LOGIN倒れ伏した鈴風と冬凪は肩で息をしていて意識があるのが分かった。
少ししてけだるそういに冬凪が顔をあげた。
「大丈夫」
と目で合図を送ってくたけれど、相当なダメージを受けたのは唇が紫になって震えているので分かった。
冬凪が鈴風に肩を貸して立ち上がりながら、
「鈴風さん、ごめんね。こんなのに付き合わせて」
と言うと鈴風は、
「いいえ。こうなるように決められていましたから」
それはクチナシ衆としてということらしかった。鈴風は諦めを受け入れた人の表情をしていた。
足元がおぼつかない二人に手を貸そうとあたしが近づくとヘルメット男が、
「もう触ってもいいぞ」
その余計な一言がイラつく。
冬凪が鈴風の右手の薬指を手に取った。そこから赤い糸が垂れて冬凪の薬指に繋がっていた。
「鬼子のエニシの感想は?」
鈴風は冬凪の目をじっと見つめて、
「はい、冬凪さんの心の情景が。とっても、……あったかいです」
と目頭を抑えた。冬凪はそんな鈴風の背中に手を当ててさすっていた。
「次はお前だ」
ヘルメット男があたしを別の赤い雫の側に手招いた。
都度、上から言うのがいらつくけれど血溜まりの天井から滴る雫の前に立った。
そして右手の薬指をその中に浸そうとすると、
「そっちじゃない」
「でも、左手は薬指ないから」
他の指でやれと言うことか?
「夏波」
呼ばれて冬凪を見るとポケットから何かを出す仕草をしていた。
それであたしはクロエちゃんからの預かりもののことを思い出して、スカートのポケットからユウさんの薬指入りのポリバックを出した。
夕霧物語では夕霧が噛みちぎって伊左衛門に渡した薬指が二人の行く先を予見していた。
ならば二代目夕霧のユウさんが残したこの薬指もきっと何かの澪標になるだろう。
でも、なんで今ここで? これをどうすれと。まさか付けろって言わんよね。
「
冬凪とあたしを乗せたリアカーを引いて、鈴風の自転車は枯れ葉の水面へ向かってジェイコブス・ラダーを駆け上がって行く。降り注ぐキラキラの光の粒は、鈴風の真紅の制服に金のスパンコールを添え、冬凪の全身を洗ってリアカーの床を滑り落ちてゆく。「突っ込みます!」 鈴風が叫ぶ。衝撃に備えようして冬凪の腰に手を回しただけなのに、「夏波。くすぐったいよ」 それ今言う?「衝撃、来ます!」 鈴風の言葉が終わらないうちに自転車は枯れ葉の水面に突っ込んだ。 衝撃は光の爆発だった。目に入った純白の光が後頭部まで突き抜けた感じがした。頭がクラクラする。目が開けられない。地面に着地したらしく、リアカーがタイヤからの振動で上下に激しく揺れた。鈴風がブレーキをかけて自転車を止める。つんのめってようやく目を開ける。「みなさん、大丈夫ですか?」 振り向いた鈴風は瞳の色も口も元に戻っていつもの可愛らしい顔になっていた。口の周りにちょっと血がついてる。それを仕草で教えてあげると、鈴風は真紅のスカートのポケットからハンカチを取り出して口の周りを拭った。そしてあたしに向かって口を突き出し取れてるか見せきた。 それであたしは、十六夜のことを思い出した。十六夜は10円アイスを食べた後、必ず口を見せてきた。知り合ったばかりのころ、口の周りをベタベタにしてアイスを食べてるので教えてあげてたら、いつからかアイスを食べ終わると口を拭って、「ん」 と突き出してくるようになったのだった。「取れてるよ」 十六夜の時のように鈴風に教えてあげると満足そうに頷いた。その表情もなんだか十六夜っぽくてなごむ。エニシを結んだからなのか、鈴風との距離が縮まった感じある。「ここは?」 あたりはほの明るく少し肌寒くて夜明け前といった感じだった。景色も来た時とは全く違っていた。枯れ葉の海はなく、坂道のよ
