Mag-log in神は人に等しく与えると言う者がいる。
一方で、そんなものは存在しないと断じる者もいる。 俺は後者を否定しない。ただ、それでもなお前者の考えに寄り添いたい。 才能を持つがゆえに孤独に沈む者。才能がなくとも、人の温もりに囲まれて笑う者。 その差異はあれど、世界は不思議と帳尻が合うようにできている気がする。 そしてそれは、思春期の俺たちにも、例外なく訪れる真理だ。 だからこそ俺は、彼女を側で支えていかなくてはならない。 俺――雨宮直央(あまみやなお)――の一日は同じ屋根の下で暮らす――幼なじみの海堂(かいどう)エリカを起こすことから始まる。 彼女の部屋のドア前で、一度目を閉じてから静かに息を吐く。 新しい朝を受け入れる準備を整えてから、ドアを開け、一歩中へと足を踏み入れる。 ベッドの上では、エリカが安らかな寝息を立てていた。 カーテンの隙間から差し込む朝の光が、金色の髪を淡く照らし出す。 その姿は幻想的で、この世のものとは思えないほどの美しさを放っていた。 一緒に暮らして、もう一年以上。 それなのに、この光景を見るたび、初めて心を奪われた日のように胸が熱くなる。 「エリカ、起きろ。学校、遅れるぞ」 「ん……直央くん? おはよ~……」 ぼさぼさの髪のまま、眠たげな青い目をこすりながらエリカが顔を上げる。 「おはよう。……エリカ、日記、読んでみろ」 「日記? うーん……わかったぁ~」 エリカは、小さく首をかしげながらも、机の上のノートに手を伸ばした。 ……彼女にとって、“自分が自分である”ための確認作業。 彼女は、最初のページを開いたあと、一瞬だけ、顔色を変えた。その後、しばらく無言で読み込んだ。 少しだけ身体を震えさせ、今日という新しい現実を受け入れ、素早くページをめくり始め日記の内容を確認していく。 ひととおり読み終えると、顔を上げ、にっこりと微笑んだ。 「今日やることは、わかったか?」 「うん! ばっちり! ありがと、直央くん!」 エリカは満面の笑みを浮かべてそう言った。 彼女は毎朝、まず日記を読んでその日の予定を確認する――そんな習慣を自分に課している。 ……それを、俺がそっと教えるのが日課になっていた。 「なら、準備したら一緒に学校へ行くぞ」 「はーいっ! ねえ、今日の朝ごはんって何?」 「たしか……スクランブルエッグと、フレンチトーストって言ってたはずだ」 「ほんと!? フレンチトースト大好き!!」 エリカはぱっと立ち上がって、まるで犬のしっぽみたいに両手を振りながら喜びを表現する。 さっきまで眠たげだった彼女が、まるで嘘みたいに元気になっていて、その無邪気さに俺は救われる。 彼女は毎日、丁寧に日記を綴る。 それはただの記録なんかじゃない。 彼女がこの世界で、自分の輪郭を見失わないための、たしかな“証”。 世界に拒絶されても、諦めずに立ち向かっている。 その姿は、自分が生きた“証拠”であり、そして“希望”でもある。「う、嬉しい……!エリカ先輩、やっぱ優しくて可愛いし、ずっと仲良くなりたいって思ってたんです……!」 その気持ちが本物だって、言葉の熱から伝わってきた。 少しだけ遠慮がちにしていた蒼井さんにも、エリカはにこっと微笑みながら言う。 「ねっ、千紘ちゃんも、“エリカちゃん”って呼んで?」 「エ、エリカちゃん……」 頬を赤らめながらも、そう呼ぶ蒼井さん。 「うんっ、千紘ちゃん!」 嬉しそうに返すエリカの笑顔に、ふたりともつられて笑った。 ――そんな三人のやり取りを見て、微笑ましい気持ちになった。 「ねぇ、せっかくだし――二人とも、一緒にお昼どう?」 エリカが屈託のない笑顔でそう言った瞬間、蒼井さんと花守さんはぴくりと反応した。視線は、なぜか俺に向けられる。 「でも……二人って、今デート中ですよね?」 「いや〜、さすがにラブラブカップルの間に割り込む勇気はないですよ~?」 そんなふうに言いながらも、どこか探るような視線を向けてくる二人。俺は苦笑しながら答えた。 「大丈夫だ。エリカも話したがってるし、二人さえよければ、ぜひ。……それに、まだ付き合ってないから」 その瞬間だった。 「「まだ……付き合ってない?」」 二人の声が、まるでハモったみたいに重なる。 蒼井さんは一瞬、目を見開いて、ぽっと頬を染めた。 花守さんにいたっては、口元を押さえながらニヤニヤが止まらない様子。 ……ん? なんだその反応? 俺は一拍置いて、自分の発言を思い出す。 ――まだ付き合ってない しまった……そ
