細い指先が今朝、替えたばかりのシーツを撫でていた。そして、探り当てたせせらぎのような流線を描く青藍の髪に指を絡め、佐加江が二度、三度とゆっくり瞬きを繰り返す。「青藍……」 が、その瞳に映っているのは青藍ではない、蘇芳だ。角の数は違えど二人は、血縁関係というだけあって瓜二つ。見間違えるのも無理はなかった。「残念、俺は蘇芳だ。番を見間違えるなんて最低だな、お前」 一瞬で目を覚まし、ひどく怯えた顔をする佐加江を青藍は慌てて胸に抱き寄せ、蘇芳の背中を足蹴りした。 散々、怖い思いをした佐加江に追い打ちをかけるような蘇芳の乱暴な言葉。青藍は、何度も帰ってくれと目で合図を送るが、蘇芳はおかまいなしだった。「佐加江、お久しぶりです」 「……青藍、元気だった?」「ええ」 久しぶりに聞いた佐加江の声は掠れていた。「越乃のおじさんは」 「生きてますよ」 「誰も死ななかった?」 「ええ」「良かった」「良くありません。佐加江は死――」 言葉を止めた青藍は、桐生が持ってきた野いちごを佐加江の口元に寄せた。「喉が渇いているでしょう」 「夢の中で林檎たべてた」「佐加江はどっちが好きですか」 青藍と蘇芳を見た佐加江は、うつむいて頬を染める。目が覚めてから、佐加江はずっと青藍の着物の袂を握りしめていた。「――青藍」 すりおろした林檎と野いちごを持った青藍を見た蘇芳は、噛み合っていない会話に腹を抱えて笑っていた。「どちらを食べるかと思って聞いたのですが……」「はぁぁぁ! 阿呆らし。俺は帰るぞ。次の鬼宿日には二人揃って来いよ、親父様方が青藍の番の顔を見たいってお怒りだ。黄泉がえりは禁忌だ。お前たちは裁きを受けるから、覚えておけよ」「佐加江は今、目覚めたばかりです。いずれは参上しますが、
♢♢♢ 地下回廊から書斎を抜け、青藍は寝室へ向かって階段を上った。 今日も屋敷の庭には、『佐加江』と名付けた色とりどりの花々が狂い咲いている。「ーー佐加江、加減はどうですか」 大きなベッドの上で佐加江はひとり眠っている。普段から弱く結界を張っているが、妙なあやかしが布団へ入り込まぬよう姿が見えなくなる特別な布を天蓋から張り、昼も夜もなく青藍は佐加江を大切に見守っていた。 あの日からもう、人の暦では一ヶ月が経とうとしている。 傷の治りが悪く、首の傷跡はジクジクといつまでも血が滲む。足首の骨は元通りになったが、腹にできた痣はなかなか消えない。そんな変わり果てた裸体に青藍が言葉を失った日から、佐加江は一度も目を覚ましていなかった。 鬼宿日に酒宴へ出向かなかったことで、人を番にしたことが親類縁者に知れ渡り、お披露目はいつかとせっつかれている。噂を広めたのはどうせ幼馴染みの蘇芳だと思うが、青藍はそれどころではなかった。「佐加江、今日は死神殿に頼んで人の世の林檎なるものを買ってきてもらったのです。桐生に教えてもらって、皮ごとすりおろしてみました」 青藍は大きな手で小さな匙を持ち、佐加江の乾いた唇に果汁を含ませる。「鬼君。佐加江君、どうよ」 妊娠した桐生が腹を摩りながら窓から覗き込み、仔狐達は庭で遊んでいた。「いつも通りですね」 「鬼君も今回は反省したでしょう」「はい」「もっと早く、強引に連れて来ちゃえばよかったんだよ。もっと積極的にならないとダメ」 桐生は、籠に入った見たこともない果物を窓辺へ置いていく。「なんですか、これは」 「甲はこう言う女子っぽいのが好きなの! 覚えておけよ。佐加江君がへそを曲げたら甘いもの、分かった?」「まだ、目を覚ましてないのですが」「さっき聞いたよ、いつも通りなんでしょ?でも目を覚まして、こんな可愛いらしい果物を好きな人に食べさせてもらったらロマンチックじゃ~ん」「ろまんちっく」「天狐は、普通にそういう事するからね。薔薇の花びらを散らしたベッドとか……。後片付けするの俺なんだけど」 「桐生、これは何というのですか」 「野いちごだよ」 「野いちごですね、可愛い果物。覚えておきます。まるで佐加江のようです」 「くはぁぁ!ノロケてんじゃねぇよ。新婚ホヤホヤかよ、……天狐なんか俺の好きなもの何でも知って
