馬車に揺られてもう2日目だ。
隣国のエスパル王国での国王陛下崩御にともない、新国王の戴冠式が行われるとのことだった。 アランと共に参加することになるが、彼は帝国内の視察中でいわゆる現地集合という形になった。「きゃー!!」
ものすごい勢いで馬車が揺れて馬車の窓に頭をぶつけた。
「奇襲です。私がお呼びするまで馬車の中で身を潜めてください」少し焦ったようにエアマッスル副団長が窓を覗き込んで私に言った。
外を覗くと武装した騎士たちが馬車を包囲している。「誰なの?」
窓に飛び散ってくる血の間から、敵の剣の柄の部分に紋章のようなものが見えた。 私はひき逃げの車のナンバーを記憶するかのようにその紋章を記憶した。道中が長いこと、エスパル王国と帝国は実は今にも戦争になりそうな緊張状態であることから、
私について来たアーデン侯爵家の騎士は50人程いた。しかし、ざっと見た感じ敵はその3倍はいる。
かといって、私にできることは何もない。 無力程、恐ろしいものはない。「こんなところで死ぬのは嫌、でも⋯⋯」
死への恐怖と追い詰められたことでおかしな考えが浮かぶ。「死ねば元の世界に戻れるかも、これから楽しい大学生活を送れるじゃない」
「侯爵令嬢申し訳ございません。我々もこれまでです。令嬢だけでも私がなんとかお守りします。馬車を出てください。私が抱えてお逃げします」
扉の外は敵も味方も血だらけだった。
怖い、ここから出ても安全だとは思えない。私は首がもげそうなくらい首を振った。
「帝国軍だー! 赤い獅子だ! 退散しろ!」
帝国軍? 味方が来たの?私を抱えようとするエアマッスル副団長の肩越しにみると、
燃えるような真っ赤な髪が見えた。「ライオット!」
いつの間にか敵は退散し、ライオットが私を呆れたような目で剣をおさめながら言った。
「耳をつんざくような、貴族令嬢とは思えない金切り声の正体は侯爵令嬢でしたか。」「皇子殿下、急に馬を走らせたと思ったら、何事ですか?」
後ろから100人程の兵たちが追い掛けてきた。私は慌てて手の震えを止めて、自分を落ち着けるように挨拶をした。
「エレナ・アーデンが皇子殿下にお目にかかります。お助け頂きありがとうございました。」
さあ、自分の無力に酔っている場合じゃないわこの場をなんとかしないと。「この近くに救護を頼めるような場所はある? 救援をお願いしたいの⋯⋯」
私が尋ねると、近くにいた赤い制服を着た皇子軍の騎士が教えてくれた。「近くにコットン男爵邸があります。」
「コットン男爵邸ね、ではそちらに救援をお願いしましょう」
図らずもレノアと接点ができてしまったようだ。 彼女が前のライオットの遠征に救援支援として参加していたことを考えると、支援を求める先としては最適に思えた。馬車を引いている馬を確認する、このような中でも怪我をしていない。
不幸中の幸いといったところか。「この馬車は何人まで乗れるの?」
御者に声をかけると答えを返してきた。 「4人まででお乗り頂けます」 「定員を聞いているんではないわ、どれくらい重いものまでひける?例えば米俵なら何個分?」 しまった、米俵と言っても理解できないかもしれない。 「え、えっと⋯⋯」 御者を困惑させてしまったようだ。「ごめんなさい。それよりあなたに怪我はない?」
私は安心させるように意識して柔らかな声で御者に尋ねた。「あの、大丈夫です、侯爵令嬢に気にかけてもらうほどでの怪我はありません。仕事できます」
と焦ったように返事がきた。馬車を引っ張るのに必要な力は馬車の重力と転がり抵抗がわかれば良い。
悪路とまでは言えないが舗装路ともいえないこの道では大雑把だけど馬の体重の2倍まではひけるはず。騎士たちは細身にみえるけど、筋力量を考慮して一人あたり70キロから80キロ。
馬車用の馬だから900キロくらいは1頭あるとして2頭で1800キロ。「兵士の状態はどう? 息のない人、動けない人、なんとか動ける人にわけて」
自分で言っていて少しぞっとする。息がない人、死亡した人がいたらと思うと怖くて仕方ない。
また手が震え出してしまって、手を隠すように私は続けた。
「動けない人を協力して馬車の方へ運びましょう」皇子軍の方達が戸惑ったようにしている。
