Share

第492話

Author: ルーシー
クッキーを渡していた女は立ち去らず、沙羅もまた昂輝の気を引こうとしていた。

沙羅は昂輝に向かって言った。

「東先輩、ご飯ごちそうします。

研究テーマを考えてくださったお礼ってことで」

誤解を招きやすい言い方だったが、昂輝は迷わず淡々と返した。

「学先生に頼まれたから手伝っただけだ」

――手を貸したのは学の頼みであって、沙羅にではない。

そうはっきり示す言葉だった。

隣でクッキーの袋を持ったままの女の子は、最初こそ沙羅を見て少し気後れしていたが、昂輝の態度を見た途端、ぱっと表情を明るくした。

沙羅は面子を潰されたのが堪えたのか、思わず声を出した。

「東先輩、あなた......」

だが昂輝は最後まで言わせなかった。

「用がないなら、先に行く」

そう言うと、彼は背を向けて歩き出した。

その瞬間、沙羅は反射的に彼の袖口をつかんだ。

「東先輩......私のこと、そんなに嫌いですか?」

昂輝は振り返り、冷えた顔で言い切った。

「嫌いだ」

沙羅は一拍置き、信じられないという目で昂輝を見つめた。

昂輝も彼女を見返し、淡々と告げた。

「昔は君の才に惹かれたことも
Continue to read this book for free
Scan code to download App
Locked Chapter

Latest chapter

  • これ以上は私でも我慢できません!   第504話

    だから当時の薫は、玲奈の親切を本気にしていなかった。ただのご機嫌取りだとさえ思っていた。けれど取り入りであれ何であれ、玲奈がかつて薫に良くしていた――それは紛れもない事実だ。薫は言葉に詰まり、智也のほうへ顔を向けた。「智也、これ......止めなくていいのか?」智也が何か言う前に、玲奈が先に言い放った。「止められるわけないでしょ。あなたと同じ。彼も、ろくな人間じゃない」薫は怒りに顔を歪め、玲奈に食ってかかった。「お前、この......」言い終える前に、智也が薫の腕を引いた。「沙羅が待ってる。お前もムキになるな。行くぞ」薫はまだ言い足りない顔だったが、結局それ以上は口をつぐんだ。ただ去り際に、玲奈を何度も憎々しげに睨みつけた。それを見て拓海が怒鳴った。「まだ睨むなら、目ぇ抉るぞ」薫は何も言わず、鼻で笑うように一度だけ嗤った。拓海が追いかけようとすると、玲奈が慌てて手を掴んだ。「須賀君、いい。そこまでしなくて」拓海は渋々、引いた。玲奈は彼の気持ちが落ち着いたのを確かめてから言った。「帰ろう」拓海は頷いた。「......うん」――その頃。智也と薫が沙羅のもとへ戻ると、沙羅は感動の涙で頬をぐしゃぐしゃにしていた。薫はその顔を見た瞬間、さっきまでの不機嫌が嘘みたいに消えた。残ったのは、満面の笑みと露骨な憧れだけ。近づきながら、薫は泣く沙羅をからかった。「それだけで泣くのか?智也がプロポーズしたら、お前、泣いて溶けるんじゃねぇの?」沙羅は薫を振り向き、わざと怒ったふりをした。「なにそれ。私を笑うなんて」そう言いながら、沙羅は手を伸ばして薫を叩こうとした。薫が避けると、沙羅は足を踏み鳴らして言った。「......三、二......」一を数える前に、薫は観念して立ち止まった。そして言い訳を並べる。「からかったつもりなんて本当にないよ。ただ君って、いつ見ても綺麗だなって思っただけ」その言葉で沙羅の虚栄心は満たされた。彼女はわざとらしく薫の頬をつねり、軽く叱る。「口がうまいんだから」薫は痛かったはずなのに声を上げなかった。むしろ心地よさそうですらある。つねられたところがじわりと赤くなり、そ

