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8・秘めたる想い・重ねる嘘

Author: 泉南佳那
last update Last Updated: 2025-07-03 07:57:15

なかでもひときわ目を惹いたのは、衣桁に掛けられた艶やかな着物だった。

柄は華やかな花籠模様だったけれど、全体に落ち着いた色目で、成人式に着たレンタルの振袖とは違う、とびきり上等な品であることは一目でわかった。

これほどの服を前にしたら、女の子ならみんな目を輝かせるだろう。

まして見るだけでなくすべて着られるのだから。

でもわたしはあまりの迫力に気後れしてしまった。

「こんな見事な衣装……着こなせる自信なんてない……」

おもわず声に出してつぶやいていた。

「モデルは初めて?」

驚いて声のしたほうを見ると、黒縁の眼鏡をかけた男性が立っていた。

きみが今回のモデルだね、と言って、名刺を渡してくれた。

上島渉(わたる)さん。

ここに並ぶ豪奢な衣装のデザイナーさんだった。

「はい。きちんと写真撮影したのは、成人式ぐらいで」

上島さんは優しげな表情で微笑んだ。優美で中性的な雰囲気の人だった。

「安西氏に押し切られたのかな? 彼、強引だからな」

「……ですね」

「実はぼくもそのくち。他の仕事で手一杯だったんだけど、彼にどうしてもって頼まれてさ。でも、今、きみに会って、がぜんやる気が湧いてきたよ。たしかに今回のコンセプトにぴったりの人だね」

「コンセプト?」

「ああ、聞いてないのかな? まあ後で、安西氏が話してくれると思うよ」

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  • たとえ、この恋が罪だとしても   8・秘めたる想い・重ねる嘘

    〈side Takito〉「へえ、この前とは雲泥の差ね」紗加が撮ったばかりの文乃の写真を見て、そう言った。 さっきテスト撮影が終わり、文乃はすでに帰っていた。「うん。おれも驚いた」 プリントのなかの文乃は、年末に撮ったときとは比べものにならないぐらい艶めいた表情をしている。衣装のせいかもしれない。 でも、やっぱりおれって見る目があるな、と自画自賛していたら、紗加が首をひねっている。「どういう心境の変化があったのかしら? あなた、手を出したの? あの子に」「まさか。何にもしてないよ。それに、婚約したばっかなんだって。おれは“人のもの”と“未成年”には手を出さないって決めてるの。面倒に巻き込まれるのはごめんだからね」「ふーん。なるほど……ね」 紗加は謎が解けたという顔をして、おれを見た。「そうよねえ。急に演技が上手くなるわけないもの」「どういうこと?」 「ふふっ。教えない。自分で考えてみたら」 「なんだよ。気になるじゃない」 おれは紗加を睨んだ。「罪作りね。色男って。でもまかせておいて。わたしがあの子からもっといい表情を引き出してあげる」何かを企んでいるときの紗加はまるで獲物に目をつけた肉食獣だ。ということは目をつけられた小動物は文乃、か。そう思うと、かすかに胸の奥が痛んだ。この痛みはなんだ? わけもなくもやもやするこの気持ちは?「本番の撮影が楽しみだわ」おれの戸惑いには気づかず、紗加は嬉しそうにつぶやいた。

  • たとえ、この恋が罪だとしても   8・秘めたる想い・重ねる嘘

    「うーん、口紅の色がどうも違う」5着目のワインレッドのドレスを撮影しているとき、安西さんはライトのなかに入ってきて、わたしの目の前に立った。「紗加、クレンジングと口紅持ってきて」 安西さんは化粧道具を受け取ると、ちょっとごめん、と言って、指先でわたしのあごをすくい上げた。あっ、と思わず声を上げそうになって、すんでのところで飲みこんだ。 こんなところで声を上げたら変に思われてしまう。口紅をカット綿でぬぐうと、安西さんは紅筆を使って私の唇に別の色の口紅を塗っていった。わたしの全神経は、唇一点に集中した。息がかかるほどの距離に安西さんがいる。 そう意識しただけで身体から力が抜けていきそうになった。「やっぱり、こっちの色でしょう。紗加、メモっといてね、ワインレッドには11番のルージュ。ん、顔赤いよ。熱あるんじゃない?」今度は額に手を当てられた。お願い、もう構わないで!「大丈夫そうだね。じゃあ、撮影続けるよ」あんなふうに触れられてしまうと、安西さんにハグされた記憶が一瞬でよみがえってくる。朝、あんなに必死で築いた心の壁はあっけなく崩壊した。 抑えつけていた分、さらに想いが募って苦しいほどだ。ほんの1メートルほどの距離にいる、カメラを構えている人にこの想いに気づいてほしい。でも気づかれたら本当は困るのだけど。わたしのなかで相反する気持ちがせわしなく交錯した。