もしかして、私は彼らに指示を出せる立場ではなかったか。 でも、私の護衛たちは皆ボロボロで助けが必要だ。「侯爵令嬢のいうとおりにしろ!」
ライオットが投げ捨てるように言うと、慌てたように皇子軍の騎士たちが動き出した。「いや、それ以上は乗れませんよ」
動けなくなった騎士を5人乗せたところで御者が言ってきた。「コットン男爵邸はここからどれくらい? だれかコットン男爵邸に救援の馬車を頼んで」
私は、近くにいた皇子軍の騎士にお願いをした。「ちなみに、あなたの馬車にはまだまだ乗られると思うけれど馬もあなたも疲れているだろうから、無理せずあなたのできる範囲で」
素人の机上の空論ではなく御者に任せようと思い直し、私はコットン男爵邸に救援を頼んだ。結局、動けないほどの重体である護衛騎士は16人で御者は6人を乗せてコットン男爵邸に向かい、
他、10人はコットン男爵邸の馬車に乗せた。「皇子殿下、侯爵邸の馬は傷を負いほとんど人を乗せられる状態にございません。どうか、手負いの騎士たちを皇子軍の馬にご一緒に乗せてくれませんでしょうか?」
私はライオットに丁寧にお願いをした。「了解した」
素直に聞いてくれた彼が指示を出すと、皇子軍の騎士たちは自分の前に侯爵邸の手負いの騎士を座らせコットン男爵邸に馬を走らせた。「エレナ、お前も乗れ!」
私は驚いて顔を上げると、何を考えているかわからないライオットの黄金の瞳と目があった。 私は、彼の前に座ろうとした。「後ろに乗れ」
なぜか、そう指示されたので大人しく後ろに乗った。「今、エレナって⋯⋯」
思わず、今尋ねるべきではない言葉をライオットに尋ねると決まりが悪そうにした。 「侯爵令嬢が呼び捨てになさったのでお返ししたまでです。」 私が?いつ?と思ったけど黙っていた。コットン男爵邸に到着する。
「皇子殿下!」
ピンク髪のレノアが駆け寄ってくる。 「殿下はお怪我は大丈夫ですか?」 慌てた様子に、レノアが心からライオットを心配する気持ちが伝わってくる。「俺は無傷だ」
ライオットが言うとレノアはホッとしたような顔になった。 「突然お世話になり申し訳ございません。コットン令嬢。エレナ・アーデンと申します。先に到着している私の騎士たちの状況を教えて頂ければありがたいです」 状況確認をしたくて、レノアに尋ねた。「あ、ご挨拶遅れて申し訳ございません。はじめまして、アーデン侯爵令嬢。レノア・コットンと申します。重体の騎士は1階の居間で治療中です。取り急ぎ治療に当たらせてもらってます」
レノアはしっかりした声で状況を説明してくれた。「他の騎士達は?」
重体とは言えない動ける騎士たちがどうしているのか気になった。 「骨折など比較的軽傷の騎士は奥の客間で重体の騎士の対応が終わり次第治療する予定です。」 優先順位をつけて対応しているということだろう。「では、救急セットや当て木など頂けますでしょうか? 軽傷の騎士の治療には私が先に当たらせて頂きます。状態が悪くなりそうな騎士がいた場合は居間に移動させます」
レノアは私の申し出に驚いたようだが、慌てて救急道具を用意するよう指示を出していた。
コットン男爵邸に移動する際、見渡した感じでは軽傷と感じる騎士はいなかった。しかし、戦争を経験してきたレノアからすれば頭から大量の血を流していようが骨が折れていようが動ければ軽傷なのかもしれない。
軽傷と判断された騎士も一度全員確認しておく必要がある。
隠れた損傷や、脳震盪を起こしてたり後で取り返しのつかないことになるかもしれないからだ。 私は急いで奥の客間に向かった。騎士たちの治療をしながら、私は自分が医者になりたいと思ったきっかけを思い出していた。
♢♢♢
「お兄ちゃん、お夜食つくったのどうぞ」
まだ、私が小学校5年生の頃だった。
大学受験を控えた兄に家庭科の実習で習ったサンドイッチを持っていった。パンを切ってレタスやトマトといった野菜を挟んで、
教科書を重りにして作ったサンドイッチ。 意外にも美味しくて家でも作って兄に食べてもらおうと思ったのだ。大学教授である母はスイスで行われる学会に出席するため出張中。
父は病院からまだ戻っていなかった。 「おーありがとう。サンドイッチで賢さがプラス10は上がったよ」リビングに戻ってサンドイッチを頬張りながらニュースでも見ようとテレビをかけた。
