LOGIN「わたしはヒロイン。殿下と結ばれるのが、運命なの」 そう信じて疑わなかった女子高生から転生した乙女ゲームのヒロイン、サフィー・プラハは、聖女グルナの囁きに従い、破滅したはずの悪役令嬢アプリルを再び告発する。 夢のような舞踏会、優しい王子の言葉。 ――すべては、偽りだった。 断罪、破滅、そして廃都への追放。 ヒロインであるはずの彼女は、気づけば「ヒドイン」として物語の外へ落とされていた。 崩壊した夢の中で、彼女は何を選ぶのか。 これは、聖女を信じて悪役令嬢を陥れ続けた少女が、すべてを失う物語。
View More目覚ましのベルが鳴って、私は慌てて布団から飛び起きた。
もうちょっと早く起きるはずだったけれども、寝過ごしちゃったみたい。「やば、また寝坊しそうだった……」
朝ごはんを急いでかきこんで、慌ただしく制服に袖を通す。鏡の前に立つけれど、そこに映る私はどこにでもいる普通の女子高生。
黒髪のセミロングに焦げ茶色の瞳。 ……なんだか、少し退屈な気がする。 と、考えている暇は無かったから急いで学校へ向かう。「お、おはよう……」
遅刻寸前で教室に入る。
「
山田さんが挨拶してくれた。
そこまで私自身、仲が良いのか分からないけれど、山田さんは今まで遅刻はしていない。 ただ暗くてどんよりしている、そんな女の子。「
「そうなんだよ……」
教室の奥で
「さて、ホームルームを始める」
そうしていたら、チャイムが鳴って先生が入ってきた。
いつものように授業が始まっていく。 順調に授業を受けていく。休み時間、教室で陽菜達と話していると、陽菜が笑いながら私に言った。
「そういえば佐奈、この前また募金に全部入れたんでしょ? ほんっと断れないんだから」
先日クラスで募金活動があった時、募金で財布に入っていたお金を入れたんだっけ。
流石に注目するよね。 財布をさかさまにして入れていたし。「えっ、だって……必要な人がいるならと思って」
私ははにかみながら答えた。
「バカだなぁ、騙されるよ絶対」
冗談めかして言われても、図星だから言い返せなかった。
だって実際、街で『幸運を呼ぶ壺』を売りつけられそうになったこともあったし。 冷静に考えれば怪しいのに……放課後は文芸部に向かう。
私の机の上には、ノートとパソコン。書くのはオリジナル小説だったり、乙女ゲーム『クリスタル・ガーデン』の二次創作だったり。 特に『転生ヒドインが破滅する』ざまぁ系の小説は、なぜかよく筆が進むし、ネットにアップできる。 でも、『クリスタル・ガーデン』のヒドイン破滅のざまぁ系は絶対に書きたくない。ヒロインのサフィー・プラハが破滅する話は特に。「サフィーが破滅するのは……イヤだ……」
私はサフィーに、自分を重ねちゃっているんだと思う。ゲームの中でも、彼女が破滅するルートは
「佐奈、また書いているの?」
同じ部員の
「やだ、見ないでよ」
「そっちこそ」
私達はそんな風に照れ隠しをしながら、それぞれ小説を書いていく。
でも私的には、『いいなぁ、ちゃんと書けてる』と羨ましく思ったりもする。「佐奈、ちょっと良い?」
小説を書いていると、文芸部の部室に友達の
「良いよ!」
「ありがとう、じゃあ小道具を運んで欲しいの」
舞台へ行って、衣装や舞台で使う小道具などを運んでいく。
そこそこの重さはあるけれども、これくらいは大丈夫。「マイクチェックもお願いできるかな」
セリフを読むと、マイク越しに自分の声が響いて、思った以上に迫真の演技になってしまった。
「佐奈、結構良い声してるじゃん」
そんな事を言われて、思わず赤くなった。