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    わたしが答えるまえに、紗加さんが安西さんの隣に来て、そう言った。 「ひどいなあ、紗加まで」「さあ、そろそろはじめましょう。今日は忙しいわよ」 「ああ、そうだな。おふたりとも、今日はよろしくね」安西さんはカメラのほうに向かっていった。わたしも最初の衣装を着るために紗加さんの後に続いて、事務所に入っていった。 ******   各衣装それぞれをほんの10分ぐらいの短時間で撮影した。無理に意識しなくても、すっかり着せ替え人形の気分だ。撮影自体は2度目だったので、少しだけ慣れた。 安西さんの指示にできるだけ添えるように、それだけを気をつけた。それでも右を向いてと言われて、左を向いてしまったり、長いドレスの裾につまづいて派手にこけたりと、いろいろやらかしてしまった。安西さんはそんなわたしを見て、肩を震わせて笑いをこらえながら言った。「文乃ちゃんって、見た目は、お姫様かと思うぐらい楚々とした風情なのに、けっこう間が抜けてるよな」 「えー、仕方ないですよ。慣れてないんだから」 「ま、そういうとこが可愛いんだけど」「……」この人のことだ。 深い意味はないはず。 ぜったい、モデルになら誰にでも言うんだ。 可愛いって言われたからって浮かれちゃだめ。わたしは心のなかで一生懸命自分を説きふせていた。

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    上島さんは手に持っていた薄紅色のスカーフを黒いドレスに巻きつけながら、話を続けた。「心配してるみたいだから教えてあげる。モデルの極意なんて、じつに単純なものだよ。自分が人形になったと思えばいいんだ」「人形に?」思わず問い直していた。彼の言わんとすることがよく理解できなかった。「人形浄瑠璃って観たことある?」「えーと、文楽のことですか? 高校生のとき、学校の鑑賞会で見たのがそうかな」「ぼくは好きでね。よく行くんだけど、ただの人形が人間以上に美しく妖艶に見える瞬間があるんだ。語りや人形遣いの力でね。モデルも同じ。衣装やメイクや撮影の力で、つまりぼくたちの力で一番美しく見えるようにしてあげるものなんだよ。結果の心配はぼくらにゆだねてくれればいい」「はい……」素人のわたしがいくら下手な小細工をしたって無駄ってことかな。でもたしかにそうだ。 いくら意識したところで、なんにもできない。「さすが、いいこと言うなあ。そうそう、文乃ちゃんはただ、おれたちに身をゆだねてくれればいいんだよ、ね」安西さんが事務室での用事を済ませて、会話に割りこんできた。上島さんがくくっと喉をつまらせて笑った。「安西氏が言うと、なんだかいやらしく聞こえるなあ」「えっ? そんなことないよ、ねえ、文乃ちゃん」「あら、わたしは上島氏に一票」

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    なかでもひときわ目を惹いたのは、衣桁に掛けられた艶やかな着物だった。柄は華やかな花籠模様だったけれど、全体に落ち着いた色目で、成人式に着たレンタルの振袖とは違う、とびきり上等な品であることは一目でわかった。これほどの服を前にしたら、女の子ならみんな目を輝かせるだろう。 まして見るだけでなくすべて着られるのだから。でもわたしはあまりの迫力に気後れしてしまった。「こんな見事な衣装……着こなせる自信なんてない……」 おもわず声に出してつぶやいていた。 「モデルは初めて?」 驚いて声のしたほうを見ると、黒縁の眼鏡をかけた男性が立っていた。 きみが今回のモデルだね、と言って、名刺を渡してくれた。上島渉(わたる)さん。 ここに並ぶ豪奢な衣装のデザイナーさんだった。「はい。きちんと写真撮影したのは、成人式ぐらいで」上島さんは優しげな表情で微笑んだ。優美で中性的な雰囲気の人だった。「安西氏に押し切られたのかな? 彼、強引だからな」 「……ですね」「実はぼくもそのくち。他の仕事で手一杯だったんだけど、彼にどうしてもって頼まれてさ。でも、今、きみに会って、がぜんやる気が湧いてきたよ。たしかに今回のコンセプトにぴったりの人だね」 「コンセプト?」「ああ、聞いてないのかな? まあ後で、安西氏が話してくれると思うよ」

  • たとえ、この恋が罪だとしても   8・秘めたる想い・重ねる嘘

    「聞いてた?」 「あっ、ごめんなさい。もう一回言ってくれる」 考え事に気を取られていて、俊一さんの話を聞きのがしていた。「来週の週末に、一緒に大阪に行ける? 社宅を見にいこうかと思ってるんだけど」 週末には衣装合わせの予定が入っていた。「えっと、今週の日曜日は合唱の仲間とコンサートを聞きに行く約束があって。次の週末でもいい?」「最近、おれの予定に合わせてもらってばっかりだったもんな。いいよ、じゃ、来週にしよう」 「ありがとう」 わたしはまたひとつ、嘘を重ねた。 ******その衣装合わせの日。日曜日とはいえ、着いたのがまだ早い時間だったので、さすがの表参道も人はまばらだった。 今朝は冷え込みが厳しい。 吐く息が真っ白だ。わたしは、気合を入れるために、冷たい空気を肺に痛みを感じるほど思い切り吸いこんだ。安西さんを想う気持ちを封じこめるために心の周りに壁を築かなければ。わたしはただ、安西さんの仕事に協力するだけ。 いわば、会社の取引先の人間。 それだけ、それだけと、自分に暗示をかけるように唱えながら安西さんの事務所に向かった。スタジオのドアを開けたとたん、色とりどりのドレスをまとったマネキンが、所せましと並んでいるのが目に飛びこんできた。黒のベルベット、純白のタフタ、銀色の綸子、紅色のサテン、薄紫のシルク……目が眩みそうだ。

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