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last update Last Updated: 2025-10-15 06:00:11

 京はゆっくりと部屋に入ってきた。その仕草には、暴力も怒気もない。

 ただ、静かに、獲物を見定める捕食者のような気配があった。美桜は咄嗟に立ち上がり、深く頭を下げた。


「お帰りなさいませ、京様」

「そう畏まるな」

 低い声が部屋に響く。

 京はいつものように微笑んでいた――その微笑みが、どうしても信じられない。

「母から聞いたよ。まだ体調が優れないそうだな」

「はい。どうしても気分が悪くて……」

「そうか。無理はするな」

 柔らかな声だった。けれど、その裏には何かを探るような静けさがあった。

 その目はまるで、毒見を終えた料理を確認するように、美桜の表情を細かく観察していた。

(この人……やっぱり知ってる。お義母様が何をしたか……私を殺すことを賛同しているの?)

 美桜は恐怖を押し隠しながら、静かに布をたた

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     港の散歩を終え、街へ戻る途中。一成がふと立ち止まった。「ちょっと寄っていこう。昨日の写真、もう出来ているはずだ」 その言葉に、美桜の胸がとくんと鳴った。昨日のドレス姿が蘇る。純白の布、光に包まれたステンドグラス、そして――彼の眼差し。「もう……恥ずかしいわ。じっと見返すなんて」 「何を言ってるんだ。あれほど綺麗だったんだ。見ないほうが失礼だよ」 からかうように言いながら、彼は彼女の手を取った。指先を軽く絡めるだけで、心臓の鼓動が速くなる。 記念館の扉を開けると、真鍮のベルが軽やかに鳴った。  昨日と同じ館長が笑顔で迎えてくれる。「お待ちしておりました。お二人のお写真、見事に仕上がりましたよ」 その言葉に、美桜は息をのんだ。  壁際の大きなガラス窓――そこに飾られていたのは、まぎれもなくふたりの夫婦の姿だった。 白黒の写真にほんの少し色付けされたものだが、昨日のことが鮮明に思い出される。純白のドレスに身を包んだ自分。燕尾服の一成が優しく彼女の肩を抱いている。この時代、写真は白黒だったのだが、写真に色を付ける『彩色技師』と呼ばれる職人がおり、白黒の写真に色を付ける仕事があった。  彼らの写真が、職人の手によって彩られていた。 まるで、本物の夫婦そのものだ。この写真を見れば誰もが結婚式に憧れ、このふたりのように写真を撮りたいと思うだろう。まだ写真は庶民には高級だったため、貴族中心に利用されていた。だが、これを見れば一度はドレスに身を包み、写真を撮って記念に残したい、と誰もが思うだろう。 そしていつか、手軽に周辺機器で自分の写真や想い出の写真が残せる時代がやってくる。「……わぁ……」 声にならない感嘆が漏れた。美桜の頬は見る見るうちに赤く染まり、指先で口を押さえた。  一成はそんな彼女の様子を愉快そうに眺めている。「どう? 気に入った? 見に来てよかっただろ」「き、気に入るというか……恥ずかしくて見ていられないです」「じゃあ、僕が代わりに見ておくよ」そう言って、美桜の軽く肩を抱いた。「これは本当に素敵な写真だ。僕たちの最初の記念だな」 館長が封筒を差し出す。「こちらが現像した分になります。お持ち帰りください」 一成はそれを受け取り、美桜の方に向き直った。 「帰ったら、額に入れて飾ろう。寝室の壁にでも――君が嫌でなければ」 「

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     翌朝――。  窓の向こうからやわらかな陽が差し込んでいた。小鳥のさえずり。なんと平和で心地いい朝。  誰よりも早く起きて支度を整えなくてもいい。  誰にも叱責されることもない。  意地悪をされることもない。  世の中に、こんな幸せなことがあってもいいのだろうか。 美桜はまだ夢の名残の中にいた。隣から伝わる体温。穏やかな寝息。  ほんの少し動くたびにシーツが擦れる音がして、昨夜のぬくもりが蘇る。 一成の寝顔を見ていると、胸がきゅっとした。  穏やかな顔。けれど、その目の下にはわずかな影。  やはり無理をしているのだ――と、思わず彼の髪をそっと撫でた。(お疲れさま。私のためにありがとう…どうか無理はしないで……) 彼を見つめていると、まぶたが開かれた。「……もう起きてたの?」 寝ぼけた声がなんだか愛しくて、美桜は思わず笑ってしまった。 「ええ。あなたが眠っている顔を見てたの。穏やかで、まるで子どもみたい」「……褒めてるのか、それは?」

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