Mag-log in今日もまた三年生合同授業はVR(バーチャルリアリティー)郷土探訪だ。メタバース内に構築された神社の狭い境内に辻沢女子高校(辻女)の生徒たちがひしめき合っていて、白の半袖シャツに青リボン、チェックのスカート姿で、多くの子がスカートを短く巻いて裾をふんわり広げる流行りのスタイルをしている。もちろんみんな自己投影型アバターなのだが、どの生足(なまあし)も、太ももフェチがテンションおかしくするほどリアルだった。
「ここ、宮木野(ミヤギノ)神社は辻沢の鎮守社の一つで室町時代の創建ですが、江戸初期に起きたいわゆる夕霧大火によって一旦は焼亡します。その後、辻沢遊郭の遊女や粋客の寄進により江戸中期に再建されたのが現在の社殿になります」 仮想空間の社殿を背にその階に立ち、引率の遊佐(ユサ)セイラ先生を差し置いて解説しているのは冬凪(フユナギ)だった。 「夏波(ナツナミ)、お前の妹なんとかしろ」 かたや、境内に溢れかえる女子高生たちの一番後ろであたしと並んでイライラを募らせているのは園芸部仲間の前園十六夜(イザヨイ)だ。青メッシュ入りの黒髪を胸元に巻き下ろし血のように赤い唇をしている。 「こらえてあげて。ここも冬凪のフィールドだから」 となだめはしたが十六夜の気持ちも痛いほど分かった。だって、ここの園庭はあたしたち園芸部の産物で去年の夏にさんざん通った現場だったから。 「こんなの流せば5分で終わるのに冬凪のおかげで30分は無駄にしてる。また部活、ゼンアミさんに進捗すら聞けないよ」 十六夜の言う通り、ここのところ部活の作業は庭師のゼンアミさんに任せきりで、あたしたちが現場に行かれたのは数えるほどしかない。 「そもそも、なんでこの授業は毎回ロックインしなきゃなんない?」 十六夜の怒りの矛先が授業形態に飛び火する。 たしかに郷土探訪というのならヴァーチャルでする必要はないと思う。実物の宮木野神社は学校からすぐ近くなのだから歩いて見学しに行けばいいことなのだ。 「こちらにある石碑に祭神である遊女宮木野の来歴が記されています」 冬凪がモーセのようにJKの海を割って境内の反対側まで移動し、その小柄な身長の3倍はある石碑の前に立つと碑文を見上げ説明を始めた。 「おいおい、マジか」 十六夜の顔がVR酔いしたかのように青ざめている。 「こちらの碑文は漢文で書かれていますが内容は江戸の仮名草紙『伽婢子(おとぎぼうこ)』に収録された「遊女宮木野」の異説となっています。戦国時代、青墓という場所に才芸に長けた遊女がいて名を宮木野と言いました。ある武士に身請けされ妻になりましたが、武士が留守をしてる間に盗賊に襲われ殺されてしまいます。後日、悲嘆に暮れる武士の元に宮木野の幽霊が現れ、自分は辻沢に転生したと告げました。武士が辻沢を訪ねると宮木野に生き写しの双子の姉妹がいて武士のことを覚えていたといいます。遊女宮木野の転生した姿、この姉妹が二代目宮木野と志野婦のこととされています。皆さんもご存じの通り彼女たちは双子のヴァンパイアで……」 と冬凪が辻沢のヴァンパイア伝承について講義を始めたのを見て、十六夜はついに天を仰いでしまった。夜野まひるが鈴風を抱っこして下ろしてくれたけれど、「これでも鬼子使いだから人を運ぶのは慣れてる」 と冬凪が負ぶうことになった。「それに、気づいた時に推しにだっこされてると知ったら、鈴風は失神ループに入って目覚められなくなるし」 と冬凪が言った。「あたしたちの後ろを歩いていただけますか」 鈴風が目覚めた時視界に入らないように念押しする。 若木が養生中の人が一人通れるくらいの狭い林道は地面からの熱が直接体に伝わって来てひどく暑かった。足を踏み出すたびに朝方に羽化できなかった蝉が若木の根元から鈍い声をあげて飛び立ってゆく。その羽音の弱々しさが消えゆく儚い魂のように思えて足取りが重くなった。 十六夜に会いに行くってアゲアゲで来たけれど、そういえばこれからあたしたちはあの世へ行くんだった。補陀落渡海。粗末な船に閉じ込められて帰ることのない船路に旅立ったお坊さんたちも、こんな気持ちだったんだろうか?「心配いりませんよ。きっと帰ってこられますから」 後ろから天使の囁きが聞こえて来た。振り返ると夜野まひるが光のオーラに包まれて微笑んでいた。やばい惚れそう。これいつまで耐えればいい?「夜野まひるさんもミユキ母さんたちと地獄に行ったんですよね」 冬凪が鈴風を負ぶい直しながら聞いた。「まひるで結構ですよ。はい、行きました。ユウ様、ミユキさん、クロエさん、アレクセイ、わたくしの5人で」 冬凪はその時どうやって社殿の船をアクティベートしたか尋ねた。「アクティベート? 社殿をどうやって掘り起こしたかですね」 社殿は屋形から下の船体部分が地中に埋まったものだ。それを人力だけで掘り出したとは到底思えなかった。ユンボでも運んだのか。でもあの山の中にどうやって? 夜野まひるの答えは意想外だけど納得できる方法だった。ただそれが成功したのは、ユウさんがエニシが求める条件を揃えるためずっと奔
