⑤

「旦那さま」

執事に連れられて、２人の女性が赤ん坊をその腕に抱いて２階から降りて来た。

一人は家政婦の中川朋美（なかがわともみ）、もう一人は子守りの小野真里（おのまり）。

２人はそれぞれ泣き叫んでいる赤ん坊をあやしながら、ペコリと雪乃に頭を下げた。

本来なら今はお昼寝の時間で、彼女たちも少しゆっくりと過ごせる時間だったはずなのだが、いつもと違う雰囲気を感じたのか突然弟の陽斗が泣き出し、それに釣られるように姉の咲良（さくら）も目を覚まして泣き出したのだった。

彼女たちはこの新婚の奥さまが赤ん坊を見て、怒りに染まってしまうのではないかと恐れた。

ただでさえ泣き喚いているのに、もし怒鳴り声とか上げられたりしたら一体どうしたらいいのだろう…。

この双子の赤ん坊はとにかく敏感で、夜だって数時間も寝やしないのだ。その度に抱っこして、あやして、もうクタクタなのに、その上奥さまのご機嫌まで取らなきゃいけないなんて…もうやってられない…。

誰もが雪乃の反応を恐れていた。

でも、その時ー

「よしよし、どうしたの？大丈夫よ〜」

手にしていたスマホを置いたと思ったら雪乃は彼女たちに駆け寄り、その腕の中の赤ん坊に優しく話しかけた。

その表情はとても慈愛に満ちていて、彼女が母親だと言っても疑う者などいないようだった。

悠一はその姿をじっと見ていた。

「まだ眠たいのね。ミルクは？あげたの？」

「っあ、はい。先ほど…っ」

話しかけられた小野は、一瞬見惚れていた雪乃から声をかけられて、緊張して声を詰まらせた。

それに微笑んで頷き、雪乃は静かに口を開いた。

「そう。じゃあ、もう少し寝かせてあげて。部屋は真っ暗にしないで。あと、ベッドは別けずに一緒に並べて。きっと安心するから」

そう優しく指示すると、彼女は子供たちを愛おしそうに見つめた。

「いい子ね…。もう少しねんねしましょうねぇ」

そう囁いて、赤ん坊の柔らかなほっぺをその指先で優しく撫でた。

その後、２階にある子供部屋に彼らが連れて行かれるのを見送り、そして次の瞬間、彼女は悠一を振り返りキッと睨みつけた。

「どういうこと？」

視線の鋭さの割に、その口調は落ち着いたものだった。

彼女の反応が予想したものよりも冷静だったことに、悠一は内心ホッと胸を撫で下ろした。

「母親が育てられないとー」

「そうじゃないわっ」

「……」

悠一の言葉を遮り、雪乃はまだ座ったままの彼に指を突き付けた。

「なぜ何もしないの！？」

「？」

腰に手をやり、指先を突きつける。

まるで母親が説教をするような態度に、口角が上がった。

それを見てピクリと片眉を上げ、彼女は吐き捨てるように言った。

「あなたの子供なんでしょう！？なんで何もしないのよ！」

「……何かするべきだったか？」

本気でわからなくて首を捻る。

………。

駄目だわ、この人…。なんでこんなにニブチンなの？父親の自覚ないのかしらっ。

そう腹を立てながらも、ふと気が付いた。

ないかもしれないわね。そういえば、そうだった。この人、全然父親らしくなかったんだった。忘れてた、あんまり当たり前で…。

前の時、彼は子供たちを可愛がりはしたけれど、それはどこかぎこちなく、どちらかというと親戚のおじさんが会った時だけいい顔をしているような…そんな距離感が当たり前だった。

雪乃はそんなことを思い出し、ふぅ…と息をつくと改めて言い聞かせるようにゆっくりと説明した。

「いい？子育ては親がするべきよ。あなたはお金持ちだからお手伝いがあるのはいい事だけど、それはあくまでもお手伝いなの。子供を作ったのなら責任もって育てなさいっ。子供が泣いてるのにぼさっとしてるんじゃないわよっ」

「いや、俺はー」

「言い訳はいらないわ！」

彼女の剣幕に悠一はつい口を噤んだ。

「この調子じゃあ、きっと何もしてないのよね？ご飯も、おむつも、お風呂も、寝かしつけも！」

「……」

２階から戻って来た中川や小野をチラリと見ると、ウンウンと頷いている。

悠一はとりあえず「ごめん…」と言い、一先ず彼女を落ち着かせることにした。

執事の小高や他の使用人たちは、悠一のこの言葉に驚愕した。

旦那さまが謝った…！？

皆が固まる中雪乃は鼻をふんっと鳴らし、もう一度悠一の正面に座り直した。

「言っとくけど、誤魔化しは許さないわよ？」

「分かった」

悠一は微かに笑い、雪乃の怒った姿を見た。

「なによ？」

「いや、『完璧な令嬢』？」

「！」

くすっと微笑って言った悠一の言葉に、雪乃は瞬時に顔を赤くした。

「あなたーっ」

激昂しかけたが、やめた。

雪乃は肩の力を抜き、諦めたように苦笑いした。

「もうぶりっ子はやめたの」

「ぶりっ子だったの？」

可笑しそうに言う悠一をチラリと見た。

「そう」

「なんでやめたの？」

身体の底からため息をついた。

「昔、お祖母さまに言われたの。那須川家の嫁になりたいなら完璧じゃないといけないって。じゃないと認めないって」

自嘲するように唇を歪めて、泣きそうなのか、その眉をきゅっと顰めた彼女に、悠一は優しく問いかけた。

「もう結婚したからやめたの？」

そう言うと、雪乃は何度か目を瞬かせてフッと嘲笑った。

「違うわ。もう那須川家の嫁にならなくてもいいからやめたのよ」

「？結婚したよ？」

悠一は意味が分からないという風に首を傾げた。

だがこの瞬間、遂に雪乃は激昂した。