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第2話

流川芙美
理沙からすぐに返信が届いた。【承知しました、江崎さん。社長に伝えておきます】

胸を針で刺されたような痛みが走る。

配車アプリで呼んだタクシーがすぐに来なければ、冷たい雨の中で泣き崩れていたかもしれない。

何を言っても、まるで暖簾に腕押しだ。そんなやりきれない感覚には、とっくにうんざりしていた。

それでも、3時間に及ぶ列車の旅を終え、研の別荘に戻るころには、気持ちも少し落ち着いていた。

玄関を入った瞬間、ソファに座る研の姿が目に入る。

髪は濡れている。胸元の開いたバスローブからは、肌を伝う水滴がいくつも見える。

それは、かつて私が一番好きだった研の姿だった。

無意識に唇を結び、歩み寄ろうとした。

そのとき、バスルームから、甘く艶のある声が聞こえてきた。

「社長、今から髪を乾かしましょうか?」

声とともに、赤いネグリジェ姿の理沙がバスルームから出てくる。

振り向いた私は、理沙と目が合った。

そして、彼女が身に纏っている真紅のネグリジェに気づいた瞬間、皮肉な笑みを抑えきれなくなる。

そのネグリジェは、研が私のために自分で選んでくれた、たった一つのプレゼントだ。

もったいなくて、買ってから1度しか着ていない。

まさか今、それを理沙が着ているとは。

深く息を吸い込む。

「お二人の邪魔をしてごめんなさいね。どうやら、帰るタイミングを間違えたみたい」

そう言って、スーツケースを引き、背を向けて出ていこうとする。

すると、研が突然近づき、怒ったように私の腕をつかんだ。

「また何を騒いでるんだ。俺と理沙は視察の帰りに土砂降りに遭って、ずぶ濡れになったから、ここに戻って着替えただけだ」

本当は、何も言わずに耐えるつもりだった。なにしろ、あと4日もすれば、私は別の男と結婚するからだ。

今回ここへ戻ってきたのも、退職の手続きと、研に別れを告げるためだけだった。

研と理沙が外で何をしていようと、もう私には関係ない。

けれど、まだ別れてもいないのに、かつて自分の居場所だと思っていたこの家で、私のネグリジェを着た女と親密に過ごしていることだけは、どうしても許せなかった。

「じゃあ、彼女の胸元にあるキスマークも、雨のせいだとでも言うの?」

そのネグリジェは肌が透けるほど薄く、胸元や裾も大胆に開いたデザインだ。

だからこそ、薄いレース越しに刻まれたキスマークが、嫌でも目に入ってしまったのだ。

研の表情が、一瞬だけ強張った。

しかし、すかさず理沙が横から口を挟んだ。

「たとえ私の体にキスマークがあったとしても、それは私のプライベートなことです。江崎さんには関係ありませんし、口出しされる筋合いもありません。

もし私のことが目障りなら、もうこの別荘には来ません。ですが、何かあるたびに、すぐに家出をするのはやめてください。

社長はとても忙しいんです。毎日のようにこんなふうに振り回されては、社長だって疲れてしまいます」

さすがは有名大学を出ているだけある。たった数言で、私を理不尽に騒ぎ立てる厄介な女に仕立て上げた。

胸を締め付けるような痛みに耐え、理沙に言い返そうとした。

そのとき、研が氷のように冷たい声で言い放つ。

「今すぐ理沙に謝れ。理沙は俺の秘書だ。お前が八つ当たりするためのサンドバッグじゃないぞ。

これ以上、俺の忍耐を試すような真似はするな」

顔から血の気が引いていく。怒りを通り越して乾いた笑いを漏らし、研を見据える。

「私に謝れって?寝言は寝てから言って」

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Aktuellstes Kapitel

  • ガラスの靴を捨てて、走り出す   第12話

