Mag-log in越智時人(おち ときと)が、私が働く市役所に迎えに来た。 窓口越しに、彼は突然、一通の婚姻届受理証明書を差し出した。 「実はな、これ、偽物なんだ。お前との再婚も、ただの暇潰しだ」 私が反応する間もなく、彼はもう一枚の証明書を手にひらりと振った。その口元は、何かを甘く思い返すようにほころんでいた。 「昨日、花華がな、俺の上に座ってキスしてきて……それがもう、たまらなくてさ。つい、こっちの本物を彼女と貰ってきちまった」 二度目の裏切り。バケツの冷水を頭から浴びせられたような気持ちだった。 信じられない。 私は彼を見つめ、震える声を絞り出した。「……どうして?」 「お前がバカだからだよ」 時人は、私の瞳が徐々に赤くなっていく様子を楽しそうに眺めながら、薄ら笑いを浮かべて、一枚のティッシュを差し出してきた。 「前に花華と三年間こっそりやってたときも、お前は最後まで気づかなかった。だから彼女と賭けたんだ。今度はどのくらいで気づくかってな」 そう言って、彼の視線が一瞬、私の首筋に残るキスマークに落ちる。一拍置いて、彼は肩をすくめた。 「花華は『せいぜい一年』って言ってた。だからこの一年、俺はわざと隙をたくさん見せてきたんだ。 でもな、こっちがもう演じるのに飽きても、お前は気づかなかったなんて。 今日が賭けの最終日だ。彼女に勝たせてやりたくて、機嫌を取ってやりたいんだ。 だから仕方なく、こうして自分から白状したってわけだ」
view moreすべてを終わらせた時人は、病院に戻ってきた。私を抱きしめながら、声は詰まっており、どこか悔しさも混じっている。「円乃……ちゃんと復讐してやったぞ。いつになったら起きてくれるんだ?悪かった……本当に悪かったと思ってる」それから彼は毎日、私のベッドのそばに張り付き、一歩も離れなかった。医者に「もっと動かしてあげてください」と言われれば、私の手足をマッサージする練習を始めた。不器用この上ない様子で、そしてマッサージをしながらよく泣いていた。彼は私たちの過去の話をした。初めて会った日のこと。私が白いワンピースを着ていた姿……話しているうちに、言葉に詰まった。そして私の手のひらに顔を埋めて、肩を震わせる。時人は食事も取らず、介護士が持ってきた食事は、何度も冷めていった。眠ろうともせず、一晩中ベッドのそばに座り込み、私が目を開ける瞬間を逃すまいとじっと見つめていた。半月と経たないうちに、時人はまるで人が変わったように痩せ細った。かつてのあの意気盛んな御曹司の面影はどこにもなかった。そんなある日、彼は会社の積もった仕事を片付け、疲れ切った身体で病室に戻った。――ベッドは、空っぽだった。布団はきちんと折りたたまれ、まるで最初から誰も寝ていなかったかのようだった。時人は狂ったように走り出し、看護師を捕まえて叫んだ。「どこだ!?どこに行ったんだ!?」看護師は怖がって震え上がった。「す、須藤さんは……今朝、目を覚ましまして……退院手続きをして、そのまま……行ってしまいました……」彼はその場で凍りついた。突然、激しく痛む胸を押さえると、次の瞬間、口から鮮血が噴き出した。人々が慌てふためく中で、彼はそのまま真っすぐに崩れ落ちた。その日から、時人は五年もの歳月をかけて、行けるところはすべて行き、この街の隅から隅までくまなく探し回った。しかし、何の手がかりも見つからなかった。彼の身体はどんどん悪くなっていく。咳をすると、血が混じることも珍しくなくなったが、それでも彼は何も感じていないかのようだった。――時人がようやく私を見つけたその日、迎えられたのは、私の結婚の知らせだった。彼は狂ったように車を飛ばし、その小さな町へ向かった。道中ずっと咳は止まらず、ハンドルは血で染まっていた。彼の視界は次第に
別荘の地下室で、悲鳴が一晩中響き渡った。男たちはついに耐え切れず、時人が再び刃を掲げたとき、泣き叫びながら、すべてを白状した。「す、すべて松原花華さんの指示です……!彼女から金をもらって、あの女の腹の子を始末しろと。それで……『好きに遊べ、あの女を人間扱いしなくていい』と。事が済めば、たっぷり利益がある、と。監視カメラは彼女が事前に外しました。でも、私たちは隠しカメラを回していて、全部録画してあります。証拠があります。見てください……!」時人の手が、空中で硬直した。録画が次々に呼び出され、スクリーンに映し出されたその瞬間、彼の目の前が何度も暗くなった。ついに真実が明らかになった。画面の中では、花華が両腕を組んで傍らに立っている。その顔に浮かぶ悪意のある笑みは、決して消えることがない。録音からは、私の断末魔のような泣き声が聞こえてくる。私は必死に腹を守り、丸まっていた。そして絶望の中で、時人の名前を叫んでいた。最後には、私の目の表情は懇願から絶望へと変わり、そして……全てが焼け果てた灰のように虚ろになっていった。時人は全身を震わせ、突然、腰を折るように曲げて胸を押さえ、ほとんど息ができなかった。ふと、彼は自分が病院に駆けつけて、私に花華に謝れと迫ったあの瞬間を思い出した。あのときの私の目は、空虚で呆然とした操り人形のようだった。それを思い出し、彼は立っているのもやっとで、よろめきながら二、三歩後ずさる。すべては花華が緻密に仕組んだ罠だった。彼は、間違った方を信じていた。「……松、原、花、華!」歯ぎしりしながらその名を呼ぶ。その声には、かつてないほどの憎しみが込められていた。その日以降、彼はほとんど息つく間もなく、花華のすべての退路を断ち切った。松原グループは一夜にして破綻に追い込まれた。花華の父親が自殺したというニュースが全国に広がったその日、彼女はようやく姿を現した。狂ったように飛びかかって平手で時人の頬を打った。声はかき乱れていた。「時人!あんた、よくも父を!」時人は避けず、その場に立ったまま平手を受け、口元はわずかに吊り上がるが、その目はますます冷たくなっていく。「円乃はお前と長年の友人だった。お前によくしてやっただろう?」花華は一瞬呆け、すぐに大きく笑い
