LOGIN20年前の辻沢で作左衛門さんは言っていた。
(まあ、二人とも苦労が多いよ。辻川はDV野郎でひまわりの体は痣だらけだったって聞いたし、千福はエロじじーで毎晩風呂場を覗きにくるっていうしね。
こう言っちゃあ何だが、まゆまゆたちだって誰の子かわかたもんじゃない。鶴亀鶴亀)
「そうです」
高倉さんは何を肯定したのか。
そろそろあたしも分かって来たのだけれど高倉さんはあたしの心の中を覗いて話をしている。
だから率直に、
「誰の子なんですか?」
十六夜を妊娠させたのはいったい誰だ。
そんな悲惨なことは考えるのも嫌だけれど、十六夜のこの状態ならこの屋敷に出入りする全ての男が容疑者になる。
けれど高倉さんは全く違う説明をした。
そもそもこの部屋に入れるのは医者と高倉さんだけで、十六夜がVRブースに拘束されてからずっとこの部屋は監視されていて、そのような事は起きた記録はない。
それ以前に交渉があったかといえば、最初の検査の段階で見つかっていないのだからそれもない。
実は、このような状態になったのは昨日の昼すぎ突然だったのだそう。それで改めて検査したところ、
「胎児の姿が」
高倉さんが正面の大型モニターを指した。
するとそこにエコー画像が表示されて赤ちゃんの姿が映し出されのだけれど、すでに人と分かる姿をしていた。
でも、その赤ちゃんは変だった。
首の周りに何かが巻き付いていたのだ。
保健で響先生が妊娠出産のことを教えてくれたけれど、その時雑談でしたへその緒が首に巻き付いて出てきた赤ちゃんの話を思いだした。
でも、それはへその緒とは違って形がハッキリとしていた。
それは荒縄だった。胎児の首に荒縄が巻き付いていた。
「これって、もしかして」
「そうです。十六夜様は神の子を授かりました」
―――十六夜は志野婦を身ごもっていたのだった。
〈♪ゴリゴリーン〉
耳元でアラームが鳴った。
しばらく状況が呑み込め
定吉くんが豆蔵くんの声に応えて腰を落とし身構える。冬凪も鈴風もあたしも、何が来るか分からないから、定吉くんに倣って体を固くして待った。そして聞こえてきたのは、 プップッピーピー。「「「あーね」」」 漲っていた緊張感を見事に裏切るバモスくんの警笛だった。 でもバモスくんの現れ方はそんなことある? ってくらい斜め上だった。臙脂色の水面の上スレスレを飛んできたのだ。その運転席でブクロ親方が手を振っている。「お待たせしました」 待ってねーし。てか、何しに来た感しかないんだが。 バモスくんは取りすがるひだるさまの鎌爪を避けながら石舟の舳先前に着地した。豆蔵くんが臙脂色の中からもう一本の荒縄を引き出し、バモスくんの牽引フックに結びつける。「発車!」 ブクロ親方が余計なかけ声を口にする。あたしも「ロックイン!」って言っちゃうからその気持ちわかるけども。 石舟とバモスくんとで引き絞った荒縄から大量の水滴が飛沫く。バモスくんの360ccエンジンが悲鳴を上げる。その間もターン待ち知らずのひだるさまが襲いかかってくる。豆蔵くんと定吉くんが片手でシャムシールを振い迎撃する。「う!」 姿勢を低く!豆蔵くんのかけ声で、冬凪、鈴風、あたしは石舟にしがみ付く。体中がメガぞわぞわに襲われる。髪の毛が逆立ち鼻のツンがマックスになる。そして舳先のバモスくんがウイリーして運転席の天井がこっちになった。さらにあたしが全ての感覚から解放されると、ついに十六夜の石舟は空に舞い上がったのだった。 石舟は銀色に乳白色に輝く満月へ螺旋を描きながら上昇してゆく。下を見下ろすと臙脂色の海の中で豆蔵くんと定吉くんがこちらを見上げながらシャムシールを振いまくっていた。その後すぐに大量のひだるさまが押し寄せて二人の姿が見えなくなってしまった。その時、参道
