ログイン友人たちとの飲み会で王様ゲームをしていたとき、如月奏多(きさらぎ かなた)が負けて、質問に答えることになった。 「俺と遥のあいだには、子どもがいる」 私、高瀬春名(たかせ はるな)は思わず彼を見た。全身がこわばった。 誰もが知っている。高瀬遥(たかせ はるか)は私にとって一番大切な妹で、奏多はつい先日、婚姻届を出したばかりの夫だった。 彼の口調は淡々としていて、どこか軽薄だった。 「三年前、酔った勢いだった。遥の格好が妙に色っぽくて、我慢できなかったんだ。まさか、それで妊娠するとは思わなかったけどな」 彼はうつむいて小さく笑い、含みを持たせるように言った。 「遥は、誰かさんよりスタイルもいいし、男を喜ばせるのもうまい。それに、子どもも産めない誰かさんと違って、俺を父親にしてくれる」 私はぎこちなく、隣にいる妹へ目を向けた。彼女は顔を真っ赤にして、うつむいたまま私を見ようとしなかった。 昨日、彼女は目を赤くしながら私の幸せを願い、私のために最高の結婚式を用意したいと言っていたのに。 奏多はグラスを置き、淡々と口を開いた。 「話は終わりだ」 その瞬間、場は静まり返り、全員の視線が私へ向けられた。
もっと見る奏多は、私がこんな反応をするとはまったく思っていなかったらしい。彼は一瞬呆然としたあと、改めて口を開いた。「仕事は辞めた。家も売った。遥とはもう完全に縁を切った。今の俺には何もない。ただお前に会いに来たんだ」私は書類を置き、振り返って彼を一目見た。「何もないくせに、よく私にいい暮らしをさせるなんて言えたわね。本当に図々しい」彼の顔から、さらに血の気が引いた。「春名、俺が悪かったのはわかってる……」「何が悪かったの?」私はデスクにもたれ、腕を組んだ。「言ってみて」彼は口を開いたが、そこで詰まった。「ほら。自分が何を間違えたのかさえ言えないのに、どうやって二度としないと保証するの?」「二度としない!」彼の声が急に大きくなり、膝で少し前へにじり寄った。「俺が人生で一番後悔してるのは、あの夜、酔ったことだ。いや、違う。あの飲み会で、あんなことを言ったことだ。お前に恥をかかせるつもりじゃなかった。あんなこと、言うべきじゃなかった……」「もういい」私は彼の言葉を遮った。やっぱり、聞きたくなかった。「奏多。あなたは今ここで跪いて、会いたかった、悪かったって言ってる。だから何?私にどうしてほしいの?あなたのところに戻れって?やり直せって?全部なかったことにしろって?」「俺たちは、やり直せる……」「何を根拠に?」その一言が、彼に深く突き刺さった。彼の涙が、ついにこぼれ落ちた。三十を過ぎた男がオフィスで跪き、子どものように泣いていた。周りでは、小声でざわつき始める人たちもいた。私の社員たちは、きっとこんな光景を見たことがなかったのだろう。自分たちの社長が、跪いて泣く男を冷めた目で見下ろしている光景を。「お前は俺を愛しているからだ」彼はかすれた声で言った。「昔は、あんなにも俺を愛していた」そうだ。昔は、あんなにもあなたを愛していた。あなたのために料理を覚えるほど。あなたのために、自分が愛していた仕事を諦めるほど。あなたのために、吐き気に耐えながら薬を飲み続け、市内の病院をすべて回るほど。けれど、あなたはどうだった?「奏多」私の声はとても静かだった。「昔は確かに、とても愛していた。でも、知ってる?それは昔の話よ」彼の目が、わずかに大きく見開かれ
奏多が私の会社のビルの下に現れたとき、私は四階で会議の真っ最中だった。受付から内線が入った。「高瀬社長、ご主人だと名乗る男性がお見えです。ご予約はないのですが、どうしてもお会いしたいと……」ご主人。奏多がここまで来たのか。離婚判決が下りてからもう一年以上経つというのに、よくもまだそんなことが言えたものだ。「通して」私は言った。彼がいったい何をするつもりなのか、見てみたかった。扉が開いたとき、私はコピー機のそばで書類を取っていた。白いシャツにスラックス。髪は適当に束ねているだけ。けれど奏多の目には、私はただの事務員に見えたらしい。「春名、本当にここにいたんだな!」彼は私に歩み寄ってきた。低く切羽詰まった声だった。胸の奥にため込んでいた言葉が、ようやくあふれ出したようだった。私は背筋を伸ばし、彼を見た。痩せて、老けていた。目の下には濃いクマがあり、長いことまともに眠っていない人のようだった。「どうやってここを見つけたの?」「ずっとお前を探していた……」「見た感じ、俺といた頃より苦労してるみたいだな。意地張らないで、俺のところに戻ってこいよ。大丈夫だ。今度こそ絶対に泣かせない。遥とはもう切った。これからはお前だけを大事にする……」彼は声を落とした。その口調には、かつて私が愛した、どこか傷ついたような甘えが混じっていた。「俺のところへ戻ってくれないか?」帰る。彼が私の妹と一緒に、私を裏切ったあの場所へ?私が黙ったままでいると、彼は私が迷っているとでも思ったのか、手を伸ばして私の手首をつかもうとした。「行こう。車は下にある。お前に悪いことをしたのはわかってる。でも、意地を張って自分をこんなふうにすることはないだろう……」彼の手が私に触れる前に、村上が彼のそばに立っていた。「お客様」村上の声は丁寧だった。「手をお放しください」「誰だ、お前は?」奏多は眉をひそめた。村上は彼を相手にせず、私のほうへ向き直って、軽く頭を下げた。「高瀬社長、会議開始まであと五分です。投資家の皆様はすでにお見えです」高瀬社長。奏多の手が宙でこわばり、顔の表情が少しずつ崩れていった。「わかった、村上さん」私は袖口を軽く直した。「この方にお引き取りいただいて