……でも、舞台の上で主役を演じる人を見たとき、胸がざわつく。 羨ましい。私もあそこに立ってみたい。 みんなから拍手される側になれたらーーって思う。 そう思いながらも、実際に立つことはできないから、ただ裏方の手伝いをするだけ。 主役を見ているだけ。「疲れちゃったから、マッサージ出来る?」
「もちろん!」
私は鈴鹿達にマッサージを行う。
「あっ、そこそこ……」
結構評判が良かったりする。
「敦賀さん、また明日ね」
「うん、また明日!」
演劇部の手伝いが終わった後、校門に向かう谷浜さんに挨拶をして、陸上部の練習場を通ると、陽菜に呼び止められた。
グラウンドはまだ熱気が残っている。 陽菜は陸上部に所属していて、大会にも出場している。「佐奈ー! ちょっと片付け手伝ってー! あとマッサージも!」
私は「良いよ!」と笑って答える。陽菜は走っているとき、本当に輝いて見える。
汗だくで、それでも楽しそうで。 そんな彼女の後ろ姿を見ながら、私は自分の影を意識する。 手伝いながら「羨ましいなぁ」って、心の奥で思ってしまう。「肩がガチガチで動かないのよ……」
片付けを行ったら、次は陽菜のマッサージを。
「わ、分かった。ちょっと失礼するね」
陽菜の肩に触れると、こわばった筋肉の感触。結構使っているんだね。
さすりながら優しくほぐしていく。「うわっ、楽になった! 佐奈のマッサージ、本当魔法みたい!」
「えへへ……役に立てたなら良かった」
「私もお願い!」
「もちろん!」
別の部員の身体もほぐしていく。
陽菜とは違った疲れ方なので、ほぐし方も別の方向から。「本当に助かった」
「疲れていたら、頼って良いからね!」
そう答えながらも、最後の一周とかをしている選手達の姿を目で追った。
他の部員達から声援を受け、ゴールに飛び込んで歓声を受ける彼ら。 彼らを羨ましく思っているけれども、私はいつも中心にはいない。「佐奈、いつもありがとうね」
「うん……」
褒められて胸が温かくなる一方で、心の奥では小さな棘がうずく。
(私だって……本当は、応援される側になりたいのに)
陸上部では支える人。
演劇部では裏方。 文芸部でも、書きかけの小説は最後まで仕上げられない。ーーどこにいても、主役にはなれない。
家に帰って、宿題を片付ける。 パソコンの前に座って、サフィー・プラハを主人公にした小説の続きを書くものの、結局アップロードのボタンを押せない。 代わりにざまぁ系の短編を投稿して、わずかな承認欲求を満たす。 パソコンの画面には、二つのフォルダが並んでいる。 一つは『サフィー小説』、もう一つは『ざまぁ投稿用』。 ……同じように小説を書いているのに、扱いはまるで違う。「溜まっちゃったな……」
『サフィー小説』の方には、未投稿のテキストデータがぎっしりと詰まっている。話はちゃんと出来上がっているけれども、投稿できていない。
サフィーが王子と結ばれる話に、サフィーが誰かに優しくされて、幸せに微笑む話。 ……私が心から『これがハッピーエンド』と思える物語ばかり。 でも、アップロードボタンにカーソルを合わせるたびに、心臓がバクバクして、結局キャンセルしてしまう。「もし、つまらないって言われたら……」
「もし、サフィーなんて嫌いってコメントをされたら……」
それは、私自身を否定されるみたいになってしまう。
だってサフィー=私だから。それが怖くて投稿できない。「こんなに投稿してきたのね……」
その一方で、『ざまぁ投稿用』の方は気楽だった。
