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第726話

Author: 落流蛍
「前から不思議に思ってたの。どうして5〜6歳以前の記憶が全くないのかって。哲郎は、私たちがかつて誘拐されたことがあるって言ってたけど、私にはその記憶が全然ないの」

華恋は続けた。

「だから思うの。きっとあの時、雅美が私をカウンセラーの所に連れて行ったのは、その出来事を催眠で忘れさせるためだったんじゃないかって」

「だから、5〜6歳の頃に起きた出来事をすべて記憶から消えた」

「でも......」

華恋の眉はさらに深く寄せられた。

「もし本当に、あの惨い誘拐事件を忘れさせるためだったとしたら。同じように誘拐されたはずの華名や哲郎は、なんで記憶を消されなかったの?」

疑問は尽きない。

考えれば考えるほど、頭がズキズキと痛み始めた。

それを見た時也は、たまらず華恋を抱きしめた。

「......もう考えるな、華恋。催眠療法までが、僕の限界だ。電気ショック療法だけは絶対にさせたくない。もし、お前がこの影から抜け出せないのなら、僕が国外へ連れて行く。この場所を離れて、環境を変えれば......きっと良くなる」

華恋の頬は時也の胸にぴったりとくっつき、彼の力強く鼓動する心音を聞きながら、心がきしむように痛んだ。

そんなはず、ない。

たとえ地の果てに逃げたとしても、きっとよくならない。

ちゃんと治療を受けない限り、自分はこの人生ずっと苦しみ続ける。

そして、自分が苦しみ続ければ、時也も、同じようにずっと苦しむことになる。

そんなの、嫌だ。

けれど......

「うん......もし、どうしても抜け出せなかったら、その時は国外へ行こう。環境が変われば、少しは治療になるかもしれないし」

華恋はそう微笑みながら時也を見上げた。

その笑顔を見るたびに、時也の心は締めつけられるように痛んだ。

「......帰ろう」

彼は華恋の手を強く握りしめ、決して離そうとはしなかった。

「うん」

華恋は素直にうなずき、時也と一緒に車に乗り込んだ。

道中、二人は一言も言葉を交わさなかった。

家に着くと、華恋は洗面所に行くふりをして、こっそり峯に電話をかけた。

「......峯、前にお願いしたでしょ?雅美夫婦の様子を見ておいてって。何か分かったことある?」

峯の声が返ってきた。

「ここ最近はずっと別荘にこもってるよ。ほとんど外出しないし、人との接触も極端
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