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日記02:事件の前触れ

Auteur: 久遠遼
last update Date de publication: 2025-10-09 15:02:50

窓の外では、梅雨の名残を思わせる灰色の雲がまだところどころに浮かんでいた。けれど、雨上がりの湿った空気は少しずつ澄んで、校庭のアジサイが夕陽を受けて色濃く輝いている。

扇風機の回る音と、湿気を含んだ風に混じるインクの匂い。六月の教室はどこか蒸し暑く、それでいて一日の終わりを告げる気だるさに包まれていた。

「うへーようやく終わったな……疲れた~」

最後の授業が終わったと同時に、後ろの席に座る男子生徒が声をかけてきた。

三条真司。

俺とエリカの幼馴染その一。短く刈り込んだ黒髪は少し跳ねていて、シャツの袖からは日焼けした腕がのぞいている。絞られた体つきといい、無駄のない立ち姿といい、部活男子の鏡のような印象だ。

真司は二年生ながらサッカー部のエースで、今は夏の大会に向けて気合い十分らしい。

「なーに言ってのあんたは、ずーと寝てたじゃない」

今度は、その真司の隣の席から声が飛んでくる。

伊吹茉莉花。

幼馴染みその二。くっきりした二重に、まっすぐな黒目が印象的な、こちらも女子バスケ部のエースだ。

艶のある黒髪は高めのポニーテールにまとめられていて、スポーツ中でも乱れないのは、性格が出ているというかなんというか。

健康的な小麦色の肌。その横顔には、どこか雑誌のスポーツブランド特集に出てきそうな雰囲気すらある――

……黙ってさえいれば。

「いや、寝てたのは真司だけじゃないだろ?」

「そうだぜ、よだれ垂らしてよ~。俺より気持ちよく寝てたじゃねーかよ」

真司の言葉に茉莉花は顔を赤くして、バッと腕で口元を隠す。

「え! うそ!」

「うっそだよーん!」

「死ね!」

「ぐほぉ」

真司のデリカシーのない冗談に、茉莉花の鉄拳制裁が飛ぶ。

「エリカ~バカ真司がいじめる~」

明らかな棒読みで、前の席に座るエリカに抱きつきに行く。

イギリス人と日本人のハーフであるエリカは、肩に少しかかる程の金髪を整え、頭には印象的な青い蝶の髪飾りをつけている。

寝起きとは違い、しっかりと開かれたサファイアのような瞳は見るものの目を奪う。

「よーしよし、茉莉花ちゃんかわいそうに脳ミソ筋肉な真司なんてほっとこう」

「だーれが脳ミソ筋肉だ!!」

相変わらず騒がしいが、とても心地よいと感じる俺も大概だなと、笑みがこぼれる。

そんな時、教室の前側。入り口近い席の方から大きな話し声が聞こえてきた。

「えっ!? 本物の直筆サインじゃん!」

「それどうしたんだよ!」

「へへ、すげーだろ!」

同じクラスの男子三人が何やら興奮した様子で、会話をしていた。

その内の一人、相沢 隼人(あいざわはやと)の手には、何かのアニメキャラクターが大きく描かれたクリアファイルがあった。

それを二人の男子生徒、工藤 健太(くどうけんた)と倉本 朔真(くらもとさくま)が羨ましそうに見ていた。

相沢は鼻の下を擦りながら、得意げに笑う。

「実はこの前あった、限定イベントで抽選に当たったんだよ。倍率やばかったんだぜ? 数千人にひとりレベル」

「まじで!? そんなの一生自慢できるやつじゃん」

工藤の声が弾む、それに相沢はより気分を良くして、フィルム越しにクリアファイルを撫でた。

「だろ? だから絶対にフィルムからは出さない。空気に触れさせたら劣化するし、指紋でもついたら終わりだ。保存用ケースも注文してあるしな」

「さすが徹底してるね……」

倉本が感心したように呟くと、相沢はさらに口角を上げた。

「まあ、俺の作品への愛と作者へのリスペクトが伝わった結果だな」

それに工藤が頬をかきながらツッコミを入れる。

「てか、そんな大事な物なら学校に持ってくんなよな」

その様子を一緒に見ていたエリカは不思議そうに俺に問いかけてきた。

「ねぇねぇ、工藤くんの言う通り。そんな大切な物をなんで学校に持ってきてるの?」

「まあ……大切だからこそ肌身離さず持っておきたいし、自慢もしたくなるものなんだろ」

「ふーん、私の髪飾りみたいに?」

エリカが少しだけ首を傾けて、自分の頭につけた、青い蝶の髪飾りを指差す。

「そうだな」

この時はまだ、あのクリアファイルがちょっとした事件の切っ掛けなるなんて思いもしなかった。

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