながら、助けを求めるように上座に座る智則を見つめた。 しかし、彼はちょうど魚の小骨を丁寧に取り除き、ほぐした身を隣に座る藤江芙美乃(ふじえ ふみの)の口元へ運んでいるところだった。 周囲の冷やかしが耳に入ると、彼は小さく笑い、ゆっくりと顔を上げた。 「賭けに負けたんだから、潔く脱げよ。何を隠してるんだ?普段、俺のベッドの上じゃあんなに大胆なくせに。 芙美乃はこういうのに慣れてないんだ。あまり怖がらせるなよ。遊びたいなら、そいつで好きに遊べばいい」 私は氷水の中に突き落とされたような気分だった。 皆がどっと笑い声を上げる中、まるでお姫様のように大切に扱われている芙美乃を見つめていると、心臓を容赦なく踏みにじられたような痛みが走った。 愛されているかどうかで、身にまとうことを許される服の枚数さえ、こんなにも違うのだ。 私は最後に残された、尊厳そのものともいえる一枚を脱ぎ捨て、テーブルの上に放り投げた。 そして、彼らの目の前で、一瞬のためらいもなく、暗く冷たい海へと身を投げた。
View More1年後、私はもう一度、あの街へ戻った。智則に会うためではない。ただ、あの街に置いたままの荷物を、きちんと整理しておきたかったからだ。マンションは、まだそのまま残っていた。部屋の前に立ち、インターホンを鳴らす。しばらくして、ドアが開いた。そこに立っていた智則は、私の姿を見ても驚かなかった。何も言わずに中へ通され、部屋に足を踏み入れる。室内は、私が出ていったあの夜から時間が止まってしまったかのように、何もかもあの頃のままだった。ローテーブルの上には、修理されたあの銀のネックレスが置かれている。その隣には、見覚えのある小さなベルベットのケースがあった。手に取って蓋を開けると、中に入っていたのは、かつて芙美乃の指にはめられていた婚約指輪だった。私はそっとケースを元の場所に戻した。振り返ると、智則は少し離れたところに立ったまま、黙って私を見つめていた。やがて、彼が掠れた声で口を開いた。「もう来ないと思ってた」「残ってるものを取りに来ただけ」私は静かに答えた。彼の瞳がかすかに揺れた。「結婚するのか?」私は否定しなかった。湊が私にプロポーズしてくれた日、辺りを埋め尽くすほどの花も、華やかな演出もなかった。彼はただ、朝の海辺で一つの木の指輪を私に差し出した。彼が自分の手で彫ったもので、内側には小さな波模様が刻まれていた。そして、こう言った。「急いで返事しなくていい。君がつけたいと思ったときに、つけてくれればいいから」私はその指輪を見つめながら、ゆっくりと目を赤くした。ようやく、私自身の意思で選ばせてくれる人に出会えたから。智則は、私の左手の薬指にはめられた指輪に気づいた。その瞬間、彼の瞳が大きく揺れた。「そいつは……お前を大事にしてくれるのか?」私は頷いた。「とても大事にしてくれる」「俺より?」私は彼を見つめた。本当は、比べることに何の意味もない。けれど智則は、どうしても答えを聞かなければならないかのように、じっと私を見ていた。だから私は、その目をまっすぐ見つめ、静かに答えた。「あの人は、私に寒い思いをさせないから」たったそれだけの一言で、智則は凍りついた。彼は俯き、かすかに笑った。その笑顔は、泣き顔よりも痛々しかった。「そうだな。俺は、そ
智則は、すぐには帰らなかった。彼はそのまま小さな町に滞在することにした。以前のように強引に私の生活に踏み込んでくることはなく、ただ毎日、少し離れたところから、私が海辺へ行く姿や、花を買う姿、夕暮れ時に木彫りの店の外でお茶を飲む姿を見つめていた。彼はようやく、待つことを覚えた。けれど、あまりにも遅すぎた。ある夜、町を激しい雨が襲った。コンビニを出ると、道路には足首まで浸かるほど雨水が溜まっていた。海風に煽られた雨が容赦なく吹きつけてくる中、私は軒下に立ち尽くし、突然あの夜の冷たい海水を思い出した。指先が震え始める。その寒さは外から染み込んでくるものではなく、記憶の奥底から這い上がってくるものだった。智則が向かい側から駆けてきた。傘を差すことさえ忘れていた。「依緒」彼が手を伸ばし、私を支えようとした。けれど、その手が届くより早く、別の誰かが乾いた上着を私の肩にかけた。湊が私の隣に立ち、私のほうへ傘を傾け、風雨から守ってくれていた。彼は、なぜ私が震えているのかとは聞かなかった。ただ静かな声で尋ねた。「家に帰る?」私は頷いた。智則の手が宙に浮いたまま止まった。雨水が前髪を伝い、頬へと流れ落ちていく。彼は湊が私の肩にかけた上着を整える姿を見つめ、その瞳に残っていたわずかな光が、ゆっくりと消えていった。あのヨットハーバーで、全身ずぶ濡れになっていた私の前に立ったとき、智則も自分の上着を着ていた。けれど、彼がそれを脱いでかけてやった相手は、私ではなく芙美乃だった。そして今、別の人が私に上着をかけてくれている。彼にはただ、雨の中に立ち尽くして、それを見ていることしかできなかった。「依緒」智則が苦しげに声を絞り出した。「これからは、俺だってできる。だから――」私は彼の言葉を遮った。「智則、これからの話じゃないの」まっすぐ彼の目を見つめる。「人はいつまでも同じ場所に立って、同じ上着を待ち続けたりしない」彼の唇は、少しずつ青ざめていった。私はそのまま続けた。「あのヨットの夜、私はあなたを待った。病院でも、あなたを待った。ブライダルサロンでも、ずっと待ってた。御影邸でだってそう。あの夜、あなたがたった一言、私が謝る必要なんてない、『婚約者テスト』なんて受けなく
