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第3話

Auteur: ギャクゲツ
大和田とのトラブル処理に、凛は一晩中奔走した。

自ら謝罪に出向き、医療費の全額負担を約束し、さらに市場価格より二割増しの追加契約を結ぶことで、ようやく事態を鎮静化させた。

家に戻った頃には、空は白み始めていた。

巨大な掃き出し窓から差し込む朝の光が、床に灰白色の斑点を落としている。

凛は鉛のように重い体を引きずって階段を上がった。長時間動き回ったせいで腕の傷がズキズキと痛み出し、包帯には薄らと血が滲んでいた。

薬を探そうと力を振り絞って一階へ降りようとした時、書斎から押し殺したような泣き声が聞こえてきた。

「奏多さん、わざとじゃないんです。ただ奥様を守りたかっただけなんです。あの男が奥様にあんな事をさせようとしたから、奥様が辱められるのが怖くて……」

「わかっているよ」

奏多の声は優しく、凛がこれまでに聞いたことのないような優しさに満ちていた。

レイの泣き声が次第に小さくなっていく。「そういえば、今日、赤ちゃんが蹴ったのを感じました。まるで『パパ、怒らないで』って言ってるみたいに。

まだ三ヶ月でよかったです。もしもう少し大きかったら、今日あんな風に奥様を守れなかったかもしれません……」

パパ?赤ちゃん?

凛の心臓が激しく収縮した。

書斎から再び奏多の声が響く。「余計な心配はするな。お前は静養して子供を守ることだけ考えればいい。N市の件は凛が何とかする。

レイ、自分の立場をわきまえろ。お前とは一夜の過ちに過ぎない。住む場所は与えたが、子供をダシにして本妻の座を狙おうなんて思うな。

僕が愛しているのは凛だけだ。僕たちの関係は絶対に凛に知られてはならない。もしバレたら、お前を許さないからな」

……

その後の言葉は、凛の耳には届かなかった。

全身の血液が一瞬に逆流するような感覚に襲われた。

妊娠十ヶ月。今、子供は三ヶ月。つまり、あの「七ヶ月」とはそういうことだったのか?

彼が言っていたサプライズとは、他の女との間にできた子供のことだったのか?

凛は自分がどうやって寝室に戻ったのか、もう覚えていない。

ベッドに腰を下ろした時、腕の傷が開いていることに気づいた。

鮮血が包帯を染めていくが、痛みは全く感じない。

極度の悲しみの中では、肉体の痛みなど無に等しいのだと知った。

握りしめたスマートフォンは、まだ録音を続けていた。

長年の仕事で身についた習慣が、まさか自宅で発揮されることになるとは。

適当に応急処置を済ませると、凛はパソコンを開いた。画面の青白い光が、血の気を失った彼女の顔を照らし出す。

【調査中止。判明した全ての資料を直ちにレポートにまとめて送って】

すぐに暗号化されたメールが届いた。その内容を目にした瞬間、凛の瞳孔がすっと細まった。

レイの背後にある事情は、想像以上に複雑だった。奏多は毒蛇を自ら懐に温め、その毒牙が喉元にあるとも知らず、愛しい女として抱いているのだ。

凛は目を閉じ、深く息を吐いた。奏多の愚かさの道連れに、神崎グループ全体を葬り去るわけにはいかない。

その夜、凛のパソコンから次々と指令が発信された。

海外に資産を再構築する指示を出した。全ての準備が整い次第、彼女は神崎グループのすべてを持って姿を消すつもりだ。奏多と彼の「忠実な犬」が、永遠に結ばれるように。

翌朝、凛は完璧なメイクを施し、腕の傷をシルクのシャツの下に隠した。

昨夜の絶望と心労が、まるで音のない幻夢であったかのように。

階段を降りると、奏多がレイのために料理を取り分けていた。その動作は甲斐甲斐しく優しい。

凛の姿を認めると彼の動きが止まり、顔に一瞬の不自然さが走ったが、すぐに隠された。

レイが勢いよく立ち上がった。足の傷が痛むのか、顔をしかめる。「奥様」

「凛、レイは足に怪我をしてるんだ。数日はあまり厳しくしないでやってくれ」

厳しく?

凛は足を止め、奏多を真っ直ぐに見つめた。一言も発していないのに、レイが勝手に立ち上がっただけで、自分が厳しくしたことになるのか?

失言に気づいたのか、奏多はすぐに話題を変えた。「N市の件、どうなった?」

「解決したわ」

凛の冷淡でよそよそしい態度に、奏多は理由のわからない苛立ちを覚えた。

だが、彼は弁解一つしようとはしなかった。
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