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3.ネクタイは仕事道具です

ผู้เขียน: 中岡 始
last update ปรับปรุงล่าสุด: 2025-10-24 15:49:40

晴臣が岡田のデスクに書類の束を置いたとき、朝の空気はすでに業務モードへと切り替わっていた。オフィスの中では、複合機の稼働音が遠くから微かに響いている。各デスクの電話はまだ静かで、キーボードを叩く音とマウスのクリック音が、時折リズムのように交差した。

岡田は、椅子の背もたれに深く体を預けたまま、晴臣の差し出した資料を受け取った。相変わらずネクタイは曲がっており、シャツの襟元にはわずかに朝の寝癖の名残が見える。それでも彼は飄々と笑いながら紙をめくり、口元だけで「ありがと」と呟いた。

「こちらの顧客管理システムが、今使っている基幹ソフトです。A、B、Cの三階層で分類していて、優先度と対応履歴はここで確認できます」

晴臣は隣のデスクに立ち、パソコンの画面を指しながら説明を続けた。岡田は頷きながら覗き込んでいるが、メモを取る素振りはまったくない。

普通なら少し眉をひそめるところだ。だが晴臣は、なぜか違和感を覚えなかった。

「このタグを選ぶと、昨年度の取引履歴に飛びます。ここから、営業担当者ごとの成約率も確認可能です」

「へえ、意外と融通効くんやな、これ」

「見た目以上に優秀です。分析機能も搭載されているので、応用次第ではかなり使えます」

岡田は身を乗り出し、マウスを持つ晴臣の手元をじっと見つめた。

「じゃあこの顧客リスト、カテゴリーで分けてから報告書に載せとこか。タグ機能使えば、絞り込み楽やろ」

思わず晴臣の手が止まった。

「……やるじゃないですか」

呟いた声には、わずかに驚きが混じっていた。想像よりずっと理解が早い。要点を即座に掴み、応用する力がある。記録に残らないが、現場で培われた勘のようなものが、確かに岡田にはあった。

岡田は口角を上げ、どこか誇らしげに笑った。

「こう見えて、10年もやっとるんよ?」

「見えませんね」

「そやろ?」

笑いながら岡田が椅子の背もたれに再びもたれたとき、晴臣はふと彼の胸元に視線を向けた。曲がったままのネクタイが、また斜めにずれている。中心が上に引っ張られていて、結び目のバランスが崩れていた。

きちんとしていないものが目に入ると、自然と指が動いてしまう。そんな性分なのだろう。晴臣は何も言わず、ネクタイに手を伸ばした。

指先が布に触れる瞬間、一瞬だけ迷いが走る。触れていいのか、というためらいではなかった。何に迷っているのか、自分でも分からない。だが、次の瞬間にはもう、指は結び目を整えていた。

静かに、左右のバランスを合わせ、首元にそっと位置を戻す。

岡田は驚いたように目を見開き、しばらくその手元を見つめていた。

「……あんた、器用やなあ」

声には笑いが混じっていたが、口調はゆるく、低かった。晴臣は手を引きながら、微かに息を吐く。

「人に指摘される前に、整えたほうがいいですよ」

「せやけど…誰もしてくれへんかったしな、これまで」

岡田はそう言って、ふっと真顔になった。

「そんなんしてくれんの、牧野くんだけやわ」

空気が、すっと静まる。

声に含まれていたのは、冗談とも、甘えとも取れる曖昧な響きだった。だが、そこに浮かんだ沈黙は軽いものではなかった。ふざけているようでいて、どこか真実味を帯びていた。

晴臣は言葉を返さなかった。ただ、再び自分のデスクに戻り、パソコンの前に座った。背後から岡田が椅子を揺らす音が聞こえる。その音が、妙に耳に残る。

何をどう返しても、冗談にしかならない気がした。それなのに、あの言葉の端にあった微かな本気が、なぜかずっと胸に残っている。

「俺な、こう見えて、誰かに何かしてもらうのって、ちょっと照れるんやけど…」

岡田がぽつりと呟いた。

「せやけど、あんたがやると、不思議と…ええなって思うんやわ」

晴臣は画面から目を逸らさずに、ほんの一瞬、唇の端をわずかに引き結んだ。

感情が動いたとき、すぐには言葉にならない。だからこそ、黙ることしかできないときがある。岡田の言葉に、何を思えばいいのか分からなかった。ただ、その曖昧な距離感に、なぜか抗う気になれなかった。

「業務に戻りましょう」

そう言った声が少し硬かったことに、晴臣自身は気づいていなかった。

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