「火事です、商店街が燃えています。消火活動が間に合ってません」「ここ、お父さんの病院の近くだ!」
私は気がつくと電車に乗ってサンドイッチを包んで父の病院に向かっていた。 今思うと愚かな判断。息を切らして病院に着くと、そこは戦場になっていた。
スレレッチャーで焼けただれた患者が次々と運ばれてくる。 父の姿を探していたら、看護師とぶつかってサンドイッチを落としてしまった。「院長トリアージ終わりました」
私は、顔を上げた。「院長、第一手術室お願いします」
院長とは父のことだ。 そこには必死に指示を出す父がいた。家では部屋で研究ばかりしていて、ドラマみたいに論文ばかり書いてる現場から離れた存在なのかと思っていた。
しかし、みんなに頼られ一人でも多くの患者と向き合う父を見て私は自分もそうなりたいと強く願った。 気がつくとサンドイッチを拾い集め家に戻っていた。あの場にいても邪魔になるだけだと分かったからだ。
今、自分にできることをしよう、医者になるんだ。 人を助けられる父のような医者に。しかし、両親が医者になってほしいと願ったのは兄だけで、
優秀な兄は予定通り東大に合格し医学部に進み、 ますます私の進路は両親にとってどうでもよいことになった。医者になるために東大は必須ではないが、
私は兄と院長を争うには兄と同等の大学に行く必要があると思ったのだ。人を助けるために医者になりたいと思ったはずなのに、
永遠に兄の影の人生を歩むことへの拒否感か、 名誉欲が強いのか私は東大を目指した。凡人の私が東大医学部を目指すのだから、それこそ何ふりかまわず勉強した。
それでも、女子トップと言われる中高一貫校には落ちてしまい、 家から程近い共学の進学校に通った。日本のトップの中高一貫校が大体男女別学なのは、男女の交友関係が受験に障害となるからだろう。
そのようなものは、自分で排除して恋愛などは大学受かるまでは絶対しないと誓った。兄のような天才ではない私は受験勉強も辛く、大学に入ったら遊ぶことが目標になってしまっていた。
しかし、今、傷ついた騎士たちを前にして、本当の目標は1人でも多くの患者を助ける医者になることだったことを思い出した。 もとの世界に奇跡的に戻れたら大学でしっかり勉強しようと私は思い直した。恐縮する騎士の体を拭き消毒し、折れた足に当て木をしていると上から声がしてきた。
「エスパル王国の戴冠式に行かなきゃいけないんじゃないのか?」
少し困惑するような黄金の瞳が私を覗き込んだ。「こんな状況で行けるわけありません。皇子殿下こそ、なんの用事であんな場所にいたのですか?」
また、私を追っかけてきたわけでもあるまい。「エスパル王国が攻めてくるという情報があってな、急ぎ制圧してくるよう皇帝陛下からおっ達しがあったんだよ」
エスパル王国が恐ろしくなった。客人を呼んでおいて、同時に攻めてくるなんて非常識だ。
「戴冠式のタイミングでですか?」 ライオットからすれば、エスパル王国の動きは想定の範囲内なのだろうか。 「常に帝国の侵略を狙っているエスパル王国からしたら比較的丸腰の人質候補がそちらからやってくるんだ。狙いどきだろ」「アランは大丈夫かしら。」
要人を人質にするなら、皇太子であるアランを狙うだろう。 「侯爵令嬢は大丈夫ではありませんでしたね。」少し意地悪な顔をしてライオットが言った。
「私は大丈夫です」彼が助けに来てくれたおかげで、怪我もなく助かったのは事実だった。
「どうします? その血だらけドレスで会場にいってみんなを驚かせますか?私の軍隊をお貸ししましょうか?」 からかうようにライオットが言ってきたので無視してやった。それにしても人を招待しておいて、騙し討ちのような真似。
怒りで震えがとまらない、その怒りを必死で抑える。 アランの状況も気になるし、素人の私がここで治療にあたるより立場を生かして外交してくるべきかもしれない。 「エスパル王国に向かいます。馬を貸して頂けますか?」結局、コットン男爵邸の馬車とレノアのドレスを借り私はエスパル王国に向かった。
「ドレス、いつにも増して似合わないですね。」 ライオットが馬車に並走にしながら話しかけてくる。彼は以前ドレスネタで、私に撃退されたことを忘れてしまったのだろうか。