「もう良いだろう、佐加江。私と家族になってくれる約束です」 佐加江の血で濡れた髪を梳き、その耳元で囁く。青藍が持てる声色の中で、何よりも柔く、誰よりも甘やかな声だった。 「佐加江を……、佐加江を連れて行かないでくれ。私の子だ」 「お前の子、ではないだろう」 越乃の怯えた目をジッと見つめた青藍は牙をむく。そして、ひと思いに佐加江のうなじへと深く噛みついた。 何度も何度も、だ。 噛むごとに、佐加江がかっ切った傷口から血がゴフっと溢れ、その屍は温もりを残したまま青白さを増し、青藍の髪を装束を緋色に染めて行った。 佐加江が首から下げていた鬼笛が切れ、地面へ落ちる。それに気づかず、青藍は着ていた羽織で佐加江を頭から包んで洞窟を出た。 「なぜ、こうなるまで放うておいた。お前なら、どうにか出来たであろう」 境内の騒ぎを聞きつけた天狐もたった今、駆け付けたところだった。 「私が望んだまでです」 「お前は何を言っておる」 「あやかしは……、神様ではないのです!鬼は人の望まぬことはできぬ。私は人の心も、祠の外で起こっていることも、この目で……、この目で見なければわからぬのです」 天狐が足音もなく近付いて来たことに青藍は震え、佐加江を懐深く抱き込んで隠そうとした。 「ーー死神殿が、確かにおったはずだ」 「佐加江は生きています」 「嘘をつけ」 「生きております!」 青藍が微笑みながら、佐加江の顔にかかる羽織をそっと除ける。佐加江は、まるで眠っているように安らかな顔をしていた。 今も滲み続ける血が事実を物語っていた。それだけの出血があれば、人は死ぬ。天狐は誰にも聞こえないよう、青藍に耳打ちした。「……何をしようとしている」 「佐加江をあの世へ連れ参ります」 「番にしたならば、御霊を抜いてやれ。早く楽にしてやるんだ」 「おっしゃっている意味が、私にはわかりませぬ」 「屍をあの世には連れて行けん。いずれ共に朽ちることになるぞ」 「屍ではありません。佐加江は生きています!」 天狐を見つめた青藍は、一瞬のち祠へ向かって走り出し境内から姿を消した。 「何をするつもりだ、あやつは!」 あの世以外に逃げるとしたら、この祠から追いかけるしかない。天狐も小さな祠へと駆け込もうとするが、そこには既に青藍の結界が張られてお
ーーこんなの、間違ってる。 頭の片隅で何度も叫ぶが、それは言葉にならず欲に負けて身体を委ねてしまう。年寄りの鬼どもはそんな佐加江を味わい尽くし、精液まみれにして行った。 「あ……っ、奥、奥を」 「ほら越乃君も、ご相伴にあずかりなさい」 分泌液と精液でグショグショになった佐加江の尻に、何の戸惑いもなく越乃が腰を入れた。 「奥は神主の場所だからダメなんだ。その代わり乳首をもいじってやろうな。さっきから、誰もしてくれないもんな、敏感なのに」 「おじさん……ッ」 佐加江の肥大した乳首を指先で捏ね、越乃は腰を激しく打ち付ける。 「ああッ。いいよ、佐加江。締まる」 乳首を摘まみあげられた佐加江の背中は大きくしなり、身体がビクンと跳ねた。それを見た越乃は面の下で笑っている。 「なんだ、もう達したのか。そんなでは持たないぞ。神主の陰茎は若くて、剛堅だからな」 何人、受け入れたのだろう。 誰も一向にうなじを噛むことなく、佐加江を犯し続けた。 「ギャァァァ!」 洞窟の入り口で叫び声がした。佐加江に群がるアルファに向かって、我慢の限界を迎えた神主が鉈を振り回したのだ。 「はぁ」 また惨事が起こった、と深くため息をついた越乃は佐加江の中から名残惜しげに性器を引き抜いた。 十八年前、やっと神主の順番が回ってきた藤堂 浩彰も似たような行動にでた。 神事と名を借りたオメガの輪姦ーー。 貴重なオメガを絶対に妊娠させなくてはならない、と古い文献にはある。 神主がいたとしても正直なところ、どのアルファの子供を妊娠するか分からないのだ。近年ではDNA検査も可能だが、昔は自分の子供か分からない赤子を神主が育てていたケースも多々あり、村で生まれるアルファは『村の子供』とよく言われていた。 それが浩彰は我慢できなかったのだろう。 面を割り、鉈を振り回した彼はオメガに群がる長老衆を排除し、佐加江の父親でもあるオメガへ一番に種付けし、一週間近くこの洞窟から出てこなかった。 「落ち着きなさい」 当時のことを越乃はふと思い出していた。深手ではないが傷を負った村人たちで、外は大きな騒ぎとなっている。 洞窟に入ってきた真新しい面から、ふーふーと呼吸の音だけが聞こえる。神主は白装束を真っ赤に染め、佐加江の前へ鉈を投げ出し、面を取った