テキストファイルに入っている小説は全て、アップロード済み。 転生したヒドインがわがまま言い過ぎて、結局破滅する話。 ライバルに嫌われ、王子に見放され、最後にはざまぁされる。 そういう筋書きだったら、どんどん書けたし、アップロードもできた。 『よくあるざまぁだけどスッキリした』『こういう展開好き!』、そんなコメントがつくだけで、胸が温かくなる。 ああ、ちゃんと誰かが読んでくれてるんだって。 ーー矛盾しているよね。 サフィーが破滅するのは絶対にイヤ。だけど、別の”誰か”なら破滅しても平気。 私はサフィーを守りたい。だってサフィーは私だから。 でもその裏では、嫉妬や劣等感を別のキャラクターに投影して、破滅させて満足している。 矛盾しているのに、やめられない。 投稿サイトの『マイページ』を眺めながら、私はそっとため息をついた。 その後、ゲーム機を取って『クリスタル・ガーデン』を起動。 何度も遊び尽くした、学園と恋と陰謀に満ちた乙女ゲーム。 サフィー・プラハはこのゲームのヒロインで、私はこのゲームの二次創作を書いている。 彼女が王子と結ばれるルートを繰り返し攻略する。 決してサフィーが破滅するエンディングは見たくない。最悪のバッドエンドだから。「やっぱり、ここが一番ハッピーエンドだよね……」
コントローラーを握ったまま、まぶたが重くなる。
「佐奈、昨日ゲームしながら寝てたでしょ」朝、目を覚ましたらゲームのエンディング画面のまま。どうやら寝落ちしたみたい。
母にからかわれて、私は顔を赤くする。「ちょっとだけのつもりだったんだけど……」
どうしてもやめられない。サフィーが幸せになるルートを見ていると、私まで救われる気がするから。
私も幸せになっている。そんな気持ち。「佐奈ー! 今日も片付けよろしく!」
「うん、良いよ」
教室で今日も陽菜に呼ばれる。
私は笑って答えるけれど、心の奥では思ってしまう。 ーーどうして私は、いつも頼まれる側なんだろう。 陽菜は大会で記録を出して表彰台に乗って、賞状を貰って。 羨ましいな、あんな風に注目されて。「やっぱり難しいなぁ……」
カタカタとキーボードを叩く音が、静かな部屋に響いている。
華怜が画面に集中している横で、私はノートをめくりながらため息をついていた。「……今日も中途半端」
サフィーの話を思いついたけれども、仮に投稿したとして喜んでもらえるものなのか不安になる。
喜んでもらえるようなそこまでストーリーが思い浮かばない。 サフィーがハッピーエンドになる話は、私がハッピーエンドだと思っている話だから。「佐奈、結構こっちに出ているけれども、手伝いとかは大丈夫?」
「うん。ちゃんとしているし、こっちは気楽で良いから」
そう言って笑ったけれども、胸の奥がチクリと痛んだ。
誤魔化すようにはにかむ。(本当は……私も目立ちたいけれど……)
ペンを握り直し、ノートに文字を走らせる。
今度は転生ヒドインが破滅する話。こっちは書きやすい。 最後はざまぁみろと言えるような破滅の仕方。 ああ、本当に書きやすい。なんでなんだろう、私。「文芸部なら役も順位も関係ない。ただ物語を考えればいい」
そう自分に言い聞かせるように。
でも、心のどこかで、その言葉が”言い訳”でしかないことを、私は分かっていたけれど。「また書いているの? 佐奈」
突然かけられた声に顔を上げると、ドアのところに
「え、うん……」
少し気恥ずかしく答える。
「へぇ……転生ヒロインが破滅する話ねぇ。普通は幸せになるはずなのに、破滅させるなんてね。本当に好きだね、そういうの」
六花はひょいと机に身を乗り出し、ノートのページを覗き込んだ。
「……破滅するヒロイン、か。ふーん」
小さく笑って、わざとらしく肩をすくめる。
「でもさ、わざわざヒロインを転生させて破滅させるなんて、ちょっと酷くない? ヒロインって、本来は愛されて幸せになるためにいるんじゃないの?」
