キス、嫌ではなかったな……。
むしろ、自分の中に喜びを感じた気がする。 私自身、美味しく頂かれちゃう気満々って事かもしれない。助けてくれたお礼……って事になるのかな?
でもそう考えて思うのは。
「これ、お礼になるの?」
私は日葵みたいに美人というわけじゃない。
それに、こういう事自体初めてだ。 初めてとか面倒だって思ってたらどうしよう。……そうだよ。
お使いとはいえこんな街に出入りしている女だ。 初めてなんてとっくに済ましてると思われている可能性もある。 というか、そう思われている可能性の方が高い。そこはちゃんと言っておかなきゃならないかな?
……多分、言っておいた方が良いよね?で、でもいつ言えば?
何て言えばいいの?恥ずかしさを誤魔化すように私は食事を急いで進めた。
食べ終えたお皿を持ってキッチンと思われる方に向かい、シンクでお皿を洗っていると紅夜がお風呂から出てきた音がした。 丁度洗い終えたところでお風呂上がりの紅夜がひょっこりとキッチンに顔を出す。「ん? 皿、そのままでよかったのに」
下だけ履いている状態で、上半身は裸。
頭からバスタオル一枚かぶっているだけの格好。「っ!」
紅夜の引き締まった身体に嫌でも緊張が走る。
お皿を持っていなくてよかった。 持っていたら絶対落として割ってたから。紅夜はバスタオルで髪をわしわし拭きながら近づいて来る。
「ふーん……」
「な、なに?」ジロジロと見て来る紅夜。
私は逆に彼を直視出来ない。「いや、良いなと思って」
「……何が?」「こんな風に美桜が家の事してんの。カノジョ「あっあの! 言わなきゃないことが!」「……何? 今更出来ないとか無理なこと分かってんだろ?」「そうじゃなくて……」 私は少し気を取り直すために上半身を起こした。 自分からこういうことを言うのは恥ずかしい。 でも言っておかないと、後で幻滅したとか言われたくない。「その……私、初めてだから……。ちゃんと出来るか、分からないよ?」「……」 何故か黙り込んでしまった紅夜に不安が募る。「ごめん、やっぱり面倒だとか思った? でも、やっぱり差し出せるのはこんな私だけだし。というか、これってお礼になるの? 紅夜は――むぐっ」 不安から次々と言い募ると、大きな手のひらで口を塞がれる。 見ると、紅夜は揉むように眉間へ指をあてていた。「いや、まあ……はじめてだろうなってのは何となく分かってたから……」 え? そうなの?「あと、別に面倒だとか思わないから」 そっか、良かった……。「でもな。こんなとか、お礼になるのかとか自分を卑下すんな。俺があんたを欲しいと思ったんだ。それだけ分かってれば良い」 私を欲しいと思った……? 自分を卑下しているつもりはなかったけれど、紅夜は私をどう思っているのか気になった。 口を塞いでいる紅夜の手を両手で掴み、外す。「紅夜は……どうして私を欲しいと思ったの?」 卑下するつもりはない。 でも、そこまでの魅力があるとも思えなかった。 冷たい目が、真っ直ぐ私を射抜く。 さっきまでの凶暴性は、瞳の奥でまだチラついていた。「……あんた達が男達に襲われていたとき、お前だけが諦めてなかった。それでも大したこと