プップッピーピー。 おかしな音が道の先から聞こえてきた。田んぼの中の道をバモス・ホンダTN360がノロノロとこちらに向かってきていた。運転席にはブクロ親方が、助手席には髭面の定吉くんが、後部座席には巨躯を晒した豆蔵くんが腕を組んで座っている。その威風堂々な姿は、まるで世紀末の暴君のよう。でも、「え? 乗れなくね」 バモスくんの定員は確か4人。こっちは3人。道交法無視してもスペース的に無理っぽい。すると遥か後方からボボボボボと重低音を響かせて来た車がバモスくんを追い抜いて、あたしたちの前で急ブレーキをかけて停まった。鈴風がその血のように真っ赤なスポーツカーに近づいて、「このポルシェって、まさか」 と運転席を覗き込み、中の人影を確認すると、「まひっ!!」 両手で口を押さえその場にへたり込んでしまった。エニシの切り替えの影響なのか、だんだん酷くなる推し依存。まさか昨日までアムステルダムにいた人が来るわけ……。「あ、まひにそっち行ってもらったから」 リング端末からクロエちゃんの声が聞こえたらしく鈴風は白目を剥いて後ろに倒れ込んでしまった。「お迎えにあがりました」 運転席から出てきたのは、銀髪ロングに抜けるような肌、金色の瞳に真紅の唇。上下深黒の制服姿。爆風のようなオーラに包まれた、夜野まひるだった。やばいクラクラする。猛烈に好きになりたい。 夜野まひるの圧力になんとか耐えた冬凪とあたしは、勧められるままポルシェのめっちゃ狭い後部座席に潜り込んだ。気を失ったままの鈴風は夜野まひるがお姫様抱っこして助手席に座らせてくれた。押しにだっことか正気だったら失神ものだろうけど、残念ながらこれ以上気を失うことはできない鈴風なのだった。 夜野まひる。この世界最強のVRゲーマーは安全運転とかスピード違反とかいう観念をはなから持ってい
柊林の流砂穴地帯は鈴風の誘導のおかげ無事通り抜けることができた。やっと青墓の杜から解放されたと思ったらバス通りまでは荒れ野で、虎杖生い茂る中、枝葉やツタを掻き分けて進まなければならなかった。枯れ葉のクズや小さな虫が頭の上から降ってきてキモいんだけど!「もう少しだから」 虎杖の鞭のような枝と扇のような巨大な葉を踏みつけながら道を作ってくれている冬凪が、あたしのイライラを察して声をかけてくれた。「ごめん。スカンポってこんな大きくなんのね」「若芽のころはアスパラみたいでシャクシャク食べれんのにね」 冬凪が枝を口まで寄せて食べる真似をした。「私、食べ過ぎてお腹こわしました」 鈴風の声がした。灌木の影になって姿は全く見えない。「硝酸のせいだね。てか、どんだけ食べた?」 それからもしばらく葉クズと小虫のトンネルを掘り進んでようやく虎杖の呪縛から解放されてバス通りに出た時は日差しも強くなっていた。みんな汗ばんでいるのがわかる。「バス通り出た」 冬凪がリング端末にアクセスする。ホロ画面が出てクロエちゃんが、「バモスくん。そっちに行ってない?」 ブクロ親方に迎えを頼んだと言った。クロエちゃんは外を歩いているらしく息の音が荒く聞こえる。「クロエちゃんも一緒じゃないの?」「あたしは先に鬼子神社に行ってる」 四ツ辻に寄って紫子さんを連れて来るのだそう。「それは良かった」 冬凪がこれからすること、鈴風とあたしをあの世へ連れて行くことの全責任を自分一人で背負う気でいるのは知っていた。言い出しっぺだということもあるけれど、どんなことでも逃げない、最後までやり遂げる、そして何があろうと責任は自分が全部背負う。それが冬凪なのはよく分かっていた。だからあたしは全身全霊かけて冬凪を支える気でいたのだった。その冬凪が紫子さんと聞いてあたしでもわかるくらい安堵していた。 紫子さ