  • これ以上は私でも我慢できません!   第503話

    薫は本来、何か言うつもりだった。だが玲奈と拓海の姿が目に入った瞬間、反射的に口を閉ざした。人の流れがもう少し散ってから、薫は拓海が玲奈の腰に回している腕から視線を外し、わざと声を張り上げて智也に問いかけた。「智也さ、じゃあお前は?いつ沙羅さんにプロポーズするつもりなんだ?」智也は薫の意図をわかっていた。全部見えている。返事を待たずに、薫は畳みかけた。「もう会場の手配してるって聞いたけど?」智也はそこでようやく頷き、淡々と答えた。「......うん」声も大きくはない。けれどその「うん」は、こちら側にいる玲奈と拓海の耳にも十分届いた。薫も、智也が肯定するとは思っていなかった。だからこそ、さらに食いついた。「じゃあ、もう段取りは?いつやるんだ?」最初の一言は、確かに玲奈に対する見せびらかしのつもりもあった。だが今の二つは純粋に野次馬根性だ。智也は首を横に振った。「まだ決めてない」それを聞いて、薫は智也が本気でプロポーズを準備しているのだと悟り、勢いよく言った。「じゃあ俺が企画してやろうか?」智也は薄く笑い、断った。「いや。自分でやる」薫の胸には痛みが走った。それでも表には出さず、驚いたふりをして言った。「智也、沙羅さんに本当に優しいな。お前が誰かにこんなふうにするの、見たことない」智也は答えず、沈黙を選んだ。玲奈と拓海は並んで立ったまま、そのやり取りをすべて聞いていた。智也が黙ったのを見て、拓海が鼻で笑うように呟いた。「恥知らずって、無敵だな」薫は短気で、火がつくと早い。その言葉を聞くや否や振り向き、怒鳴りつけた。「拓海!今の、誰に言ってんだよ!」拓海は怯まない。むしろ嘲るように返した。「反応してるやつに言ってんだよ」薫は怒りで顔を歪め、袖をまくって歩み寄った。殴る気だ。拓海も一歩も引かず、真正面から立ちはだかった。肩が触れるほど詰め寄り、口元を吊り上げて吐き捨てた。「腰巾着め」薫は目を細め、危うい光を滲ませた。そして、声を低くして言った。「......死にてぇのか?」そう言うと、薫が手を出そうとした。拓海も肩を回し、拳を作った。場が一気に崩れそうになった、そのとき。玲奈

  • これ以上は私でも我慢できません!   第502話

    玲奈はその言葉に返事をしなかった。二人で並んで歩いていると、前方から突然、歓声が湧き上がった。先には人だかりができ、ライトがめまぐるしく切り替わっている。何を見ているのかわからないが、皆が声を上げてどよめいている。玲奈と拓海は反射的にそちらへ近づき、人の輪の中に押し入った。エスカレーターの縁から下の河原を見下ろすと、そこには大きくて圧倒されるほどのプロポーズの舞台が設えられていた。ピンクの花の海。巨大スクリーンには思い出の記録。風に揺れる風船とリボン。そして今、主役の男が大きなバラの花束を抱え、花畑の中に立つ女の子のもとへ歩いていく。女の子が花束を受け取ると、男はマイクを手に取った。親友や家族に背中を押され、男は堂々と愛を告げた。一緒に一生を歩みたい――その決意を、まっすぐ彼女に向けて。「今日こうして君の前に立つのは、軽率だと思うかもしれない。ぎこちなくて、格好悪いと思うかもしれない。でも、今夜このチャンスを逃したくない。伝えたいんだ。君を愛してる。君と結婚して、僕たちの何でもない日々を、ずっと一緒に過ごしたい。――結婚してくれますか?」その瞬間、周囲は一斉に沸いた。「受けてあげて!」「答えて!」女の子は頬を赤らめ、囃し立てられながら、こくりと頷いた。「......うん。いいよ」男は指輪をはめ、二人は抱き合い、キスを交わした。玲奈は河原を見下ろす場所の上に立ったまま、その光景を全部見ていた。あまりに温かい場面に、目の奥が熱くなり、涙がこぼれた。――智也と過ごした五年間の結婚生活。いつだって自分が尽くすばかりで、相手が何か驚きや儀式を用意してくれたことは一度もない。二人の関係は、持ちつ持たれつですらなかった。玲奈が泣いているのを見て、拓海が身をかがめ、耳元で言った。「何泣いてんだよ。お前が手に入れるのは、こんなもんじゃない。これよりもっといいんだぞ」玲奈は涙を拭い、踵を返して帰ろうとした。だが振り向いたその瞬間、視線が遠くの智也とぶつかった。智也は人混みの中に立ち、まるで逃がさないと言わんばかりに、玲奈を捉えていた。大勢の人を隔てて、二人の目が合った。言葉はない。玲奈の頬は涙で濡れ、目には怨みが滲んでいた。

