Home / ミステリー / シャレコウベダケの繁殖 / 佳苗の逃亡、地獄へと……

Share

佳苗の逃亡、地獄へと……

last update Last Updated: 2025-06-26 19:10:58

優越感が満たされて幸せな気分だ。

同時に体の中には腐敗臭のするガスも充満して、

膨満感と嘔吐感で一杯になっている気もする。

気持ち悪さで頭が虚ろになり、逆に気分良くなっていた。

サヤカが自らの犬歯をユウコの頬に突き立て、

そのまま彼女の肉を噛み千切った。

ユウコの口から、

ビィビィという不協和音のような叫び声が漏れ出た。

頬のギザギザの傷からフローリングの床に赤黒い血液がこぼれ落ちた。

成子の夫は彼女たちの様子を見て焼き鳥のレバーを食べ、

缶ビールを飲んでいた。

こういう時でも冷静な彼が好きだ。

夫の言うことに従っていれば間違いがない。

彼はとても頭が良いからだ。

昔彼が言っていたことを思い出す。

「成子さん。

自分は今幸せだと思いますか。

そうでしょうね、

幸せでしょうね。

どうして自分が幸せなのだと思いますか。

あなたの周囲に自分よりも不幸な人間がたくさんいるからなんですよ。

サヤカさんやユウコさんがいるからなのです。

日本人という存在は周囲との調和を重んじるため、

四六時中周囲にアンテナを張って生きている生物なのです。

他人の観察をすることはとても労力のかかる行為です。

そんなことをずっとやっていたら疲弊してしまいます。

ですが周囲に自分よりも不幸な人間しかいなかった場合はどうでしょうか?