ゆっくりと。時が止まったようにゆっくりと、世界樹が横倒しになってゆく。そして大地に倒れ伏すと凄まじい地鳴りが大気を揺らし、二つに割れた枯れ葉の山脈がモーセの海のように世界を二分した。割れた大地から火焔と蒸気が噴き出し、断末魔の悲鳴が上がる。撒き散らされる赤褐色と瀑布の茶褐色が空中で衝突し極大の渦を作る。渦は世界の全てを引き摺り込もうと狂ったように回転する。 呑まれる! ってなって鈴風が自転車を上方修正。天蓋へ一気に駆け上がる。そのまま枯れ葉の雲に突っ込んだ。 茶褐色の雲の中は轟く雷鳴と吹き荒ぶ風で嵐と化していた。鈴風が乗る自転車と冬凪とあたしが乗るリアカーが乱気流に翻弄される。手すりに掴まっていないと振り落とされそうだ。枯れ葉がカミソリのように頬を掠め、リアカーのすぐ脇をごんぶとの枝が飛び去っていく。あんなのに当たったらこんなちっさい自転車ひとたまりもない。鈴風が神ってるから飛べてるけども。 来た時はヘルメット男の頭上の燐光で行く先が照らされていた。今はそれがないせいで自転車のすぐ手前すら見えない。そんな中で障害物を華麗に避けながら全力上昇する鈴風。どうなってる?「鈴風、大丈夫?」 さっきからそればっかだけど、それしかかけられる言葉がない。鈴風が振り向いて言った。「はいりようふれす」 その鈴風の瞳は金色で、なくなった口のあたりから銀色の牙が四本突き出していた。 それってクチナシ衆の口。ヴァンパイアだから牙出てるし。そりゃ、しゃべりにくいわな。「なんか、ありがとうって」「もうふぐれふはら」「なんて?」「もうすぐだって」 冬凪が翻訳して上を指さした。見上げると枯れ葉の隙間からキラキラと木漏れ日が見えていた。VRダイビングとかで見た、水面に上昇する時に海面から差す光み
あたしは震える冬凪を抱きしめた。「冬凪、神話なんて作ればいいんだよ!」「誰が?」「あたしたちが!」「そんなこと。神でもないのに」 冬凪は子供のように泣きじゃくりだした。「十六夜に会いに行こう。使命とかいらない。あたしたちの神話をつくろ! 冬凪とあたしと鈴風で」 ヒックヒックしながら冬凪があたしの目を見つめる。そしてもう一度、母宮木野の墓所の土煙を見下ろして、「そっか、あたしたちが新しい辻沢の記憶になればいいのか」 ワンチャンなれんじゃね?(死語構文) その時突然、天地を揺るがす雷鳴が轟いた。耳を裂く大音量、大気が震え落葉の勢いが一瞬止まる。冬凪もあたしも耳を塞いで衝撃波を遮断する。自転車を漕ぐ鈴風は肩を思いっきりすぼめながら全力をキープする。雷鳴は何度も何度も繰り返す。その度に叫び声が出るけれど、全て雷鳴に打ち消されて聞こえない。 その雷鳴は天から降ってきたのではなかった。枝葉に遮られてここからは見えない世界樹の中心から響いてきていた。やがて世界が破裂したような爆発音がした。「世界樹が!」 冬凪が指差す世界樹の幹で爆裂連鎖が起こり、次々に樹皮が剥落しだした。その勢いは枝葉の落下より早く、樹皮がなくなった場所は血の様な樹肌を晒していた。「何が起きてる?」 冬凪が目を丸くして言った。 そんなのわからない。けど、とんでもないことが出来してるに違いなかった。「急ぎましょう」 鈴風が息を切らせながら叫んだ。「分かった。でもそれ、鈴風次第かも」 鈴風が一言、「ですよね」 冬凪もあたしもリアカーに乗ってるだけだ。 その間も雷鳴は轟き続けていた。天地が終わるまで鳴り続けるつもりなのか? と思った途端、雷鳴が止んだ。豪雨のような落葉の音が耳にうるさくなる。そしてしばらくする
世界樹から大量の枝葉が降り注いでいた。それは天の瀑布となって果てない平地を埋め尽くしつつあった。頭上に聳え立つ老樹はひび割れた樹皮を剥離させ、樹下のあたしたちを恐怖に陥れた。「ここにいたら潰される」 冬凪が頭上に迫ったサッカー場大の樹皮を指さして言った。「乗ってください!」 鈴風が自転車に跨がり、繋がれたリアカーを振り向いて叫ぶ。乗ってるのはあたしだけで冬凪はまだだ。急いでこちらに走って来たけれども、鈴風も速度を緩めず全力で自転車を漕ぐ。追いつかない。「冬凪!」 あたしはリアカーの手すりに掴まり手を伸ばす。冬凪は上を気にしながら走るものだから距離が縮まらない。「冬凪、手!」 冬凪がハッとなって手を伸ばす。でもとどかない。「想って!」 冬凪が頷く。手が近づいてくる。二人の指先が触れた一瞬、何かの力が働いて吸い付くように掌が重なった。その機を逃さず思いっきり引っ張ると、冬凪の体がフワッと空中に浮いてあたしの胸に飛び込んで来た。その勢いは止まらず、自転車も大地を離れ茶褐色の豪雨の中へ。