「そ、そんなことないよ。ヒロインだからって、必ずしも幸せになれるとは限らないし……むしろ努力しないと、周りを巻き込んで破滅することだってあるから」
私は反論する。けれど六花は楽しそうに首を傾げた。
「努力しないと破滅? へぇ……そういうヒロインも”あり”なのね。でもさ、もし私が転生してヒロインになったら、そんな風にはさせない。絶対に破滅なんてしないし……誰にも奪わせない」
いたずらっぽく笑っている。
ヒロインになったら絶対に破滅したくない。 私自身サフィーになったとしても、絶対に。サフィーはハッピーエンドになってほしい。「そんな風になったらいいね」
微笑みながら、六花の宣言に反応する。
「佐奈、そういえば演劇部の手伝い、今日も来てくれる?」
六花は思い出したように言ってきた。六花は演劇部に所属している。
舞台では脇役が多いみたいだけど。「うん。じゃあ行こうか」
私はノートを閉じて舞台へ行って、演劇部の手伝いを。もちろん、疲れた鈴鹿や六花にマッサージもね。
練習を見ていると、主役が舞台で輝いていた。 拍手が巻き起こる。私はそれを遠くから見つめるだけ。「私も……」
小さな声で呟いて、すぐに首を振った。無理、そんなの。
ごまかしても、ほんのちょっとだけ思ってしまう。 失敗してしまえ、と。 それはすぐに頭の中から消えろと言い聞かせたけれど。「ごめん、今日もマッサージをお願い!」
「ううんよろこんで」
陸上部の片付けの最中、陽菜から頼まれた。
当然快く引き受ける。「あっ、そこそこ……気持ちいい……」
今日も頑張っていたのか、陽菜は肩がこっていたし、腰も疲れていた。
それをほぐしていく。 こうすれば、陽菜は明日も練習に打ち込める。「ありがとう!」
「良いの。私で良かったらいつでも大丈夫だから」
私はにっこりとした表情を陽菜に見せる。
でも、私だってこんな風に頼りたい。 目立ちたいし、手伝ってもらいたい。 ……無理だよね。 家に帰ると、今日も宿題を終えて、また小説を書いていく。 サフィーがハッピーエンドになる話を。 フォルダを開けば、『サフィー小説』のデータが目に入る。 サフィーがハッピーエンドになる話ばかりで、私がサフィーに『幸せになってほしい』と願って書いた物語だ。「……今日こそ、投稿してみようかな」
マウスカーソルをアップロードのボタンに合わせる。
誰かに読んでもらえたら、きっと嬉しい。承認されるかもしれない。 ーーでも、同時に怖い。 批判的なコメントばっかりついて、小説を、サフィーを、私を否定されるのが。「はぁ……今日はいいや」
しばらく画面を見つめていたけれど、結局『キャンセル』を押してしまった。
ああ、やっぱり無理だ……「せめてこれを……」
代わりに、『ざまぁ投稿用』フォルダを開く。
今日もここの小説を投稿する。 こっちだったら、ちょっとした短編であってもすぐに『スカッとした!』なんてコメントがつくから。 安心して投稿できるし、私の中途半端な部分を満たせる。でも……本当に見てほしのはサフィーの幸せ。
矛盾している。分かっているけれど、怖い物は怖い。「今日もこれを……」
気を紛らわせるように、私はゲーム機を手に取る。
遊ぶのは勿論、『クリスタル・ガーデン』。タイトル画面が光っている。 彼女を操作して、王子に選ばれるルートを何度も繰り返す。 でも……「……えっ?」
王子の冷たい瞳、群衆の罵声、サフィーが”偽ヒロイン”と呼ばれて追放される結末。
BGMは不協和音に歪み、キャラクター立ち絵が暗転する。ーー偽ヒロイン断罪エンド
震える指先でスキップを押しても、エンドロールは止まらない。
しまったと思っても、心が辛い。 途中の選択肢を間違えちゃった。そのせいで、このエンディングに……「違う……こんなの、サフィーじゃない……」
