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第5話

Author: むつき
鮮やかな赤が目に飛び込んだ瞬間、征士郎は強い衝撃を受けた。

彼は紗月を抱き上げ、瞳に一瞬、動揺の色を浮かべた。「どうした?」

その一瞬の変化を見た紗月は、心の奥深くに凍りついていた氷がわずかに溶けていったのを感じた。無理に笑みを浮かべた。「これ、わざと用意しておいた血糊なの……あなたも私のこと、心配してくれるんでしょう?」

紗月が何事もなかったように口元を拭うのを見て、騙されたと知った征士郎の胸に一気に怒りがこみ上げた。「俺の気を引くためなら、本当に手段を選ばないんだな!」

こんな計算高い女を、たった今、本気で心配してしまった自分が馬鹿らしい。

そう思うと、征士郎は上着を手に取って羽織り、容赦なくその場を立ち去った。

紗月は遠ざかっていく彼の背中を見つめながら、洗面台に手をつき、どうにか立っていた。

自分でも信じられなかった。あんな見え透いた嘘を、彼はあっさり信じたのだ。

その背中が次第に遠ざかるにつれ、紗月の瞳からも光が消えていった。

涙なのか血なのか分からないものが視界を曇らせ、目の前に薄い靄がかかった。

今にも崩れ落ちそうな体を必死に支えながら、彼女は最後に残った生への執念だけを頼りに朔弥に電話をかけた。「……朔弥さん、助けて」

……

朔弥が駆けつけ、紗月を連れて病院へ向かう車の中。

彼女は完全に視力を失っていた。助手席に座る彼女の両目は虚ろで、何も捉えてはいなかった。

隣にいる朔弥が彼女の手を握った。「世界でも指折りの脳外科医にはもう連絡を取った。今すぐ俺と海外へ行こう。必ず治してもらえる」

紗月は疲れ切ったようにシートに体を預け、弱々しい声で言った。「あと2か月だけ……待ってくれない?」

その美しい瞳には、深い悲しみが滲んでいた。「どうしても最後までやり遂げたいことがあるの。2か月経ったら、朔弥さんと一緒に海外へ行くから」

痩せ細った彼女を見つめ、朔弥は怒りを滲ませた。「分かってるのか?2か月も経ったら病状がさらに進行して、手術すらできなくなるかもしれないんだぞ!」

紗月は頷き、申し訳なさそうに言った。「これで最後だから。最後に一度だけ、わがままを許して。もう二度と……こんなことはしないから」

朔弥は呆然とした。

やがて目を赤くして窓の外へ顔を向け、それ以上、何も言えなくなった。

数日後、紗月の視力は戻った。

ただし、以前のようにはっきりとは見えない。視界はひどく霞み、すべてがぼんやりとしか見えなくなっていた。

征士郎に病院にいたことを知られるのを恐れた紗月は、退院すると急いで自宅へ戻った。

屋敷の中は数日前のままだった。

あちこちが散らかり、バスルームの鏡には、あの日の赤黒い血痕さえ残っていた。

彼は、一度も帰ってきていなかった。

胸が締めつけられるように痛んだ。

紗月は黙々と部屋を片づけ、雨に濡れながらゴミを屋敷の門外へ運び出した。

そのあと、振り返って広く静まり返った屋敷を見つめた。

いつしか涙と雨が混じり合い、頬を伝っていた。

喉の奥に苦いものが込み上げるのを感じながら、紗月は小さな声で歌を口ずさんだ。「目を開けても、何も見えない……そばにいるのが誰なのかも……」

……

深夜。足音を耳にして、紗月はようやく征士郎が帰ってきたことに気づいた。

彼女は静かに彼を見つめた。

もうその顔をはっきり見ることはできない。まるで灰色のフィルターを一枚隔てているかのように、すべてが霞んでいた。

「帰ってきたのね。お湯、沸かしてくる」

立ち上がったそのとき、征士郎が書類を彼女の前に差し出した。

そこには大きく【離婚協議書】と書かれていた。

――そんなに早く、私と離婚したいの……?

悲しみに沈む紗月の顔を見て、征士郎は嫌悪感を募らせた。

「彼女は今、ひどい状態なんだ。榊原雅臣が復縁を迫って暴力まで振るった。今も入院している。彼女には、俺の妻という立場が必要なんだ」

彼の言う「彼女」が、琴葉を指していることくらい、紗月にも分かった。

背筋が凍りついた。

紗月は顔を上げ、征士郎をじっと見つめた。

聞きたかった。

琴葉が暴力を振るわれるのは許せないのに、どうして私を傷つけることは平気だったの?

征士郎は悲しみに満ちた彼女の眼差しを見ても、離婚協議書をそのままテーブルに投げ出した。「署名しろ。これは、俺が彼女に償わなければならないことだ」

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