「想えた?」 腕の中の冬凪が聞いてきた。「想えたんだろか」 クロエちゃんが言っていた「想い」とはちょっと違う気がした。「想えたでいいのではぁ?!」 全力で自転車を漕ぐ鈴風が叫ぶ。めっちゃ忙しそう。「大丈夫? 変わる?」「変わって落ちたら大変ですから!」 そりゃそうだ。 その時、リアカーのすぐ後ろを掠めて巨大な樹皮が崩落した。母宮木野の墓所が轟音と土煙りの中で見えなくなる。冬凪がその様子を呆然と見つめ、「ああ、辻沢の神話が、母宮木野の記憶が」膝から崩れる冬凪を落ちないように支えリアカーの手すりに掴まった。冬凪はショックが大きすぎて体の震えが止まらなくなっている。冬凪は
世界樹を見上げている冬凪に、「ダメっぽい」 報告すると、「クロエちゃんもここに来たって言ってなかった?」 言ってたような気する。でもそれは最近のことではなさそうだった。記憶の狭間にクロエちゃんを探しにゆく。クロエちゃんはいつも笑顔で冗談ばかり言ってるけど、大事なことをあたしたちに教えてくれた。藤野家の家訓もクロエちゃんが作ってくれた。「クソコメ、クソリプする。 舌打ちをする。 靴の踵をふむ。 道に唾をはく。 物に当たる。 準備もないのにオートバイの後ろに乗れと言う。 軽自動車に乗せてもシートベルトをしろって言わない。 そういうやつとは付き合うな」 理由は、最初はいい顔するけど下手打った時こっちに八つ当たりすからだそう。そういうの、まだよくわかんないけど大事そうだ。 突然あたしは思い出した。 藤野家の、裏庭に抜ける場所に山椒の木が何本かあって、小学生のころ夏の初めにその実を採ることが恒例になっていた。下の方に成っているのはいいけれど上のほうのはクロエちゃんでも届かなかったから、冬凪にもあたしにも無理と思っていた。それで手をこまねいていたらクロエちゃんが、「採れるよ。やってごらん」「「どうやって?」」「キャタツ?」 冬凪が倉庫に走ろうとしたら、「そんなのいらない。想うだけでいい」「「おもう?」」「そう。想う」 クロエちゃんは、トンと地面を軽く蹴ると、スルスルと山椒の木の梢の高さまで飛び上がって、一番上の青々とした房をむしると、ストっと地面に降りて来た。「ね」 ねって。 それで冬凪が先に言われた通りに想いを込めて地面をトンと蹴ると、山椒の木を超えてしまうほど高々と飛び上がった。梢を行き過ぎて落ちながら慌てて山椒の実を取ろうとしたけれど、枝を千切っ
鈴風とあたしも母宮木野の墓所から出て行く冬凪の後について行こうすると、ヘルメット男が黄色い牛乳瓶の箱を渡してきた。「これを頼む。自転車に乗せておいてくれ」 それを受け取った鈴風が先に出て行った。あたしが身を屈めて出口の通路に入ると、背後で水が激しく繁吹く音がした。振り返ると天井の水溜まりが渦を巻いていて、ヘルメット男が石室の中央で大きくなっていく渦を見上げていた。見る間に渦巻きが下に伸び石室の中が水飛沫でいっぱいになってヘルメット男が見えなくなった。激しい繁吹きの音が止んで石室の水飛沫が晴れた。渦巻きが消えていた。ヘルメット男もそこにいなかった。天井が鏡のような水溜まりに戻る。そして石室のどこかからヘルメット男の声が聞こえて来た。「夕霧に伝えてくれ。やっとこの世を去れる。ありがとう、と」 石室の空気が変わり入った時のぞわぞわ感が戻ってきた。そして水滴が地面から天井に逆上がりする状態になった。「ヘルメットさん。ユウさんなら、きっとまた会えるよ」 あたしはそう言い残して母宮木野の墓所から出たのだった。 墓所の外は来た時と景色が一変していた。天蓋の枯れ葉の雲から茶褐色の瀑布がいく筋も平地に落ちかかっていた。その下では山が出来、山脈となって平地を枯れ葉で埋め尽くしている。「どうしちゃったの?」「わかんない」 冬凪も降りしきる茶褐色を見上げて不思議そうにしている。鈴風が何か知ってないか顔を見たけど、「さっぱりです」 お手上げのようだった。「で、どうする?」 トリマ帰らなきゃいかんだろ。「牛乳配達の人は?」「天に召された」 めっちゃ低い天だけど。「は? どいうこと?」「ここにいるのはあたしらだけ」 冬凪は頭を抱えながら、「まじか。運転は誰がす