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拾話:家族とラリと絆

last update Veröffentlichungsdatum: 17.07.2026 06:07:14

 夜風が肌寒くなってきた。

 ダルい。

 でも、寒いし、お腹も空いた。

 生きる上での基本的な欲求が、俺を動かした。

「帰るか…」

 なんだか、とても辛いことなのに…空腹一つで行動が変わるのが、自分の心の弱さと『実際封印してきた過去なんて大したことないじゃん…』ということなのか?という何とも言えない気分になった。

 羅璃ラリは「あー、お腹空いたー! 何か美味しいものあるかなー!?」と早くも食べる気満々だ。

 家に戻ると、ちょうど夕食の準備が整っていた。

 キッチンからはいい匂いが漂ってくる。

 リビングでは、母さんがテーブルに料理を並べていた。

 羅璃ラリの姿を見ると、母さんは

「あら、翔平、羅璃ラリさん! おかえりなさい! さあさあ、ご飯食べましょう!」

 とあっけらかんと迎えてくれた。

 父さんは相変わらずリビングのソファに座っているが、新聞を脇に置き、俺たちを見ていた。。

 智絵は……少しだけ口をとがらせて、テレビを見ながら不機嫌そうな顔をしている。

 食卓を囲む。父さん、母さん、智絵、そして俺と羅璃ラリ

 食卓に赤鬼ギャルがいるという、非日常的な光景だ。

 父さんは無言で、黙々とご飯を食べている。智絵は、俺とは目を合わせようとしない。

 母さんは、羅璃ラリに「今日の晩御飯は何?ってね、カレーライスよ!羅璃ラリさんはカレー好き?」などと話しかけている。

 羅璃ラリは、そんな微妙な空気も気にせず、遠慮なく食べ始めた。

「うっっっっっわあ! マジ美味そー!」とデカい声ではしゃいでいる。

 そして、羅璃ラリが食卓の会話をリードし始めた。

「ねーねー、お母さん! しょーへーって小さい時どんな子供だったの? 超無気力だったとか?」

 羅璃ラリのストレートな質問に、母さんは苦笑いしながらも話し始めた。

「翔平は昔は元気の塊みたいな子供だったのよ」

「サッカーは小さい時からのめり込んでて」

「まあ、勉強はね……脳筋だったし……」

 羅璃ラリは母さんの話に興味津々で、相槌を打ちながらどんどん質問する。

 父さんも、羅璃ラリに話しかけられると、ぶっきらぼうながらも少しだけ答える。

「母さんからメールとかで聞いている」

「海上自衛隊の訓練で遠泳といって、丸一日休みなしで泳がされた」

「翔平のサッカーの試合は見てやれなかった……」

 智絵ともえは、初めは口をつぐんでいたが、羅璃ラリに「智絵ちゃんは?」と話を振られると、渋々といった様子で話し始めた。

「少し年が離れていたので、よく面倒見て貰った」

「サッカーの試合のお兄ちゃんはカッコよかった」

 羅璃ラリは、まるで家族セラピストのように、巧みに会話を誘導していく。

 そして、話は自然と俺のことに戻ってきた。

「ねー、お父さん、お母さん。しょーへーのこと、なんか心配じゃないの?」

 羅璃ラリが、核心を突くような質問をした。

 母さんは少し目を伏せ、父さんは無言で箸を止めた。

「……心配よ、そりゃあ。あんなに元気で、サッカーばっかりやってた子が、急に……ねぇ」

 母さんが、寂しそうに言った。

 父さんも、何も言わないが、その表情から心配しているのが伝わってくる。

「智絵ちゃんは? 兄貴のこと、どう思ってるわけ?」

 羅璃ラリが智絵に尋ねた。

 智絵は、また口をとがらせた後、ぽつりと呟いた。

「別に……どうも思ってないし」

「うっそだあ! さっき、兄貴のこと嫌いって言ってたじゃん! ……高校の時は輝いてたのにって!」

 羅璃ラリは容赦なく追い詰める。

 智絵は、顔を赤くして、羅璃ラリを睨んだ。

「……うるさいな! 今の兄貴は……見ててムカつくんだよ!」

 智絵はそう叫ぶように言うと、再び口をつぐんだ。

 羅璃ラリは、そんな智絵の様子を見て、何かを察したようだった。

「そっか。智絵ちゃんはね、しょーへーのこと、本当は心配なんだよ。

 昔みたいに元気がない、今のしょーへーを見てて辛いから、ムカつくって言っちゃうんだよね」

 羅璃ラリの言葉に、智絵はビクッと肩を震わせた。