イルカの不調の原因を突き止めた俺たちは、水族館の一階にあるレストランへと向かった。 そのレストランは、ショーで使われたプールと隣接していて、大きなガラス越しにイルカたちが泳ぐ姿を間近に見ることができる。時間はまだ昼前で、店内は思ったより空いていた。おかげで、俺とエリカはガラスのすぐそば、特等席に座ることができた。 「直央くん!見て見てっ、イルカさんがめっちゃ近いよ!かわいい~~っ!」 エリカが、身を乗り出すようにしてガラスに顔を近づける。その瞳はキラキラと輝いていて、まるで本当に子どもみたいに無邪気だった。 その笑顔に、つられて俺まで笑ってしまう。 ――そのとき。 「……あれ?海堂先輩?」 不意にかけられた声に、俺たちは顔を上げた。 立っていたのは、「教科書の謎」を通して、想いを寄せていた日向くんと無事付き合うことができた蒼井さんだった。 昨日会ったばかりの彼女が、今日は私服姿で、友達らしき女の子と一緒にこちらを見ていた。 円さんに出会ったことに続いて、こんな偶然が二度もあるとは。 「あ、えっと……」 エリカが、ちょっと戸惑った表情で視線を泳がせる。 そうだった。円さんのときとは違い、エリカは目の前の相手が誰かが分からず、蒼井さんのことは初対面のようなものだ。 安直だった。休みの日だから大丈夫だろうと人物図鑑を読まなくていいと言ってしまった俺の落ち度だ。 だが、今その事で反省会をしても仕方がない、今は俺がフォローをすることが優先だ。 「蒼井千紘さん、偶然だね。昨日の”ファミレス”での”教科書の謎”で会ったばかりだね。”付き合い出したサッカー部の日向くん”は今日は一緒じゃないんだね? それに……そっちの子は初めましてだよね? 名前、聞いてもいい?」 エリカが日記か
イルカたちの様子がおかしかった原因を突き止めたあと、円さんから「少し待っていて」と言われ、俺とエリカはイルカショーのプールを泳ぐイルカたちを観客席から眺めていた。 「早く、安心できるおうちに戻るといいね」 「そうだな」 エリカが少し前のめりになりながらつぶやいたその一言。 そのとき彼女がどんな表情をしていたのか、横顔しか見えず、俺にはよく分からなかった。 エリカは、お母さんを悲惨な事故で亡くしてしばらくしてから、うちで暮らすようになった。 皮肉にも、最愛の人との思い出が詰まった家は、彼女にとって“安心できる場所”ではなくなってしまった。 記憶リセットのこともあり、皆で相談した結果――俺がそばで見守れる環境に身を置くのがベストだという結論になった。 エリカ自身もそれを望んだし、俺もそうするべきだと思った。 彼女が心の底から安心していられる場所を作りたい。そのためにも、今の 「事故の光景は忘れているが、お母さんが亡くなった事実だけは覚えている」 という状態を維持したまま、記憶リセットの問題を解決する。 都合がいいのは分かっている。それでも――。 「直央くん、どうしたの? 怖い顔して」 エリカの声にハッとして顔を上げる。 気づけばすぐ目の前に彼女がいて、心配そうにこちらを覗き込んでいた。 「いや、なんでもない」 「そっか……」 そう言ってエリカは俺の隣に座り直す。 なにも言わず、ただ隣に来るだけ。だけど、さっきよりも距離が近い気がした。 「お待たせ、二人とも……あら〜? もしかしてお邪魔だったかしら? 悪いわねぇ〜」 ちょうどそのとき、水族館の職員服に着替えた円さんがやってきた。 俺たちの雰囲気を誤解したのか、ニヤニヤしながら悪びれる様子もなく謝ってくる。 「円おばさん、そんなことないよ! 気にしないで」 「こら〜、誰がおばさんですって?」 「あ、あふぁふぁるひゃら、ふぉっへはやへて〜」 自分から悪ノリしたくせに“おばさん”と言われてエリカの頬をむにっと引っ張る円さん。 楽しそうに笑うエリカを見て、張りつめていた俺の表情も自然とほぐれていった。 「円さん、それより俺たちに、まだ何か話があるんじゃないですか?」 さっき待つように言われた理由を尋ねると、円さんはエリカの頬を離し、真