石舟が動き出すと同時に気温が戻って、凍結ひだるさまも動き出す。 豆蔵くんと定吉くんが肩と腕に荒縄を食い込ませ石舟を曵く。豆蔵くんと定吉くんにひだるさまが容赦なく襲いかかってくる。シャムシールを見切った赤黒い襦袢の鎌爪が豆蔵くんの肉を裂く。月光の乳白色に血飛沫が上がる。定吉くんが青灰色の半纏の銀牙を腕で受ける。骨が砕ける音がして臙脂色にシャムシールが沈む。「二人が死んじゃう!」 あたしは銀製フォークを振り上げ、自分の太もも目掛けてブッ刺した。銀製フォークが弾かれて態勢が流される。見ると豆蔵くんがシャムシールをこちらに差し出していた。それで銀製フォークを払ったのだ。「う」 必要ない。豆蔵くんが言った。「う」 これくらいなんともない。定吉くんが肘から先がなくなった二の腕をあげた。そして逆の手で臙脂色の中からシャムシールを掴み出し、自分の腕を咥えた青灰色の半纏の素っ首を刎ねて、笑って見せたのだった。「わたしも闘います」 鈴風が瞳を金色にして石舟を降りようとすると、「う」 お前たちが降りたら神事は終わる。 豆蔵くんに引き止められた。 豆蔵くんと定吉くんはひだるさまの猛攻に耐え、決して荒縄を離さなかった。片腕のない定吉くんなどは荒縄を口に咥えシャムシールを降るっている。それでも限りなく襲い来るひだるさまは少しづつ二人の美しい身体を削って行く。それをみかねた鈴風が舳先に立って二人に降りかかる災忌を防ぎ始めた。あたしは石舟から鈴風の腰に、冬凪はあたしの体にしがみついて落ちないようにするので精一杯だ。鈴風は素手だ。武器を持たない手でひだるさまの銀牙や鎌爪を防ぐので鈴風の手先はすぐにザクザクになってしまう。それでも手先がなくなることはないのはヴァンパイアの再生力のおかげだろう。 でももう限界
臙脂色の海となった境内の真ん中に、冬凪、鈴風、あたしが乗った石舟があった。その長さは4メートル。3人が腰掛けるには程よい長さだけど、やっぱりお尻が痛い。その舳先に結え付けられた荒縄を豆蔵くんと定吉くんが袈裟懸けにし、シャムシールを手にして舞を舞う。豆蔵くんの背中の筋肉がビシビシと音を立てる。競うように定吉くんからもビシビシという音が聞こえ出す。二人は気力を充溢させて波濤を蹴散らし押し寄せる雌雄ひだるさまの大群を迎え撃とうとしていた。 まず赤黒い襦袢のひだるさまがあたしに向かって牙を剥き飛び掛かってきた。いざという時鬼子に発現するため用意した銀製フォークに触れる。そのひだるさま、豆蔵くんのシャムシールに首を刎ねられた。 赤黒い襦袢は紫の煙となって雨散霧消する。こんどは定吉くんが鈴風に取り憑いた青灰色の襦袢の腹を一刀両断、煙にする。豆蔵くんと定吉くんは巧みにシャムシールを操り、次々と襲い来るひだるさまをあしらってゆく。めっちゃ強い。 不思議に思ったのは、周囲の地面はすでに液化しているけれど、あたしたちの石舟も豆蔵くんたちも沈んでいかないことだった。浅瀬? と思ったけれどそうではなさそうだった。攻め寄せるひだるさまはどれも首まで臙脂色に浸かっていて、こちらに飛びかかる時だけ巨大な全身を晒す。だからかなりの深度が予想された。「なんで沈まないの?」 また冬凪に半ギレされるかと思ったら、「豆蔵さんたちがこの世に繋ぎ止めてくれてるっぽい」「う」 そのための荒縄でこれがなければ石舟はあっという間に地獄に落ちてしまうのだと言った。 そうしているうちもひだるさまは間断なく押し寄せる。シャムシールが振るわれる度にひだるさまが千々に散り、周囲を紫煙で染めてゆく。 急に静寂が訪れた。臙脂色の海で無数のひだるさまが微動だにしなくなっていた。水面に冷気が広がり気温が4度下がった感
リング端末が地獄への時を刻む。 0:29:55 0:29:56 0:29:57 0:29:58 0:29:59 0:30:00 突然頭の中がグラついた。意識が何かにぶつかられて外に弾き出された。そのまま宙を飛びまた何かにぶつかって止まった。視界がおかしかった。境内の真ん中にいる豆蔵くんたちが別の方向を向いていた。左手が鈴風を指していた。そして右手では、あたしを指していた。そのときあたしは冬凪だった。冬凪の記憶が押し寄せてきた。あらゆる時空の冬凪があたしの中に入ってきた。あたしは冬凪の全存在になった。再び頭の中がグラついた。また意識が何かにぶつかられた。宙を飛び何かにぶつかり止まった。今度は、右手で冬凪を、左手であたしを指していた。その時わたしは鈴風だった。鈴風のパラレルな人生全てを体験した。わたしは過去から未来の全鈴風だった。そして再びあたしになった。それが何度も何度も繰り返された。永劫続くようだった。