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第7話

Auteur: 弐宜
「今日はここで、僕の妻になってくれた彼女に心から感謝を伝えたいと思います」

そう言い終えると、博之はマイクを置き、私を優しく抱きしめ、そのままそっと唇にキスを落とした。

私の体は震えた。けれど、彼の穏やかな仕草に包まれるうちに、不思議と心が落ち着いていった。

実のところ、私たちの間には深い愛情があるわけではない。

知り合ってからまだ半年ほど。

以前から面識はあったものの、それほど親しい関係ではなかった。

私はわかっている。

彼が今、私のためにここで言葉を尽くしてくれているのは、進介の前で私の立場を守るためだということを。

そして、彼に完全に諦めさせるためでもある。

進介は、私たちが抱き合う姿を見つめながら、顔色がみるみる青ざめていった。

その後、彼がどのようにして会場を出て行ったのか、私は知らない。

北林家の警備員に連れ出されたのか、

それとも、自分から立ち去ったのか。

けれど、もうどうでもよかった。

彼との関係は終わった。

これからは、自分の人生を歩み始めなければならない。

その夜、家に戻ると、私は心身ともに疲れ果てている。

博之は足湯桶にお湯を張り
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