成子さんからして見れば調和が取れているように見えるでしょう。

だからストレスが比較的かからないのです。

サヤカさんとユウコさんがいがみ合っている間は、

成子さんが気に病むことはないですからね」

梅雨の日の石神井公園を散歩している時に彼から言われた言葉だ。

自分が幸せ者なのだということを自覚した。

自分はサヤカやユウコほど醜くない。

そんな事実が彼女に多幸感を授けた。

夫から名前を呼ばれて意識が現在に戻った。

すぐに返事をした。

さっきまでレバーを食べていたはずなのに椅子に座っていなかった。

どこか別の部屋に行ったようだ。

再び夫が彼女の名前を呼んだ。

声がした方に向かって走ると、

彼は浴室の中にいた。

浴室のオレンジ色の照明が彼の色白で毛穴一つ目立たない綺麗な頬と、

黒黴まみれのタイル張りの床を照らしていた。

「佳苗に逃げられた」

唾を吐き捨てる様から、

彼が怒っているとすぐに分かった。

一気に緊張が走る。

佳苗は成子と夫の間に生まれた娘だ。

七歳で本来なら小学一年生として学校に通っている年頃だ。

だが、

佳苗は二十四時間浴室の中に閉じ込められていた。

隙を見て逃げ出したようだ。

隠していた錆びた鉄板のネジが外れており、

窓が露わになって開いていた。

どうやってネジを外したのか。

「ごめんなさい。

私が監視しておかなかったばかりに。

私のせいでございます」

黴臭いタイルの床に額を付け、

土下座して謝った。

しばらくすると脳天に鈍い痛みが走った。

痛いと言って思わず顔を上げた。

夫がシャワーを握っていた。

シャワーヘッドで殴られたようだ。

埴輪のような目をしている。

成子に対して失望していると分かる。

申し訳ない気持ちになる。

あんなに優しい彼を傷付けた自分が情けない。

正座をしている成子を見下ろして指笛を吹いた。

体中に力が籠る。

今からしばらくの間、

痛い目に遭うだろう。

痛みに対して声を出さずに耐え忍ばなければいけない。

口笛を吹いた直後、

廊下から急いでやって来る者の足音が聞こえた。

浴室にサヤカとユウコが入って来た。

夫が成子の顔を指差した。

「この女は罪深き者です。

僕が言い付けたことが何一つできない不具者です。

こういう人間の脳は電気を流してあげる必要があるでしょう。

ユウコさんお願いします」

Continue to read this book for free
Scan code to download App

Latest chapter

  • シャレコウベダケの繁殖   第4章 地獄の犠牲者、遭遇

    ※ 成子成子は埼玉県秩父市のアパートに移った。これも夫からの指示だ。部屋に入ると居室は二室あり、廊下に小さなキッチンがある。キッチンも居室も段ボールとプチプチと呼ばれる気泡緩衝材で覆われていた。薄暗い部屋の中、一人で灰色のソファに座った。夫と知り合った際に一緒に上京してカフェを開こうとお願いしたことがある。夫に反対されてこの話はなかったことになったが、今でも気持ちは残っていた。実際に夫はいないが関東には来ることができた。成子の体内に手毬ほどの大きさの期待感が生まれていた。ここで夫の望み通りの働きができれば、彼も認めてくれるのではないかと淡い期待だ。仄暗い部屋の中で時計がカチャカチャ音を立てながら秒針を刻む。 夫にはやるべきことが伝えられている。成子は旦那デスノートの新しいチャットの機能を使って、まずは馬鹿を集める。現在、A子、リカ、五十代女性、名無しという女たちと会話をしている。まずはコイツらを夫のために犠牲にしようじゃないか。 「待っていてね。雄作さん」成子の声は段ボールや気泡緩衝材に吸い込まれて響かなかった。いつかは貴方とカフェを経営したいですと声は届かなくても願いは込めた。無味無臭の部屋の中に甘ったるい匂いがしたような気がした。コーヒーと一緒に大きなショートケーキを売りたい。 ※ 由樹隆広が仕事から帰宅して来た。由樹は隆広と娘の彩花の声を聞きながらカレーを煮込んでいた。周囲から見たら何の不満もない一般的な家庭に見えるだろう。だが、この一家も最悪なことが起きれば崩壊する。今日の昼間の旦那デスノートでのやり取りを思い出した。〈じゃあ、皆さんの旦那さんを順番に殺してしまいますか〉ナルという名のユーザーが発した言葉だ。その発言に対して死神が後押しした。〈イイですね。それで皆さんの人生は一気に晴れると思いますよ〉他の四人は何も言わないうちに同意したと見做されて会話は終了した。奇跡的に全員東京とその近辺の県に住んでいた。今度の金曜日に渋谷のハチ公改札前で五人集まることに決まった。本当にそれぞれの旦那を殺すかどうかその日に決める予定になった。「今日はカレーか。いいね」いつの間にか隆広が隣に立っていた。ビックリして大きな声を出た。「どうしたの、急に大きな声を出し

  • シャレコウベダケの繁殖   死神の登場

    死神とは確かここのサイトの管理人の名前のはずだ。管理人がどうしてこのコミュニティに入って来たのか。それぞれのコミュニティを覗いているのだろうか。今朝作ったばかりの機能が役割を果たしているか確認しに来たのかもしれない。〈どうも、旦那デスノート管理人の死神です。皆さんの会話をお聞きしていました。すみません、勝手に覗き込んでおりまして〉死神の発言に驚いた。管理人はコミュニティに参加した時点より前の会話も閲覧できるようだ。管理者なのだから当たり前だ。死神は連続で発言を送信した。〈皆さん、本当はもっとたくさんの口汚い悪口を言いたいのだと思います。もっと旦那の愚かな部分を共有して、心底からのデトックスをしたいに違いあるません。死神には全てお見通しですよ。いつも皆さま当サイトに投稿して下さっているのですから〉〈ええ、確かにそうですが〉A子が初めて死神に反応した。〈そうでしょう。ですからもっと旦那のクズなところを言い合うのです。だってそのためにここのグループに入って会話を始めたはずですからね〉死神の言っていることは正当な言い分だった。由樹は何を書こうか迷っているとナルが発言した。〈そうですよ。こんな普通の会話をしていては駄目ですね。死神さんありがとうございます。私たちはお互いの胸襟を開いて、人間のゴミクズ、つまりは旦那との生活の灰汁を絞り出してみんなで共有し合って傷を癒していくことが大事なのですね。いつも通りに旦那を晒し首にするべきなのですね〉〈そういうことです。これまでは投稿によって共感を得ていました。だが、本当に心の底から鬱憤が晴れましたでしょうか? 投稿だけでは限界があるのです。リアルタイムで会話が流れるチャット機能ですと、ハイクオリティのコミュニケーションを取ることができます。質の良いコミュニケーションの手段に使われた言葉もその分重みを得るでしょう〉死神の長広舌は続く。二吹き出し連続で発言が投稿された。〈チャットならば、皆さんの想いはここにいる全員に百パーセントに近い形で伝えることができます。会話に重みがありますから皆さんの苛立ちの重量も伝わるのですね。そういう会話が発生することは死神が一番に望むこと。皆さんは憤りを少しでも減らして旦那の死を願い続ける。これが大事なのです〉〈そう