  • これ以上は私でも我慢できません!   第501話

    拓海の言葉は、心晴のいちばん痛いところをまっすぐ抉った。玲奈はそれを聞いた瞬間、怒りに顔を向けて拓海を睨んだ。「須賀君、もうやめて......!」明は拓海の狙いがわかった。けれど同時に、このやり方が逆効果になりかねないことも怖かった。心晴の手はまだナイフの柄を強く握りしめている。玲奈の手からは血がぽたぽた落ち続けていた。それでも拓海は、玲奈の制止を聞かなかった。むしろ声を張り上げ、心晴に突きつける。「そのナイフを親友に向けてる暇があるなら、その時間で考えろ。どう証拠を集めるか、どうしたら和真にもっと重い判決を食らわせられるか。俺があなたなら、あいつにはとっくに冷たい鉄の手錠をはめさせてる。こんなふうに泣いて、腐って、周りを傷つけてる場合じゃない。......俺が死ぬとしても、あいつに代償を払わせてからだ」玲奈には拓海の火に油を注ぐ言い方を止められなかった。ただ不安げに心晴を見つめ、どうか今の言葉が届いてほしいと願った。拓海の言い方はきつい。でも言っていることは間違っていない。心晴は呆然として、空っぽの目で前を見つめたまま固まっていた。――けれど、耳には入ったのか。彼女はゆっくりと手を下ろしていった。玲奈はすぐにナイフを取り上げ、さっと片づけた。拓海は身を乗り出し、玲奈の血に濡れた手を握り込んだ。そのまま心晴に向かって言い放つ。「覚えとけ。生きてるから、何だってできる。死んだら――それで終わりだ」そう言うと、拓海は玲奈の手を引いて部屋を出た。玲奈はよろめきながらついていくしかなかった。拓海は立ち止まらず、エレベーターに乗せ、そのままマンションの外へ連れ出した。向かったのは診療所だった。拓海は医師に玲奈の傷の処置を頼んだ。処置室で、消毒と包帯を巻かれるたびに玲奈は眉を寄せ、痛みに耐えきれず小さく呻いた。拓海は痛みをわかっている。胸の中では心配で仕方なかった。それでも口は容赦しなかった。「自分が馬鹿やったんだ。黙って我慢しろ」玲奈は顔を上げ、むっとして言い返した。「須賀君、あなた......」拓海は視線を合わせたまま、硬い表情で言った。「誰かを守りたいなら、まず自分を守れ」玲奈は何も言えず、後ろめたさに目を