松明が焚かれた洞窟の中へ、佐加江はドサっと降ろされる。 「んあ……」 初めての発情よりも、酷かった。右手の爪を噛みながら、めくれ上がった着物の合わせ目へ自ら手を滑り込ませる。疼いて仕方のない孔へと指を突っ込み、アルファを誘い込むように佐加江は腰をくねらせていた。 神主と呼ばれる真新しい面を被った鬼が、いびつに着物の前を尖らせ、洞窟の入り口にある祠へナタを振り下ろす。 その甲高い音は、神事の始まりを村中に告げた。 それは、紅や黄の紅葉が目にも鮮やかな山々に響き渡り、山鳥が一斉に飛び立つ。そして、ナタを握りしめたまま神主が息を荒げ、佐加江へ向かって来た。 「はぁ……、はぁ……」 「お前は最後だ、我慢しなさい。長老衆に毒味をしてもらわなくてはいけないからな」 獣のように唸り声を上げる神主の腕を掴んだ越乃も、洞窟内の熱気に目眩がした。 佐加江を取り囲む鬼たちは、目元に皺のある老眼で発情の様子を品定めしていた。アルファは老いとともにフェロモンの感受性が鈍くなって行く。十八年前に行われた神事でオメガのフェロモンに敏感に反応し、狂喜乱舞していたアルファも今となっては、ただの性欲の少し強い老人だった。 「これは、これは……。久しぶりの神事とあって期待通りだな」 大きく開かれた着物の胸元で揺れる鬼笛。松明の下、艶めかしく湿り気を帯びる佐加江の柔肌に彼らは一様に生唾を飲み、老体の萎びた性器に久し振りに力がみなぎっていた。 「若返るようだ」 「ははは」 一人の鬼が、佐加江の内腿を撫でる。 「あぁ」 腰に力が入らず、それにすら喉を震わせる佐加江は後孔に突っ込んだ自らの指を激しく抜き差ししていた。 「今回の神子は今までで一番、幼い顔をしているのに下品極まりないな。神主が苦労しそうだ。ウヒヒヒ」 「神主で足らん時は、我々が神子を戒めてやらねばならんの」 「長老衆からお毒見を」 オメガの発情に影響さないよう薬を服用していると嘘を吐く越乃の号令で比較的、理性を保っている長老衆が佐加江に群がった。 洞窟の外では、獣の雄叫びのような奇声が上がる。若い、とは言ってもほとんどが初老のアルファがオメガのフェロモンに当てられ狂ったように陰茎を露出させていた。中には我慢できず、自ら扱き始める者もいる。 「ああ……ッ、ダメ。もっとしたい
朝から診療所へ訪れる患者の車の音を聞いていた。 起き上がる気力もなく、障子の締め切られた部屋で佐加江は横になっていた。 今までの人生で後悔したことと言えば、青藍の側から離れた事だろう。気持ちはすでに決まっていたはずだ。魂が磨り減ったとしても側に置いてもらえば良かった。そうすれば、いろいろな事を知ることも無かった。 首から下げた鬼笛を両手で握りしめ、佐加江は口へ咥えた。そっと空気を吹き込んでも音は鳴らず、もう一度胸いっぱいに空気を吸い込んで吹こうとするが、小さく咳き込んでしまった。 「佐加江」 気のせいだろうか。確かに青藍の声が聞こえた気がした。 「鬼様……」 佐加江は窓辺へにじり寄り、そっと障子紙へ触れた。 「鬼様、ごめんなさい。僕、番になれない」 青藍は、何も言わなかった。ただ気配に抱きしめられている、そんな感覚だった。 「私は幸せでした」 長い沈黙の後、青藍がポツリと言った。 「僕も……、たくさん夢が見られた」 「今日は鬼宿日ですから。私もそろそろ、ここを出ねばなりません」 着ていたパジャマのボタンを外し、肩を抜いて姿見に背中を映してみるが、そこには何もない。うなじにメキメキと根が張るような痛みがあるが、横になっていることが多いせいかも知れない。 「鬼様。今日、僕の『命の灯火』は燃えていましたか」 「もちろんです。今朝の台帳に佐加江の名はありませんでしたよ。それがどうかしましたか」 青藍は嘘をついた。夜半過ぎに届いた閻魔台帳に佐加江の名があった。明朝、丑の刻に灯火が消えたことを青藍は確認しなければならない。 「死ぬか生きるか、知ってるんだ」 乾いた笑いを浮かべ、佐加江は天井を見上げた。 久しぶりに聞いた青藍の声。会えなかった時間を、また同じだけ過ごしたようだった。 「佐加江、何を考えているのです」 「なんにも」 ふっと気配がなくなって、下腹部にドクンと血液が流れ込む感覚に襲われた。 (発情だ……) 尻からじんわりと分泌液が漏れ出る感覚が不快だった。 発情し、越乃にうなじを噛まれたら自分もいっそのこと一緒にーー。 それが研究を終わらせるには最善だ、と佐加江の出した結論だった。 「やはり、この臭いはすごいな」 午前の診療を終えた越乃は、診察室にも香って来たフェロモンに気