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第735話

Author: レイシ大好き
「そうやっていると、自分の人生の方向を見失ってしまう。

未来にどう進めばいいのかすら、分からなくなるんです

だから、努力はあくまで自分のためにするもの。他人のためにしてはいけません」

伊藤の言葉に、若い紗雪の瞳から徐々に迷いが消えていった。

そうだ、自分のために生きるんだ。

たとえ母が自分を好まなくても、それがどうだというのか。

彼女には彼女の人生があり、自分は一個の人間であって、思考も感情もない機械ではない。

自分には追いかけるべき生活や夢があるはずだ。

伊藤の言葉で、紗雪はふと思い出した。

自分の夢は何だったのか。

ここで立ち止まるなんて、自分がするべきことではない。

彼の言う通りだ。

数え切れないほどの賞を取ったのは、母を喜ばせるためだけだったのか?

本当は、自分を高めるためであり、夢を追うためだったはずだ。

学んできたことに、どれほどの時間を費やしたか。

それが今では、ただ母を喜ばせるための道具になってしまっていたなんて。

今の自分は、滑稽だ。

この世界を馬鹿にしているのか?

バカみたいだ。

「ありがとう、伊藤。自分が何をすべきか、わかってきた。

そうだよね、人は一度きりの人生。だからこそ、自分のために生きるべきだ。余計なことを考える必要なんてない」

若い紗雪が本当に吹っ切れた様子を見て、傍観者としての成長した紗雪もようやく安堵の息をついた。

結末を知っていたとはいえ、自分が立ち直っていく過程を目にするのは、やはり達成感がある。

それは癒しであり、喜びでもあった。

周囲の者たちも、心から彼女の回復を喜んでいた。

確かに彼女は名門の令嬢ではある。

だが、美月や緒莉との関係から、決して幸せな日々を送ってきたわけではなかった。

必要最低限のものは与えられても、それ以上の愛情は一切なかった。

それを思うと、使用人たちは胸が痛んだ。

けれど同時に、彼女はまだ恵まれているとも思った。

少なくとも、彼女のそばには自分たちがいる。

そして何より、伊藤が彼女の味方であることは明らかだった。

それに、亡き主人も紗雪様を溺愛していた。

あの頃が、きっと彼女にとって一番幸せな時期だったろう。

自分たちも、その姿を確かに目にしてきた。

間違いなく、主人は本当に紗雪様を大切にしていた。

それなのに、才能ある者を天が
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