「ライトの種類が違うからだよ!」「ライトの……種類?」 藤田さんが首を傾げると、エリカは説明を始めた。「メインのプールは LED に変わってるけど、練習用のプールはハロゲンライトのままですよね?」エリカが天井を指差して、藤田さんはそれにつられ、天井を見上げる。「……ええ、そうね」 エリカは立ち上がり、二つのプールの天井を見比べる。「LEDって、光が白くて強いんだ。真下に向けて光を当てると、水面で反射が強くなって“鏡みたい”になるの」 対して、練習用プールの光は柔らかく広がっていた。「でも、ハロゲンライトは暖色で光が広がる。だから、水がちゃんと“水の色”に見える」 藤田さんが小さく呟く。「……だから水面の青さが違って見えたのね」「そう。水質は同じでも、光が違えば、水の見え方が変わるの」 俺はスマホの画面を操作しながら、エリカから引き継ぐ形で説明する。「イルカたちは、俺たちより“視力がいい”。しかも、水中で光の反射や影にとても敏感。つまり……メインプールのLEDが眩しすぎて、イルカが上を見られなかったってことか」「その通り!」 エリカが指を鳴らした。「ジャンプもバブルリングも、イルカが上を見る行動なんだよ。でも、LEDの強い白い光が水面で跳ね返って、イルカには“何が映っているのか判断できない世界”になっていたの」 円さんが息を呑んだ。「……だから、ジャンプする寸前で止まったり、位置がズレたりしたのね」「あの子たち、本当はやりたかったんだ。でも、“上が眩しくて見えなかった”。それだけ」 エリカの言葉は、決して責めていなかった。 ただ、イルカの気持ちを代弁するような優しさに満ちていた。 藤田さんは唇を噛み、震える声で言った。「……気づいてあげられなかった」「違うよ、藤田さん」
「……別のプールも見たいな。練習用とか、他にもありますよね?」「あるわよ。奥に二つ練習用のがね」 藤田さんと円さんに案内され、ショーの行われていたプールよりもさらに奥へと進み、訓練用のプールへと向かう。 そこで、藤田さんが口を開く。 「この二つと、メインのプールは繋がっていて、水質とかの環境は一緒なの。だけど、ここではいつも通りにジャンプできるし、バブルリングを作る子もいるのだけど、そういった子も、メインのプールだと急にできない、しなくなったりするの」「ここではできるのに、メインではしない?」 それなら、イルカ自身に問題があるわけではなく、環境に問題があるのでは? いや、だけどこの練習用のプールとメインのプールは繋がっていて水質などの環境は一緒なはず。パッと見た感じも、おかしな点は何も見当たらない。さっきのメインプールが小さくなったものが二つ並んでいるようにしか見えない。なのにどう言うことだ? 「ここは──」 俺が、頭を悩ませていると、エリカが水面を覗いて、目を見開いたかと思うと、バッと顔あげて叫んだ。「ひらめいた! イルカさんたちの様子がおかしかった原因はLEDライトだよ!」「えっ……LEDライト!?」 藤田さんと円さんが驚き、意味がわからないといった様子で立ちすくむ。「エリカ、どうしてLEDライトが原因なんだ?」「イルカさんたちは眩しかったんだよ。ほら水面を見て!」 エリカは水面近くにしゃがみこみ、真剣な表情で水の上に手のひらをかざした。 俺も横に並んで水面を見る。 「……眩しくない。さっきと、水面の見え方が全然違う」 訓練用プールの水面は、穏やかに揺れながら深い青色を保っていた。 光は柔らかく、天井のライトもはっきり映らない。 俺は練習用の天井とメインのプールをそれぞれ見上げる。「……なるほどそう言うことか」「うん、さっすが直央くん!」 俺がそう呟くと、エリカは
「その異変って、いつ頃からなんですか?」 問題の解決に向けて、さっそく藤田さんに問いかけると、彼女は少し考え込む。 「……一週間くらい前からかな。最初はたまたまかと思ってたんだけど、三日続いて“これは変だ”って」 「その時、何か変えたものはありますか? 餌とか訓練とか」 「餌も訓練も変えてない。水質も安定してるし、体調もいいの」 と、そこで藤田さんは思い出したように言った。 「あ、あの時期に照明を LED に替えたくらいかな。省エネのやつに」 「LED……?」 エリカが一瞬だけ反応する。 藤田さんは「ああ、そうそう」と軽く手を叩いた。 「前の照明はハロゲン型で熱がすごくてね。水温が上がりやすいのと、交換のたびに脚立に乗って危なかったの」 「へぇ……」 「LEDは省エネだし、熱がほとんど出ないの。長持ちするから交換も減るし、色温度も調整できるから写真が綺麗に撮れるってお客さんにも好評だったのよ。 SNSで拡散してもらえると集客にもつながるしね。今回変えたのは、お客さんの目に入る箇所だけだけど、いずれ全館のライトを変更する予定みたいよ」 確かに、イルカのショーは遅い時間にすることあるし、この屋外ショーのプールは館内の観覧エリアとも繋がっている。 館内は暗いため、その水槽内が明るければ写真の写りがよくなるというのも頷ける。 「プールの近くで、周りを確認させてもらえませんか? プールの環境が影響しているかもしれないので」 俺が告げると、藤田さんは少し驚いたように目を瞬いた。