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僕の高校時代を象徴するものがあるとしたら、それはやはり彼女だろう。彼女に始まって彼女に終わる。そう言っても過言ではないぐらい、彼女は僕のすべてを決定づけた。
もし彼女がそこに居なければ、僕の青春時代を彩った友情や愛情はもちろんのこと、そこから先の人生で手にしたありとあらゆる価値あるものが、僕とは無縁のものとして時の彼方へとすべり落ちていたに違いない。 なんだか自分でもずいぶんと大げさなことを言っているような気がするのだけど、これは誇張でもなんでもなく、まったくの事実だ。 そしてその場合の僕は、自らの空虚を悟ることすらなく、何も持たない自分に昏い満足感すら抱いていたことだろう。 あの頃の僕は精神的に死にかけていた。 世界に魅力を感じなかったし、未来に希望を抱くこともなく、ただ当たり障りのない人生をやるせなく生きていくことだけを心がけていた。 早い話が、わざわざ自分で人生を棒に振ろうとしていたのだ。 愛も友情もいらないと言えば達観しているように聞こえるかもしれないが、実際のところは過去のトラウマに負けて誰も信じられなくなっていただけだ。 それでも不思議なことに、そんな日々の中でさえ僕は恋をした。 だけど、当時の僕には、その恋を実らせる力も気力もなくて、けっきょくそれは空虚な想いとして日々の繰り返しの中に埋没していくはずだった。 でも、そこに彼女が現れた。 僕と彼女の交流は、この恋を切っ掛けに始まることになる。 それはわずか2年にも満たない期間であり、その中で実際に彼女と過ごした時間は、さらに短かい。だけど、それは僕にとって、かけがえのない宝物になったのだ。 だから、今は彼女のことを語ろうと思う。 僕がこの世でいちばん大好きな、その少女のことを。熱中症のあと、学校を2日休んだ。 頭痛はすぐに治まったが、ダメージがお腹のほうに来たのだ。おかげでこの2日ばかり、トイレを友として過ごすことになってしまった。 それでも3日目には復活して、僕は意気揚々と学校に向かった。ようやく朝の彼女に会うことができる。期待に胸を膨らませるとはこういうことなのだろう。今日はいいことがありそうな気がした。「死にそうな顔してるわよ」 月子は僕に会うなり言った。「そ、そうかな? 僕は元気だし、今日は天気だし、今日も僕らのクラスは殺気で満ちあふれているよ」 「活気でしょ、活気。殺気で満ちてるクラスってどんなのよ? 怖すぎるわ」 夏休みが近いせいか、ホームルーム前の教室はいつも以上に賑やかだ。僕のふたりの友人も、離れたところで、やたらと大騒ぎしている。 その光景を遮るように月子が僕の目の前に立つ。「彼女に何かあったの?」 「…………」 僕は目を逸らした。真顔で月子が追い打ちをかけてくる。「寝取られた?」 「だから、そんなことを、しかも教室で言うなよ~~~っ!」 思わず叫んだら、クラスのみんなが一斉にこっちを向いた。 ま、まずい。とりあえず僕は、なんでもないんだとアピールするために、笑顔でみんなに手を振ったが、こともあろうか月子がツッコミを入れてくる。「よけいに怪しいなぁ」 「誰のせいだ!」 僕が言うと、月子はフッと笑って窓枠に腕をのせつつ空を見上げた。「きっと誰も悪くなかったのよ。彼女もまた歪んだ社会の犠牲者だったんだわ」 「いやいや、そんな三文サスペンスみたいなノリで誤魔化されないぞ。だいたい自分のことを他人ごとみたいに語るのはどうかと思う」 ジト目で言うと月子はこちらに向き直って誤魔化すように笑う。「ごめんごめん。けど本当にそっちの話なの?」 「今は言いたくない」 さすがに人目があり過ぎるうえに、いろんなところから注目されている。「わかった、それじゃあ、また後でね」
「三日森くん。三日森くん、起きて。駅に着くよ」 身体を揺すられて僕は目を覚ます。 なんだか柔らかくて心地良いところに頭をのせているようで、できることならもう少し眠っていたかった――と考えたところで、僕はぎょっとして目を見開いた。 目の前に月子の顔がある。 もっと手前に膨らんだ二つの、いわゆる母性の象徴がある。 つまり、この体勢は紛うことなき、膝枕――だった。「うわぁぁぁっ、ごめんなさいっ」 慌てて飛び起きると僕は自分の膝に両手をのせてお行儀良く座り直す。 それを見て月子が笑った。「気にしないで。こんなときなんだし」 月子はスカートのしわを伸ばしながら立ち上がると、僕に右手を差し出してきた。 今日は何度も僕にふれてくれた白くて柔らかい手だ。それを取って立ち上がると、列車は程なくして目的の駅に到着する。 扉が開くと、むせかえるような外の熱気と夏のニオイが全身を包み込む。燦々と降り注ぐ陽光の下、駅の屋根が落とした影がホームの床に白と黒のコントラストをくっきりと浮かび上がらせていた。 