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第354話

Author: レイシ大好き
紗雪はまだ少し不安げだった。

京弥が返事をする前に、彼女は勝手に言い出した。

「やっぱりいいよ。自分でなんとかする」

京弥は何か言おうとしたが、紗雪がまだ完全に自分を信じ切っていないことに気づき、言葉を飲み込んだ。

大丈夫だ。

時間が経てば、きっと自分のことを理解してもらえる。

ゆっくりでいい。

今の京弥には、十分な忍耐力があった。

何より、以前に比べて紗雪は大きく変わっていた。

今は心を開いて、こんな話までしてくれるようになったのだ。

もし昔だったら、きっとこの話を彼にすることすらなかったはず。

それを思うと、京弥は嬉しくてたまらなかった。

自然と口元の笑みがこぼれてしまう。

京弥はもう一度口を開いた。

「何かあったら、すぐに俺に言ってくれ。君のためなら、いつでもどこでも助けに行くから。俺は、ずっと君の味方だよ」

その言葉に、紗雪の胸の奥がじんわりと温かくなった。

「うん。必要なときは、遠慮なく頼るから。もう変に気を使ったりしない」

あの日の出来事をきっかけに、紗雪は京弥が本当に自分に対して誠実だということを実感していた。

そして伊澄のことも、もうすっかり吹っ切れていた。

もともと彼女と京弥の間に感情はなかったし、自分がそれを気にする必要なんてなかったのだ。

自分が正妻なのに、変に悩んでいたら逆に愛人のような態度じゃないか。

今の紗雪は、心の中でしっかりと割り切れていた。

広い心を持つことは、自分自身への優しさでもあるのだと。

そう思った彼女は、腕に力を込めて京弥をぎゅっと抱きしめた。

京弥はそんな紗雪の積極的な態度に、胸が熱くなった。

彼もまた、しっかりと彼女を抱き返す。

ふたりは寄り添い、心を通わせながら、静かで穏やかな時間に包まれていた。

だが、一方で。

伊澄のいる部屋では、まったく違う空気が漂っていた。

部屋に入るや否や、彼女の表情は一変し、声を押し殺してバスルームで物を荒々しく投げ始めた。

今の彼女は、この家で尻尾を巻いて大人しくしていなければならなかった。

以前のように傲慢に振る舞うことは許されない。

紗雪との間にあれだけの約束を交わした以上、彼女の前に軽々しく顔を出すこともできない。

今は大人しくしておくしかない。

でなければ、あの紗雪、本気で自分を追い出しかねない。

伊澄は唇を噛
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