どうしてこのゲームは、こんなルートを用意したんだろう。
サフィーが群衆に罵られて消えていくなんて……許せない。 いくら二次創作で王子と結ばれるルートに次いで人気だからって、私は認めたくない。「私は、絶対こんなエンドになんて行かせない」
涙を滲ませながら、もう一度最初から始める。
選択肢は間違えちゃだめ。 特に断罪イベントで、『アプリルを糾弾する』なんて選択肢は絶対に選ばない。 気をつけていたから、今度は無事に王子と結ばれるエンディングに入れた。「……サフィー。君こそが、私の隣に立つべき人だ」
私の胸に、じんわりとした熱が広がる。
何度見ても涙が出そうになる。さっきは絶望の涙だったけれども、今は感動の涙。ーー真実の愛エンド
「……やっぱりこれだよ。サフィーは絶対に幸せになるべきよ」
私は安心したのか、頭が疲れてきた。
だから、そのまま眠りに入っていく……目を覚ました時……
「……え?」
私は見知らぬ馬車の車内だった。
揺れる車内で、全く見当がつかない。「どういう事……?」
「え……? ここ、どこ……?」
私は震える手で袋の中にある手鏡を掴んだ。
そこに映っていたのはーー金色の髪と、サファイアのように透き通る青い瞳。「さ……サフィー……? 本当に、私が……!」
憧れていたヒロインの姿。
『クリスタル・ガーデン』のヒロインである、サフィー・プラハ。 そのゲームの世界に、本当に来てしまったのだ。 困惑の震えは、歓喜の震えへと変わっていく。 胸が高鳴り、嬉しさのあまり涙が出そうになる。「私……異世界転生モノであるような……ヒロインになったんだ!」
よく見るような明らかなテンプレート的展開に、私は拳を握って喜ぶ。
この時の私は、希望と期待に満ちていた。 馬車は、王立クリスタリア学院へ。 そこで転校生として、私は入学することに。そう、ゲームと同じことに。 こうして私、敦賀佐奈はサフィー・プラハになった。宿を出てから、朝の街道を進んでいく。 人通りが多くて、荷車や様々な人達が行き交っている。「昨日より、人が多いね」 ふとアプリルに呟いた。「首都に近づいているからでしょうね」 まだまだ距離はあるんだけれどね。 でも、確実に近づいてはいる。「今年は巡礼も多いな」 歩いていると商人達の会話が聞こえてくる。 巡礼かぁ。「聖女様の祝祭が近いからな」 やっぱりこの国において、そういったのがあるんだ。 しかも、聖女様って。「祝祭……」 私達も参加して良いかな。 お祭りだったら、出店とかもありそうだから。 それと同時に不安もあった。 私達にとっては、”王国の”聖女様に断罪されている。 「首都では、聖女様に関する催しも多いみたいです」 ロータスが説明した。 この国のこと、知っているのね。「人気なんだね」 私は少しだけ微笑みながら返事を行う。 やがて歩いていくうちに、遠くに白い城壁が見えてくる。 少しずつ塔がはっきりと。「……大きい」 近づくにつれて、人や建物が視界に。 私はそれに圧倒されそうだった。「王国の王都と同じくらい、人が多そうですわね」 アプリルは顎に手を当てて考えているようだった。 それくらい大きいんだったら、街に飲み込まれてしまうかもしれない。 けれども、この大きさにワクワクしてしまう。「ここなら」 やがて首都を取り囲む城壁と城門が目の前に。 そこには、役人らしき人が数個尋ねて通していた。 私達も例外じゃなくて、訊かれることに。「名前と出身、それに滞在目的を」 そのまま伝えていって、役人は頷きながら聞いていた。「隣国から来たのか」