セミの大合唱が鼓膜を揺らし、またもや頭がクラクラして足下がふらついてしまう。それを月子は当然のように支えてくれた。 彼女に介護されながら歩き始めると、僕は駅の階段を上ったり降りたりして、ようやく改札をくぐる。いつもは何気なくやってることが一苦労だ。「うぅ……格好悪い」 「また言ってる」 月子に笑われて僕は赤面した。いろんな意味でばつが悪い。誰にも頼らないなんて言っておきながら、僕は今日だけでどれほど月子の世話になったことか。 なんだか誤魔化したくなって僕は投げやりに挑発的なことを口にする。「ああ、ここに居るのが君じゃなくて彼女だったらなぁ」 こんな失礼なことを言われて月子はきっと怒るだろうと思っていたのだけど、まったくその様子もなく、ごく自然に言葉を返してきた。「それを実現するためには、まず告白しないとね」 あてが外れた僕は、やむを得ずそのまま話を続ける。「告白はしないよ
まだ僕が未来に夢と希望を抱き、真面目に頑張っていた頃のことだ。 その当時、僕の学年では女子の間で、いろんな色や形のリボンを集めることが、ささやかなブームになっていた。 もちろん僕のような男子にはまったく関係のない話で、事実その事件が起きるまで、僕は流行っていることさえ知らずに居た。 事件というのは、まあわりとよくある話で、ようするに盗難だ。彼女たちのリボンが体育の授業中に、まとめてなくなったのだ。もしかしたら犯人は、ちょっとしたイタズラのつもりだったのかもしれない。 その頃の僕は何かとみんなに頼りにされていたこともあって、女の子たちからリボンを取り戻してくれるよう頼まれた。 名探偵ではないので犯人が誰かなんて見当もつかなかったけど、それはまだ校内のどこかに隠されているものだと僕は考えた。 まだ下校時間ではなかったから、犯人が誰であれ、大量のリボンを隠し持つのは難しい。ならば、きっと学校のどこかに隠したはず――そう考えたのだ。 はたして、それは屋上へとつづく階段の踊り場に積み上げられていた使われていない机の中から、まとめて見つかった。 僕は喜んで、それを彼女たちに届けに行ったのだが、そのとき誰かが言ったのだ。「やっぱり、三日森が犯人だったぞ!」 なにを言われているのか、一瞬わからなかった。 でも、その瞬間、そこに集まっていた全員の目が冷たいものに変わっていたんだ。 一瞬の間を開けて次々に罵声を浴びせられ、僕にリボンを探すように頼んでいた女子たちまでもが僕を罵り始めた。 混乱しつつも、僕は説明した。 そもそもリボンが盗まれたその時間に僕は体育倉庫で先生の手伝いをしていたから、そんなことは不可能だってことを理路整然とみんなに話したんだ。 だけど話し終えたとき返ってきたのは誰かのげんこつだった。 あとはもうみんなが寄ってたかっての殴る蹴るだ。 もちろん小学生のリンチなんて、たかが知れているから、大怪我なんかはしなかった。 ただ、そのとき誰かが言ったんだ。「前から生意気だと思ってたんだよ」 ――てね。 そ
クラスメイトさんの名前は沢木南月子だった。 さすがにあんなことがあると意識してしまうので、教室に居るだけで自然と覚えてしまう。 懸念していた片想いの彼女の件は噂話になることもなく、その日はもちろんのこと、次の日からも平穏な毎日がつづいていた。 けっきょく月子が電車に乗ってきたのはあの日だけで、僕はホッとしていた。面白がって変なお節介を焼こうとしないかと心配だったのだ。 いや、あるいはこれは自惚れだろう。僕なんかの恋路が赤の他人にとって、そんな面白いはずもない。 噂にしたってそういうことかもしれない。面白みのない男が誰かに一目惚れをしたなんて話をしても、きっと誰も喜びはしないだろう。 とくに月子のように人生が充実しているであろう人間は。 月子はクラスの中でも一際目立つ存在だ。容姿端麗で勉強もできればスポーツもできる優等生。 とくに6月に開催された体育祭での活躍はめざましかった。参加した個人種目のすべてで一位を勝ち取っていたはずだ。はっきり言って僕よりも体力があるのではなかろうか。 子供の頃のかけっこでは誰にも負けなかった僕も、ここではそう目立つ存在でもない。とくに徒競走に関しては手は抜いていなかったが前の奴にぜんぜん追いつけなかった。 そういえばそのときだ。ひさしぶりに月子に話しかけられたのは。「残念だったわね。あいつ、陸上部だもんね。陸上部が徒競走に出るなんて反則だわ」 眉を寄せてそれだけ言うと、月子はそのまま立ち去った。ちなみに彼女が参加した種目のすべてに陸上部員が参加していたという事実を彼女は知っているのだろうか? ぼんやりと月子の背中を見送っていると、背後から唐突にヘッドロックをかけられて、聞き慣れたバカっぽい声が耳元で聞こえてきた。「おいっ、三日森! なんでお前が月子さんに声をかけられてんだよ!」 絡んできたのは僕がいつもつるんでいる友人の片割れ、滝沢弘樹だ。 ややガタイのいいお調子者で勉強はダメだが運動神経はいい。この体育祭でもかなりの活躍をしていたはずだ。ただし、不良ではないのだが、どことなく不良っぽく、目つきが悪いせいで女子にはモテない。 僕は暑苦しい腕を引きはがそうとしながら、滝沢に苦情を言う。「なんでって、クラスメイトなんだから、べつに不思議じゃないだろ? だ