しばらく流砂穴を避けながら行くと、どこからか甘い香りが漂ってきた。「クチナシ?」 目の前の流砂穴の向こうに真っ白い花をたくさんつけた巨木があった。「あの時の」 ここの流砂穴の下は地下道になっているはずだ。「飛び込むの?」 先で根茎を渡る鈴風に声をかける。すぐさま、「いいえ。ここが以前のようだとは限らないんです。流砂穴は一定でないので」「じゃあ、あの時だって……」 突然あたしは、前にここに来たことがあると思った。デジャヴだ。普通のとは違いフラッシュバックに近いやつ。体が震え出し薬指に激痛が走る。急に目の前が真っ暗になって気づくとあたしは地下道にいた。苔むしたレンガの壁に寄りかかって座っていた。ただそれは、今しがた流砂穴に落ちたというのではなかった。別の時空のあたしが何かに追われてギリギリたどり着いた。そんな感じだった。「ミユウは建築家になりたいんだろ。どうして?」 隣にいた人があたしに向って聞いてきた。その人は上半身に包帯を巻いていて消耗しきっているようだった。顔を見た。ユウさんだった。「どうしてかな」 別のあたしは答えを探しながらこれからのことを考えていた。建築家になるよりあたしはユウさんと一緒にいたかった。目を離すとどこかへ行ってしまうユウさんにどこまでもついていきたいと思っていた。でも、もうすぐ別れの時が来ることをあたしは知っている。別のあたしではなく今のあたしの記憶がそれを教えるのだ。 ユウさんが立ち上がった。「行こう。ここを抜けたら……」 ダメ。行ってはダメ。あたしはユウさんを呼び止めようとした。でも体が動かなかった。声が出なかった。「ダメ! ユウさん、行かないで!」
倒れた鈴風を冬凪がおぶって歩き出した。自転車が消えた涸れ沢の坂の上に向かって歩きながらホロ画面のクロエちゃんに言う。「気絶するほど好きってなんだろね」「夜野まひるに会えばわかるよ。オーラ、エグいから。最近は慣れたけど、初めの頃は会うたび異世界転生してたからね」「それってトラックにはねられた的なw」「そう。そんな衝撃。会うたびに喰らうわけ。たまらんよ」 そんなすごいオーラって、夜野まひるは人なのか? あ、ヴァンパイアか。 でも、クロエちゃんは会ってるからそう言えるけども、鈴風はついこの間まで夜野まひるの生死さえ知らなかった。鈴風の夜野まひる体験は、メタバースのアーカイブだけだったはず。それなのにこののめり込みようだ。普段の鈴風とはまるで別人、依存状態といっていい。メタバースがオーラまで投影できるほど進化してるってこと?それとももっと他のことが影響してる? これって鈴風だけでない気する。例えば元々はただのファンクラブだった「チブクロ」の人たち。今は夜野まひるの復活のため浄血だって狂信に走ってるけど、やってることは変でも頭がおかしいとキメるのはかわいそすぎる。そもそも夜野まひるを知ったのだって鈴風と一緒でアーカイブ体験だろうから、推し側のオーラとかより、彼女たちの中にある何かが夜野まひるの中にある何かとシンクロして起きてることのような気がする。「夏波。着いたよ」 考え事してたらいつの間にか青墓の出口近くまで来たらしかった。目の前に柊林が黒々と行く手を遮っている。地の底をサラサラと砂が蠢く音が聞こえている。あたしたちは流砂穴地帯に来たていた。「ここを抜けるの?」 エニシの切り替えの時、鈴風の身に起きたことがフラッシュバックしてきた。真性ひだるさまが流砂穴からわらわらと襲ってきたのだった。ようやく鈴風が気がついたようなので、「ここ行ける? ひだるさま襲ってこない?」 鈴風が冬
涸れ沢は大小のごろた石と濡れて滑る地面のせいで自転車で進める状態ではなかった。それよりここからの道のりを鈴風一人に任せるのは忍びなかったので、「押そ」 冬凪とあたしはリアカーを降りた。それで手摺りに手を掛けようとしたのだけど、見てる間にリアカーの姿がかき消えてしまった。残ったのは鈴風が乗る自転車と牛乳瓶が入った荷台の黄色い箱だけだった。そういえば最初はリアカー曳いてなかったな。いうてヘルメット男さえ見えなかったんだった。「手押しします」 鈴風がサドルから降りると、今度は自転車が勝手に涸れ沢を登りはじめて、あたしたちからどんどん遠ざかって行き青墓の杜に紛れて見えなくなってしまった。冬凪も鈴風もそれを呆然と眺めて追いかけることすらできないようだった。「ヘルメット男?」 冬凪があたしに聞いた。「いや、もうこの世にいないはず」 ヘルメット男は母宮木野の墓所で渦に呑まれて成仏した。それを目撃したのはあたしだけだったけど。 鈴風が諦めたようにゆっくりと涸れ沢を歩き出した。「きっとオートホーミングですよ」 自動帰庫機能。最近セルフドライブの車多くなったけど自転車は見たことない。あれ、そんな先進的だったのか? あー、空飛んでたな。「ワンチャン、ありなのか?(死語構文)」 冬凪がリング端末に地図を表示させながら、「クロエちゃん、涸れ沢からどうやって帰ればいい?」 ホロ画面が切り替わり、「あたしの時はフジミユとユウが先導してくれたからなんも覚えてない」「え? それって3人でここに来たってこと? 何しに?」 ホロ画面の中でクロエちゃんは半笑いしていた。「何って、アンタらと同じだよ。エニシの切り替え」 知らなかった。「3人だけでですか?」 鈴風が興味深そうに聞く。「今の声は鈴風さん? そう、5人だよ。どうしてわかった?」「鬼子