Share

第15話

Author: AONO YUBAE
露わになった火傷の跡を見たまま、時也は動かなかった。

信じられないものを見るように傷を見つめ、やがて震える声で尋ねる。

「……それ、火事のときの?」

私は袖を戻しながら答えた。

「そう」

「皮膚移植は?こんな怪我してたなら、どうして言わなかったんだ?」

呼吸を乱す時也を、私はまっすぐ見返した。

「言ったところで、どうしたの?灯里が落ち着いてから、私のところに来るつもりだった?」

時也の表情が、目に見えてこわばった。

「そんなにひどい怪我だなんて知らなかった。てっきり軽い火傷だと思ってたし、玲奈なら自分で何とかできるって……」

また、それだった。

結局、時也にとって私は、何があっても一人で何とかできる人間だったのだ。

怪我をしても、つらいことがあっても、自分で乗り越えられる。だから火事のときでさえ、私を置いて灯里のもとへ行けた。

そう思うと、もう隠しておく理由はなかった。

「時也。火事の前の日、私は中絶手術を受けたの」

時也の目が大きく見開かれた。

「……何?」

「妊娠6週3日だった」

時也は言葉を失い、手にしていた傘を取り落とした。

「妊娠してた…
Continue to read this book for free
Scan code to download App
Locked Chapter

Latest chapter

  • すべてを失った私が、ロンドンで見つける春   第18話

    3日後、灯里と時也はそろって帰国し、離婚の手続きを済ませた。悠真は灯里が引き取り、時也が毎月養育費を支払うことになったという。灯里も時也の会社を辞め、別の小さな会社へ転職したらしい。今の灯里には、そこで働き続けるのも楽ではないだろう。けれど、もう私には関係のないことだった。私も新しい案件が始まったばかりで、本部では欧州エリア副統括の昇進候補に名前が挙がっていた。会議が終わればそのまま取引先へ向かうような、慌ただしい毎日が続いていた。そんな日々のまま半月ほど過ぎた頃、受付から電話が入った。「深津さん、柏木様がまたお見えです」「前回と同じく、お断りしてください」時也はこれまでにも何度か会社まで来ていたため、入館を断るよう社内で共有されていた。しばらくして窓の外を見ると、警備員に促されながら建物を出ていく時也の姿があった。何か訴えているようだったが、警備員が応じることはなく、結局、書類の入った封筒だけを受付に預けて立ち去った。その封筒には、二人で暮らすために用意していた家の権利関係の書類と、名義変更に必要な書類が入っていた。添えられた紙には、一言だけ書かれている。【家は修繕した。玲奈に返す】その申し出を断るつもりはなかった。あの家には、私自身も長い時間をかけて手を入れてきた。その日のうちに書類へ署名し、不動産会社へ売却を依頼した。家は直せても、終わった関係まで残しておく理由はなかった。冬を迎える頃、私は皮膚移植を受けることにした。火事を忘れたいからではない。あの出来事を忘れないことと、その傷跡まで一生残すことは別だと思えるようになったからだ。それに、腕に大きな傷跡を残したままでいるのも、もう嫌だった。入院を翌日に控えた夜、明人に家へ招かれた。食卓には、スペアリブ、魚の蒸し焼き、卵スープが並んでいた。見た目は少し不格好だったが、味は驚くほど私の好みに合っていた。「どうして私の好みの味が分かったんですか?」そう尋ねると、明人は隠す様子もなく、本棚から分厚い手書きのノートを2冊取り出した。最初のページにあったのは、見慣れた灯里の字だった。【玲奈専用レシピ】「灯里さんがロンドンを離れる前に、俺にこれをくれた。もう玲奈に顔向けできないから、せめてこれだけはって。胃が弱いか