時人は目を見開き、言葉を詰まらせた。「……俺はただ何となく言っただけだ。まさか本当に全部あいつの言いなりになるとは思わなかった!すぐに、夜が明けるまでにあの写真とトレンドをきれいに消し去れ。できなければ、お前たちはクビだ!そうだ。海外の医者が到着したら、数人を円乃の母親の病室にやれ。今、状態があまり良くないと聞いている」部下たちが何度も「かしこまりました」と返事をし、逃げるように立ち去っていく。その後、時人は両手を壁に当てたまま、体中が打ちのめされたかのように震えていた。「……ごめん、円乃。知らなかった。俺は……知らなかったんだ」彼の声は次第に小さくなり、泣き声が混じり始める。「起きてくれ。もう二度とお前を騙さない。すぐに婚姻届を出しに行く。何もかも……もうお前に嘘はつかない。円乃……起きてくれ……」……夜が明ける頃、ようやく医者が検査結果を持って歩み出た。彼は目の前に立つ時人を見つめ、厳しい表情でゆっくりと口を開いた。「患者さんは一命を取り留めました。しかし……身体の損傷は非常に深刻です。複数の骨折、内臓の損傷……そして最も深刻なのは――」医者は一呼吸置き、報告書を一枚めくって続けた。「最も深刻なのは――患者さんは過去に何度も体外受精の処置を受けており、子宮内膜に著しい損傷があることです。今回の流産で、身体には回復不能なダメージが生じました。今後、妊娠は……極めて困難でしょう」時人の顔色が、一段と青ざめる。医者の声が断続的に続く。「当院の記録によると、患者さんはこれまで三十回の体外受精に挑み、その全てが失敗しています。また、本日午前十時ごろ、患者さんは担当医に『やっと妊娠できました。この子を守ってください』とメッセージを送っています。そのメッセージが送信された時刻と、彼女が流産した時刻の間隔は……わずか三十分です」――空気が凍りついた。時人はその場で少しずつ硬直していく。心の底から、刺すような冷たさが広がっていく。三十回もの体外受精を経てようやく授かった命を、医者に守ってほしいと頼んだまさにその人が、わずか三十分後に金を払って男たちに自分の身体を汚させるはずがない。彼は馬鹿だが、それでもさすがにこの時点で異変に気づいた。その思い至った瞬間、彼はようやく血走った目を上げた
時人は、誰かに必死に引き止められて、ようやく私の後を追って飛び降りずに済んだ。彼は窓枠にうつ伏せになり、下に広がるあの痛々しい赤い染みを見つめた瞬間、目の前が真っ暗になり、くらりと倒れそうになった。彼はよろよろと階段を駆け下り、私が横たわる場所へと向かった。そこでは、私の下から血が、少しずつ、少しずつ広がっていく。そのとき、彼の耳の奥がはキーンと鳴り、世界からすべての音が消えた。正気に戻ると、彼は這うようにして私のそばに駆け寄り、指は制御できないほど激しく震えている。「円乃……そんな冗談、やめてくれ。起きてくれ!」彼の声には、かつてないほどの狼狽があった。「円乃、びっくりさせるなよ……」彼は手を伸ばして私を揺さぶろうとしたが、触れる直前でその手を引っ込み、私に触れることさえ怖がっているようだった。彼にはわからなかった。ただ花華に謝れと言っただけではないか。どうして飛び降りる必要があるのか。「円乃……俺に腹を立てるのは勝手だが、お前、自分の母親までも見捨てるつもりか?」震える指を私の鼻先に当て、微かな呼吸を感じたとき、彼の目の縁が一気に赤くなり、今にも泣き出しそうだった。「医者!早く医者を呼んでくれ!!至急だ!海外の一番いい医療チームを全部呼べ!今すぐにだ!」彼は声を荒げて叫び、涙が私の顔に落ちる。「円乃、耐えろ!死ぬな……絶対に死なせないからな!」私が担架に乗せられ、あらゆる医療器具を体に装着されるまで、彼の張りつめた心はようやく少しだけ緩んだ。結果を待つ一日一夜。彼は救急室の入り口にしっかりと張り付き、一歩も離れなかった。廊下で壁に寄りかかり、自分の血まみれの手を何度も何度も、取り憑かれたように見つめた。花華から電話がかかってきたが、彼はスクリーンに表示される名前を見つめ、初めてすぐには出なかった。数秒後、ようやく通話ボタンを押した。「どうしてまだ来てないの?私、一晩中待ってたんだから……」電話の向こうで、花華の声は甘ったるく、どことなく傲慢だ。「私の顔、まだ腫れが引いてないのよ。全部あなたのせいだから、罰として今すぐ来て私の相手をしなさいよ」時人はしばらく沈黙した後、かすれた声で言った。「……円乃が飛び降りた」電話の向こうが一瞬、静まり返った。すぐに、鼻で笑う声が