「ありがとうございました」「こちらこそ。守ってくれてありがとう」 私はこの街を出ていく直前、ニコラさんに挨拶をした。 彼は私が守っていた露店で営業を行っている。 かつての光景が戻っていた。「それとこれ、道中持っていけ」 挨拶が終わって街の外へ歩こうとしたら、ニコラさんは商品をいくつか渡してきた。 食料とかは、分けてもらっているけれども。 さらにということ。「えっ、いいんですか?」「渡した分だけじゃ、足りないと困るからな」 ニコラさんは豪放磊落《ごうほうらいらく》に笑いながら、私達を見つめていた。「でも……」「いいから受け取っておけ」「……ありがとうございます!」 私はそのまま受け取ることにした。 ニコラさんに笑顔を見せる。「まあ、なんだ。何かあったとき、アンタの戻る場所はどこだってあるからな。当然ここの街にも、な」「そうですね。では、幸運を」「ああ。まあ、また店を空けることになりそうだったら呼ぶかもな」 戻る場所。 どこにもあるんだ。 私はそれを胸にしまいながら、露店を背にして、街を離れていく。 ”帰れる場所”があるだけで、少しだけ怖くなった。 少し歩いて振り返ると、露店街は見えなくなっていた。「短かったね」 一ヶ月も経っていない。 それでも、守っていた露店も見えなくなって、寂しく感じる。 だけど。「ちゃんと、生きましたわ」 アプリルの声は、少し誇らしそうだった。 はっきりと居場所があった。 私だけじゃない、アプリルもロータスも。 王都やクリスタリア学院という輝く場所じゃないけれども、はっきりと。「次も生きられるかな」「分かりませんわ」 軽く首を振りながら、アプリルは答え
【グルナ視点】 わたしは学院にある聖堂の高窓から、光を見上げていた。 優しい光がわたしを包んでくれて、気持ちが落ち着く。 大丈夫、あの二人の動向は分かっていない。 おそらく、廃都かどこかで果てている。 何も報告が来ないのが証拠かもしれない。 動向があれば、来るのだから。 特に廃都で果てているなら、報告する人間なんているわけ無い。『心配しているのですよ、グルナ』 優しい声が頭に響く。「大丈夫」『余裕みたいですが、そうなのかしら』 すると、聖女様の声が聞こえてくる。 わたしだけに聞こえる、導きの声。「えっ?」 まるでわたしの考えが間違っているかのように。『廃都は抜けようと思えば抜けられる。一人だけでは不可能ですが、アプリルの存在があれば……』「そんなこと」 少し俯きながら、聖女様の言葉を聞いていた。『どうでしょうね』 わたしを厳しい言葉で言い放った。 それから、少しして学院の侍女がわたしのところへ。「グルナ様、隣国の廃都に近い街において、マッサージで有名な露店があるようです」 マッサージで有名? どういうことなんだろう。「あの、どうしてその話題を?」「何日か前から金髪の少女が店主不在の間、行っているらしく、人気らしいです」 その言葉を聞いて、身体が震えた。 もしかして、サフィー・プラハなの? 彼女はマッサージが上手だった。 容姿が一致している。『だから言ったではありませんか。あなたが緩めたから、闇が息を吹き返そうとしているのです』 聖女様はわたしを糾弾した。 まるで犯罪者を逃がしたかのように。「でも、そこで終わる可能性だって」 小さな街で生きているだけ。 それならば、影響は大きくないはず。『いいえ。放置すれば、