それから一年が過ぎた四月の朝。二年生になった僕は、規則正しく揺れる電車の中で、いつものように彼女を盗み見ていた。 彼女はこの一年の間、ほぼ毎日のように、この車両に乗ってくる。どうやら学年が上がっても、それは変わらないようだ。 残念ながら、あの日のように彼女が僕の隣に座ることは希で、たいていは今のように少し離れた場所に立つか座るかしている。それでも、その横顔を眺めているだけで僕は幸せな気分になれるのだ。 列車が揺れると僕の身体が揺れ、それと同じように彼女の身体も揺れる。そんなささやかなことにさえ小さな喜びを感じていると、揺れに合わせて僕の肩に軽くもたれかかってきた人物が突然口を開いた。「なるほど上玉だね」 「うん……えっ!?」 無意識に頷いてしまった後で、僕はぎょっとして真横を見た。 いつから乗っていたのか、そこに同じ学校の女子が座っている。 真っ先に目についたのは、その長い黒髪で、そいつはそれを首の後ろで左右に分けて、リボンで括って背中に垂らしていた。いわゆるツインテールの一種だろう。 ついでに顔を観察すれば、妙に澄んで見える大きな瞳が印象的で、美人と呼ぶよりも美少女という言葉のほうがしっくりくる。おまけにスタイルも良くて女子として非の打ち所がないように見えた。 僕が平凡な男であれば肩にもたれかかられた時点で鼻の下を伸ばしていただろう。 だけど僕は女に……彼女以外の女に興味はない。 もっともそいつは僕なんかにはお構いなしに、口元に意味ありげな笑みを浮かべつつ、彼女のほうへと品定めでもするかのような視線を向けていた。「だ、誰だ、君は?」 内心の動揺を隠すこともできずに問いかけると、そいつは僕に向き直って不思議そうな顔をした。それに対して僕が怪訝な表情を浮かべると、そいつはさらに眉を寄せつつ、口を開く。「冗談だと思いたいんだけど、もしかして本気で言ってる?」 「…………」 言われてから、あらためて考えると、確かにどこかで見たような気がする。少なくとも相手はこちらを知っているようだ。 ならば、あまり考えたくはないけど、可能性としていちばんあり得るのは――「もしかして……クラスメイトさん……ですか?」 「そうだね。それも隣の席の」 そいつの答えに僕は思わず顔を覆った。 なんてことだ。よりによって
恋に落ちるという言葉を発明したのは誰だろう。 淡々とつづくはずだった日々の中で、それは道にポッカリと空いた落とし穴のように僕を待ち構えていた。 高校を家から遠い私立校にしたのは、煩わしい人間関係を、すべて白紙に戻すためで、新しい環境下での生活や、そこにある出会いなんてものに、僕はまったく期待を抱いていなかった。 ましてや青春なんてものを謳歌したいなどとは夢にも思わない。 誰も信じない、誰も頼らない、誰もアテにもしない。それが僕のモットーだ。 思えば子供の頃の僕は愚かだった。 大人たちはみんながみんな立派な人格者だと思っていたし、近所の悪ガキも根は悪い奴じゃなくて、いつかはきちんと解り合えると信じていた。 人間は根本的に善で、世界は可能性に満ちあふれた素晴らしい場所だなんて、実にマヌケな思い込みをしていたのだ。 だから僕はいつだって、ひたむきに努力して、勉強も運動も頑張ったし、実際に学年一の秀才だなんて、おめでたいラベルを貼られてもいた。 もはや死語になって久しい気もするが「末は博士か大臣か」なんて本当に言われていたのだ。 実際のところ、本気で取りかかれば今だって、それほど成績は落ちていないはずだけど、僕は中学時代ずっと手を抜いていた。成績が上がれば希望の高校に進みづらくなるからだ。 もっと良いところを受験しなさいなんて言われるのは煩わしいし、そうでなくても学校で目立つのはイヤだ。どうせ、ろくなことにならないのだから。 僕が入学した私立星輪高校は、極めて平凡なレベルの学校だ。 その壮大な名前に反して特筆すべき点が特にないため、僕ら星輪の生徒は近隣の若者たちから「宇宙飛行士」なんてあだ名されている。 それでも卒業生のコメントによれば、自由な校風は何物にも代えがたく、卒業までの三年間、これといって煩わしい行事などひとつもなかったということだ。 ついでに言うと校舎は全館冷暖房完備で夏も冬も快適に過ごせるらしい。 日々の平穏ばかりを求める僕にとっては、まさしく理想的な学校だった。 なのに、入学式のあの日。 学校に向かうために乗った電車の中で、僕は生まれて初めての経験をした。 そう――恋に落ちたんだ。 僕が暮らす小さな町から星輪高校のある茜川までは、片道ほぼ一時間。彼女が現れたのは目的