それとも、また私に同じ返しを求めているドMなのだろうか。「春らしくピンク色で素敵でしょ」
そういって私は勢いよくカーテンを閉めた。レノアのドレスは私には丈が短かった。
彼女の髪色にあった淡いピンク色のものが多かった。 自分には似合わないとわかっていても、桜を思い出させるその色は懐かしく気に入った。レノアは恐縮しながらも快くドレスを貸してくれた。
ヒロインに相応しい、優しい人柄。 疲れている時にふわふわなお布団みたいに包み込んでくれるような性格。ライオットも彼女のそんなところを好きになったのだろう。
だからといって、レノアのように振舞いたいとも思えない可愛くない自分。 心にチクリとトゲが刺さった気がした。「あら、残念。」俺はイヤホンから聞こえた、エレナ・アーデンのサンプルボイスに恐怖のあまりイヤホンをはずしてしまった。声だけで男を誘惑できる。超人気声優さんらしく、見た目が可愛いらしい。でも、この声優さんのスゴさは東京女らしいクレバーさだ。このセリフはエレナがライオットに無理な要求をして、初めてライオットが断った時のセリフだ。エレナはライオットに断られても別プランを持っているので、全く残念とは思っていない。だから、残念そうに言わないのが、このセリフを言う時の正解。適当に言われたことで、ライオットはエレナの要求をのまないと彼女に切り捨てられると思って焦る。結局、ライオットはエレナの無理な要求に従い、帝国に不利なことをしてしまう。このセリフをこんな風に適当に魅惑的に言うということは、脚本からライオットやエレナの関係性や心情の理解をしていないとできない。こんな声でこんなセリフを聞いたらオタクはいくらでもお金を貢いでしまいそうだ。この声優さんは東京で生き残るだけはある。可愛くて声が良いだけでは生き残れない、どういう風な話し方をすれば、人の気持ちを惹きつけるか常に計算している強かな女だ。俺の思っているエレナ・アーデンそのものだ。そんなことがあって楽しみにしていたアニメ第1話を見ようとしていた時だった。俺はオープニングを見た時点で今までにない、吐き気と冷や汗に襲われた。アニメのオープニングのクオリティーがとてつもなく高かったのだ。短期間でこれだけものを作ったアニメ制作会社の人たちを思い浮かべてしまった。きっと、俺のいたようなブラックな職場だ。やりがいを感じるように強制され、寝る間も惜しみ仕事に没頭させられる。『赤い獅子』はネタ元があったから書けた。その上、メディア界のフィクサーにエレナが気に入られたから運良くヒットした。フィクサーのおじさんのように成功していると美女に振り回されたい願望でも出てくるのだろうか。俺はもう強かな東京女に振り回されるのはたくさんだ。
エレナ・アーデンに憑依していたという松井えれなちゃんだ。「本当にとんでもなくバカな子なんだろうな。」そう、きっと彼女はとんでもなく愚かで本能に正直な子だ。だけど、自分自身が異世界だろうと主役であるふるまいができる子。そして実は強かなたくましさのある子に違いない。自分の婚約者の兄の脱獄を手引きしようとしたんだ。あんな完璧ボーイのアラン君より、パンツを履いているか心配のライオットが好き?にわかには信じがたい、男の趣味が悪すぎる。恋愛経験がない恋に恋する女の子なのかもしれない。赤い髪に黄金の瞳をもったワイルドな見た目。「ワイルド系が受けるのは若い時だけなんだよな。経験を積めば、包容力のある男の方が良いってえれなちゃんも分かるだろうに。」俺がライオットに憑依した時、彼はルックスも含めてティーンに受けそうな主人公だと思った。登場人物の見た目も含めて参考にさせてもらった。でも、松井えれなちゃんは俺のようなニートではない。異世界に1度目憑依した時は30分くらいだった。それでも、異世界では自分の世界以上にいる時いじょうの無力感を感じた。自分の世界で何もできない人間が異世界に行って何ができるのだろう。今も前にライオットに憑依した時も俺は何もかもが違うこの世界で何かできる気がしない。松井えれなちゃんが異世界でやらかしたと言うことは、彼女が自分の住む世界である程度の万能感を持って暮らしている人間だということだ。そうでもなければ、全く常識も何もかも通用しない世界でやらかすことさえできない。その上、手紙から察するにアラン君以外松井えれなちゃんがエレナ・アーデンのフリをしていたと誰も気づいてなかったとのこと。ものすごく本能的なバカに見えるけど、完璧令嬢エレナのフリをできるレベルだったということだ。俺がパンツもはいてるかわからないライオットのフリをしているのとは次元が違う。それに、アラン君の手紙の20通目までに書かれていた松井えれなの行動記録。たった2ヶ月のことなのに、凱