キス、嫌ではなかったな……。 むしろ、自分の中に喜びを感じた気がする。 私自身、美味しく頂かれちゃう気満々って事かもしれない。 助けてくれたお礼……って事になるのかな? でもそう考えて思うのは。「これ、お礼になるの?」 私は日葵みたいに美人というわけじゃない。 それに、こういう事自体初めてだ。 初めてとか面倒だって思ってたらどうしよう。 ……そうだよ。 お使いとはいえこんな街に出入りしている女だ。 初めてなんてとっくに済ましてると思われている可能性もある。 というか、そう思われている可能性の方が高い。 そこはちゃんと言っておかなきゃならないかな? ……多分、言っておいた方が良いよね? で、でもいつ言えば? 何て言えばいいの? 恥ずかしさを誤魔化すように私は食事を急いで進めた。 食べ終えたお皿を持ってキッチンと思われる方に向かい、シンクでお皿を洗っていると紅夜がお風呂から出てきた音がした。 丁度洗い終えたところでお風呂上がりの紅夜がひょっこりとキッチンに顔を出す。「ん? 皿、そのままでよかったのに」 下だけ履いている状態で、上半身は裸。 頭からバスタオル一枚かぶっているだけの格好。「っ!」 紅夜の引き締まった身体に嫌でも緊張が走る。 お皿を持っていなくてよかった。 持っていたら絶対落として割ってたから。 紅夜はバスタオルで髪をわしわし拭きながら近づいて来る。「ふーん……」「な、なに?」 ジロジロと見て来る紅夜。 私は逆に彼を直視出来ない。「いや、良いなと思って」「……何が?」「こんな風に美桜が家の事してんの。カノジョ
お風呂はバスタブも黒で全体的にシックな感じ。 ドキドキしながらもゆっくり入り終えると、置いてあった制服がなくなっていた。 置かれていたのは元々着ていた下着と大きい白のYシャツ。 部屋の中は暖房が効いていたから暖かいけれど……それでもちょっと薄着なんじゃないかな? とはいえここにはこれしかない。 下着姿で出ていくわけにもいかないから、着るしかないよね。 一通り着るものを着て髪を乾かすと、髪を結んでいたゴムがないことに気付いた。 「あれ? 落ちちゃった?」 軽く探してみるけれど見当たらない。 基本的に寝るとき以外はいつも髪をまとめている。 これからご飯も食べるのに下ろしたままってのはちょっと落ち着かない。 「仕方ない、リボンだけでいっか」 すぐにほどけそうで心もとないけれど、髪はまとめておいた方が落ち着く。 私はだぼだぼのYシャツに赤いリボンで髪をひとまとめにしているだけ、という格好でメインルームに向かう。 Yシャツが大きいからワンピースみたいな感じだけれど……下半身が心もとない。 この格好をさせること自体が、これから美味しく頂かれる女がズボンなんかいらないだろう? と言われている気がして……。 嫌でも意識させられてしまう。 いやいや! 別に紅夜はそこまで考えてるわけじゃないよね? 多分着替えとして出せるのがこれだけだったとか、そういうこと……。 格好だけで意識する方がおかしいのかも知れないし、と自分を落ち着かせる。 そうしてメインルームに入るとふわりと食欲を刺激する香りがした。 「ああ、丁度良かったな。今出来たとこだよ」 そう言って紅夜はローテーブルの上にお皿を置いていく。 近付いて見てみると小さめのニョッキのようなパスタ料理があった。 これって……。 「シュペッツレ?」 「正解、よく知ってたな?」 「うん……昔、一度だけ叔母さんが作ってくれたことがあって……」 シュペッツレはドイツ南西部のパスタ料理だ。 ドイツに留学経験のある叔母さんが得意料理だと言って作ってくれた。 「ま、俺もまともに作れるのこれだけなんだけどな」 「え?」 何でもないことの様に言われてスルーしそうになった。 「紅夜が作ったの?」 冷凍食品とかじゃなくて?