私は南にある海辺の小さな町に落ち着いた。ここへ来たばかりの頃は、相変わらず海が怖かった。夜、波の音が聞こえると夢から飛び起き、全身が冷や汗でびっしょりになっていることもあった。夢に出てくるのは、決まってあの夜の光景だった。ヨットを照らす明かりの下、智則は上座に座り、気だるげな表情で、まるで自分とは何の関係もない余興でも眺めるようにこちらを見ている。夢の中で私は何度も海へ飛び込み、そのたびに冷たい海水に呑まれたところで目を覚ました。大家のおばあさんは、怖いなら海なんて見なければいいと言った。けれど私は、あえて毎朝海辺へ行き、しばらくそこで過ごすことにした。あの真っ黒な海を、自分の悪夢から取り戻したかった。その後、私は朝倉湊(あさくら みなと)と知り合った。彼は海辺で小さな木彫りの店を営んでいた。無口な人だったけれど、木を彫るその手はいつも落ち着いていた。初めて会ったのは、私が砂浜で発作を起こしたときだった。水遊びをしていた子供たちが甲高い歓声を上げた瞬間、あの夜の笑い声が耳の奥に蘇り、突然全身が震え始め、息ができなくなった。湊は私に触れなかった。ただ二歩ほど離れた場所にしゃがみ込み、自分の上着を砂浜に置いた。「よかったら、これを羽織って。俺はここにいる。近づかないから」その声はとても穏やかだった。智則とは違った。智則はいつも、私の代わりに何もかも決めたがった。もっと聞き分けのいい女でいるべきだ、折れるべきだ、騒ぐべきじゃないと。けれど、湊は決して私の代わりに何かを決めようとはしなかった。ただ、こう尋ねるだけだった。「君は、どうしたい?」過去と向き合いたいのか。もう一度、海に近づいてみたいのか。もう一度、誰かを信じてみたいのか。私はすぐに彼を好きになったわけではない。一度深く傷ついた人間には、温もりに近づくためにさえ時間が必要だった。私は、あらゆる優しさには代償があるのではないかと恐れていた。今日差し出された優しさが、明日には私を屈服させるための切り札に変わるのではないかと怯えていた。けれど、湊は決して急かさなかった。私が木彫りの店の前を通りかかれば、温かいお茶を一杯用意しておいてくれた。雨の日には店先に傘を用意しておき、それが私のためだとは決して言わなか
1か月後、智則は目に見えて痩せていた。彼は、依緒が行きそうな場所を片っ端から捜した。以前よく通っていたスイーツ店。お気に入りだった古書店。大学の正門前に続く、あのプラタナス並木。けれど、誰に尋ねても依緒を見たという人はいなかった。依緒は彼の世界から、跡形もなく消えていた。婚約披露パーティーも中止になり、依緒の電話番号もすでに解約されていた。共通の知人でさえ、依緒がどこへ行ったのか知る者は一人もいなかった。智則は眠れなくなった。夜、目を閉じるたびに、海へ飛び込んだ依緒の後ろ姿が浮かんでくる。彼女は一度も振り返らなかった。あまりにも決然としたその後ろ姿は、いつまでも塞がらない傷となって彼の胸に残った。芙美乃が智則を訪ねてきたのは、深夜のことだった。白いワンピースを着た彼女は、目を赤くしてマンションの玄関先に立っていた。「智則、少し話せない?」智則は彼女を部屋に入れなかった。芙美乃の顔から、さっと血の気が引いた。「前は、私を玄関の外に立たせたりしなかったのに」智則は淡々と答えた。「今までが間違ってたんだ」その瞬間、彼女の目から涙がこぼれ落ちた。「じゃあ今は、全部私が悪いって言いたいの?」智則は彼女を見つめたまま、何も答えなかった。芙美乃は涙に声を詰まらせながら言った。「認めるわ。私、依緒さんのことが嫌いだった。私よりずっとあとから現れたくせに、あなたをまるで別人みたいに変えてしまったから。あなたは彼女のためなら私たちとの集まりだって断ったし、彼女がパクチーを苦手としていることも覚えてた。彼女が暗いところを怖がれば、夜中でも駆けつけてた。私はただ、あの人がそこまで大切な存在じゃないって証明したかっただけなの」智則の喉仏がわずかに動いた。「だから何度も、あいつにあんな惨めな思いをさせたのか」芙美乃は泣きながら首を横に振った。「ただの冗談だったの。本人が気にしなければ、それで済む話だったでしょう?」その言葉は、まるで平手打ちを食らったかのような衝撃を智則に与えた。なぜなら、かつての彼もまったく同じように考えていたからだ。依緒が自分を愛してさえいれば、どれほど傷つけても、そんなことはなかったことにできると思っていた。依緒が最後には戻ってくるのなら、それほど傷ついては