兄上、帝国に兄上を迎える準備が整いそうです。また、兄上とお話しできるのを楽しみにしています。アラン君の268通目の手紙の最後にそう書いてあった。俺はその言葉に震撼した。俺は彼と会うわけにはいかないのだ。彼は絶対に俺が本物のライオットではないと気がつくだろう。彼は俺が本物の兄ではないと気づいても大切にしてくれると思う。どれだけ彼が器の大きい優しい男かは知っている。しかし、彼はとんでもなく過保護で重い愛を兄に対して持っている。俺にも7歳年下の弟がいるが、もっとドライな関係だ。東京に出てからは盆暮れ正月に会うくらいだ。連絡なんて取り合わないし、年の離れた男兄弟なんてそんなもんだと思っていた。アラン君の兄への想いは、とてつもなくウェッティーだ。なにせ、俺は本物でないことがバレないように1度も手紙の返事をだしていない。それにも関わらず、毎週のように手紙を送ってくる。本物の兄が自分の知らない異世界にいるなんて知ったら、彼は心配のあまり卒倒するのではないか。手紙でアラン君に俺は島生活が気に入っているから帝国に戻りたくないと伝えれば良いかもしれない。でも、ライオットがどういう手紙の書き方をする人物なのか分からない。筆まめなアラン君のことだ、兄弟間でお手紙回しをしていたかもしれない。俺はこの優雅でのどかな生活に甘えていた。弟のアラン君のヒモか現地妻のようなポジション。彼から惜しみない愛を注がれている。傷ついた心を癒されて、今なら普通に東京でまた頑張れそうだ。俺はのんびりした生活で日本での生活を忘れそうになっていた。だから、アラン君の年表ラブレターを見習って自分の日本での生活を書き留めていた。今まで俺が生きて来た自分史みたいなものだ。地方出身の男が東京に夢見て、その非情さに打ちひしがれる話だ。それを出版して、あとがきに俺からアラン君へのメッセージを書いて俺の動向をチェックしてそうな彼に伝えようと思った。「島生活は執筆活
この世界そのものが一夫多妻制で、男尊女卑な傾向があった。しかし、アラン君の行った改革によって急速に男女平等に傾いていった。年齢も性別も関係なく能力によって要職に就けてしまうのだ。貧乏貴族令嬢や貧しい平民が家のために、望まぬ結婚をしなくてもすむ道筋が作られていた。貴族間においても、恋愛結婚する人も増えて来た。ほどなくして、北部の3つの国も帝国領となった。俺は、その1つの国に1時的に身を置いていたことがあった。驚くことに国民たちはエスパル王国が帝国領になったことで豊かになったのを見て、自分の国が帝国領になることを期待していた。愛国心より、自分の生活が豊かになることの方が大事なのだ。エスパルの出身者が帝国において一切の差別を受けておらず、能力さえ示せれば夢のような生活を送れることを示していた。帝国史を学んだり、帝国の要職試験への対策をすることがブームになっていた。そしてその国も、帝国領となり、俺はまた帝国外に移動した。アラン君に判断してもらうことを、人は平等な判断と思うようになっていた。アラン・レオハードという神の前で人は平等で、彼が献身的に帝国民に尽くしているのは誰の目にも明らかだった。彼が同等の権利を与えているエレナ・アーデンも女神のように思われていた。最初はアラン君は幼く皇帝としてどうかと不安を持たれていたらしい。俺の見た彼の姿は地上に舞い降りた天使の子だったからわかる。その外観からは彼を愛でたいという感情は湧いても、彼に従いたいと思わせるのは難しかっただろう。人々の生活を目に見えて変えることで、アラン君は自分が皇帝という地位にふさわしい人間だと納得させていったのだ。今は誰もがひれ伏すほどの絶世の美男子になっていて、その姿が余計に彼を余計に神格化しているようだった。毎週のように届くアラン君の手紙には、いつも花の種が入っていた。その花を育てるのが俺の楽しみだった。「さあ、次はどんな赤い花が咲くのかな?」水をあげていると、とても優しい気持ちになれた。いつ