紅夜の姿が見えなくなってやっと息を吐く。 どうしようもなかったとはいえお腹が鳴ったのは一生の不覚だった。 そう後悔をしていると、何かの振動を感じる。 一瞬「何!?」とビックリしたけれど、すぐにそれが自分のスマホだということに気付いた。 震え続けるその画面を見ると《お母さん》の文字。 うわっ! ど、どうしよう。 絶対心配かけてるよね? そう思ったら、出ないという選択はできなかった。『美桜!? 無事なの!?』 通話をタップするとすぐに聞こえてきた声。 とにかく無事だという事と今日は帰れないこと、そして嘘になってしまうけれど、叔母さんのところに泊めてもらうと伝えた。『それ、本当に美玲が良いって言ったの?』「え!? うん、そうだよ?」 嘘がバレたのかと思って驚くけど、誤魔化した。『……そう? それなら良いんだけど……』 そうして何とかお母さんの電話をやり過ごすと、今度は急いで叔母さんへ電話を掛ける。 早く出てー。 お母さんが確認してしまう前に口裏を合わせてもらわないと! すると3コール目の途中で叔母さんが電話に出た。『美桜、帰れたの?』 お母さんよりは落ち着いた声だったけれど、明らかに心配してくれている声音。 私は簡単に事の成り行きを話して口裏を合わせるように頼んだ。『口裏を合わせるのは良いけれど……。結局あなた今どこにいるの?』「えっと……」 少し迷ったけれど、そこは正直に答えることにする。「紅夜って人の家」『紅夜の!?』 その声音に少しの疑問を抱く。 紅夜のことを知っているような口振り。 この黎華街の管理人なんだから知っていて当然なのかもしれないけど、叔母さんの声はもっと近しい……直接の知り合いのような言い方だった。 でもそれを問いただすより叔母さんの声の方が早かった。『まあ、紅夜ならあなたに乱暴なことはしないと思うけど……。あ、姉さんだわ』 キャッチでも入ったのか、叔母さんはそのまま『じゃあ、明日の朝になったらちゃんと帰りなさいよ?』と言ってすぐに電話を切る。 疑問は残ったけれど、とりあえず口裏は合わせてもらえたから良かったかな? 私はそのままスマホのチェックをすると、日葵からも着信やメッセージが届いていることに気付いた。 良かった。 ちゃんと帰れたみたい。 メッセージには、愁一さんに連れ
ネオンの光もわずかしか届かない、真っ暗な路地。 歩けるところがあるというのがかろうじて分かる程度。 そこを進むと、少し開けた場所にエレベーターの扉が見える。 紅夜はためらいもなくそのエレベーターの上のボタンを押した。 すぐに開いた扉の中に入ると、紅夜は階数ボタンより先に扉を閉める。 それを少し不思議に思っていると、ボタンの上の階数が表示される場所に彼は顔を近付けた。 『認証完了致しました』 エレベーター内に響く機械音声。 これって……顔認証システム? どうしてエレベーターに顔認証システムが? そう思うのと同時に、新たな階数ボタンが表示された。 そしてその中の一番大きい数字を押す紅夜。 一通りの流れを見ていた私はポカンと口を開けて彼を見ていた。 そんな私を見て紅夜はフッと唇を弓月形にする。 「見ての通り、俺しか入れない俺の家。だから誰も入ってこられない。安全だけど……美桜にとってはどうかな?」 妖艶に笑う紅夜は意地悪だ。 ここまで付いてきてしまった時点でもう逃げられないし、ある程度の覚悟は出来てる。 それを分かっていてそんな質問をするんだから。 「私にとっては危険なの?」 さっきのお返しとばかりに質問で返してみると。 「それは、美桜次第だな」 と答えられた。 まさにその通りな言い返し方に歯噛みする。 全然仕返しになっていない。 ちょっと悔しい思いをしているうちにエレベーターは最上階について止まった。 扉が開くと、少し離れたところに0から9までのボタン付きのドアがある。 紅夜が迷いなくいくつかの数字を押すとカチャリと鍵の開く音がした。 顔認証のエレベーターに、暗証番号の部屋のドア。 厳重だな、と思ったけれど総長で管理人の彼ならこれくらいしないと安心して休めないのかも知れない。 「まずは風呂かな?」 部屋に入ると、すぐにジャケットを脱いでそう言った紅夜。 中に着ていたのはボルドーのシンプルなカットソーだった。 やっぱり紅夜には赤系が似合うなぁなんて思いながら、私もベージュのダッフルコートを脱いだ。 靴も脱いで中に入ると、中は広くてシンプルな部屋。 奥の方にキッチンやバスルームへ続くと思われるドアがあった。 とりあえずここがメインルー