  • すべてを失った私が、ロンドンで見つける春   第17話

    契約終了から2週間後、国内の元同僚から灯里の近況を聞いた。担当していた案件で問題が相次ぎ、社内調査が始まったため、灯里は一時的に職務を外されたらしい。時也がまだロンドンにいる今、これまでなら彼が表に出る前に収めていた問題も、そのまま調査の対象になっていた。経理からは誤った見積もりについて説明を求められ、法務では契約書の管理状況を確認され、各案件の遅延についても一つずつ経緯を追われているという。元同僚の話では、灯里は毎日のように時也へ電話をかけていたものの、ほとんどつながらなかったという。会社から仕事を外されたことや、いつ帰るのかを尋ねても、時也はまだロンドンに用があると答えるだけで、私のことを聞いても返事をしなかったらしい。その後も、会社の調査に対応するよう促したり、悠真のことはシッターに任せればいいと突き放したり、連絡を控えるよう求めたりと、返事はそっけないものばかりだったそうだ。そんなやり取りが続くうちに、親友を失ってまで手に入れた相手が、本当にそこまでして選ぶ価値のある人だったのか、灯里もようやく考え始めたのだろう。それから10日ほど経ったある日、仕事を終えてアパートへ戻ると、建物の前に灯里が立っていた。悠真を抱き、足元にスーツケースを置いた灯里は、私がそばを離れてからずいぶん痩せていた。私の姿を見るなり、かつてと同じように涙をこぼした。「玲奈……」私は数歩離れたところで足を止めた。「時也に会いに来たの?」灯里は強く首を横に振った。「玲奈に会いに来た」近くのカフェへ移ると、悠真はベビーカーの中ですぐに眠った。向かいに座った灯里は、カップを握りしめたまましばらく俯いていたが、やがてかすれた声で口を開いた。「玲奈。ごめんなさい。パーティーの夜、時也の様子がおかしいって気づいて、相沢さんのあとをついていったの。部屋が分かって……私、わざと入ったの」涙で何度も声を詰まらせながら、灯里は続けた。「ずっと時也が好きだった。本当は、一晩だけでいいと思ってた。妊娠するなんて思ってなかったし、悠真ができたからって時也が私と結婚するとも思ってなかった。でも、本当に手に入るかもしれないって分かったら……手放せなかった」薄々気づいてはいた。それでも本人の口から聞くと、やはり心は穏やかではいられなかった

  • すべてを失った私が、ロンドンで見つける春   第16話

    時也は帰国しなかった。翌日には孝男を通じて、私の会社からそう遠くない場所に3か月契約で部屋を借りていた。最初から、簡単に諦めて帰るつもりはなかったらしい。ほどなくして先方から担当変更の連絡が入り、灯里に代わって時也自身が案件を引き継ぐことになった。しかも、こちらの窓口には引き続き私を指定し、メールの末尾にはわざわざ一文まで添えられていた。【重要事項は、深津さん本人と直接確認します】狙いは分かっていたが、仕事である以上、私情だけで断るわけにもいかなかった。最初の打ち合わせ場所に指定されたのは、以前二人でロンドンを訪れたときに入ったレストランだった。そこで待っていた時也は、6年前の初デートで着ていた白いシャツに、私が贈った濃紺のネクタイを締めていた。腕には、社会人になって初めてもらったボーナスで私が贈った時計までつけている。もう何年も身につけていなかったはずのものばかりだった。私が時計に目を留めると、時也はうれしそうに笑った。「覚えてるだろ?」「柏木さん、仕事の話をしましょう」私はそのままパソコンを開いた。時也も一度は引き下がり、予算や進行状況について真面目に話を進めた。ところが打ち合わせが終わる頃になると、テーブルの脇から白いバラの花束を取り出した。「玲奈に買ったんだ」一気に疲れが増した気がして、私はパソコンを閉じた。「仕事は終わりました。花は持って帰ってください」「じゃあ、花はいい。せめて食事だけでもどう?」「遠慮します」「前に来たとき、この店のビーフウェリントンが好きだって――」最後まで聞く気にもなれず、私はそのまま席を立った。次に時也が持ち出したのは、週末の現地確認だった。指定された場所へ行ってみると、いるはずの関係者は誰一人おらず、テムズ川沿いで待っていたのは時也だけだった。「時也、いったい何がしたいの?」「ただ、玲奈と少し歩きたかった」「仕事を口実に呼び出したの?」「そうでもしないと、会ってくれないだろ」時也は悪びれる様子もなく続けた。「玲奈が俺を嫌ってるのは分かってる。でも、こうして会えてるうちは、まだやり直せるチャンスがある」帰ろうとすると、時也が前へ回り込んだ。「俺は本気だ。玲奈が帰りたくないなら、俺がロンドンに残る。灯里に会