  • シャレコウベダケの繁殖   抑圧された中での静けさ

    パスワードを作ってから打ち込み、自分の表示名を「名無し」と設定して中に入った。チャット画面に遷移した。画面には誰も発言している様子がなく、吹き出しがなかった。参加した時点から会話を見ることができるのだろう。一番上のメンバーと書かれているタブをタップすると四人の名前が表示された。「ナル」「リカ」「五十代女性」「A子」という名の人たちが会話しているようだ。入ったからにはと思い由樹は発言してみることにした。根拠のない好奇心と暇を持て余す時間から何かしら会話をしたい欲求にかられた。〈初めまして、名無しと申します〉恐る恐る打ち込んで送信してみた。チャット形式で会話することには緊張した。いつもは書き込みをするだけだったため、平気で嘘を書けた。だがチャットのようなリアルな会話に近い形式でのコミュニケーションでは嘘を吐く行為に罪悪感を抱きそうだった。自分の発言に誰か反応してくれるだろうかと画面を見ながら待っていた。〈ナルです。宜しくお願い致します〉〈五十代女性です。初めましてよろしくお願いします〉〈A子です。こちらこそ、よろしくお願いします〉〈リカです。お願いをします〉全員から返事が来た。どうやらみんな専業主婦なのか、平日の十時過ぎに会話できる人たちだった。由樹は一番疑問に感じていることを尋ねてみた。〈ここって、どういうことを喋る場なんでしょうか〉〈さあ、みんなまだよく分かっていないのですよ。何せ今日の朝できたばかりの機能らしいので〉五十代女性が答えてくれた。〈そうなんですよね。みんな自分の旦那に不満を持っているってことなんですよね〉A子が発言する。〈そうですよね。皆さんの旦那さんは今仕事ですか〉由樹の質問に対して、そうですねという答えの中に一つだけ異色のコメントがあった。〈私の旦那さん、何してるか知らない〉リカというユーザーネームの者の発言だ。この発言を会話のとっかかりにすることに決めた。〈どういうことですか〉由樹が尋ねると、全員がリカの発言に食い付いた。みんな尋常ではない不幸の臭いを嗅ぎ取ったのだろう。やはりみんな他人の不幸は黄金ほどの価値を見出しているのではないか。〈私、フィリピンから日本に来たのです。その時に結婚して配偶者ビザで入国できたのです。その結婚の相手が今

  • シャレコウベダケの繁殖   第3章 チャット機能、地獄の開門

    朝の六時半に夫は家を出て行った。隆広は食材の仕込みの仕事のために朝早くから家を出る。由樹は彩花を保育園まで送って行く。保育園から戻って来て自宅に誰もいなくなると朝食を食べる。狭い台所に立った。ワゴンの上に置いてある八枚切りの食パンを一枚取ってトースターに入れた。焼けるまでの間、カップを食器棚から取り出して牛乳を入れて電子レンジで一分半温めた。食パンとホットミルクがほぼ同時にできる。冷蔵庫からマーガリンとイチゴジャムを取り出してから、食パンとホットミルクを持ってテーブルの前に座った。食パンにマーガリンとジャムを塗って頬張る。美味い。幸せの一時だ。毎朝、隆広がいない部屋で朝食を取ることが習慣になっていた。パンの表面の焦げと中の羽毛のような柔らかさが癒してくれる。食事が終わると、スマホで旦那デスノートを開いた。今日は書き込まずに、他の家庭では旦那にどんな苛立ちを抱いているのか確認した。他人の不幸を見て自分はまだマシだと思える点も旦那デスノートの利点だ。由樹は最近の「デス書き込み」と呼ばれている書き込みを読んで、ひたすら「死んでイイね」を付けていった。ここのサイトでは「イイね」じゃなくて「死んでイイね」なことが面白い。〈家に金だけ落としてくれればそれで良い。でも一生家には戻って来るんじゃねえ。世の中の糞ダンナ、よおく聞け。全国の妻はそう思っているんだ。自分が稼いでる?自分が休みの日には子供の面倒見てる?自分は妻の負担になることは言ってない?はあ? 寝言言ってんじゃねえぞ。おめえの存在自体がコッチのストレスなんだよ。早く死ね。それだけが家族の願いだ。そんで保険金を落とせ〉〈本当に死にました。心筋梗塞か脳溢血か何かは忘れましたが、とにかくダンナが消えていなくなりました。ほんっとうに死神様、ありがとうございます。まあ、当然の結果だとは思いますがね。天はクズを見逃さないものですから。これでヤツの臭い下着も、臭い枕カバーも、臭い箸も何もかも捨て去ることができます。あんなもんは生まれ変わっても犬の糞が妥当でしょう。お母さんのお腹じゃなくて、犬の肛門から出て来るんでしょう。あ、犬飼っている方はごめんなさい。ワンちゃんが出した糞はしっかり処分して下さいね〉〈ウチは偽装結婚なので