「紅夜さんが、私に求める利って何ですか?」 なんとなく、察したものはある。 でも本当にそんなものが欲しいのかが疑問で、聞いてしまった。「……さあ、何だろうな? あんたが俺に差し出せるものって何?」 「っ!」 私が聞いたのに、逆に聞き返される。 しかもその問いは、日葵を助けてほしいと願ったときと同じセリフだ。 紅夜さんの顔が意地悪な笑みを作っている。 感情が読み取りづらいはずの瞳が、楽し気な光を宿していた。 私は顔に熱が集中するのを自覚する。 怒りたいような、でもそれ以上に恥ずかしいような……。 彼は、何が何でも私の口からそれを言わせたいらしい。「……私が差し出せるものなんて……私自身しかないよ……」 自分を彼に差し出す。 それがどういう意味を持つのか、分からないほど子供じゃない。 さっきは日葵を助けなきゃという思いが強かったせいか、恥ずかしいとか、どういうことをされるのかとか考える余裕が無かったけれど……。 今はむしろ、詳しく考えざるを得ない。 だって……きっと、そのために紅夜さんの家に向かっているんだから……。「そうか……じゃあ、美味しく頂かせてもらうとするか」 私を抱える腕に、力が込められた気がした。 紅夜さんの瞳の奥の光が、楽し気なものから欲望揺らめく炎へと変わる。 食べられてしまう。 それを実感したとき――。 きゅるきゅるるる……「……」 突然の間抜けな音に、私は無言を貫く。「……っくはっ!」 でも、そんな私も含めてツボに入ってしまったらしい紅夜さん。 くっくっと笑いながら力が入らなくなったのか「悪い、ちょっと自分で立って」と言って私を下ろした。 一応堪らえようとしているのか、大笑いはしていない彼。 その横に立つ私は、さっきとは違う恥ずかしさで顔に熱を集めていた。「っく、はは……。ここで腹なるとかっ……ウケる」
「っえ? 何で……?」 その光景を初めて見た私は、驚き、焦り、焦燥する。 私は、今からそこを通って帰らなくちゃならないのに。「……知らなかったのか? ここは、夜九時から朝五時までの間閉ざされるんだ」 無関係な人間が入ってこない様に。 中の獣達を出さない様に……。「閉ざされる……?」 そんな。 ううん、閉じたばかりの今なら間に合うかも!「離してください。今ならまだ間に合うかもしれない。私、帰らないと!」 そう言って走り出そうとするけれど、紅夜さんは離してくれなかった。「お願い! 離して!」 叫んで彼の腕を外そうとすると、「チッ」と舌打ちが聞こえる。 そのすぐ後に腕を引かれ、もう片方の手で口を塞がれ……。 後ろから抱き込むように拘束された。 捕まった。 そう思うより先に、耳元に「落ち着け」と冷たい声が掛けられる。 その冷たさに、冷水を掛けられたかのように思考が冷静さを取り戻す。「路地の陰になっているところをよく見ろ」 え? 冷静になった頭で出入り口の周囲もよく見る。 そして、表情が強張った。「あんたみたいなのはあいつらの格好の餌食なんだよ」 出入口から見えにくい場所や近くの路地裏。 そこにちらほらと集まっている明らかにガラの悪そうな男達。 そいつらは、出入口付近を注視している様に見えた。「何らかの事情で逃げ遅れたやつがたまにいるんだ。あいつらはそういう人間を捕まえては売り払ってる」 説明を聞きながらゾッとした。 紅夜さんが止めてくれなかったら、私は確実にあの中の内の誰かに連れ去られていただろう。「それに一度封鎖されたら何があっても時間が来るまで開かれることはない。あんたは、今日は絶対にここから出られないんだよ」 ここから出られない――。 絶望に、底なしの穴にでも落ちたような気分になった。 実際に足に力が入