荷物を整えて二週間以上過ごしていた宿を後にする。 ここから首都へ向かうことになる。 ニコラさんに頼んで旅路《たびじ》に必要な食べ物は、分けて貰った。 私のお金で買ったものもあるから。「サフィー、教会に行って良いかしら?」「は、はい」 アプリルがそう頼んできた。 確かに行ってみるのも悪くないかも。 聖女様の加護はないとしても、神頼みくらいはしても良いよね。「アプリルさん、本日出られるのですね」「ええ。お世話になりましたわ」 アプリルはカーテシーをしながら、教会のシスターに挨拶をしていた。「お祈りをしても?」 私はシスターに問いかける。「勿論」 この世界の教会における作法で、女神像に祈りを捧げる。 ふと目に入ったのは、聖女らしき肖像画が見えていた。 綺麗に描かれていて、描かれてから日数は経っていないみたい。 光が差していて、女神像よりも心なしか豪華だった。 まるで、祈りの中心が入れ替わっているみたいだった。「お美しいですね」 私はふと呟いていた。「はい、女神様は私達に見えませんが聖女様は度々現れます」「そうなんですね」 確かに、あの聖女様もいるのだから。 だからこそ、私は少し怖くなった。「我が国にもいらっしゃいますが、隣国の王国では有名な聖女様がいらっしゃるとか」「……グルナ・フスト様でしょうか」 私は絞り出すようにしながら問いかけた。 すると、シスターは驚いていた表情をしている。「よくご存じですね!」 知っているんだ。 となれば、このまま居続けても良くなかったかもしれない。「グルナ様は様々な奇跡を起こせるとか」「奇跡……」 確かにあった気がする。 不安になっていた人を安心させていたから。
【アプリル視点】 あの日、サフィーが部屋を出ていく音がした。 その扉の小さな軋みだけが、やけに長く響いた。 机に広げた日誌の上、ペン先が止まる。(……また、どこかへ?) 昼間の出来事が、何度も頭よぎる。 サフィーはどこか上の空で、笑顔の裏に不安を隠していた。 それでも『グルナ様のおかげ』と何度も繰り返していた。 彼女のその言葉は、わたくしの胸を締めつけた。 立ち上がりかけた足が止まる。 呼び止めたい
「緊張します……」「大丈夫よ」 昼間の学院。その中庭にある、陽光に包まれた回廊。 そこにはキリル王子が待っていた。 私はさっき再び渡された告発状を両手に抱えていた。さっきまで聖女様が持っていたけれども、昨日私が書いたまま。 まあ、夜中に私が持っていたらアプリルに問い詰められた。 それなら、聖女様が持っていた方が良かった。「キリル殿下……」「サフィー嬢、君が呼び出したのかい?」 聖女様が手渡す準備を整えてくれ
翌朝。 鏡の前で髪を整えながら、昨夜の言葉が何度も頭に蘇っていた。(殿下に選ばれるのは、貴女です。わたしが保証します) その声が耳の奥でまだ響いているようで、指先に触れる髪さえ柔らかく輝いて見えた。 胸の奥に染みついたその一言は、不思議なほどの安心をくれた。 どれだけ不安でも、グルナ様がそう断言してくださったのなら、間違いない。 頬が自然に紅潮して、鏡に映る自分の笑顔さえ眩しく感じる。(これが”ヒロイン”の顔……ちゃんと出来ているわよね) 自分を確認するように笑ってみせる。 ほんの数日前までは、同じ鏡の前でため息ばかりついていたのにーー今は違う。 授業中。 試験を控え
グルナ様と過ごす時間は、まるで光に包まれているようだった。 彼女は常に穏やかで、慈しみ深い。 モニカがどんなに私を陥れようとしても、グルナ様が一言「彼女は潔白です」と言えば、すべて覆される。 誰もが信じ、誰もが頷いて、私を庇ってくれる。 ーーそれはアプリルのときとは正反対だった。(あのとき、アプリルが必死に弁護してくれたのに、誰も耳を貸さなかった。でも、グルナ様が言うと、みんなが一瞬で信じた) グルナ様には力がある。(……やっぱり、グルナ様って私の導き手よ。アプリルは悪役令嬢) そんな思いが、日ごとに私の中で大きくなっていった。 昼休み、庭園の中央に人だかりが出来ていた。