    清沢研・番外編心が結婚したときになって初めて、俺は、最愛の女を永遠に失ってしまったのだと気づいた。披露宴に乗り込んだあの日、本当は、心を連れ戻すつもりだった。自分が行けば、心は絶対に結婚をやめるはずだ。そう思い込んでいた。だが、披露宴の会場で、ウェディングドレス姿の心が親族たちと楽しそうにグラスを交わしているのを見た。吟の胸に寄り添いながら、近所のおばさんたちと声を上げて笑い合っている姿を見た。その笑顔を見た瞬間、その中に俺が入り込む隙などないと悟った。心は、自分の選択をした。そして、自分の手で自由を選び取った。実のところ、心が会社でどんな目に遭っていたのかも、理沙が俺に特別な感情を抱いていたことも分かっていた。それでも、あえて見て見ぬふりをした。それどころか、ときどき理沙と親密に過ごすことさえあった。俺は試していたのだ。心が口にしていた「一生、俺から離れない」という言葉が、本当なのか確かめたかった。しかし、心と別れて初めて気づいた。彼女を試していたのではない。自らの手で、かけがえのない人を永遠に手放してしまったのだ。エレベーターで初めて心と出会ったときのことを、俺は一生忘れないだろう。心は、驚くほど明るく、生き生きとしていた。両手に何10杯ものコーヒーを抱えながらも、愚痴ひとつこぼさなかった。大金持ちの家に生まれ育った俺は、数え切れないほどの権力争いを見てきた。それは兄弟が憎み合い、親子の情すら利益で繋がっているような世界だった。だからこそ、心がどうしてあんなにも無防備で、屈託のない笑顔で生きていけるのか、理解できなかった。彼女には金がなかった。父親は早くに亡くなり、大学の学費すら奨学金を借りてまかなっていた。母親も、小さな仕立て屋で、細々と生計を立てていた。それでも、心は一度も人生を恨んだことがなかった。そんなところに惹かれたのかもしれない。俺は自分から心に近づいた。そして、思った通りだった。甘い言葉をかけ、金に物を言わせると、半年もしないうちに、心は俺に夢中になった。それでも俺は、心と一緒に暮らす時間が好きだった。彼女は本当に純粋だった。俺に何かをねだることもなく、豪邸に住んでいながらも、ずっと安価な日用品を使い続けていた。いいものを知らないだけだと思った俺は、理沙に命じて心の

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  • ガラスの靴を捨てて、走り出す   第7話

    帰りの飛行機では、1時間ほどスマホの電源を切っていた。着陸して電源を入れると、メッセージが大量に届いていた。すべて、会社の同僚たちからだった。【嘘でしょ、江崎さん。社長と秘密で付き合ってたなんて、隠すの上手すぎ!】【江崎さん、すみません!もし今までに何か気に障ることをしていたなら、謝ります】どうやら、私と理沙の言い争いを、トイレに隠れていた女性社員がこっそり撮影し、社内のLINEグループに投稿したらしい。ようやく事情を把握したところで、タイミングを見計らったかのように研から電話がかかってきた。「今すぐメッセージを送って、俺の恋人だという噂を否定しろ」研が言い終わるか終わらないかのうちに、電話の向こうから理沙の泣き声が聞こえてくる。「社長、お願いです。辞めさせてください。こんな屈辱、とても耐えられません……」理沙がそう訴えると、研はそれ以上何も言わず、一方的に電話を切った。私は呆れて首を横に振る。銀行口座やいろいろなアカウントにこの電話番号を登録していなければ、今すぐ番号を変えてしまいたいくらいだ。けれど、そんな不快な気分は、すぐに吹き飛んだ。空港の到着ロビーの出口で、周防吟(すおう ぎん)が微笑みながら私を待っている。吟に向かって大きく手を振り、胸を高鳴らせて駆け寄っていく。「寒くない?どのくらい待ってたの?」吟は、しばらくじっと私を見つめてから口を開く。「朝の5時には来てたよ。君が……気持ちを変えてしまうんじゃないかって、怖かったんだ」胸がぎゅっと締め付けられる。深く息を吸ってから、まっすぐ吟を見つめる。「私から結婚してほしいって言ったあの瞬間から、後悔なんてしてないよ」途端に、吟の瞳がうっすら潤む。歩み寄って吟の腰に腕を回した。そしてスマホを取り出し、二人で肩を寄せ合うツーショットを撮る。「会社の人たちに、私と研のことが知られちゃったの。研から電話が来て、誤解だって説明しろって。もともとそのつもりだけど、始まりが秘密だったんだから、終わりも秘密のままでいい」吟は嬉しそうに笑った。「それで今の写真を送るの?だったらいっそ、俺たちの結婚式の招待状を送ろう」そう言うと、吟は私のスマホを受け取り、グループLINEに用意していたWeb招待状の画像を送信した。【皆さん、お

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