  • すべてを失った私が、ロンドンで見つける春   第15話

    露わになった火傷の跡を見たまま、時也は動かなかった。信じられないものを見るように傷を見つめ、やがて震える声で尋ねる。「……それ、火事のときの?」私は袖を戻しながら答えた。「そう」「皮膚移植は?こんな怪我してたなら、どうして言わなかったんだ?」呼吸を乱す時也を、私はまっすぐ見返した。「言ったところで、どうしたの?灯里が落ち着いてから、私のところに来るつもりだった?」時也の表情が、目に見えてこわばった。「そんなにひどい怪我だなんて知らなかった。てっきり軽い火傷だと思ってたし、玲奈なら自分で何とかできるって……」また、それだった。結局、時也にとって私は、何があっても一人で何とかできる人間だったのだ。怪我をしても、つらいことがあっても、自分で乗り越えられる。だから火事のときでさえ、私を置いて灯里のもとへ行けた。そう思うと、もう隠しておく理由はなかった。「時也。火事の前の日、私は中絶手術を受けたの」時也の目が大きく見開かれた。「……何?」「妊娠6週3日だった」時也は言葉を失い、手にしていた傘を取り落とした。「妊娠してた……?どうして言わなかった?」「検査の日、悠真の病室の前で、時也が灯里を抱きしめて、息子が生まれたことを喜んでるのを見た」時也は黙ったまま、何も返さなかった。「そのあと私を非常階段まで連れていって、何しに来たのかって聞いたよね」あの日のことは、今でもはっきり覚えている。「本当は、あのとき妊娠したって言うつもりだった。でも時也が気にしてたのは、灯里と悠真のことだけだった」私は淡々と続けた。「その日の午後、一人で手術を受けた。あの子の存在を知ったのも、見送ったのも、私は一人だった」時也は何も言えず、ただ私を見つめていた。「その翌日に火事が起きたの。立っているのもつらい状態だったのに、すぐそばにいた私を通り過ぎて、時也は灯里を助けた」そこでようやく、時也の目が赤くなり、私を抱き寄せようと手を伸ばした。「玲奈……ごめん」私は一歩下がって、その手を避けた。「触らないで」時也の手が止まった。私の目に浮かぶ嫌悪と憎しみを見て、ようやくすべてを失ったことに気づいたのだろう。私も、存在さえ知らなかった自分の子どもも、もう戻らない。「知らな