でもやがてそれは止まり、あたしはあたしに戻ったのだった。何が起こったのか。あたしは全てを理解したと同時に全てを理解できていなかった。 頭のクラクラがまだ残っていた。「走って! 石舟へ!」 境内を石舟に走る冬凪の姿が見えた。「石舟へ!」 鈴風が走り出す。あたしも遅れないように斜面を飛び降りて走った。走りながらすり鉢の斜面近くの地面が波打つのを見た。地震?違った。境内の地面が液化し出したのだ。月光のせいで暗い臙脂色だけど、ホントは血のように真っ赤な色なんだろう。個体だった表面がどんどん溶けながら中央の石舟に白いの波濤となって迫ってくる。
社殿を出で階の上に立つと、境内は乳白色の光に包まれまるで真昼のように明るかった。夜空を見上げると銀色の満月が鬼子神社のすり鉢を覆い尽くしていた。その月が放つ光がまるで世界樹の幹ように真っ直ぐ降り注ぎ境内を包み込んでいるのだった。 境内には上半身裸の豆蔵くんと定吉くんだけがいた。石舟の側に荒縄を肩にかけた姿で立っていた。他の人たちを探すとすり鉢の斜面に付いた螺旋のスロープを人の列が登っているのが見えた。「みんな、どこ行くの?」「多分、避難してるんだと思う」 地獄の蓋が開くとき境内にいてはいけないようだった。「豆蔵くんと定吉くんは?」「役目があるから」 役目とはよ。豆蔵くんと定吉くんの側に行ってみた。「いいの?」 避難しなくて。「う」 豆蔵くんの言葉が聞こえてくる。 オレたちは夕霧の世から鬼子のために命を賭けてきた。それがオレたちのエニシだ。 夕霧物語のまめぞう、さだきち、りすけ。3人は夕霧太夫と伊左衛門に従ってひだるさまと闘い命を散らした。青墓の決戦手前で自由を与えられても、最後まで付き従った。今またそのエニシをなぞるのだと言う。「それでいいの?」「う」 定吉くんの言葉は短かった。 なさいでか。 意味わかんないほどの死語構文。 冬凪と鈴風とあたしはそれぞれ図面で指定された場所へ向かった。 月明かりの中、斜面に着くと足元あたりにそれらしい場所を探した。あった。斜面の少し上がったあたりにちょうど人が一人立てるぐらいの平面が。そこに上がって境内を見渡すと、冬凪と鈴風も同じ高さの斜面に立って手をふっていた。「両手で他の二人を指して! あと、少しで月が南中する。そうしたら何かが起こる」 冬凪が叫ぶ。「「何かって?」」 沈黙。そして、「分
冬凪が夜野まひるにべったり張り付いている鈴風を呼んで来てあたしの側に座った。そして、「クロエちゃんに教わったんだ。昔のJKがやってたフィンガーサイン」 そう言うと冬凪は右手でピースサインを作り、あたしたちの真ん中に差し出した。鈴風も同じように前に出して冬凪の中指に自分の人差し指当てる。「「夏波」さん」も」 あたしは中指を鈴風の人差し指に、人差し指を冬凪の中指に付けた。「5人でやると五芒星になります」 夜野まひるが言った。前の時はユウさん、ミユキ母さん、クロエちゃん、夜野まひるともう一人でこれをやったのだそう。 あたしたちのを見るとそれは三角の辺が凹んだ歪な形だった。「マキビシ?」 忍者の武器みたいだ。「3という数字は、破壊と創造を表すそうです」 鈴風が言った。それに冬凪が、「破壊と創造か。あの世で何をするかもわかってないけど、そういう事なのかもしれないよね」 つまりあたしたちはあの世で大暴れするってことになるわけね。 しばらくして紫子さんが伊左衛門をおんぶして立ち上がって言った。「そろそろかね」 社殿の暗がりにリング端末の明かりが一斉に灯る。時間は0時になろうとしていた。南中まであと30分。「う」 豆蔵くんと定吉くんが作業があるからと先に社殿を出て行った。赤さんたちが鈴風に目線をくれてからそれに続いた。辻川町長一団が出口の襖をぶっ壊しそうになりながら出て行く。校長室でもおんなじ事してたよ。あの黒服サングラスたちは学習能力がないのだろうか?最後に夜野まひるが出て行くのに鈴風も誘われてついて行きそうになったのを冬凪が止める。「鈴風さんは、あたしたちと一緒」 渋々それに従う。 冬凪は鈴風を元の位置に落ち着かせると、真ん中に等高線がびっしり描かれた図面を広げた。それは鬼子神社を上から見た詳細なものだった。