  • これ以上は私でも我慢できません!   第500話

    ――けれど、ここまで来たのなら。たとえ和真を二言三言罵るだけでも、あるいは一発平手打ちするだけでも。それだって心晴の鬱憤を晴らすことになる。玲奈はそう思っていた。玲奈が泣き崩れる姿を見て、拓海は胸が痛くてたまらなくなった。彼は勢いよく玲奈を抱き寄せ、頭を自分の胸元に押し当てた。そして静かに言い聞かせる。「信じろ。必ずあいつに代償を払わせる」玲奈は怒りで全身を震わせ、声を荒らげた。「でも、和真が死んだって......それで心晴の潔白は戻らない!」拓海は大きな手で玲奈の頭頂を撫で、声を低く落とす。「わかってる。......でも信じろ」その言葉を聞いているうちに、玲奈の気持ちは少しずつ落ち着いていった。最後には、かすれた声で、ほとんど無意識に頷いた。「......うん」拓海は玲奈を落ち着かせると、彼女を連れて心晴の家へ戻った。玄関に着いた途端、室内から心晴の泣き声が聞こえた。明は部屋の中で心晴を抱きしめ、何度も繰り返し語りかけていた。「もう終わった。自分を責め続けるのはやめよう、な?」心晴は何ひとつ聞き入れない。明に向かって繰り返す。「離れて......離れてよ」明は強く抱き締めたまま言った。「離れない」心晴は泣きながら、涙で顔をぐしゃぐしゃにして、懇願するような声を絞り出した。「お願い......少しだけ、ひとりにして」玄関先でそれを聞いた玲奈は、呼吸を整えてから中へ入った。戻る途中、玲奈はわざわざ遠回りして、城南にある心晴の好きな豚の角煮を買ってきていた。部屋に入ると、玲奈は手にした容器を持ち上げ、心晴に見せるように揺らして言った。「心晴、ほら。好きな豚の角煮、買ってきたよ。少し食べる?」だが玲奈が入ってきたことで、心晴の情緒は落ち着くどころか、いっそう崩れた。「出てって......みんな出てって!」玲奈は一瞬固まり、不安げに尋ねた。「......私も、だめ?」心晴はさらに大声で叫ぶ。「出てけ!みんな出てけ、出てけ!」玲奈にも、もうどうしようもない。彼女は明に言った。「長谷川さん......少し、ひとりにさせてあげよう」こうして玲奈たちは一緒に部屋を出た。リビングに立つと、玲奈は焦燥に駆

  • これ以上は私でも我慢できません!   第499話

    玲奈の返答は隙がなかった。それでも拓海は不安を拭えずに言った。「家にはキッチンもある。俺が作るから、お前はあの子のそばにいてやればいい。こんな時間に外へ出すのは心配だ」玲奈は顔を背けるようにして拓海を見て、譲らずに言い返した。「でも、心晴が城ケ丘のあの店がいいって言ったの」それを聞いて、拓海は黙り込んだ。だがすぐに言い添える。「なら俺も一緒に行く」玲奈は拓海を見て言った。「心晴がまだここにいる。代わりに見てて。和真がまた戻ってくるかもしれないから」拓海は「明がいるから大丈夫だ」と言いたかった。けれど玲奈はそれ以上聞く気がなく、背を向けてエレベーターのほうへ歩いていった。拓海は彼女の背中を見送りながら、胸騒ぎが消えなかった。明も玲奈の様子がおかしいと感じ、拓海に言った。「拓海、彼女について行って。ここは俺がいるから」その言葉で拓海は迷いが消え、すぐに玲奈を追いかけた。マンションの出入口に着いたとき、玲奈はちょうどタクシーに乗り込むところだった。止める間もなく車は走り去る。しかも向かった方向は城ケ丘ではなく、城葉台だった。この瞬間、拓海は確信した。さっきの玲奈の言葉は全部、嘘だ。拓海はためらわずに別のタクシーを止め、運転手に言った。「前の車を追ってくれ」車で三十分ほど走ると、ある住宅区画の入口で前のタクシーが停まった。玲奈は降りると、人の流れに紛れて中へ入っていった。だが敷地に入る直前、拓海が彼女を力強く引き戻した。拓海は怒りを滲ませて玲奈を睨みつけ、声を荒らげた。「何をするつもりだ?」玲奈は拓海だとわかると、わずかに驚いた。それから、いかにも無実という顔で言った。「別に、何もしないよ」拓海は刃物みたいに鋭い目をしていた。玲奈を見据えたまま言った。「城ケ丘に豚の角煮を買いに行くんじゃなかったのか。ここは城葉台だ」玲奈は周りをきょろきょろ見回してから答えた。「あ、道を間違えたのかも」拓海は、間違えただの故意だのはどうでもよかった。ただ玲奈の腕を掴んで言った。「戻るぞ」玲奈は拒んだ。「帰らない。帰りたいなら、勝手に帰れば」拒まれた瞬間、拓海は意図を悟った。彼女は最初からここへ来るつ

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status