奏多の顔から、みるみる血の気が引いていった。まるで全身の血を抜かれたようだった。彼は口を開き、何かを言おうとした。けれど、自分には何も言えることがないと気づいた。彼女の言う通りだった。最低なのは、彼女ではなく自分のほうだった。あの夜を境に、二人のあいだに入った亀裂は、二度と埋まることがなかった。奏多は意識的に遥を避けるようになった。朝早く出て夜遅く帰り、ひどいときには何日も家に戻らなかった。遥は関係を取り戻そうとした。彼の好きな料理を作り、彼の好きな酒を買い、かつて彼が綺麗だと褒めたワンピースを着た。けれど奏多は、彼女に一瞥さえくれなかった。「奏多、ちゃんと話そう?お願い」彼女は彼を引き止めた。その声には、痛々しいほどの必死さがにじんでいた。奏多は冷たく彼女を見た。「私たち三人のこれからの生活だって、続けていかなきゃいけないでしょう。どうせ……」「これからなんてない」奏多は彼女の言葉を遮った。「俺は一度もお前を愛したことがない。お前が誰よりもわかっているはずだ」遥の目から、また涙があふれ出した。「じゃあ、どうして私をそばに置いたの?私のこと、少しも好きじゃなかったの?」「春名が戻ってくると思っていたからだ!」奏多は怒鳴った。「俺がお前を大事にしているように見せれば、春名は嫉妬して、俺のところに戻ってくると思っていた!なのに、戻ってこなかった!」彼の声は、ひどくかすれていた。「春名は行ってしまった!俺を捨てて、俺たちの子どもまで堕ろして、俺の前から完全に消えたんだ!全部お前のせいだ!お前のせいなんだ!」遥は全身を震わせ、大粒の涙をぼろぼろと落とした。「じゃあ……私に優しくしてくれたのは……全部嘘だったの?」奏多は答えなかった。沈黙が答えだった。遥は突然笑った。涙を飛ばしながら、体を震わせて笑った。「奏多、あなたって本当に可哀そうな人ね。誰よりもあなたを愛してくれた人を失って、今度は愛してもいない私に縛られている。自業自得よ」奏多の顔から血の気が引いていった。けれど、何も言い返せなかった。彼女の言う通りだったから。自業自得だった。さらに一か月が過ぎた。探偵がようやく、わずかな手がかりをつかんだ。私が最後に姿を見せたのは海都で、ある文化系
それからさらに一週間が過ぎた。探偵からは、相変わらず何の進展もない。奏多の我慢も、とうとう限界だった。眠れない夜が続き、彼は毎晩のようにリビングに座り込んでは、スマホに残った春名との昔の写真を眺めていた。写真の中の彼女は、あんなにも幸せそうに笑っていた。目を細めると、まるで三日月のようだった。彼女は、それほどまでに彼を愛していた。八年分の思い出があった。大学時代から卒業まで、賃貸の部屋で暮らしていた頃から、自分たちの家を買うまで、恋人から夫婦になるまで。春名は彼のために料理を覚え、彼のためにこの街に残った。自分のやりたかった仕事も、いつの間にか諦めていた。それなのに、彼は何をしたのか。春名が何よりも自分を信じていたそのときに、春名が何よりも大切にしていた人を抱いた。奏多は突然、スマホを壁に叩きつけた。画面が砕け、破片が床に散らばった。遥はその音で目を覚まし、裸足のまま駆け出してきた。散らかった床を見て、怖くて近づくこともできなかった。「奏多……どうしたの……」奏多はゆっくりと彼女のほうを振り向いた。その目つきは、ぞっとするほど陰鬱だった。「言え」声は喉の奥から絞り出したようだった。「あの夜、お前はわざとやったのか?」遥の顔から一瞬で血の気が引いた。「な……何のこと?」「三年前のあの夜、お前がわざと俺を誘ったのかって聞いてるんだ!」奏多は立ち上がり、一歩ずつ彼女へ迫った。「俺は酔っていた。何もはっきり覚えていない。だが、お前はどうなんだ?意識ははっきりしていたんだろう?俺がお前の姉の恋人だと知っていながら、春名の服を着て、春名の香水をつけて、お前はいったい何を企んでいたんだ!」遥の目から涙があふれ出し、彼女は必死に首を振った。「違う……違うの……あの日はあなたも飲みすぎていて、私たち、どちらも正気じゃなかった……」「ふざけるな!」奏多が怒鳴った。「防犯カメラを確認した。あの夜、お前が着てきたのは、春名のワンピースだった!」遥は全身をこわばらせ、力が抜けたようにその場に立ち尽くした。彼女は口を開いたが、一言も出てこなかった。「最初からわざとだったんだな」奏多は歯を食いしばった。「わざと妊娠して、俺に罪悪感を植えつけた。俺が責任を取らなきゃいけないと