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第7話

Author: ピーちゃん
あずさは、結婚式場の隅にひっそりと立っていた。爪が食い込むほどに掌を握りしめる。

明日。

明日になれば迎えがきて、この家から完全に解放される。

だが今日だけは、賢吾とみやびの結婚式を、この目で見届けなければならない。

赤いバージンロードの両脇には招待客がぎっしりと並び、車椅子に座る百合子は満面の笑みを浮かべている。

音楽が鳴り響き、漆黒のタキシードに身を包んだ賢吾が、みやびの手を取って歩み出した。

あずさの脳裏に、自分の結婚式の日がよみがえる。

同じ教会、同じ赤い絨毯。賢吾は緊張で手に汗をかきながらも、強く彼女の手を握りしめ、耳元で囁いた。

――「あずさ、やっとお前を妻にできた」

だが今、彼は別の女と腕を絡め、落ち着いた顔でかつて彼女が歩いた道を、ためらいもなく進んでいく。

不意に涙がこぼれ落ち、あずさは慌てて拭った。だが耳には、周囲のささやき声が容赦なく届く。

「ねえ、あれって森崎社長の元奥さんじゃない?こんなとこに顔を出すなんて、図々しいわね」

「精神的におかしいって噂よ。お義母さんを危うく殺しかけたとか」

「哀れな人ね」

あずさはそれらの声を聞こえなかったふりをして、ただ、壇上の賢吾を見つめ続けた。

彼もまた何かに気づいたように、視線を巡らせ、やがて彼女の涙をとらえる。

ほんの一瞬、彼の表情が揺らいだ。だが結局、何も言わずに顔を背け、儀式を続けた。

――あずさ、お前ならわかってくれるだろう?

式が終わり、客が次々と帰っていく。

あずさが主寝室の前を通りかかった時、中から甘やかな声が漏れた。

「賢吾さん、もっと優しくして……」

みやびの艶めいた声が、鋭い刃となってあずさの胸を突き刺す。

全身が硬直し、指先が震えた。

やがて賢吾の押し殺した息遣いが重なる。

「っ……声を抑えろ」

みやびが小さく笑う。「別にいいでしょ?そのうちわかっちゃうから」

「……黙れ」

「ねえ、あの人と結婚したの、後悔してる?」不意に、みやびはそう聞いた。

あずさは息を呑む。

短い沈黙のあと、苛立ちを含んだ賢吾の声が響く。

「ああ、後悔してるよ」

その言葉が、熱い鉄のように胸に押し当てられ、内臓が焼き切れるように痛んだ。

結婚式の日、彼は神父の前で「一生後悔しない」と誓ったはずなのに、今は「後悔してる」と言った。

これ以上は耐えられなかった。あずさは踵を返し、よろけながら客室に戻ると、扉を閉めて床に崩れ落ちた。

壁の向こうからは、夜更けまで途切れない喘ぎと床の軋む音が聞こえていた。

最後に百合子の弾む声が重なる。

「早く子どもが授かるといいわね。母さん、孫の顔が待ち遠しいわ!」

あずさは壁に背を預け、嗤いながら涙をこぼした。

翌朝。あずさはすでに荷物をまとめ終えていた。

スマホの画面を見下ろす。今日は迎えが来る日だ。

階下からは楽しげな声が聞こえてくる。

リビングに降りると、賢吾は百合子のスカーフを直してやり、みやびは小ぶりなバッグを手に嬉しそうに立っていた。その光景は、まるで本物の家族のように温かかった。

「まあ、早起きね」百合子の笑顔は、あずさを見た瞬間、冷ややかに変わった。「私たちは出かけるから、賢吾たちの寝室のシーツは取り替えておきなさい」

「それは使用人に任せましょう。あずささん、まだ手を痛めているのに」みやびがわざとらしく気遣ってみせる。

その時、賢吾が初めてあずさを見やった。「どこに行くんだ?」

「区役所よ」彼の目をまっすぐに見つめ、静かに言う。「また婚姻届を出すって言ってたでしょ?書類をもらってくるの」

賢吾は一瞬言葉を失い、「今日は母さんとみやびを温泉に連れて行く約束なんだ」と口ごもる。

重い沈黙が落ちた。

「……今日はお前一人で行ってこい」不意に彼は言った。「温泉から帰ってきてたら、何もかもが元通りになるよ」

「……わかった」あずさは小さくうなずいた。

安堵したように息を吐いた賢吾は、母を支えながら車へと向かう。「母さん、車に乗ろう」

黒塗りの車が庭を出ていくのを、あずさはその場に立ち尽くして見送った。

車が完全に消えた瞬間、彼女は頬を伝う涙を拭い、スーツケースを引いて門を出た。彼女が向かうのは区役所ではなく、弁護士事務所だった。

「こちらが離婚協議書になります。財産分与などについて記載されていますので、ご確認ください」弁護士が一冊の書類を差し出す。

あずさは一通り目を通すと、それを速達用の封筒に入れて森崎家の住所を書いた。「着払いでお願いします」

弁護士事務所を出ると、迎えの車がすでに停まっていて、運転手が手を振る。「こっちこっち!」

乗り込む直前、あずさはふとポケットから結婚指輪を取り出した。

海辺で賢吾が跪き、指にはめてくれたもの。内側には「Forever」と刻まれている。

数秒だけ見つめ、彼女は窓を開けて外へ投げた。

硬い音を立ててアスファルトに転がった指輪は、すぐに走り抜けた車に踏み潰された。

「出して」あずさは車の扉を閉めた。「こんな場所、もう二度と戻りたくないわ」
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