「ああん? いってぇなぁ?」 かたわらに露出の激しい服を着た美女をはべらせている男の人が唸るように私を見下ろした。「ケガでもしたらどうしてくれんだよ?」 明らかに倒れてしまった私の方が被害があるだろうに、そんなことがあり得ないとでも言うように被害者のセリフを口にする男。「す、すみません!」 痛いのは明らかに私だったけれど、ぶつかったのも私の方だ。 それに、下手に反論してこれ以上怒りを買うわけにはいかない。 大人しくしているのが一番良いはずだ。 でも、この黎華街に住むガラの悪い連中はそうやってやり過ごそうとする人間にも容赦はしない。「あら? この子街の外から来た子じゃない?」 男にしなだれかかっている美女が面白そうに言った。「こんな時間までこの街にいるなんて、襲われたいのかしら?」 クスクスと優美に笑う女性は、ただただ面白そうな目をしている。 嘲笑うとか、馬鹿にしているとかでもない。 ただ、楽し気なんだ……。「へえそうかい。じゃあ期待に応えてやらねぇとなぁ?」 そう言って男と美女に付き従っている二人の男性が私に近付いてくる。 マズイ! 謝ってないで逃げるべきだった!? 判断を間違えた。 そう思ったときには腕を掴まれ引き上げられていた。「こっちに来いよ。可愛がってやるからさ」 「ちがっ! やだ!」 男たちが出てきた路地裏に引き込まれそうになって抵抗するも、引きずられてしまう。 そんなとき――。「その子に触らないでくれるかなぁ?」 頭上から、つい一時間ほど前に聞いたばかりの透き通るような声が聞こえた。 男達も私もそろって声の方を見上げる。 すぐ近くの建物の屋根の上に、彼はいた。 ネオンの明かりが金糸の髪に当たり、さっきよりもなおキラキラと輝いている。 私達を見下ろすその顔には酷薄(こくはく)な笑みが浮かべられていた。「っ! あんたはっ――」 「総長なんて言ったら殺すよ?」 表情は笑顔のまま。 先回りして発された言葉は不穏しかない。 まるで世間話でもするかのような気軽さでその言葉を使う紅夜さん。 屋根から身軽に飛び降りてきて、私の掴まれている腕を掴んだ。「なあ、触らないでくれるかって言ったんだけど?」 「え? あ」 男は怯み、慌てて私から手
『……こんな夜に誰? ……って! 美桜!? ちょっ! 早く入りなさい!』 ドアホンで私の姿を確認した叔母さんは、バタバタと音を響かせて玄関のカギを開けてくれる。「どうしたの美桜、そんなボロボロの格好で!? しかもこんなに暗くなってから来るなんて、今日は来ないと思ったのに」 慌てた様子で出てきたのは白衣を羽織った眼鏡美人。 アッシュブラウンに染めた長い髪を軽く一つに結ったナイスバディの女性だ。 この人がお母さんの妹の野村(のむら) 美玲(みれい)、私の叔母さんだ。「あー、間に合うようには来たんだけれどちょっとトラブっちゃって……。あ、でも大丈夫だから」 嘘をついても今のボロボロの格好を誤魔化すすべがないので正直に話した。 でも詳しくは話さない。 地面に押し倒されたりしたから、主に背中の方が汚れてるだろう。 転んだなんて言ってもどうして後ろにって聞かれたらなんて答えればいいか分からないし。「それよりもこれ、いつもの。暗くなっちゃったし、急いで帰るよ」 そう言って私は家の中には入らず、紙袋に入ったままのお使いの品物だけを渡した。 紙袋の中身はインスリン注射。 美玲叔母さんは一型糖尿病で、子供のころからインスリン注射を打っている。 本来ならちゃんと定期的に病院に行って処方箋をもらわなきゃ受け取れないインスリン注射。 でも、なかなかこの街を離れられないという美玲叔母さんはどうやってか知らないけど私のお母さん経由で手に入れている。 そしてお母さんは仕事があるため比較的安全な昼間にこの街へは来られない。 だから代わりに私がお使いをしているってわけだ。「でもちょっとギリギリじゃない? いっそうちに泊まっていった方がいいんじゃ……」「……泊まれる場所、ある?」 安全を考慮して泊まることを提案してくれた美玲叔母さん。 でも、私は無理じゃないかなって気分で聞き返した。 なにやらここで研究をしているらしい美玲叔母さん。ずっと研究に没頭しているせいか、家の中は足の踏み場もないほど散らかっている。「……ないわね」 それは自分でも分かっているのか、美玲叔母さんは気まずそうに視線を逸らして答えた。 でもすぐ焦りの表情になって、今度は私を急かした。「ああ、それなら心配だけど急いだほうがいいわよね。分かった、詳しいことは今度聞くから!」 お使い