 図星だったのだろう。羅璃ラリは、智絵のそんな気持ちを、ストレートに代弁した。

 食卓に、少し重い空気が流れた。父も母も、黙って俺と智絵を見ている。

 智絵は俯いている。

 その時、智絵が、おそるおそる顔を上げた。

 そして、俺の目を見て、小さな声で尋ねた。

「……兄貴……大丈夫……?」

 その言葉に、俺は胸が詰まった。

 智絵の冷たい態度は、心配の裏返しだったのか。

 俺の無気力さを見て、大丈夫かと心配してくれているのか。

 俺は、智絵の目を見つめ返した。

 さっき、公園のベンチで、過去の痛みと向き合ったこと。

 そして、羅璃ラリに言われた言葉。過去から逃げてはいけない。

「……サッカーの件は……まだ、吹っ切れたわけじゃない」

 俺は正直に言った。トラウマは、簡単に消えるものではない。

「でも……自分の人生、自分の決断に、ちゃんと……責任を持とう、と思う」

 逃げるのは、もうやめよう。

 過去も、今も、そして未来も、自分のものとして受け止めよう。

 そう、心の中で決意した。

 俺の言葉を聞いた智絵は、少しビックリした顔をした。

 そして、ふっと、口元に微かな笑みを浮かべた。

 それは、さっきまでのとがらせた口元とは違う、安堵のような、納得したような笑みだった。

「……そっか」

 智絵はそれだけ言うと、再びご飯を食べ始めた。

 でも、その表情は、さっきよりずっと穏やかになっていた。

 俺が智絵と、そして自分自身と向き合った、その瞬間だった。

 羅璃ラリが、またしても「きゃあああああ!!!」と奇声を上げた。

「えっ、また!?」

 羅璃ラリは、自分の身体を見て、大喜びしている。

 俺も羅璃ラリを見た。

 羅璃ラリの赤い肌に刻まれた禍々しい文様が……足先の方が、大きく消えている。

 文様の数が減り、赤黒い肌色はさらに薄くなる。

「ヤッター! ヤッター! また消えた! すごい!ラリってボンノー!

  しょーへー! 何? 今度はなんの煩悩解放したわけ!?あ、不正知ふしょうち心不定しんふてい懈怠けだい社会関与や世界とのつながりを拒否する煩悩だね!」

 羅璃ラリは興奮気味に俺に話しかける。

 しかし、その羅璃ラリの身体の変化に、父も母も、そして智絵も……誰も気づいていない?

 彼らは、ただ羅璃ラリが一人で騒いでいる、としか見ていないようだ。

(……どういうことなのか……?)

 羅璃ラリの身体の変化は、俺と羅璃ラリにしか見えない現象なのか。

 羅璃ラリは俺の煩悩の具現化で、俺の内面の変化が彼女の姿に影響を与えている。

 だから、俺だけが、その変化を認識できるのかもしれない。

 この「ラリった世界」は、俺と羅璃ラリの間だけで共有されているものなのか。

 羅璃ラリが騒いでいる横で、智絵が俺に話しかけてきた。

「ねえ、お兄ちゃん

 智絵の顔は、もうさっきの冷たさはなく、ただの妹の顔だった。

「……じゃあさ、絵も……再開するの?」

 智絵の言葉に、俺は固まった。

 絵。

 サッカーと同じように、挫折して、逃げて、心を閉ざしたもう一つの過去。

 俺は、言葉に詰まった。

 サッカーの挫折は、吹っ切れなくても、自分の決断に責任を持つ、と心に決めた。

 でも、絵は……? 過去の別のトラウマが、まだ心に引っかかっている。

「それは……」

 俺は、ごまかすように視線を逸らした。そして、立ち上がった。

「ちょっと、部屋にいる」

 俺は、羅璃ラリと家族を残し、二階にある自分の部屋へ向かった。

 そこには、サッカーの賞状とともに、もう何年も開けていないスケッチブックが保管されている。

 絵を描くこと。過去に向き合うことの、もう一つの試練。

 羅璃ラリの文様を全て消し去るために、そして、俺自身が変わるために、俺は、その試練にも向き合わなければならないのだろうか。

 部屋に入り、扉を閉めた。

 壁に貼られたサッカーの賞状が、俺の過去の栄光と挫折を雄弁に物語っているようだった。

 そして、部屋の隅には、埃を被ったスケッチブックが置かれている。

 ダルい。

 でも、羅璃ラリの身体が綺麗になっていくのを見ていると、もう後戻りはできない気がしていた。

(26/108)

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