  • すべてを失った私が、ロンドンで見つける春   第14話

    退社する頃には、ロンドンの街に細かな雨が降り始めていた。最後まで残っていた私と明人は、並んで会社を出た。「案件も無事に片づきましたし、打ち上げでもしましょうか?」「昨日の夜食が打ち上げじゃなかったんですか?」「あれは差し入れ。今日がちゃんとした打ち上げです」明人は真面目な顔でそう言いながら、車のドアを開けた。そのとき、背後から聞き慣れた声がした。「玲奈」1か月ぶりでも、異国の街でも、その声を聞き間違えるはずはなかった。振り返ると、会社の前に時也が立っていた。長く待っていたのだろう。黒いコートの肩は雨に濡れ、目元には疲れがにじんでいる。私を見つけた瞬間、時也の表情がわずかに明るくなったものの、肩まで短くなった髪に気づくと、驚いたように目を止めた。出国前まで腰近くまであった髪は、ロンドンへ来て3日目に切った。火傷の処置がしやすくなっただけでなく、長い髪と一緒に、過去もきっぱり切り捨てた。「どうしてここにいるの?」自分でも驚くほど、平静な声が出た。時也は答えず、隣にいる明人へ目を向ける。「誰だ?」「上司」明人は時也を一度見たあと、私に尋ねた。「大丈夫ですか?」「はい。少し話してから行きます」「分かりました。車で待っています」それ以上は何も聞かず、明人は私に傘を渡すと、そのまま車へ向かった。明人が離れるのを待っていたかのように、時也がこちらへ歩み寄ってきた。「メッセージを送った。どうして返さなかった?」「知らない番号には返さないから」「俺だって分かってただろ」「分かってたから削除したの」あまりにもあっさり認められるとは思っていなかったのだろう。時也は一瞬息を詰まらせ、しばらく私を見つめたあと、低い声で尋ねた。「3年もこっちにいるなら、どうして俺には何も言わなかったんだ?」その問いに、思わず笑いが漏れた。「聞かれてないから」今度こそ、時也は何も返せなかった。きっとこの1か月、時也はずっと自分に都合よく考えていたのだろう。私が怒ってロンドンへ来ただけで、灯里との結婚さえ終われば、いずれ当然のように自分のもとへ戻ってくるのだと。けれど、6年という時間がどれほど長くても、それはもう一度時也を選ぶ理由にはならない。私には仕事も、これからの人生もあ

  • すべてを失った私が、ロンドンで見つける春   第13話

    翌朝、出社するとすぐ、明人が警告表示のついた資料を私の机に置いた。「国内の案件でトラブルが起きています。3日以内に海外向けの修正版を出さないと、契約を見直されるそうです」資料を開き、担当者欄の名前を見た瞬間、手が止まった。水野灯里。1か月前、時也が私を担当から外し、灯里へ引き継がせた案件だった。すでに海外展開の段階まで進んでいるはずなのに、国内から送られてきた資料はひどく混乱していた。10分後、関係者が会議室に集まり、担当者が画面にメールを映しながら状況を説明した。「先方は最初にA案で了承していたのに、3日後には未承認と言い出しています。予算も合計と内訳で一桁ずれていて、納期も3通り。しかも新仕様で進めろと言う一方で、変更確認には応じていません」資料ごとに内容が食い違い、どれを基準に進めればいいのかも分からない。明人はひと通り説明を聞くと、私に視線を向けた。「深津さんなら、どうします?」「確認の取れていない変更は止めます。まず資料を整理して、どの内容で進めるのか確定させましょう。法務と経理、データ確認に2人お願いします」「ほかには?」「今夜は遅くなりそうです」「分かりました。必要な人はこちらで手配します」会議を終えると、すぐに先方へ正式なメールを送った。【本日16時までに、最終内容・予算・納期をご確認ください。期限までにご回答がない場合は、最後に承認された内容で進めます】送信して10分もしないうちに、灯里から電話がかかってきた。「玲奈、今回の担当って玲奈なの?」「水野さん、仕事の電話なので、その呼び方はやめてください」一瞬黙ったあと、灯里は言い直した。「……深津さん。前の資料が少し混乱してて。とりあえず私が言った内容で進めてもらえない?確認書類はあとで出すから」「できません。正式な確認が取れていない以上、こちらの判断では変更できません」「でも、明後日には時也へ報告しないといけないの」「でしたら、今日中に確認をお願いします」それだけ伝えて電話を切った。午後はチーム総出で、100通を超えるメールや資料を洗い直した。市場別のデータは入れ違い、予算表の数字も合わず、別案件の顧客情報まで紛れ込んでいる。それでも、驚きはしなかった。灯里はもともと細かな確認が得意な

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status