「登場人物が生きてないんですよ。」2作目もダメ出しをくらった。心理描写については1作目より褒められたが、キャラクターに魅力がないらしい。それは、そうだ俺自身が女や人間に失望している。そんな俺に魅力的なキャラクターなど書けるはずもない。適当な甘い言葉にフラフラする薄っぺらい人間しか俺には書けない。人間という存在に魅力を感じていない、今すぐ人間をやめて鳥にでもなりたいくらいだ。俺の信じた人間は、結局俺のことをそこまで愛してもくれていなかったじゃないか。困った時に手を差し伸べてくれる人など1人もいなかった。女なんて調子の良い時だけ近づいてきて、俺を暇つぶしに使っていただけだ。出版社のブースで気落ちしながらダメ出しをくらっていたら、急に辺り一面が光って、ライオット・レオハードに憑依した。ライトノベルをひたすらに書く毎日を送ってたせいか、俺は異世界に転生したとすぐ判断した。あの時の俺はラノベ作家として成功することしか考えてなくて、ひたすらに異世界の情報を集めた。しっかりとモデルがいるから魅力的な登場人物が書ける気がした。兵士達は不幸皇子ライオットに気を遣って言いづらそうにしていたが、6歳の弟に乗り換えた強欲美女が気になって仕方なかった。一時的な記憶喪失を装い、とにかく彼女を中心とする人物の詳細を集めた。女性不信を最高に極めていた俺は彼女を徹底的に悪として書くことにした。俺の知っている女の強かさやズルさを詰め込んでやろうと思った。物語の中で思いっきり破滅させてやることで、俺を傷つけた女という存在そのものに復讐してやろうと思った。アラン君は自分の一番の後ろ盾であるカルマン公爵家を粛清しただけではない。皇帝に即位するのと同時に公の場で紫色の瞳の逸話も完全否定してしまった。彼が自分の立場を弱くすることを自らしていることが心配だった。俺の心配をよそに帝国の領土はとてつもないスピードで拡大していった。俺はその都度、帝国外の国に引越しをした。どこにいっても豪邸暮らし
『赤い獅子』での、アラン・レオハードは何にもできない世間知らずのおぼっちゃまだ。美しい婚約者エレナの言うことを疑うことなく、何でも聞いてしまう愚かな男。俺は以前ライオットに憑依した時、伝え聞いたアラン君の境遇は恵まれ過ぎていた。自分でも気がつかないうちにアラン君に嫉妬していて、こんな酷いキャラクターにしたのだろう。本当の彼は、とてつもなく聡明でライオットに対しても深い愛情を持っていた。忙しいだろうに、ライオットが寂しくないようにと毎週のように長文のお手紙をくれる。アラン君の人柄を表すような優しい文字と文章に俺は癒されていた。そして、それと同時に毎日のように考えてしまう松井えれなを少し恐ろしく思っていた。アラン君の婚約者の体を借りながら、勝手に他の人間に恋をして脱獄の手引きをして正体を明かす。アラン君にとって彼女は地獄の使者のような存在だろう。なぜ、彼女が剣を携えた騎士の中で自分の正体を明かしたり、好きな男を思い危険を顧みず脱獄の手引きをできたのか考えた。アラン君の最愛のエレナ・アーデンの体に入っていたからだ。そんな可能性を知りつつ彼女が自由に降り回っていた可能性に辿り着くと純粋で無鉄砲なだけではない松井えれなが余計に気になってしまった。21通目のアラン君の手紙から細かすぎる感想付きの年表のような展開がはじまった。この体の主ライオットとアラン君の出会いから時系列に沿って書かれていた。アラン君は0歳の時から、周囲の人々が話す言葉を完全に理解していたようだ。彼は全ての会話の内容を覚えていて、その時自分がどんなことを感じたかが書かれていた。ユーモアのある、優しい兄上が大好きで恋しいというのが行間からひしひし伝わってきた。アラン君は本当に兄ライオットに対して過保護だった。「兄上、パンツは履いていますか?」と書かれていた時には、ライオットは3歳児か何かなのかと笑いそうになった。アラン君はものすごく警戒心の強い子のようだった。「兄上、周囲の人間はみんな詐欺師です。親切な人はみんな兄上を陥