  • シャレコウベダケの繁殖   人間は簡単には変われない

    二十三歳になった年、由樹は隆広と結婚することに決めた。付き合ってから三年間、隆広はイタリア人や韓国人並みに熱烈に好意を伝えてくれた。彼の甘い言葉に酔って、元々彼のことが好きだったのではと錯覚するようになった。隆広は由樹と結婚することになると、音楽をやめて喫茶店で正社員として働くようになった。昼は喫茶店で働いて帰宅後はプログラミングの勉強をし始めた。将来はプログラマーとして家族を支えて行くと約束してくれた。由樹も大学を卒業しており、広告代理店に入社していた。だが一年後、妊娠したことを会社に知られると退職勧奨をされて無理に辞めさせられた。まだ新人だった由樹に対し、直属の女性の上司が無闇に厳しく接してきた。精神的に追い込んだため適応障害になった。由樹はこんな会社辞めてやると強気に出た。仕事を辞めてパートで週二三で働くようになってから、隆広は一家を支えるために精一杯働いてくれて昇給するスピードもかなり早かった。だが、彼に対して不満がないと言えば嘘になる。彼が仕事に全神経を使ってくれていれば良いのだが、まだ心のどこかで音楽に対して未練がありそうだった。彩花が生まれて二年経った日、彩花と隆広と一緒に自宅で食事を取っていた時に彼の中に沈殿していた後悔が発露した。食卓に向かい合って座り、隆広は由樹の背後にあるテレビを観ていた。隆広が何か気付いて声を上げた。声色から嬉しいことではなさそうだ。彼の顔が蒼瓢箪のようになる。「俺が所属していたバンドだ」テレビには五人組の男がステージに立っていた。隆広が所属していたバンドがようやく売れてテレビに出られるようになったようだ。もちろん彼はバンドを脱退している。なので今ステージに立っているグループとは、何も関係のない。テレビに出ているメンバーは継続して売れるまで努力ができ、それが彼にはできなかった。彼らと隆広との間には鯛とメダカほどの差がある。隆広が生半可な気持ちで音楽に向き合っていたダサい男にしか見えなくなった。食事中にもかかわらず、彼は椅子から立ち上がってテレビの真ん前に向かって行った。「何で売れているんだよ」テレビの画面を凝視する隆広の背中を見て由樹は呆れた。結婚して定職にも就いて音楽の夢はきっぱり諦めが付いているのだと思っていたが、実はそうではな

  • シャレコウベダケの繁殖   隆広という軟弱男

    由樹が大学生の時にバイトをしていた喫茶店で二人は知り合った。当時の隆広は三十歳でバンドを組んでおり、ドラムを叩いて食べていく生活を夢見ていた。そんな隆広のことを、二十歳にもなっていない由樹は見下していた。確かに自分より喫茶店での仕事はできるが、年齢の割に大人としての経験値が少なすぎると見ていた。「アイスラテ二つ、十四番卓にお願いします。ナポリタンを五番卓にお願いします。ツナサンドとアイスコーヒーを二十六番卓へお願いします」隆広はキッチンに立って料理を作り、由樹たちホール担当に配膳の指示を出していた。テキパキとした無駄のない動き。だが、それができても音楽で売れることはない。彼は自分の理想を叶えることから目を逸らし、目の前のバイトに精を出しているようにしか見えなかった。料理や飲み物を受け取るたびに、お前ごときの男が何かを達成させることなんて無理だからなと腹の中で毒づいた。「由樹ちゃん、ちょっと良いかな」ある日、由樹がバイトから帰ろうと喫茶店を出ると道端で後ろから隆広に声をかけられた。「どうかしましたか」見下した態度を取らないように気を付けた。まだ自分も学生の身なので、失礼な態度を取ってはいけないとわきまえてはいた。彼のことを心の中では見下していたが喧嘩をする相手でもないと思っていたので、波風が立たないようにした。「由樹ちゃんと今度、ご飯行きたいなって思ってさ。どうかな? 今度一緒にご飯行ってくれないかな」嫌だった。自分は学生なのに三十歳になるフリーターと一緒に食事などしたら、自分の株が下がると思った。眉間に皺を作りながらも必死に愛想笑いだけ浮かべて黙った。「奢るからさ」一歩近付いて来た。そういう問題ではない。「ごめんなさい」一言早口で言って駅まで猛ダッシュで逃げた。彼は追って来なかった。家に帰ってから由樹は胃の中に泥団子を入れたようなモソモソとした気持ち悪さを感じた。今まで隆広に対して負の感情を見せ示さなかった。だが今日、嘲弄する気持ちの端緒を見せたような気がした。彼に話しかけられた際の表情に自信がなかった。今回の逃亡を機に隆広への負の感情を与える行動をし始めたらどうしようとも悩み始めた。自分の行動を律することには自信があったが、隆広に対してだけは自信がなかった。幾

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status